10
「どうやら万事上手く行ったようだな。中原もやっと退院出来ることだし」 香平の退院前夜、信隆の部屋のリビングで、敬一郎と信隆は『家飲み』をしていた。 敬一郎は今日と明日は公休だが、やっと成就の恋人たちの新居初日を邪魔する気はない。 ただ、こうして同じところに住んでいると、交流する機会は増えそうだなと楽しみにはしているが。 「本当におかげさまですよ。先輩にもですが、雪哉にも随分助けてもらいました」 「熱演だったそうだな。『フランクフルトの熱い抱擁』…なんて、いつの間にかクルーたちみんな知ってるくらいだからな」 噂はそれこそ数え切れないほど耳にしたが、なんと言っても実際に目撃した『ダブル・キャプテン』と711便のクルーたちが、ご親切にも微に入り細に入り教えてくれたので、敬一郎はまるで『見ていたかのように』詳細を知ってしまっているのだ。 「ちょっとくらい妬けました?」 「いや。俺は雪哉を信じているからな」 「そう言うと思いました」 ふふ…と、笑って、『でもお仕置きはしちゃったんじゃないてすか?』…と、からかってみる。 すると…。 「そりゃあ信じる信じないと、抱きついた事実は別だからな」 しれっと言う敬一郎に、『ストイックそうな人ほど危ない気がする…』と言っていた雪哉の言葉を思い出して、笑えてしまう。 ただし、敬一郎の場合は雪哉限定だが。 そして、その溺愛の雪哉は、月に1度あるかないかの国内ステイで今夜は那覇泊だ。 帰着は明日の昼前で、明後日も国内線乗務だ。 「なあ、少し聞いてもいいか?」 「なんですか?」 「雪哉も気にはしていたんだが…籍はどうするつもりなんだ? 難しいだろうとは思うが…」 一応心積もりを聞いておこうと敬一郎は思っていた。 これからも、出来る限りの力になりたいと考えているから。 そして、問われた信隆は穏やかに笑って見せた。 「どっちも一応長男で、しかも弟がいないのでね。すんなり入籍とはいかないと思います」 すぐに上手くいくなんて、そんな夢のようなことは考えていない。 でも、諦めるつもりももちろんない。 「まあ、そうだな。むしろ俺と雪哉みたいに上手くいく方が珍しいんだろうな。そう言う意味では親にも感謝してるよ」 雪哉の事情が特殊だったのも、この場合は良い方へ作用したと言っていいだろう。 「ほんと、そうですね。でも私も諦めません。絶対同じ墓に入って見せます」 それほど、難しいことだとは認識しているつもりだ。 「……それはまた、シュールな決意だな…」 「ええ。一度あんな思いをしたら、考えるようになるんですよ。死してなお…ってね」 ほんのひと月前の、あの恐怖は恐らく忘れることはないだろう。 そんな信隆の思いを正しく受け取って、敬一郎もまた、退院と言う日を迎えられることに心底安堵している。 「ああ、その気持ちはわかるな。死んでも離すもんかっていう、究極の独占欲だな。俺は雪哉に『先に逝くな』と言われたが、どちらかというと、先にいって待ってる方がいいな」 「同感ですね」 置いていかれるのはきっと堪らない。 「ただ、置いていくのも心配だけどな」 「それも激しく同感です」 この腕の中で、最期の時まで守ってやりたいと思うのもまた、本音なのだ。 「お互いに、ちょっと年の離れた恋人ですから、余計心配ですよね」 「…それを言うなって…」 相変わらず『年の差』に敏感な敬一郎に、信隆の笑いが漏れる。 「まあまあ、雪哉もあと少しで30じゃないですか。うちも、私が9月生まれで香平が12月ですからね。3ヶ月差で同じ年代にはなれませんでしたけど」 「そうか、お前もついに『不惑』だな」 「嬉しそうですね」 「ウェルカムだ。男はやっぱり40からだな」 特にパイロットは、機長としてもっとも活躍できる年代だ。 「せいぜいしっかり働いて、お互いに愛しいパートナーに後を託せるようにしたいですね」 「そうだな。それも俺たちの大切な役目だな」 パイロットとして、キャビンクルーとして、自分の姿が目標になるように務めていきたいと、強く願う。 「取りあえず、今夜は独身最後の夜って事でいいか?」 「もちろんです」 明日からは、2人…だ。ずっと。 「幸せになれよ。まあ、心配はしてないがな」 「ええ、自信ありますから」 「言うと思った」 笑って、グラスを合わせた。 |
「…お邪魔します…」 玄関に入るなり香平がそう言って、信隆は笑い出す。 「そうじゃなくて、ただいま…だろ? 俺と香平の家なんだから」 そう言われて、半端なく照れてしまったが。 「はい、やり直し」 こう言う時の信隆は、やっぱり『教官気質』だ。 「ええと、あの、ただいま」 「よくできました」 これでもかと言うくらい嬉しそうに微笑まれてしまって、少し恥ずかしくなる。 「久しぶりに外へ出て、どう? 疲れた?」 「いえ、大丈夫です。車で楽させてもらっちゃったので」 ニコッと見上げてくる香平が可愛くて、つい…。 『ちゅっ』 しかも、啄むだけのつもりだったのに…。 「…ん…っ」 右肩を圧迫しないように気をつけながら、それでもしっかり頭は後ろからホールドして、当然腰はがっちり抱き寄せて。 「…教、官」 角度を変える時に少し離れた唇の端から漏れ出る言葉が、信隆のスイッチを押しっぱなしにしてしまう。 「香平、退院おめでとう」 「…ふぁ…、あ、りがとうござ…いま、す」 また、息が上がるまで貪ってしまったが、それでも全然足りなくて、この調子だと香平を壊してしまいそうで少し怖い。 だいたい今までこんなにがっついたこともないから。 「さて」 壊さないよう、腕の中にそっと抱いて、上がった息を納めるように背中を撫でながら優しく言ってみる。 「退院して、新婚生活も始まった事だし…」 「…はい?」 「いや、腕の中で『教官』って呼ばれるのも好きなんだけどね、ほら、何だかちょっと妖しい背徳感があって」 ――はいとくかん? …もしかして、背徳感? そう言われて初めて香平は気がついた。 あれだけ敬語を撲滅しようとしていた人が、何故か『教官』と呼んでしまっても何も言わなかった訳を。 やっぱりこの人の『本当のオフ』は少々キケンかも知れない。 かと言って、今更離れる気はもちろんないけれど。 「でも、そろそろ名前で呼んでみようか」 「都築さん」 速攻返してみると、信隆がジト目になった。それすら美しい人だけれど。 「ふふっ、香平もなかなかやるね。どうやら『お仕置き』を期待されているみたいだな」 「え、と…」 どうも巨大な墓穴を掘ったようだ。 「あ、あの、だって名前でって」 必死で弁解するが、説得力は皆無だ。 ちょっとした『仕返し』のつもりの確信犯だったのだから。 「まあ、ついでだから言っておくけど、香平もいつの日か必ず『都築』になるんだからね。だから俺のことをファミリーネームで呼んでいいのは、今後、オペセンとシップの中だけだから」 言葉の後半はさておき、いずれ同じファミリーネームに…と言われて、香平の目はキュッと熱くなり、ポロッと涙が零れた。 「香平?!」 涙の意味が解らなくて、信隆は慌てて香平を抱きしめた。 右肩は外して。 「ごめんなさい…。まさか、そこまで考えてもらってたと思わなくて…嬉しくて…」 涙の意味を知って、信隆は胸を熱くする。 「言ったじゃないか。一生一緒だって。死んでも離さないから覚悟して」 「はい。僕もずっと、くっついていきますから」 例えオフが少々キケンでも、覚悟はもう決まっている。 ずっと、この人についていきたいと。 オンも、オフも、いつまでも。 ひとしきり抱きしめて、額に優しいキスをひとつ贈ってから、信隆は小さく笑って言った。 「って、いつまでもこんなことを玄関先でしている場合じゃないな」 そう、2人は家に入るなり、いちゃいちゃしてしまっていたのだ。 「おいで、家の中を案内するよ」 右手で香平の左手を引く。 間接照明に柔らかく照らされた廊下を進み、行き着いたドアを開けるとそこは明るい日差しに満ちた、広々としたリビング。 「わあ! 凄く眺めがいいですね」 「だろう? 雪哉とキャプテンの家からいつも眺めてて、良いなあと思ってたんだ」 2人で大きな窓の前に立てば、向こうにはレインボーブリッジが見え、遠くには離発着するシップも見える。 「夜も綺麗なんだよ」 「でしょうね。夜が楽しみです」 夜景の美しさに期待しながら言うと…。 「俺も夜が楽しみだけど」 耳元で、これでもかと言うくらい『それらしい』妖しい声色で囁かれ、香平は姿勢をウロウロと泳がせた。 そんな香平を嬉しそうに見つめ、信隆は香平をまた廊下へと連れ出す。 別のドアを開けると、個室にしては広くてやはり明るい部屋だったが、まだベッドしか入っていない。 「ここは、香平の部屋。集中して勉強したいときなんかに使うといいよ。香平の好きにカスタマイズできるように、まだ何にも入れてないんだ。実家からお気に入りを持ってきてもいいし、新しく揃えてもいいし。あ、ベッドは置いてはあるけど、予備だから」 予備と言う割りにはセミダブルのちゃんとしたベッドで、一応自分の部屋ならどうして予備なのか、わからない。 「予備、ですか?」 「そう、ベッドルームは他にちゃんとあるから」 こっち…と言いながら、香平の手を引いて、開けたドアの先には。 ――こ、これは…っ。 そう、ノンノンが言っていた『車が買えそうなほどする高機能マットレスのキングサイズベッド』が部屋のど真ん中に鎮座ましましていた。 「寝心地抜群だよ? 2人で寝ても十分な広さだし」 本当に一緒に寝るんだ…なんて、今更ながらに気がついて、急に恥ずかしくなった。 そう、パートナーとして共に在ることを誓ったのだから、『その先』も当然あるはずで。 入院と言う非日常にいた間は、何となくも考えなかったが、こうして日常――環境は激変だが――に戻ると、急に現実味を帯びてきて、いたたまれなくなる。 「さて、やっとシャワーじゃなくて浴槽に浸かる許可がでたことだし、今日はゆっくり風呂に入ろうな」 「あ、はい」 それは香平も待ち遠しかったことだ。 パリのアンティークなアパルトマンに住んでいた4年間も、ひとつだけ辛かったのは、バスタブが無かったことだから。 やっぱり日本人に『お風呂』は必須アイテムだ。 「でも、まだひとりで入っちゃダメだからね」 「は……、ええっ?!」 うっかり素直に返事してしまいそうになったが、実は大変な事を言われたことに気がついた。 「あの、でも…」 ひとりで入れないなら他に何があると言うのか。 いや、うすうす解ってはいるけれど。 「利き手がまだ上手く使えないのに、どうやって体を洗う? 髪を洗うのも大変だぞ? それにもし足でも滑らせたらどうする気だ?」 入院中の洗髪は美容室のような設備があったから良かったが、利き手が不安な状態でひとりでするには確かに大変そうではあるが、もう怪我人ではないのだからと、香平は信隆を押し止める。 「でも、自分で何でも出来るようにしていかないと…」 甘えてばかりはいられない。乗務はまだ無理でも、地上勤務には出来るだけ早く戻りたいと思っているのだから。 いや、その前に『2人で入る』と言う選択肢をいきなり突きつけられて、焦っているだけなのだが。 「その気持ちはよくわかる」 信隆は、審査乗務中のような真面目な顔で頷いた。 「でも、慣れてないバスルームだからね、慣れるまでは用心に越したことはないよ」 それは確かに正論だが。 「あの…」 「ん?」 「危なくなったら助けを呼ぶとか、そんな感じで…」 「だめ」 「ええと…」 「よし、じゃあちょっと譲歩しよう」 「えっ?!」 ホントに? …と、目を輝かせたら…。 「手伝うだけで、不埒な真似はしないと誓うよ」 やっぱり目的は『手伝うこと』だけじゃなかったのだ。 しかも。 「今夜はね」 期間限定だ。 「…じゃあ、明日は?」 何だか可笑しくなってきた。 オンではあれだけ冷静で大人な人が、まるで駄々っ子のようで。 「明日は約束出来ないな。もう、我慢も限界なんだ…」 そのくせ、自分の魅力を知り尽くした声色で囁いてくる。 「教官たちや藤木さんが言ってたとおり…」 少し笑いを堪えて言えば、信隆が余裕の様子で見下ろしてくる。 「ん? 何て言われてるんだ?」 「信隆さんは、甘えん坊だ…って」 そっと抱きついてそう言えば、ほんの少し息をのんだような音がして、香平はきつく抱きしめられた。右肩は避けて。 さらりと名前を呼ばれて、信隆としたことが、心拍数が跳ね上がったのだ。 「香平は、意外と小悪魔だな」 今まで、名前ひとつで心臓を鷲掴みにされたことなど一度もなかったのに。 「…そんなの言われたことありませんよ?」 「いや、この俺をこれだけ翻弄させられるのは香平だけだから」 翻弄されているのは全く自分の方なのに、そんなことを言う信隆がやっぱり何だか可愛いくて、香平もまたしがみついたままでそっと告げた。 「お風呂、手伝って下さい」 「不埒な真似は?」 「不埒じゃなくて、愛して下さい」 「…言ったな。容赦しないぞ?」 「それはダメですよ。退院したての怪我人なんですから」 覚悟は決めたけれど、覚悟のレベルは多分まだまだ低いのだろう。信隆からしてみれば。 それでも、今日できる精一杯、明日できる精一杯で頑張って、いずれ求められることすべてにちゃんと応えられるようになりたいと願う。 「おいで」 手を引かれてバスルームへ向かう。 ダブルシンクのゆとりある脱衣所は、それに見合った大きな鏡があって、いたたまれない。 だから自然とそれに背を向ける様に立ち、少し見上げると優しいキスが降りてくる。 香平の上衣はボタンで全開できるシャツだ。 まだ被る物は脱ぎ着が辛いから。 信隆は、そのボタンを上からひとつずつ、ゆっくりと外していく。 キスは解かないまま。 そして、肩からするりとシャツを落とせば、なめらかな肌の上を鎖骨に添ってくっきりと残る縫合痕。 近年は縫合の技術も発達していて、最終的には薄く筋が残るだけ…とは言われているものの、まだひと月しか経っていないその傷は、やはり痛々しい。 その傷にそっと手を這わせ、身をかがめて小さく口づけた。 「小さなお客様を護った勲章だな」 香平が唇を噛んだ。 そうしていないと、嬉しくて泣いてしまいそうになったから。 「香平?」 「…嬉しい…です」 堪らず抱きしめて唇を重ねる。 『教官に認められるようになりたい』 その思いが香平を、時に奮い立たせ、時に縛り付けてきた。 けれど今日からは自然体で頑張れそうな気がしている。 愛しいこの人の背中を、見失わないように追い掛ければ良いだけ…だから。 身も心も預けてしまえば、それからの行為は何もかも『当たり前』の様な気がしてくる。 身体を晒してしまえば、目のやりどころには多少戸惑うけれど。 それからの信隆は、本当に甲斐甲斐しく髪を洗い、身体を洗ってくれた。 けれど、背中を預ける形で湯船に浸かれば、香平の身体を支えていた手は違う目的を持って動き始めた。 「…っ」 思わず声が漏れそうになった。 後ろから左の手が胸の粒を弄び、右の手が中心を握りこんで優しく煽る。 やっぱり恥ずかしくて、思わずまだ意のままにならない右手で、そのいたずらな手を抑えると、耳朶を甘く噛まれた。 「意外とリハビリに有効かも」 この状況下で何のことかと思えば…。 「ほら、香平は一生懸命手を動かそうとするし、お湯の中だから身体もほぐれているし、言うことないかも」 嬉しそうに、しかも香平を煽る手は緩めずに言われても、返す言葉も何もでない。 ただ切なげに息をもらすだけで、その殺した声に信隆もまた、煽られる。 「のぼせてしまうな」 そう言った声は欲望に掠れていて、自分の余裕の無さに自嘲するしかない。 細い身体を支えて立ち上がり、バスルームからでると、自分だけバスローブを羽織り、香平には袖を通させずくるんだままで髪を拭き、抱きかかえてベッドルームへ連れ込んだ。 「髪、冷たくない?」 今更…だが、香平は緩く首を振った。 抱きかかえたまま、ベッドに横たえて、くるんでいたバスローブを開き、覆い被さって抱きしめる。 「香平…」 名前を呼ぶだけでも身体が熱くなる。 何度もキスをして、そのキスを肌から離さないままに首筋から胸先へと降ろして、香平の声が漏れるまで甘噛みしたり啄んだり吸ったり舐めたりと楽しんで。 でも、それだけで満足できるはずはもちろんなくて、さて、次の段階となった時。 急に怖くなった。 どうすれば香平の肩と腕に負担をかけないように抱けるかを、それなりにシミュレーションしていたのだけれど、いざ本人とその傷を目の前にしてしまうと本当に大丈夫だろうかと思ってしまったのだ。 せっかくここまで回復して、やっと退院できたのに、万が一にも傷に障るようなことがあってはならない。 「教官?」 抱きしめたまま、何事かを考えて息を吐いた信隆を、どうかしたんだろうかと香平が訝しむ。 「…教官じゃなくて」 顔を伏せたままくぐもった声で聞こえてくるのはちょっと拗ねたような言葉。 やっぱり何だか可愛らしい。 「…信隆さん」 言い直すとちょっと笑ったような気がしたけれど、少し離れて見つめてきた目は真剣そのものだった。 「今日はやめておこうか」 「えっ?」 ここまで来て? …と、香平はちょっとばかり唖然だ。 「いや、こっちはこれでもかってくらいスタンバイOKだけど、香平が…」 「僕、ですか?」 信隆の左手がそっと香平の右肩に触れる。 それだけでわかった。 怪我のことを気にしてくれているのだと。 確かに、自由の利かない手でどうなるのか不安はあるけれど、怖くはない。 信隆、だから。 香平は、思わず小さく笑ってしまった。 「香平…?」 笑ったことに気づいたのか、少しだけ信隆が顔を上げた。 その綺麗な目には、不安が宿っている。 強引なようで、でも最後はこうして自分のことを第一に考えてくれる信隆の優しさに、香平は嬉しくなって、ぎこちない右手でその頭をそっと抱いた。 「僕は大丈夫です。僕も、あなたが欲しいから…」 にこ…と、微笑んだ香平の額に、信隆は額をつけて『ありがとう』と呟いた。 それから、長く深いキスが続き…。 「辛くなったら言うんだよ?」 「…はい」 もちろん、怪我以外のことで辛い目にあわせるつもりはこれっぽっちもない。 『初めての子でも天国に連れてってやれるよ』…と、以前雪哉に言ったことがある。 雪哉はジュースを噴いてむせていたけれど。 |
IN THE BED |
退院当日だというのに、結局夜まで待てなくて真っ昼間からどっぷりと愛し合ってしまい――あのあと更に2回もヤってしまった――翌日は午前中に病院へリハビリに行き――もちろんつきっきりだ――その夕方から信隆はバンクーバー便の審査乗務で留守になった。帰着は3日後の夜だ。 それ以降は、国内線の審査乗務を連続で詰めているので、3週間程度は泊まりで家を空けることにはならないようにしてある。 バンクーバーに関しては、早くから決まっていたスケジュールだったので、どうしても動かせなかったのだ。 その代わり、3週間の間に予定していた2回分の国際線審査は同期の香澄に押しつけた。 彼女も教官チーフパーサーのくせに、審査は苦手だと言ってできる限り回避してきたので――その代わり訓練業務には熱心だが――ここぞとばかりに押しつけてやったのだ。 香澄からは『新婚だと思ってちょっと甘い顔してやったら、なに図に乗ってんのよ! ほんっとに、こんな我が儘ドS男に目をつけられた香平くんに同情するわ!』と怒りのメールが来ていて笑ってしまったが。 そして、出勤して行った信隆と入れ替わりに現れたのはなんと、国内線乗務から帰着してきた雪哉で、明日から2日間公休だから香平のお守りに来たのだという。 「香平が、勉強しながらお留守番って聞いたから、様子見に来た」 手には何やら色々と持っている。 「えっ、せっかくの休みなのに、悪いよ」 信隆の過保護振りにも少し呆れるが、何より雪哉に申し訳ない。 「え〜、だって退院したばっかだし、不安じゃん。都築さんでなくても心配になるって」 お邪魔しま〜すと上がり込んで、雪哉はさっさと自分の荷物を広げている。 「来栖キャプテンは?」 「今日からロンドン行ってる」 「じゃあ、帰着は3日後か」 「うん、だからちょっとした合宿気分で来た」 階段を使えば自宅まで1分少々だけど。 「はい、これ」 「なに?」 雪哉が差し出したのは、大きな紙袋だ。 中身もほとんど『紙』のようだが。 「香平のメールボックスに今日入ってた分、回収してきた。退院したって伝わってるから、もう凄い量のメッセージだよ」 「わあ、持ってきてくれたんだ。重かっただろ?」 「うん、でもフライトバッグに乗っけて転がしてきたから平気」 頑丈にできているのだ、フライトバッグは。 「退院しましたって、挨拶に行かなきゃだな。みんなにいっぱい心配かけちゃったし」 1枚1枚のメッセージにたくさんの想いが籠もっていて、これは全部宝物だな…と、香平は胸を熱くする。 「みんな、香平に会いたくてうずうずしてるよ。『どんな様子?』とか色々聞かれるし」 言いながら、雪哉は別の紙袋から保存容器を取り出してダイニングテーブルに並べ始めた。 「なに?」 「えっと、サラダとビーフシチュー」 「…もしかして、お手製?」 誰の…とは言わずもがなだ。 何しろ『レシピ本出しませんか?』と言われるような人と一緒に住んでいるのだから。 「うん。3日間都築さんが留守って聞いて、敬一郎さんが2人分作ってってくれたんだ」 「えっ? 僕の分も?」 「そうだよ。都築さん、多分上等なものをストックしていってると思うけど、どうせ既製品に決まってるからって、敬一郎さん言ってた」 確かに冷蔵庫にストックされているものは、高級既製品ばかりだ。 自炊は慣れているからと言ったのだけれど、利き手がちゃんと使えるまではダメだと言われてしまったのだ。 火傷がどうのとか、指を切ったらどうするんだとか、ともかく過保護で、これはもう早く治さねば、甘やかされて自分がダメになりそうだと香平は思っている。 「うわ、美味しそう」 「そうなんだ。敬一郎さん、結構見た目にもこだわるから」 それはもちろん、雪哉に食欲を起こさせるため…だ。 「キャプテンにお礼言わなくちゃ」 「それより、『都築の面倒よろしく』って言ってたよ」 顔を見合わせて、笑いあった。 容器の中身を皿に移し――必ず移して食べなさいと言われている――温めて、食事を始める。 「そう言えば、2人きりで食べるのって初めてだよね」 「そうだね。ステイ先では誰かが必ず一緒だし。…って、めちゃくちゃ美味しい…」 目を丸くする香平に、雪哉は嬉しそうに笑う。 そうしてしばらくは、雪哉からオペセンの様子などを聞きながら食事をしていたのだが。 「ね、もし、知ってたら、少し教えて欲しいんだけど」 ふと香平が真顔になった。 「なに?」 「教官…信隆さんのおうちのこと」 バツイチのお姉さんと、双子を抱えた妹さんの話しか知らないんだ…と、打ち明けられて、気になるのはもっともだと雪哉も思った。 ずっと一緒にいようと誓い合った仲ならば、当然だろうと。 本当は、信隆本人から聞くのが1番だとはわかっているけれど、自分自身、信隆から直接聞いたわけではないし、聞かれたからと言って果たしてあの人がすんなり話すかどうかも疑問だから、雪哉が知っている限りのことは、教えておこうかなと思った。 「んと、僕もね、都築さんから直接聞いたんじゃなくて、高校の先生から聞いた話だってこと、先に言っておくけど…」 香平は神妙に『うん』と頷いた。 「ええと、今はもう、そうでもないらしいんだけど、都築さん、お父さんと上手く行ってなかった時期が結構長かったみたいなんだ」 「…そう、なんだ」 教えて欲しいとは言ったものの、想像以上に重い話になりそうな予感に、香平は表情を曇らせる。 「都築さん、ヴァイオリン上手いの知ってる?」 「えっ、知らない」 そんな裏技を持っているとは夢にも思わなかった。そもそも音楽の話が出たこともない。 めちゃくちゃ似合いそうな気はするが。 「子供の頃にもコンクールとか優勝しててさ、ご両親が期待して、学校も中学から『音大予備校』って言われてる部活のあるとこ入れたんだ。プロにしようと思って」 「そんなに凄かったんだ…」 雪哉はうん…と、頷く。 「でもね、高2の頃、音大には行かないって言い出したんだって」 「なんで…だろ?」 気持ちの変化が気になるのは当然だ。 「んー、なんか、同じ時期に物凄く上手い人がいて、プロって言うのはああいう人がなるべきだと思った…って、本人は言ったってことなんだけど、先生が言うには、それ、ウソなんじゃないかなって」 「嘘?」 「そう。都築さんは、最初から音楽家になる気はなくて、親に反旗を翻す機会を伺ってたんじゃないかって」 「…なんかそれ、『らしい』って感じするかも」 自分の中に決めたことがもうあって、それを曝すタイミングを冷静に計るのは、今でも変わらないような気がする。 「だよね。僕もそう思った」 雪哉もあっさり同意する。 「…それでうまくいかなくなったってこと?」 けれど今度は首を横に振った。 「都築さんのお父さん、お医者さんでね、音楽家にならないならお医者さんになれってことになったらしいんだ。実際、医学部なんて楽勝の成績だったって、高校の先生も言ってたし」 「…そう言えば、偏差値凄いよね、雪哉たちの母校」 ちょっとやそっとでは入れない超名門進学校は運動部も強くて、香平も高校時代、インターハイ予選の準決勝で当たって大敗を喫したことがある。 自分たちのチームも優勝候補だったにも関わらず…だ。 「うん。でね、成績が追いつかなかったなら仕方ないけど、行けるのに行かなくて、面白そうだからって理由だけで国際政治学科に行っちゃったもんだから、勘当されそうになったんだって。それを先生とお母さんが必死で止めたって言ってた。でも、卒業したらしたで、国際政治学と全然関係無い航空会社に就職しちゃって、しかも運航本部の総合職から客室乗務部に変わってクルーになっちゃって、さらに溝が深まったって話みたい」 この仕事の表面しか見ていない人間には、『男がやる仕事じゃないだろう』と言う偏見はまだまだあるから。 「そうだったんだ……」 そして、そのことは香平にはやはり、よく理解が出来た。 「で、ここからは敬一郎さんに聞いた話だけど…」 香平が頷くのを見て、また雪哉が話を継いだ。 「さすがに今の立場にいる都築さんを認めないわけにはいかなくて、最近はお父さんともまあまあな関係らしいよ。それと、お母さんがあんまり丈夫じゃないみたいで、都築さんとしてもお母さんを置いて家を出るわけにいかなくて、随分我慢してたみたいなんだけど、帰って来たお姉さんが、都築さんに『後は任せなさい』って言ってくれたんだって。それでここを買った…ってことみたい」 雪哉の言葉を静かに聞いて、信隆がオフで色々な事を抱えていたのだと知り、そしてそれを決して表にみせない強さに、改めて尊敬の念を抱いた。 けれど…。 「きっと…」 「ん?」 「お嫁さんもらうのも期待されてたんだろうなあ…」 せめて配偶者だけは…と、思われていたに違いないと、香平は思う。 しかも弟のいない長男だ。 そう思うと申し訳なくて胸が塞がってくるけれど、もう、今さら諦めることもできなくて、出るのはため息だけ…だ。 けれど、雪哉は『ああそれ』と、軽い口調を返してきた。 「その点は全然期待されてなかったみたい」 「え? なんで?」 「これは都築さん本人から直接聞いた話だけど、お前みたいなちゃらちゃらしたヤツに嫁いで来る子は不幸だから、結婚なんかするな…って言われてたんだって。都築さん、笑ってたけど」 それもあんまりな気がする。 だいたい、意のままにならなかっただけで、あの人の本当の凄さに目を向けない親は不幸だなと思った。 香平も、キャリア官僚の両親の元に生まれてきたけれど、好きな仕事に就きなさいとずっと言われてきたし、語学力が生かせる職業に就いたことを喜んでくれたから、幸せだった。 随分な差だ。 それだけ信隆が優秀で期待されていたと言うことなのだろうけれど。 「正直なところ…」 雪哉がちょっと首を傾げて言った。 「僕には親との関わり方とか距離感ってよくわかんないんだけど、でも、結局のところ、幸せになって欲しいって思ってるだけじゃないかなと思うんだ。ただ、その『幸せ』が、親が思うものと本人が思うものが全然違うと面倒なことになるって話で」 「雪哉…」 それは少し新鮮で、少し哀しい驚きだった。 雪哉の言うことには『なるほど』と、とても納得できたのだが、それが、親を知らなくて、『子』と言う立場にもなったことがない雪哉だからこそ、少し離れたところから、双方の思いを等間隔で計ることが出来るのだとしたら。 「雪哉にキャプテンが居てくれて…本当に、良かった…」 今までの雪哉の何もかもを包み込んでしまう、あの大きな翼が、きっとこれからも雪哉を守ってくれる。 そのことが心底嬉しくて。 「え? 急になに?」 雪哉も驚いたが、けれどそう言った端から気がついた。 親の話をしたからだ…と。 ふふ…と、小さく笑う。 「香平に負けてないよ? 幸せ度では」 言われて少し紅くなる香平は、以前にも増して魅力的で、復職すればまた、みんなあらぬ想像――事実だが――を逞しくするんだろうなと可笑しくなる。 それに、有象無象もさらに増えそうだし、これは、これからもお節介やかなきゃ…かも、と、雪哉は自分のことを棚に上げて、考えた。 2人で食事の後片付けをして、またダイニングテーブルに向き合って、今度はお互いにテキストを広げる。 「何の勉強?」 雪哉が香平のテキストを覗き込む。 「あ、うん。前から思ってたんだけど、手話ができるようになりたいなって」 「わあ、凄いね。役に立つだろうなあ」 手話ができるクルーはまだ少ないと聞いているから、香平をきっかけに増えてくれたらいいなあと雪哉は思う。 「ちょうど腕のリハビリも兼ねて…って感じ」 少しぎこちなく、右手を動かしてみると雪哉が心配そうに尋ねてきた。 「腕、どう?」 「うん。今日も病院行ってきたけど、まだまだって感じ。取りあえず10日頑張ったところで一度評価して、地上勤務に戻れるかどうか判断だって」 「ん〜、早く戻りたいのはよくわかるけど、無理しちゃダメだよ。焦って先々に響くより、ここはじっくり治して将来に不安のないようにした方が良いと思うし」 雪哉の言うことはもっともだ。 「そうだね。雪哉の言うとおりだ。無理しないようにするよ」 そう言うと、雪哉はニコッと笑う。それはもうとんでもなく可愛いけれど、その可愛さに触れても、以前のように『チクッとした』胸の痛みはない。 ただ、純粋に友として護ってあげたい存在になったのかも知れない。 恋を超えて、その先へ。 「雪哉はなんの勉強してんの?」 「んと、火山のこと」 予想外の言葉に、香平が首を傾げた。 「火山? ああ、そうか、飛行機って火山灰に弱いんだっけ」 噴火の影響で欠航したり、ルートが変更になるのは以前にヨーロッパ方面でもあった。 「そう。最近活動が活発になってきた火山が多いだろ? 今噴火してる山はルートから外せるけど、もしフライト中に思わぬ火山の噴火に遭遇した時には対処の仕方とかあるんだ。昼間ならともかく、夜間で少し離れた場所とかだったら、すぐにはわからない可能性もあるし、火山灰ってガラス質で、吸い込んだらエンジン止まっちゃうし」 さらりと『エンジン停止』と言われて、香平が目を瞠る。 「えっ、エンジン止まるんだ?」 「うん。一気に全停止とか、可能性はあるんだよ。実際過去には全停止しちゃった旅客機あるし」 恐ろしい話を聞いて、その結末が気になるのは当然で。 「…それ、どうなった?」 「その旅客機は不時着水を決断する直前にエンジンの再始動に成功して事なきを得たんだけど、それも、最後まで諦めなかったからこそだし、でも必ず再始動できるって保証は当然ないからね。あと、コックピットの窓が削られちゃって、磨りガラスになっちゃって前が見えないとか」 例え前が見えなくとも、必ず降りなくてはならない。 天候不良で前が見えないのなら、他へダイバートするなどの対処法があるが、窓がやられてしまえば、何処へ行っても結果は同じだ。 「…それ、どっちもめっちゃ怖くない?」 「めっちゃ怖い。だから、そうなった時にどうするかって言うのを、いっぱいシミュレーションするんだ」 絶対絶命を想定して訓練は繰り返される。 わずかな糸口を違わずに探し当てて、可能性を拓くために。 「まあ、火山に関しては、今はもう国際的に監視網も情報網も整備されているから、よっぽどノーマークの火山が突然火を噴かない限りはそんなに深刻な状況にはならないはずなんだけど、ゼロでない可能性は絶対排除するなって、教官やキャプテンたちからずっと教えられてるからね」 雪哉は何でもなさげに言うけれど、香平はその言葉の重さに思わず口を引き結び、そしてふと思いついた。 「それ、地震とかもシミュレーションするの?」 「地震はね、飛行機って飛んじゃったらこっちのもんだから、あんまりそれ専用のシミュレーションはないかな?」 「あ、そうか」 キャビンクルーの対応では、ドアがまだオープンなのかそれともクローズの状態なのかや、離陸前か着陸後なのか…など、多くの状況の組み合わせによって対応が決まっていて、キャビンを統括するチーフパーサーの『対応マニュアル』は、実はとんでもない量がある。 それはもちろん、地震だけに限ったことではないのだが、エマージェンシー全般に細かくマニュアルがあり、それには『避難誘導』だけではなく、『クルーたちへの対応と指示』や『コックピットとの連携』などに関する事項も数多く含まれている。 なので、ジャスカのチーフパーサー昇格試験の中でも『エマージェンシー』は、口頭試問も多岐に渡っていて、これが1番の難関とも言われている。 ただ、マニュアルがあっても、最後は『臨機応変』だ。 情報を出来るだけ早く収集して伝え、共有し、素早く行動するというのはどんな場合でも同じだから。 「V1って知ってる?」 雪哉が可愛らしく首を傾げて聞いて来た。 「うん、離陸決心速度…だろ? 離陸の時、その速度になってたら、絶対飛ばなくちゃいけないって言う」 「そう、それ。だから、地震だろうが何だろうが、V1さえ超えてたらどのみち操縦桿を引くしか選択肢がないんだ」 「…そっか。そうだよね」 「うん。でも、V1手前でも、それに近かったらそのまま飛ぶと思うな。滑走始まってすぐでも、多分止まるよりも飛ぶ方を取るんじゃないかな。滑走できないほど揺れが酷いとか、滑走路が損傷とかになったら、管制かキャプテンが離陸中止の指示を出すはずだし」 ちなみに離陸中止の判断はコ・パイには許されていない。 機長の役目だ。 「じゃあ、着陸の時はゴーアラ?」 「そう。でも、それは管制から指示がないと、飛んでるこっちはわかんないからねえ、地面が揺れてるなんて」 「だよね」 「ただ、タッチダウンしてブレーキかける直前まで、常にゴーアラの可能性を排除しない状況で操縦してるから、メインギアがタッチダウンしてても管制が『Go-around!』って叫んだ瞬間にはゴーアラできるし」 「えっ、そうなんだ」 1秒の決断の遅れが命取りになる雪哉たちの仕事は、判断力を磨くためにありとあらゆる訓練を積む。 「まあ、いずれにしても思いつく限りの最悪の想定をたくさん経験して、万一に備えるってことかな。それに、ジャスカのパイロット教育は、過去のデータとか現象や事象を知って、それを分析して理解することが、これからの安全に繋がっていくって考え方を大切にしてるから、訓練以外にも自主的な勉強会とか結構やってるんだ。うちはキャプテンたちがそう言うことに熱心なおかげで、僕たちコ・パイもたくさん勉強できる機会を作ってもらえて幸せなんだ」 勉強と経験は、すればするほど危険から遠ざかることができる…とは、訓練生時代から何度も叩き込まれていることだ。 「パイロットって大変なんだ…」 思っていた以上だと呟けば、雪哉はニコッと笑う。 「何百人ものお客さんと、香平たちクルーの命を預かってるからね」 その、可愛いのに頼もしい笑顔に、香平も思わず笑みがこぼれる。 「そうだね。雪哉やキャプテンたちがいつも安全快適に僕たちを運んでくれてるんだよね」 「でも、キャビンは香平たちが守ってくれてるから、僕たちは安心して操縦に専念出来てるんだけど」 「つまり、チームプレーってこと…」 「だよね」 顔を見合わせて笑えば、再会したばかりの頃などまるで嘘のようだと雪哉は思う。 互いに愛しい人と結ばれて、新しい友情を一から積み上げて。 これで、香平が元通りに乗務に戻ることができれば言うことない。 少し時間は掛かりそうな気配だけれど、『いつか』は必ずやってくると信じている。 「あ、そうだ、香平」 「なに?」 「乗務に戻って、同じシップになったらお願いがあるんだけど」 「うん」 頼まれなくても雪哉のお願いは『絶対』だ。 「ジュースじゃなくて、珈琲持ってきて。ブラックで」 「ええっ?!」 思わぬ激しいリアクションに、雪哉がジトッと目を細める。 「なに、その反応」 「や、だって、上級CPから申し送りあるし…」 「え、なにそれ、初耳なんだけどっ」 「『ゆっきーはジュース。あれば路線限定』って」 言われて雪哉がテーブルに突っ伏す。 「あり得ないし〜。言い出しっぺ誰だよもう〜」 「…多分、『都築&小野』の同期教官コンビあたりだと…」 やっぱり…と、雪哉は心の中で呟いた。 あの最強コンビが手を組むと、ロクな事がない。 そして、ノンノンがそれに荷担した日には、キャプテンですらお手上げなのだ。 ――今度2人に会ったら抗議だな。 丸め込まれて、頭を撫でられて終わり…だろうけれど。 |
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