9
![]() |
それから信隆はかいがいしく香平の世話を始めた。 着替えなど、身体に触ることはまだ医師か看護師しかできないので、その間は廊下で待たされたが、そのうちその辺りの世話も全部俺のものだ…と、今から燃えたぎっている。 だから今は、そっと顔を拭いてあげたりするのが関の山で。 積もる話はそれこそてんこ盛りだが、香平はまだ、痛み止めのおかげで過ごせている状態なので、他愛もない話をポツポツとする程度で、後はゆっくりと休ませている。 眠っても、その寝顔を見つめていられるだけで幸せだ。 夜、香平の両親がやってきて暫く話をしたけれど、香平は徐々に口調もしっかりしてきて、時間と共に回復しつつあるのが見て取れて、周囲を安心させた。 そして、夜間は完全看護のために一旦帰宅せねばならないので仕方なく戻り、翌日は朝食時間前にはきっかり現れて香平を驚かせた。 食事は見るからに美味しくなさそうな流動食で、その所為もあってか食欲はまるでなく、頑張って食べないと…と言っても、吐きそうですと言われてしまえばそれ以上無理強いもできず、どうしたものかと看護師に相談していた昼過ぎに、雪哉がやってきた。 早朝、羽田に帰着して、午後の面会時間開始をうずうずしながら待っていたのだが、どうにも待ちきれずに早くから待合室でウロウロしていたら、もう良いですよと言われて30分前に病室にやってきて、香平を見るなりベッドに駆け寄った。 「香平…」 少しベッドは起こしているものの、右肩を完全に固定されて、点滴の管などをいくつかつけて横たわる痛々しい姿に、雪哉の表情が曇る。 「何て顔してんの、雪哉ってば」 「だって…」 「来てくれてありがと。もう大丈夫だよ。あとは治るだけだから」 「…香平、頑張ったね。偉いよ」 小さな手がそっと伸びてきて、香平の頭を優しく撫でる。 「ふふっ、女王様に撫でてもらえる日が来るなんて思わなかったな」 幸せそうに微笑む香平を、信隆は穏やかに見つめている。 やっぱり雪哉は別格だ。香平にとっても、自分にとっても。 その雪哉は『あの時』、ちょうど国際線ターミナルにいたのだが、その身はすでにコックピットにあって、シップのドアも閉じられて、まさにブロックアウトの――車止めが外されて出発時刻と記録される――タイミングだったのだ。 行き先はシンガポール。 トーイングカーで、スポットから誘導路へプッシュバックされている時に、いくつか離れたスポットに、赤色灯が見えた。 キャプテン共々、それが救急車だとわかったし、待機しているスポットは自社便が駐機する場所だから、到着便に病人が出たのかもしれない…とは推察出来た。 けれど、ここからオートパイロットまでは、運航に関わらない私語は一切認められない規則で、雪哉は自分の便の離陸に関する情報を管制とやりとりしながら、別の便と交わされている交信にも耳を傾けていた。 ――165便? ホノルルだな。何があったんだろ…。 気にはなったがそれ以上確かめる術はなくて、ともかく離陸に集中し、オートパイロットになってからカンパニーラジオで事の次第を知って、キャプテンと『大変だ!』となったわけだ。 意識が戻ったと聞くまでは、生きた心地がしなかった。 同じ便の他のクルーも…いや、どこにいるクルーもみんな、同じだった。 「ほんとに心配したよ。意識が戻ったって聞いた時は、みんな泣いちゃってたし」 その言葉に、どれだけたくさんの人に心配をかけてしまったのだろうと、香平は少し青ざめる。 「みんなに心配かけちゃったね…」 「ま、元気にさえなってくれればそれでOKだけど、みんながお見舞いに行きたいって言い出してさあ。大勢で面会にくると迷惑だし、香平も疲れるだろうから、チーム別で代表とかって話し合いになってる」 雪哉の報告に、信隆が口を挟んだ。 「どうやって決める気なんだ?」 「そりゃもう、上の人はみんな『セニョリティ順だ』って言い張ってますし、下の子たちはみんな『業務じゃないからそれはないです』って主張するし…で、収拾ついてません。こうなったらもう、くじ引きかじゃんけんしかないですね。77課のキャプテンでは、浦沢機長が『俺が行く』って一言で、全員黙らせちゃいました。でも牛島機長あたりは、華さんにこっそりついて来そうですけど」 そう言って笑う雪哉に、香平もつられて笑って顔をしかめた。 「いてて…」 傷に響いたと言うことは、初めて笑ったということだ。 そう言えば、目が醒めてからこっち、驚いてばかりで声を上げて笑っていない。 「わああ、ごめんごめん。笑っちゃダメだよ」 慌てる雪哉の横で、信隆も笑う。 香平の笑顔はやはり、何ものにも代え難い。 「で。なんか『万事OK』って感じですけど」 雪哉が信隆を見上げてニコッと笑う。 言わんとしていることは、信隆にはこれでもかというくらい、よくわかる。 「ああ、雪哉にも色々と心配かけたみたいだな。それに、711便のVIPのことも…」 と、言いかけた時。 ドアがノックされて、見知らぬ女性が顔を覗かせた。手には大きな花かごを持っている。 「失礼します〜。あの…、中原香平さんは…」 「ええ、ここですが」 信隆がドアまで行くと、女性は、『お届け物です。受け取りお願いします』と言って、その大きな花かごを差し出した。 「ああ、ご苦労様です」 サインをして、配達の女性が去った後、信隆は深くため息をついた。 「都築さん?」 雪哉が何事だろうかと、声を掛ける。 「…噂をすればなんとやら…」 振り返った信隆の手の中の大きな花かごには、見舞いの言葉と差出人が記されたカードが付いていた。 「711便のVIPからだ」 「「ええっ?!」」 「…ったく、どこから嗅ぎつけて来たんだ」 酷い言われ方に、香平と雪哉が顔を見合わせ、雪哉は吹き出し、香平は苦笑いだ。 とは言え、前島の職業からいって、この病院にも知人がいる可能性は高いから、情報収拾はしやすいだろうとの想像はつく。 「まあ、確かに彼のおかげで、あの時香平や雪哉が助かったのは事実だからな…」 そう言う信隆に、香平はかなりしっかりして来た声で応える。 「以前、お仕事の内容を聞かせて下さったことがあったので、まさかお医者様だとは思っていなくて、驚きました」 それを聞いて信隆は、肩を竦めて告白をした。 「いや、実は、彼がドクターなのは知ってたんだ」 「えっ?」 「どうしてですか?」 もちろん香平も雪哉もその告白に驚いた。 「調べた。香平の周りをちょろちょろしてるから」 ちょろちょろとはあんまりだが、まさかそんな事をしていたとは思わなくて、香平は目を丸くし、雪哉はニンマリ笑っている。 「都築さん、やっぱり結構前から香平ラブだったんですねえ」 言われて信隆は穏やかに笑んだ。 「ああ、それは認めるよ。なのに、あっちもこっちも気になることだらけで気の休まる間がなかった。だから、雪哉が協力してくれたと聞いて、嬉しかったよ」 「僕も結構役に立つでしょ?」 「結構どころか、救世主だよ。でも、どうしてすぐに教えてくれなかったんだ? あの時、メールのやり取りしてたのに」 2人の会話を香平は一生懸命聞いているのだが、何の話かわからない。 まだ頭の回転が鈍いのかなと、半ば諦め気分だ。 「そりゃもう、あそこで気を緩めてもらっちゃ困るからですよ。香平には、有象無象含めていっぱい群がってるんですから、頑張ってしっかり捕まえてもらわないと」 痛いところを突かれて、一瞬信隆が押し黙る。 が。 「そうだね、雪哉の言う通りだ。でも、もう大丈夫だよ。しっかり捕まえたから。ね、香平」 「はい?」 話への参加を放棄しかかっていたところをいきなり巻き込まれて、香平がきょとんとしたところ…。 信隆はいきなり腰をかがめて香平に顔を近づけて、『ちゅっ』…と、派手な音を立ててその唇を啄んだ。 香平は目を見開いたままだ。 そう言えば、昨日も似たようなことがあったような気がする。 しかも、もっと長くて深くて…。 「心電計も外れたことだし、今日からやりたい放題だな」 ――やりたい放題…って、何のこと…。 呆然としている香平の状況を、雪哉が的確な言葉で表現した。 「都築さ〜ん、香平、魂抜けてますよ。せっかく意識戻ったのに、また意識不明にしてどうするんですか〜」 「あはは。香平はまだ慣れてないんだよな。これから慣れていこうな」 「も〜、慣らすのは勝手ですけど、人前で慣らさないで下さいってば」 呆れた口調ながらも楽しそうな雪哉が信隆と笑いながら脳天気に交わす会話に、そう言えば昨日何度もキスされていたような気がしてきた香平は、ここはやはり、しっかり確認しておいた方が良いのではないかと声を出した。 「あ、あの…」 …のだが。 「香平も良かったね。やっぱり相思相愛だったよ。失恋確定なんて勝手に思い込んじゃってたけど、全然違ってたじゃん。も、心配して損しちゃった」 そう言えば、雪哉には色々とバレていたのだと、今更ながらに香平は慌てた。 「失恋確定? なんの話?」 信隆が少し眉を寄せる。 「ええと、フランクフルトで…」 「ゆ、雪哉っ」 「こら、香平はまだ大きな声出しちゃダメ。安静にしてなきゃ」 安静にできないような話を展開しておいてそれはないだろう…と、突っ込みたいのは山々なのだが、もう何処へ突っ込んでいいのかわからない。 「香平、好きな人ができたんだけど、失恋確定なんだ…って、しょんぼりしてたんです。僕が、その相手が都築さんだって確信したのはちょっと後だったんですけど」 ニコニコと報告――香平的には『暴露』だが――してくれる雪哉に、信隆は目を瞠り、そして香平を愛おしげに見つめた。 「香平…」 「や、あの、ですね、それはその、ちょっとした誤解、とか、行き違い、みたいな…」 どう取り繕おうかと必死で考えるが、通常の状況でもこの2人には敵わないのだから、今この状況で勝てるはずがないのだ。 案の定、香平のゴタクなんか、これっぽっちも信隆は聞いちゃあいない。 「最高に嬉しいよ。幸せになろうな、香平」 とろけるような笑顔で言われ、香平は『心電計が外れていてよかった…』と、紅くなる。 「えっ、もうプロポーズ済みなんですか?」 早っ…と、驚く雪哉に、信隆は『いや、それはまだなんだけどね』…と、さらに余裕の笑顔だ。 自分の魅力をこれでもかというくらい理解している男は、図に乗ると最早付ける薬はない。 「恋愛成就は本当に良かったですし、可愛がりたい気持ちもよ〜くわかりますけど、取りあえず安静は守って下さいよ」 そう言うと、真顔が返ってきた。 「そこは心配要らないよ。いくらなんでも病室で不埒な行為に及んだりはしないって。これでも節度ある大人なんだから」 そうは言うけれど、作ったようなその真顔がまた怪しい。 「え〜、何だか説得力があるような無いような…」 と、またしても2人で盛り上がっている横で、香平は生き延びたはずなのに屍状態だ。 多分…いや、きっと、とてもとても幸せなのだけれど、展開が早すぎてついて行けない。 騙されているとはこれっぽっちも思わないけれど、本当のところはもう少し頭がはっきりしてから考えないといけないかもしれないと思う。 そして、たくさん話がしたい。 しばらく怖くて避けていた、あのもったいないことをしてしまった時間を取り戻すくらい、たくさんの話を。好きな人と。 「僕、明日から2日間公休だから、明日も明後日も、下僕の様子を見に来るよ」 雪哉がまた香平の頭を撫でる。 「え、疲れてるのに、無理しないで。だいたいここまで来るのに…」 と、言いかけて、今さらながらに香平は気づいた。 ここは、何処なのだろうかと。 「あの」 「ん?」 「ここ、何処ですか?」 そのマヌケた問いに、雪哉と信隆が顔を見合わせて笑った。 意識不明で担ぎ込まれたのだから無理も無いが。 「ここ、僕の住んでるマンションから歩いても10分くらいのとこなんだよ。最上階のカフェに行けば、遠いけど羽田の離発着も見えるし、歩けるようになったら行ってみたらいいよ」 「そうだったんだ…」 知らなかった…と、目を向けた病室の窓の外は、ビルばかりだけれど。 でも、気がついてしまった。 「あ、それだったら、教官のお家は結構距離あるじゃないですか。なのに…」 車だろうとは思うけれど、それでも今朝は朝食時間から現れて、昨夜も遅くまでいてくれた。 親代わりの付き添いと言ってあるので、面会時間のように制限はされていないから、信隆は本当に朝から晩まで付くつもりでいて、今朝もそれを言われていた香平は、改めて『とんでもないことだ』と、信隆を止めようとするのだが。 「ああ、それ。心配しなくてもいいよ」 軽く流すと、雪哉が隣で訳知り顔で小さく笑った。 「いつの間にかいるんだもん。びっくりしちゃいましたよ。僕も敬一郎さんも」 「いや、ちゃんと挨拶に行こうと思ってるうちに、バタバタと…って感じでね。まだ最低限のものしか入れていなかったから、休暇が終わる頃には完全に移れるようにするつもりなんだ」 「手伝いますから、声掛けて下さいね」 「助かるよ」 「…なんのこと、ですか?」 口を挟んでみた。 すると、意外な答えが返ってきた。 「引っ越したんだ。まだ少しの間は実家と二重生活だけど」 「なんと、僕と同じマンションの2フロア上なんだよ」 信隆と雪哉の説明に、当然のことながら香平が驚く。 「えっ、そうだったんですか? ひとり暮らしされるんですか?」 雪哉がにんまりと笑った。 そして信隆はウキウキと言ってのけた。 「いや、新婚生活用だよ」 「えっ?!」 瞬間、あれやこれやが一気にひっくり返った。 もう、本当に何が何だかわからない。 何となくぼんやりと把握していた内容と真逆に思えて、自分はやっぱり頭を打ってるんじゃ無いだろうかととんでもなく不安になった。 「都築さん、肝心の『誰と』が抜けてますよ。また誤解になっちゃっても知らないんだから」 「いやいや、雪哉、これは『焦らしプレイ』って言うんだよ」 「え〜、それ違うと思うし〜」 また盛り上がっている2人の横で、香平はさらに真っ白だ。 何となく、このまま目を閉じて眠ってしまいたい気分だ。 昨日よりはずっと、身体も気分も楽だけれど。 「さっき、幸せになろうなって言ったもんな。香平」 「えっ?」 「はいはい。じゃあ僕はこれで失礼しますから、しっかりプロポーズして誤解のないようにお願いします。あ、然るべき所には然るべき報告をしておきますから」 「助かるよ。こっちからもまたちゃんと報告するからって言っておいてくれる?」 「Roger!」 上機嫌で雪哉は請け合い、『また明日ね』と小さな手を可愛らしく振って帰っていった。 「さて」 然るべきって何?…と、またしてもぐるぐる考えている香平の頭を、信隆がそっと撫でた。そして、左側の枕元に座る。 「もう少し色気のあるところで…と思っていたけれど、こんなシチュエーションも思い出に残っていいかもな」 そう言って、表情を引き締める。誰もが見惚れる、キリッとしてそれでいて優しい眼差し。 「香平、ずっと一緒にいよう」 「…教官…」 「生涯パートナーとして、支え合って生きて行こう。俺は、最期まで香平を愛して護り抜くことを誓うよ」 信じられない言葉に、香平は目を伏せた。 「ずっと…」 「うん」 「ずっと、思ってたんです。僕は、教官の信用を無くしてるんだって…」 ニコラが教えてくれたとおりのことを香平が話し始めたのを、信隆は静かに受け止める。 「それはすべて、俺の中途半端な行いの所為だ。認めて白状するよ。ニコラのことも、711便のVIPのことも、単純に嫉妬だ。香平を取られたくないって言う、我が儘だ。ただ、自分自身がその答えに行き着くのに少し遠回りした」 「遠回り…?」 「ああ、恋愛慣れした大人になってしまうと、自分の真ん中に芽吹いた純粋な気持ちを見落としてしまうんだ。俺も、いつの間にかちゃんと香平が心の中に住み着いているのに、そのことになかなか気づかなかった。なのに、周りはみんな、俺の気づかないうちにちゃんとフォローして、迷えばアドバイスしてくれた そこまでしてもらってやっと、香平に避けられていることに気がついた」 そう言われて香平は、改めて幼稚な手段に出ていたのだと後悔したが、あの時はそれしか方法がなかった。 集中して飛ぶために。 「…ごめんなさい…」 「だから、香平が謝る事じゃないんだ。すべては俺が蒔いた種だ。香平を不要に迷わせてしまった。それを謝って、愛してると言おうと思って待っていた。でも…」 香平の左手を、信隆が握った。 「クルーレストで意識をなくしている香平を見た時、生まれて初めて、恐怖を覚えた…」 握った手を額に当てて呟く。 「目を開けてくれ…と。まだ愛してると言ってない…と、何度も…」 途切れたその声は震えていた。 「僕は…、迷ったり、辛くなったりした時、ある人の手を思い出すようになっていました」 手を握りしめたまま、信隆が顔を上げる。 「その手はいつも、僕の肩を優しく抱いてくれて、その温かさを思い出すと頑張れて、いつの間にか、その手が欲しい…なんて、大それた事を思うようになってしまって焦りました。こんな気持ちがバレたらもうおしまいだと思って、絶対隠し通そうと決めていました。だから…」 そこまで言って、でもまだどこか現実味が薄くて香平は押し黙る。 幸せですと言ってしまって良いのだろうかと。 けれど、信隆は香平の想いを正しく汲み取った。 「俺は幸せだよ。香平も…だろう?」 握った手の甲に口づけて、信隆は香平の返事を待つ。 「…はい。信じられないくらい、幸せ…です」 本当に信じられないくらいで、でも、信隆のことは心底信頼しているから、きっと信じて大丈夫なのだと香平は胸を熱くする。 まだかなり痛いけれど、その痛みも何もかも、忘れてしまえるくらい。 「香平…ありがとう」 これでもかというくらい綺麗に微笑んで信隆が立ち上がり、そしてまたその長身をそっと屈めて香平に近づいた。 つい、自然に目を閉じてしまえば、落ちてくるのはやっぱり温かいキス。 やっと通じ合った想いを、二度と解けないよう結び合わせるために、深く、長く…。 離れたくはなかったけれど、香平の息が上がるまで続ける訳にはいかなくて、それでも漸く繋がりを解いて見つめ合っていると、ノックの音がした。 香平は慌てたが、信隆はもちろん平然としていて、香平の頭を優しく撫でて返事をすると、先ほど相談していた看護師が入ってきた。 「ヨーグルト持ってきたわ〜」 「あ、すみません」 「先生がね、これだったら良いって。食べられそうだったら、あと2個くらい大丈夫って。でも少し時間空けて、ゆっくりね」 「わかりました。ありがとうございます」 はい、どうぞ…と、信隆にヨーグルトを手渡して、看護師は出て行った。 「あの、もしかして、僕が食べられないから…」 「まあ、あれだけ不味かったら確かに食べられないよ」 少し舐めてみたのだが、味も素っ気もないただのドロッとした重湯だった。 ただでさえ、仕事中の食事はファーストクラスやビジネスクラスのミールで、幸か不幸か美味しいものに慣れてしまっているから、余計にキツい。 「すみません」 申し訳なさそうにする香平に、信隆はわざと厳しい顔をして見せた。 「あのな、香平」 「はい」 「俺とお前はパートナーになろうって決めたよな」 「…ええと、はい」 まだかなり照れくさいけれど、嬉しくて夢のようだと香平は思う。 「じゃあ、遠慮はなし。それと、オフでは敬語もなし。いいね」 「え、ええっ?!」 いきなりそんな…と、香平が眉を下げた。 想いを確かめあってまだ数分。 そんな無茶振りをされても…と、言おうとした香平の唇を信隆の長い指がちょんとつついて止めた。 「これは、お願いじゃなくて命令だから」 「は……い?」 一瞬納得してしまいそうになった。 シップでは命令は絶対だから。でも…。 「あの、それ、矛盾してませんか?」 「なにが?」 「オフでは敬語なし…って」 「オンじゃそう言うわけにはいかないからな」 そりゃそうに決まっている。 「オフ…なのに、命令、ですか?」 「だって、俺は香平の上司だから」 「ええと…」 やっぱり何かおかしいなとは思ったが…。 「オフ…でも上司、です…よね」 普通はそうだ。オンでもオフでも上司は上司だ。 「オフでは恋人じゃないか。生涯を誓い合った伴侶だろ?」 言い切られてしまった。 ――訳わかんないし。 「まあ、今すぐ…って言っても困るだろうから、少しずつやっていこうな」 にこやかに言われ、つい素直に『はい』と言ってしまったが、なんだかやっぱり変だ。 もしかして、この人の『オフ』――それも本当の『オフ』――は、とんでもないのでは…と、頭の端をチラッと掠めた時。 「はい、あーん」 「えっ」 ヨーグルトの乗ったスプーンが口元にあった。 「あーん」 「あのっ、ヨーグルトくらい、左手でも食べられます」 「あーん」 聞く耳なんて持っちゃいない。 どうやら不退転の決意のようだ。 香平は仕方なく、おずおずと口を開いた。 「はい」 口にスプーンを入れられて、仕方なく香平は一口食べる。 それを嬉しそうにみている信隆は、雪哉以来の『ヒナに餌付け』気分だ。 「食べられそう?」 「はい。大丈夫です」 「『です』いらないよ?」 にこやかにダメ出しが来た。 「食べられそう?」 どうやらやり直せと言うことのようだ。 「は…い。だいじょう…ぶ…」 「香平は覚えが良いね。教え甲斐があるよ」 これは、褒められたと取って良いのだろうかと思った端から気がついた。 これでは『教官』と『訓練生』だ。 そして、またまた気がついてしまった。 敬語がダメとなると、もしかして…と。 そう、もし今、いつものように『教官』と呼びかけたら、どうなるんだろうかと…。 「あーん」 次の一口が差し出された。 取りあえず、あれこれ考えるのは食べた後にすることにして、もう、こうなったら抵抗するだけ無駄だと、香平は素直に口を開けた。 「愛してるよ、香平」 唐突に言われて、香平はヨーグルトを吹き出した。 |
![]() |
「あ、キャプテン」 病院の正面玄関でニコラにばったり会った。 「雪哉! 香平に会ってきた?」 「はい、思ってたより顔色良くて、ホッとしました。キャプテンも大変でしたね。お疲れさまでした」 「いや、機長として色々と至らなかったと反省しているよ。香平をあんな辛い目に遭わせてしまうなんてね」 そう言うニコラの表情は、香平への想いと、機長としての責任の両方が混じった複雑なものだ。 今朝、詳しい状況を昌晴から聞いていた雪哉だが、引き返そうとしたキャプテンの気持ちも、引き返すなと言った香平の気持ちも、どちらの気持ちも痛いほどわかって、昌晴と『決断するって難しいよね』と話し合っていたところだ。 「で、信隆が長期休暇を取ってぴったりつきっきりになるって話なんだけど…」 「ええ、もうべったりです」 きっと今頃はもう、オペセンに出入りする人間はみんな、この事実を知っているに違いないと雪哉は思う。 信隆に、隠す気はこれっぽっちもなさそうだし。 「信隆は、香平に告白したんだろうか?」 「…ええと、告白なしであんな事してたら、モラル的に大いに問題ありかなと…」 と、言葉を濁しつつ、ちらりと見上げてみれば、ニコラは『あんな事?』…と、目を見開いて雪哉を見下ろしてくる。 「まあ、その、ちゅっ…とか何とか…」 それどころではないことも知ってはいるけれど、そうとは言わずにちょっと目を泳がせてしまえば、ニコラは肩を竦めてため息をついた。 「ま、いずれにしても僕は香平を想い続けるけどね」 その『諦めない宣言』に、雪哉は『こうなったら、オーリック機長にも誰か良い人探さなきゃ』と、心の中で、相手を物色し始めた。 |
![]() |
爪を切ったり、顔や身体を――ほとんどのところはまだ触らせてはくれないが――拭いたり、もちろん食事は『あーん』しか認めない、超絶甘やかし看護を連日続け、日に何度となく『愛してる』と告げて、昔の話、今の話、これからの話…などを飽くことなく語り合った2週間はあっという間に過ぎた。 その間、『敬語撲滅運動』を繰り広げたが、香平は頑張ったものの、やはり会話がぎこちなくなってしまう上に、雪哉から、『えーっ、香平が丁寧に喋るとこって、なんかほんのり色気があって良くないですか?』と言われ、そう言う目…いや、耳で聞けば確かにそうで、撲滅運動は目下頓挫中だ。 時間が解決してくれるのを待つ気になりつつある。 ちなみに相変わらず『教官』と呼ばれているが、『そこの教育的指導はないのか?』と敬一郎に聞かれ、『いや、なんかキスの合間に『教官』…なんて切羽詰まった声で喘がれたら、ちょっとアブナイ関係みたいで萌えません?』と答えたら、『中原も大変なのに捕まったな。気の毒に…』と、呆れられてしまった。 確かに、独占欲と束縛体質には自分でも驚いているところだ。 こんなにスマートでない――ある意味無様な――恋愛をしたことはない。 いずれにしてもこれが最後の恋だから、これからは香平との日々が自分の『基準』になるのだと、毎日が浮かれ放題だ。 そして、信隆の休暇が終わる頃には、香平も、肩から腕の固定はそのままだけれど、その他はもうすっかり回復していて、右腕が使えない以外はほぼ以前の香平に戻った。 ただ、固定を外す前後がまた治療のひとつの山場だと言うことで、退院まではもうあと2週間程度と診断をされた。 つまり、入院期間は1ヶ月にも及ぶと言うわけだ。 動けるようになった香平は、肩に響くので思い切りと言うわけにはいかないが、院内の階段を使って上り下りをして足を鍛え始めている。 足腰を弱らせないようにしておかないと、機内での仕事には耐えられないから。 雪哉に教えてもらった屋上のカフェにもたびたび足を運んでいる。 遠くに見える離着陸のシップを眺めていると、いつ戻れるんだろうという不安はつのるが、その反面、必ず戻ってみせるという気持ちにもなれて、日々の気持ちは今のところシーソーのように揺れている。 そんな香平を支えてくれているのはやはり信隆だ。 毎日、香平が恥ずかしくなるほど愛の言葉を贈ってくれるが、それは『一生続くから覚悟して』と宣言されている。 信隆曰く、『マグロが泳ぎ続けていないと死んでしまうのと一緒で、恋人に愛を語り続けていないと死んでしまうから』…と言うことらしい。 マグロと恋人への愛が同列に語られる違和感は半端なかったが。 休暇が終わった信隆は、乗務が終わるとそのまま病院へやって来て、香平との時間を過ごした。 香平は、そのことについてかなり難色を示し、乗務が終わったらちゃんと家に帰って休んで欲しいと何度も頼んだのだが、信隆は、誰もいない家よりここの方が疲れが取れると言って聞かず、ついには香平が折れてしまった。 ちなみに信隆の休暇が終わった途端に見舞客がひっきりなしに訪れるようになり、どうやら『2週間は面会謝絶』というお達しが『どこからか』出ていたらしい…とは、雪哉からこっそり聞いた『噂話』…だ。 本当の面会謝絶は3日間だったのだけれど。 そして、雪哉の予言通り、うっしーは『運転手』と称して華にくっついて現れて、華は、『お祝い何が良い? あ、退院祝いじゃなくて、結婚祝いね』と言い放って香平の魂を抜いてしまい、ノンノンは――もちろん昌晴も運転手と自称してくっついて来た――『新居にキングサイズのベッドが入ってたんだけど、あれ多分、車が買えるくらいする高機能マットレスだよ。香平くんの肩に負担がかからないようにだね』と、にこやかにとんでもない情報をもたらせてくれて、思わず『それ、僕には関係ないと思うんですけど…』と抗うと、『はいはい』と軽くあしらわれてまったく相手にされず、また魂が抜けてしまったのだった。 |
![]() |
あの日から30日が過ぎ、ギプスが外れて3日後に退院と決まった。 明日と明後日は、リハビリと今後の治療方針についての説明がある。 信隆は、明日は国内線の審査乗務だが、明後日と退院日は公休なので、当然ぴったり付き添い、そのまま連れて帰ろうと画策していた。 ちなみに退院日と公休日が重なったのは、もちろん偶然ではない。 「痛くない?」 ベッドに2人で腰掛けて、信隆は香平の右肩をそっと抱いた。 ギプスが取れた右肩は、以前にも増して薄く、頼りなげだ。1ヶ月も固定していたから、すっかり筋肉も落ちてしまっている。 「痛くは無いです。でも違和感はかなりあります。ちゃんと動くかどうかも不安ですし…」 少し落ちこんだ様子の香平の頭をそっと撫で、信隆は優しく言い聞かせた。 「焦っちゃダメだよ。あれだけの大怪我だったんだから、今は思うようにいかなくて当たり前だ。でも、これからきちんとリハビリを続けていれば、必ず元通りになるから、気長にいこう」 「…はい」 少し見上げてニコッと笑う香平に顔を近づけると、まだちょっと緊張するようだけれど、素直に目を閉じた。 ふわっと重ねた唇は、やがて結びつきを深くして、お互いに離れがたくなってしまう。 その間もずっと離さず――それでもそっと――抱かれた右肩に、香平が欲しいと思っていた温もりはまだあまり感じない。 やはり相当感覚が鈍っているようで、触れられていることはわかるのだが、間に何枚も布が挟まっているような、もどかしい感覚なのだ。 骨折そのものよりも、周囲のダメージの方が深刻だったとは聞いているが、思っていた以上に完治には遠い気がしてきて、唇が離れた途端についうっかりため息が出てしまう。 「なに? キスが下手って?」 「えっ、ええっ?!」 あらぬ誤解を…と慌てたら、信隆は笑いを堪えていて、からかわれたのだと気づく。 そんな香平が可愛くて、ついついやってしまうのだ。雪哉をからかうのと同じように。 もちろん、ご機嫌を損なわないように、フォローは忘れないけれど。 「なあ、香平」 「はい」 肩を抱き寄せられて、香平は信隆の肩に頭を預ける。 「退院したら、そのまま俺の所へおいで」 「え?」 「一緒に暮らそう。休暇中にすべて揃えて、いつでも生活が始められる状態にしてあるから」 それは、とてもとても嬉しい話ではあるのだけれど。 「…でも」 それはいくら何でもそれは親が許してくれない…と、香平でなくとも思うところだろう。 だが、信隆には譲る気はなかった。 実家へ戻れば母親の手厚い看護が待っていると言うのならば、しばらくは実家へ返すべきだが、残念なことに――信隆には幸いだけれど――母親は多忙なので、香平は実家へ戻っても日中はずっとひとりだ。 香平の両親は、共に官庁のキャリア官僚。 父親は出張で不在がちで、母親も、特に国会会期中は忙殺されているという。今は国会は閉会中だが、それでも多忙に変わりはないらしい。 リハビリの結果次第だが、そう遠くないうちに地上勤務には復帰させたいし、その後また様子を見ながら乗務に戻るための準備も始めなくてはいけない。 何よりリハビリのために病院に通うにしても、圧倒的にマンションの方が近い。 天気が悪くなければ、ほんの10分ほどの距離は歩くのにちょうどいい。 つまり、説得材料はいろいろあるということだ。 材料さえあれば、いや、なくても信隆には自信がある。 ものごとを、さも系統立っているように積み上げて、自分の思う結果へ持って行くのは得意中の得意だ。 『都築くんは政治家になるべきだったな』 いつだったか、敬一郎の父にそう言われたことがある。 信隆は、大学時代には法学部で国際政治学を学んでいて、その時の同じゼミの1年先輩が敬一郎だったわけだが、敬一郎の父はその道の権威で、何度か話を聞かせてもらってからは、やはり父親とも親しくなっていた。 就職が決まり挨拶に行った時に、『息子のことは諦めていたが、君ならこの道でやっていけただろうにな』…と言われたのだ。 社会人になってからは、敬一郎共々、『国際政治学やってて、なんでエアライン?』とよく聞かれた。 敬一郎の場合は、『それ』が大卒後に航大へ進むための条件だったから、仕方がなかったのだ。 それでも、仕方なく入った学部を首席で卒業したのは、敬一郎らしいと言えばらしいのだが。 信隆は、就活当時は客室乗務員なんてこれっぽっちも頭になくて、ただ、敬一郎が行く行くはジャスカを目指していると知っていたし、旅客機の運航に関わる仕事も面白そうだったし、語学力が生かせる部署も多いから、それなら先に入って待ってようかな…と、何となく考えただけだ。 そもそも、国際政治学は、面白そうだと思って『趣味の一環』で勉強していただけで、それを生かした社会生活を送る気は端からなかったから。 そんなわけで、『その道の権威』のお墨付きの政治力で、官僚を丸め込む算段は完璧に練ってあるというわけだ。 「大丈夫、俺に任せていればいいから」 額にキスをしてそう言えば、香平は少し不安そうに頷いた。 |
![]() |
翌日。 午後3時過ぎに国内線審査乗務から帰着した信隆は、夕方、いつもの通り香平の元へとやってきた。 もう1時間もすれば、香平の母が病院からの説明を受けるためにやってくるはずだ。 父親は今日も海外出張中だ。基本的に子育ては母親任せだったそうで、構ってもらった記憶もあまりないと、香平も言っていた。 厳しく叱られたのは、雪哉を守り切れなかったあの一度だけだったとも聞いている。 ☆ .。.:*・゜ 「え? 香平を都築さんに?」 「はい、お預かりさせていただきたいと思うのですが」 医師からは、退院後の生活とリハビリについて説明があり、取りあえず半月程度のリハビリの結果を見て、地上勤務に復帰出来るかどうか判断しましょうとの事だった。 「いえ、そこまで甘えてしまっては…」 そう言いかけた母の言葉を、『一撃必殺』の微笑みで封じ込め、信隆は殊更穏やかに話し始めた。 「先程主治医の先生から復職についてのお話がありましたが、地上勤務と言いましても多岐に渡っておりまして、私でしたらその内容もすべて把握していますので、医師と適宜相談して香平くんに最も適切な業務を選ぶことも出来ますし、何より、ここから歩いて10分程度の距離ですからリハビリに通うのも楽ですし、万一の際も安心です。それに、駅まで6分なので、ご実家へ顔を出すにも便利ですし、第2ターミナルへは快特で16分で通勤にも便利です。ご存知のとおり、乗務に復帰しましたら、早朝深夜はタクシーの送迎になりますが、その点ではターミナルのより近くに住んでいる方が社にとっても有益なことですし、立地的には申し分ないとご理解頂けるかと思います。それに、2フロア下には香平くんの同級生で、弊社のパイロットも住んでいますので、何かと力にもなってくれますし、相談もしやすいのではと考えております」 信隆の話を真剣な面持ちで聞いていた母が、同級生という言葉に食いついた。 「同級生…ですか?」 「はい」 信隆の返答を確かめて、母は香平に向き直った。 「もしかして、雪哉くんのこと? パイロットになったって先生から聞いて、あなたとっても喜んでたじゃないの」 「あ、うん。そう」 失恋した挙げ句に女王様と下僕の関係ですとは、口が裂けても言えないが。 「会えたのね。良かったわ〜」 心底安堵したようにそう言う母に、信隆が付け加える。 「同じシップで飛ぶこともたびたびあって、仲良くしているようですよ」 にこやかにそう告げた信隆に、母は『まあ、そうでしたの』と驚いた顔を見せ、それからうっとりと語り始めた。 「あの頃は本当に天使のようで、奇跡のような可愛らしさだったんですよ。今はもう、立派な男性になられてるんでしょうね。どんな風に成長されたのか、会ってみたいですわ」 ワクワクと嬉しそうに語る母の様子に、信隆と香平は目を泳がせた。 ――写メ持ってます? ――持ってるけど、ここで嬉しそうに見せたら、後で雪哉からなんて言われるか…。 目だけでそんな会話が成り立ってしまった。 その時、病室のドアをノックする音が。 「あ、はい」 「香平〜、生きてる〜? 退院決まったって〜?」 天使のままパイロットになってしまった人物が現れた。 「雪哉くん?!」 見るなり大正解だ。 「あ、もしかして、中原くんのお母さんですか?」 中学時代にも会ったことは一度もなかったが、優しげな目元が香平とよく似ていてすぐにわかった。 そして香平の母は、あの頃、遠くから見守ることしか叶わなかった雪哉に、ずっと胸の中に抱えていた思いを吐き出した。 「やっぱり雪哉くんなのね。はじめまして。あの時は本当にごめんなさいね。うちのバカ息子のせいで、あなたには辛い思いをさせてしまったわ。なのにまた、こんなバカ息子と仲良くしてもらえて、本当に感謝しているの。こんなバカ息子だけれど、これからも見捨てないでやってね」 雪哉の口が笑いを堪えるように結ばれた。 「い、いえ…中原くんは、悪くないです…から」 どうやら『バカ息子3連発』がツボにハマったようだ。 「でも、一目で雪哉くんとわかったわ。あの頃の天使のままなのね。本当に奇跡だわ〜」 ちっとも変わってない、全然変わってない、中学の頃のままだと連呼され、雪哉がジト目で香平をチラ見する。 香平は目を逸らしたが。 「ええと、お話し中だったのではないですか? 僕、外してますから…」 「あ、良いんですよ。雪哉くんもいて下さい。実は今、都築さんから香平のことでお話をいただいていて、ちょうど雪哉くんの話になっていたところなの」 「僕の…ですか?」 なんのこと? …と、信隆を見れば、今し方の話を聞かせてくれた。 そして雪哉は、当然これは後押しをせねばと張り切った。 「僕も、中原くんが近くにいてくれると心強いです。うちのマンションは本当に通勤には楽ですし、セキュリティーも万全なので、僕たちみたいに不規則勤務で留守がちでも安心で、お勧めです。それに…」 ちらりと信隆を見る。 「もうご存知だとは思うんですけど、都築教官はクルーたちに最も信頼されている上司ですし、教官もクルーたちも中原くんにとても期待して、頼りにしています。早く復帰して欲しいとみんなも心待ちにしていますし、今後の事も含めて良い話ではないかなと思うのですが」 言葉の最後にはもちろん、天使の祝福的微笑み付きだ。 信隆と雪哉の話を聞いて、少し考え、母は香平に尋ねた。 「あなたはどうしたいの? お世話になりたいと思っているの?」 そう、最後はそこだろう。 母、信隆、雪哉の3人から6つの目をジッと向けられて、香平は思わず腰が引けそうになってしまったが、自分の気持ちももちろん決まっているから、小さく息を整えて、言った。 「僕も、教官について行きたいと思ってる」 それはまるでプロポーズの返事のようで、雪哉は内心で、『香平って、わりと大胆だなあ』と、感心しきりだ。 すると。 「あら、まるでお姉ちゃんが初めて旦那様を連れてきた時みたいね」 母がコロコロ笑い出して、雪哉は目を逸らし、信隆は苦笑し、香平は冷や汗だらだらだ。 「都築さん」 「はい」 穏やかに、微笑む。 「今回のことだけでなく、会社を移るところからずっと御世話になりっぱなしで、その上にまた甘えてしまって申し訳ないと言う気持ちは強いんですが、仕事に戻れるまでお世話になってもよろしいですか?」 「もちろんです。その後のことは、またその都度ご相談しつつ進めていければと思いますので」 な〜んて、手離す気はこれっぽっちもないくせに、『物わかりの良い上司』の顔と受け答えでしれっと『その都度』なんて譲歩をしてみせる。 「親バカなことで、本当に申し訳ありません」 頭を下げる母に、いやいや、親バカ万歳ですから…なんて口が裂けても言えないが、真面目な『上司の顔』で信隆は、『香平くんの復帰を全力でバックアップさせていただきます』と、宣言した。 |
【10】へ |
*Novels TOP*
*HOME*
☆ .。.:*・゜
おまけ
『クルーたちのこだわり:海外ステイの時に必ず持って行く物とは』
![]() |
みなさん、こんにちは。 国際線アシスタントパーサーの岡田悠理です。 見かけ草食、中身肉食…なんて言われていますが、その通りです。 大好物は『年上可愛い系』です! って、そんなことはどうでもいいんですが。 さて、今日は、クルーたちのこだわり:『ステイ先に必ず持って行く物』編です。 このコーナー、太田APの担当だったはずなのに、前回の『変わった落とし物』でダメージ受けたらしくて、僕が代わることになりました。 なにがあったのかなあ…。 と言うわけで、トップバッターは、相変わらず『ジャスカきってのイケメン』、来栖キャプテンです! 「ステイ先に必ず持って行くもの?」 「はい。こだわりのグッズとかありますか?」 「グッズと言うか…手のひらサイズの革製のフォトフレームは必ずフライトバッグに入れてるよ。2つ折れになってて、写真が2枚入るんだ」 …読めた。あっさり読めちゃったよ、もう〜。 「キャプテン、今更な質問で恐縮なんですが、写真は2枚とも…」 「もちろん雪哉だよ?」 それが何か?…と言わんばかりのキャプテンに、やっぱりね…と脱力するしかないわけですが…。 「それって、見せてくださいとか言っても良いですか?」 「もちろんいいよ。…ほら」 …こ、これはっ。 浴衣姿の雪哉さんが、縁側でにゃんことじゃれて笑ってるっ! ああっ、こっちは雪だるま作ってるっ。 か、可愛すぎるっ! 「実家で撮ったものなんだけどね、よく撮れてるだろう?……って、岡田くん、鼻血出てるよ…」 とんでもなくレアなプライベート写真に全身の血が逆流しちゃいましたっ。 「キャプテ〜ン! 僕もこの写真欲しいですっ」 「ふふっ。あげないよ」 常は穏やかで優しいキャプテンですが、雪哉さんの事になると途端に心が狭くなる人なのでした…。ぐすん…。 ううっ、こうなったらもう、いきなり雪哉さんに突撃だ〜! 「ステイ先に必ず持って行くもの?」 「何かありますか? こだわりのグッズと……」 …ちょっと待てよ…。嫌な予感が…。 「グッズじゃないけど、革製のフォト…」 あああっ、やっぱりっ! 「や、雪哉さん、も、いいです」 「え? いいの?」 「はい。中身についてもキッパリハッキリ心当たりがありますんで」 そう言うと、雪哉さんは頬をピンクに染めた。 ダメだっ、可愛い〜! 「わああ、お、岡田くん、苦しいってば〜」 ぜえぜえ…。全力で抱きしめてしまいました。 何だか初っ端から全力疾走した気分ですが、気を取り直して次行きましょう。 次は人気者と言えばこの人。 うっしーこと牛島キャプテンです! 「こだわりって言うより、フライトの時には肌身離さず…ってのがあるな」 「わあ、それ、教えて下さい」 「手のひらサイズのさ…」 「もしかして革製のフォトフレームですか?」 「あれ? いつもそうだけど、今日はまた一段と察しがいいな、岡田」 …そうなんです。妙なところで察しが良い人間なんです…。 「で、もしかしなくても中身は奥さんとお嬢さんですか?」 「そりゃそうだろ。フォトフレームだけじゃないぞ、俺の心のアルバムは華ちゃんでいっぱいだ」 …ごちそうさまでした…。 で、牛島キャプテンに聞いたからにはこの人も…と言うことで、大橋キャプテンにも聞いてみましょう! 『うっしー&大橋』は、僕が入社するよりずっと前からジャスカの名物漫才コンビなんだそうです。 …って、なんと、大橋キャプテンも革製フォトフレームを必ず持って行くそうなんですが…。 「…これ、どなたですか?」 こんな女優さんいたっけ? 僕、洋画も結構見るけど、こんな上品な美人って、覚えがないなあ。 「あ? 俺、他人の写真を持ち歩く趣味はねぇぞ」 「…まさかと思うんですが、もしかして、奥さん…ですか?」 「おう。もしかしなくても、うちのかーちゃんだ」 …あまりにも『予想外』の奥さんに、思わず凝視しちゃいました。 これ、『かーちゃん』じゃなくて『マダム』…すっげえ美人…しかもこれ、オーリック機長よりももっと鮮やかな髪色じゃないですか…。 「…じゃあ、こっちはまさかお嬢さんたち…って、え? ええっ、こ、この人たち…っ!」 「あ、もしかして知ってるってか?」 驚きすぎて壊れた人形みたいに頷くしかない僕に、大橋キャプテンは、『ま、俺も何でこんな事になってんだって気はしてんだけどな』…と、まるで他人事のような言葉を残して去って行かれました。 ウソだあ…。でも、これ、みんな知らないよな…。 どうしよう…大変な秘密を知ってしまったのかも…。 呆然としてしまいましたが、この件についてはまた改めて掘り下げるとして、気を取り直して杉野キャプテンに聞いてみましょう。 って、やっぱり革製フォトフレームなんですけど…。 「息子の写真入れてるよ。ほら」 「わあ、可愛いですね〜」 「だろ? 最近パイロットになりたいって言い出してさ。元ヨメが今から英会話させておいた方が良いかなあなんて言ってる」 「それは楽しみですね」 杉野キャプテンはバツイチですが、離婚後も良好な関係のご様子で、ちょっとホッとします。 でも…。 「で、何でもう一枚が雪哉さんなんですか?」 「あ? だって俺、独身だしさあ。それなら『空のお守り』に雪哉の写真って思ったわけ」 「わあ、空のお守りってわかる気がします!」 「な、岡田もそう思うだろ?」 でも、普通だったら息子さんの写真をもう1枚入れそうな気がするんですけど…。 あ、向こうからやってくるのは、ひときわ目立つ金髪の甘系イケメン、オーリックキャプテンです。 捕まえて聞いてみましょう! 「フライトに必ず持って行くもの?」 「はい、何かありますか?」 フランス人のキャプテンですから、もしかしたら日本人キャプテンたちとは違う何かがあるかもしれませ……え? 「あの、これって」 やっぱり革製フォトフレームなんですけどっ。 「ふふっ、香平の写真だけど、見る?」 わおっ! 「見ます! 見せて下さい!」 愛する中原さんの写真、絶対見たいです! 「うわっ、これ、フランスの制服ですよねっ?」 背景は、僕も何度も飛んでいる、シャルル・ド・ゴール空港です。 「そう。確かにジャスカの制服の方がよく似合ってるけど、これも悪くないだろ?」 「ええ、めっちゃ可愛いです〜! ってか、これいくつの時ですか?」 今でも『もうすぐ30』にはまったく見えない中原さんですが、これは制服でなければ高校生で通りそうなくらいです。 「クルー1年目だから、23くらいじゃないかな?」 うわ〜、ピカピカの一年生! レアものだ〜! 「キャプテンっ! これ、コピーさせて下さい!」 「いいけど、その代わりに今度の冬コミに付き合って?」 「……はい〜?」 オーリックキャプテンが所謂『オタク』だというのは本当のようです…。 ってか、こんな『長身・金髪・イケメン』であんなとこ行ったら、コスプレでもしないと悪目立ちしそうでコワい…。 それにしても、コックピットの皆さんはどういうわけか皆さん『写真』です。 何かわけでもあるんでしょうか。 そう言うときにはこの人! 『77課』のドン、浦沢キャプテンに聞いてみましょう! 「ああ、ジャスカのコックピット・クルーは、愛する人の写真をお守りに持つって習慣が昔からあるんだ」 「え、そうなんですか?」 ちょっとびっくり。でも、なんだか素敵です。 「それは随分以前からのことですか?」 「そうだな。俺が入社したときにはもう始まっていたな。パイロットってのは、時代と共に進化して行くハイテクと向き合って、緻密な技術と経験を重ねることが重要な職業だが、意外と『験を担ぐ』ってことだ」 「でもそれ、素敵ですね」 きっと、技術と経験とはまた違う部分でのメンタルを支えてくれる、大事な大事な『想い』なんですね。 「まあな。俺もこの習慣は気に入ってる。そう言えば、ニコラにもこの話を教えてやったら早速フォトフレームを作っていたようだが」 「あ、はい。見せていただきました」 「そうか。まあ、中身は言わずもがなだがな」 「…えっ、キャプテンまさか、ご存じなんですか?!」 中身、中原さんなんですけどっ。 「ああ。あいつがここの採用審査を受けた時、俺にハッキリ言いやがった。『中原香平を追ってきた』ってな」 うわあああ。さすがと言うか無謀というか…。 「俺は、ああいう一途で潔いヤツは嫌いじゃない」 …キャプテン…。 やっぱり浦沢キャプテンって、顔怖いけど優しいなあ…。 「で、浦沢キャプテンももちろん…」 「カミさんには『いつまでも新婚当時の写真なんか持ち歩かないで』って言われてるがな」 浦沢キャプテンは、珍しく『あはは』と声を上げて笑って上機嫌で去って行かれました。 うーん、ほんとにいい話聞いちゃったなあ。 そうだ、僕も革製のミニフォトフレームをゲットして、愛する人の写真を入れちゃおう! 1枚は雪哉さんで、もう1枚は中原さんだな。 ふふっ。空のお守りと愛のお守りのダブル御利益だ! さて、パイロットの皆さんが写真を持っていると言うのはよくわかったんですが、キャビンクルーはどうでしょうか? まずは産休目前のノンノン上級CPに聞いてみましょう! 現在のチームは違えど、ノンノンCPには国際線OJT中にはめちゃくちゃお世話になって、初めて会った時には『わあ、お淑やかそうな美人だなあ』…と、思ったんですが、実態は…多分…パパより強いママになりそうな気が…。 「え? 写真? そんなもの持ってかないよ?」 って、ダンナさんはノンノンCPの写真、大切そうに持ってましたけど…。 フレームの片側は生まれてくるお子さんを入れるために空けてありました。 お二人のベビーの誕生を仲間たちみんなが楽しみにしています。 「私のこだわり必需品は青汁だよ」 「青汁〜?」 「そ、機内食も海外のご飯も、野菜って不足するじゃん。それを補うには青汁が手っ取り早いってわけよ。あ、もちろん粉末ね。軽いし便利だよ? 妊婦には葉酸入りも人気だし。 まあ中にはマズいのもあるから、ざっと30社くらいは試したかなあ。おかげでもう、青汁ソムリエだよ」 なるほど、確かに海外ステイは野菜が不足しがちです。 「岡田くんも飲んでみ?」 「お薦めってあります?」 「うん、美味しくて栄養価もばっちりのがいくつかあるから、携帯にお薦め送っておいてあげるよ」 「わあ、よろしくお願いしま〜す」 って、数時間後に送られてきたメールには、『美味しく栄養価が高い』ものの他に、『話のネタに、これだけは絶対試して欲しい激マズ青汁』なんてお薦めもあったりしたのでした…。 さて次は、僕が属するチームのリーダーで、後輩のノンノンCPを目の中に入れても痛くないほど可愛がってる小野香澄上級教官CPです! ジャスカきっての美女と言われていますが、中身は激しく男前…と言うか、諸先輩方曰く『アレはもう、オヤジ。背中のファスナー開けたら中からオヤジが出てくるから』…だそうです。 「私がステイに必ず持ってくって言ったら、これなんだけどね」 「…なんですか…これ」 ジッパー袋の中身はどうやら塩のようなんですが、この、陶器製の小さな円錐と五角形の小皿は…。 「これね、盛り塩セット」 「盛り塩…って、あの、料亭の前とかで見かける…」 「ああ、そう言うことも良くあるわね。えっと、この円錐にね、塩を詰めて形を作って小皿に盛って出来あがり。ともかく盛り塩ってのは、邪気を払う効果があるわけ」 や、それは何となくわかるんですが…。 「あの、小野CP…」 「ん?」 「これを、どこで…」 一応『ステイに持って行くこだわりの必需品』なんですけど。 「もちろんステイ先のホテルの部屋で使うのよ。まさか機内で盛り塩とかしないし〜」 あはは…って、そりゃそうですけど。 ってか、コックピットドアの前とかで盛り塩してあったらコワいじゃないですか〜。 「ホテルの部屋とか、不特定多数の人が行き交う場所ってどうしても邪念が凝っていくのよね。だから、辺りを私にふさわしい浄化された場に変える訳よ」 ふふ…と不敵に笑う小野CPですが…。 …や、小野CPだったら、その存在だけで辺りの邪気払いを出来そうな気がする…なんて口が裂けても言えませんが。 「今度フライトが一緒になったときに、岡田くんの部屋にも盛って上げるよ」 「…はあ、それはどうも…」 「ってか、塩はやっぱり升酒の角に盛りたいよねえ。そうそう、この前ロンドンのパブでイケてるソルティドッグ見つけたんだ〜。今度連れてったげる」 「わあ、ありがとうございます!」 …やっぱりかなりオヤジかも知れません…。 さて、次は同じチームの三浦CPです! 中原さんと『ヘッドハント同期』の三浦さんですが、2人は最初から仲が良くて、ちょっとジェラシーだったんですが、どうやら三浦さんは雪哉さんにマジぼれだったようです。 三浦さん、残念でした。 …って、ちょっと棒読みになってしまいましたが。 恋破れてちょっと傷心の様子ですが、先輩クルーとしては本当に頼りになる人で、羽田ベースの男性クルーはみんな、都築教官と中原さん、そして三浦さんの背中を見て育っている…という感じです。 そんな三浦さんですが…。 「俺、低周波治療器は絶対必須アイテム!」 …低周波治療器? 「それって、あの、電気で肩とか背中とかぴくぴくさせるヤツですか?」 「そう、俺肩こり酷いんだよ〜」 「スポーツマンなのに?」 三浦さんは柔道黒帯なんです。 かといってムキムキでもなく、同じ男性として、とても羨ましい体つきなんですが…。 「や、確かにステイ先に着いちゃったらさ、ホテルにはジムだのプールだのあるから身体動かして解すんだけど、機内じゃそうはいかないしさあ」 「え、もしかして、機内でモミモミしてるんですか?」 「そうだよ。休憩でレストに転がってる時に、モミモミしてる」 知らなかった…。 「でも、確かに狭い機内で行ったり来たり上げたり下げたり、不自由な作業を体力勝負でこなすわけですもんねえ」 「だろ? あと、腰痛も職業病だよなあ」 「それ、言えてます。女性クルーだと窓側へのサーブで腰に負担来るって聞きますし、僕たちみたいに身長があると、中腰の作業が堪えますよね〜」 「まったくだよ。筋肉ついてる俺でさえこれなんだから、実際女子にはキツい仕事だよなあ」 「そう言えば最近、プリブリの時に『こりほぐし体操』やってるチームありますよね」 10人前後のクルーが乗務前に一斉に腕を回したり首を回したりしている光景は、ちょっと壮観なんです。 「ま、あれも効果があるんだろうけどさ、乗務前にやってもなあって気がしねえ?」 「確かに。肩こりとかが出てくるのって、シップに乗って暫くしてからですもんねえ」 「てかさあ、羨ましいことに都築教官って全然肩こりとか無いらしいんだ。この前も審査乗務するチームのプリブリで体操に付き合わされてたけど、も、よそ見しまくりで全然気合いの入ってない『やる気なさ満点』な、ダレた体操しててさあ、アレはアレで珍しいって余所のチームが笑いながら見てたな。通りすがりの小野CPからは『真面目にやれ』って鉄拳くらってたけど」 …やる気の無い都築教官…レア過ぎです…見てみたいかも…。 続きまして、前回までこのコーナー担当だった太田遥花さんです。 遥花さんは三浦さんと同い年で、乗務歴はもう8年ですが、途中で身体を壊されて一時国内線に移っていたそうです。 都築教官が国際線に呼び戻された…って話を聞いた事があります。 全体に小ぶりな感じの可愛い人なんですが、みんなが密かに言うように、よく見ると確かに雪哉さんと雰囲気が似てるんです。 でも、性格があまりにもざっくばらんで、先輩たちからは『ゆっきーは女子力。遥花は男子力』なんて言われてます。 さて、そんな太田さんは、いったい何を持って行くんでしょうか。 「フットマッサージャー…ですか?」 それってデカいんじゃ…。 「うん。今ね、軽くて良いのがあるんだ」 いくら軽くても、かさばるんじゃ…。 「シンガポールとかバンコクステイだったら、足つぼマッサージに直行なんだけどさあ、ここのところ乗務のほとんどがヨーロッパだから、自分でケアするしかないわけよ」 肩こりもさることながら、立ち仕事が基本のキャビンクルーは足の疲れやむくみを感じる人がとても多いのです。 そんな足の疲れを取るために『休憩中にこっそり、ゴルフボールを足の裏で転がす』と言う方法は、キャビンクルーの間では知らない人がいないほどの『当たり前』だったりします。 「ほら、これ」 「随分ペッタンコですね」 予想に反して、フットマッサージャーはピンク色のサテン生地のような布でした。 「これを足に巻いてね、ここの管を繋いで、コントローラー、スイッチオン!」 微かな音を立てて、足に巻いた布が膨らんでいきます。 「あー、なるほど。空気圧でふくらはぎとかを揉むわけですね」 これなら確かにオーバーナイトバッグの隅っこに入ります。 優れものだなぁ。 「そうなの。これがまた極楽でねぇ……zzz」 「あ、ちょっと太田AP! こんな所で寝ないで下さいよ〜」 …マジ、寝ちゃったよ。どうしよう…。 キャビンクルーはみんな、お疲れです…。 さて、そんな中、疲れ知らずと言われているこの人! 都築教官にも聞いてみましょう。 絶対健康グッズじゃないと思うな。 「リップクリーム、ですか?」 「そう、リップクリーム。機内は乾燥してるだろう? 唇の皮膚が薄い所為か、油断するとすぐ荒れるんだよ。でもね、荒れた唇でキスなんかしちゃ失礼だろ?」 …って、完璧ウィンク付きで言われましても…。 ってか、誰にキスするんですか〜! 中原さんとか、絶対ダメですからねっ。 この間も、肩とかベタベタ抱いてるの見ちゃったんですからっ。 「あ、悠理はハンドクリーム必須だろ?」 「え、なんでバレてるんですか?」 「雪哉が言ってたよ? 『岡田くん、しょっちゅう両手で僕の頬を挟むんですけど、すべすべで綺麗な手してますね、彼』ってさ。悠理は以前、『消毒液で手が荒れる』って言ってたからな。お手入れしてるんだろうと思ったわけだ」 げ〜、そんなことまでバレてる〜! う〜、負けた〜。 …まあ、都築教官に勝とうなんて、一万年早いですけど…。 と言うことで、締めはこの人しかいないでしょう! 僕が愛する中原CPです! 健康グッズだったらいいんですが、好きな人の写真とかだったらどうしよう…。 「ステイ先で寝付けない事って、時々ない?」 「あります! 疲れすぎて寝られないとか…」 でも、眠れない時はいつでも僕を呼んでくれたら腕の中で寝かせてあげるのにー! 「僕もだいたいはバタンキューなんだけど、ステイ2日目の夜とかで眠れないと乗務に差し支えるし、早く寝なきゃって焦るじゃない?」 「ですよね」 何が一番堪えるって、やっぱり『寝不足』ですから。 「だから、『必ず眠れる』っていう環境音楽が入った音楽プレイヤーは必須なんだ」 「それだと眠れます?」 「うん、僕の場合は確実に眠れるよ。だって、1時間くらい流れてるはずの曲なんだけど、5分くらいから先って、一度も聞いたことないから」 それは凄い…。効果絶大。 「そうそう、前のエアラインに居たときなんだけど、その話をしたらオーリックキャプテンが『これ、絶対オススメ。確実に眠れるから』って、音楽データくれたんけど…」 あー、フランスの音楽ってなんかトロンとした感じで寝られそうな気がします。 「それがなんと『般若心経』でね」 「ええっ!?」 「ホテルで夜にイヤホンでそんなの聞いたらもう、寝られないって」 「…怖すぎです…」 「なんかさ、止めてもまだ聞こえてるような気がして、もう、怖いのなんの」 「ひぇぇ…」 「キャプテンはソッコー眠れるって言うんだけど、それって…」 「意味不明の単調な音楽にしか聞こえないんじゃないですか?」 「だよねえ。どうも当時は『和製テクノ』だと思ってたみたいで…。でも、すでにお経の中身もちゃんと理解しててね、一時写経にハマって今や全文暗記してるんだよ。ほんと、キャプテンの日本愛は奥が深いと言うか、底なし沼って言うか…」 「日本人よりお経を理解するフランス人ってのもちょっとコワいものがありますよね…」 オタクかと思えば仏教文化にまで造詣が深いなんて、ほんと、不思議な人です。 「あ、そう言えばこの前岡田くんが見つけたあの美味しいアップルワイン、採用になるって」 「えっ、本当ですか?!」 わあ、めっちゃ嬉しい! 「ほんと、良いの見つけたね。お手柄だよ。都築教官も『ご褒美上げなきゃだな』って」 中原さんに必殺笑顔で誉められて、抱き締めずにいられる訳がありませんっ。 「中原さんっ」 がばちょ! 「わああ」 僕、ご褒美に中原さんが欲しいです! 「大好きです〜!」 って、僕はここのところしょっちゅう告白してるのに…。 「ふふっ、甘えんぼで可愛いなあ、岡田くんってば」 今日も撫で撫でされて、おしまいです。 ぐすん…。 |
おしまい。 |
*Novels TOP*
*HOME*