番外編

『初恋の人』


中編




 それは、リサイタルから2ヶ月近く経った日のことだった。

 チーフパーサーの昇格審査のためにフランクフルト行き711便――残念ながら香平は乗っておらず、信隆の復路便とすれ違いでフランクフルトへ向かうことになっている――に乗務していた信隆は、審査対象のアシスタントパーサーが休憩に入ったところで、ビジネスクラスに顔を出した。

「どう? 順調?」
「はい、問題ありません」

 ビジネスクラスも一度目のミールサービスが終わり、クルーたちも交代で休憩に入っているところで、ギャレイも落ち着いている。

「指揮者の桐生悟さんがいらっしゃるんですよ」

 にこやかに――しかし小声で信隆に報告してきたのは、28歳のアシスタントパーサー、横澤結子。
 ビジネスクラスを統括できる資格を取ってからまだ日が浅く、クラスの責任者を務めるのはこの乗務でまだ3度目だ。

「え? ほんとに?」

 気がつかなかった。
 審査乗務だから乗客名簿にも目を通していなかったし、ずっとファーストクラスのギャレイにいたからわからなかった。

「ご存じですか?」

「ああ、もちろん。若手のナンバーワンだからね」

「私、お世話させていただくの2度目なんですが、穏やかで優しい方ですね。しかもめちゃくちゃ格好良いですし」

 うふ…と、ピンク色の吐息を漏らすのは、ファンでなくともあの男前に優しく微笑まれれば誰でも同じだろう。

 それにしても、同じシップに乗り合わせるのは3年ぶりだ。
 会うのも2年ぶりに近い。
 その音楽には常に接しているけれど。 


 少し覗いてみれば、初恋の彼――桐生悟は手元のタブレット端末に目を落としていた。

 そっと近づいて…。

「桐生様、本日のご搭乗ありがとうございます」

 小さく声を掛ければ、美丈夫は驚いた様子でシートに預けていた身を起こした。

「あ、先輩! 乗ってらしたんですか? ご無沙汰しました。チーフパーサーが違うお名前だったからてっきり…」

「ほんと、久しぶりだね。今日はね、審査乗務だからクルーの頭数には入ってないんだ」

「大変ですね。責任ある立場になると…」

「悟ほど大変なものを背負ってる訳じゃないよ」

 世界のクラシック界の次世代を担い、牽引していくことを期待されている若き指揮者を慮れば、『まだまだ日々勉強です』と、彼らしい謙虚な言葉が返ってくる。 


「珍しいね、ひとり? 奈月くんは?」

 いつもセットで行動している末弟の姿が無いことに、信隆は珍しいこともあるもんだ…と、尋ねてみる。
 マネージャーの姿もないと言うことは、弟の方についているということだろうか。

「葵はレコーディングが長引いてしまって、明日か明後日の便になりそうなんです。僕はどうしても今日出ないとリハーサルに間に合わないので仕方なく…」

 言葉の端々に『本当は置いて来たくなかったのに』と言う気持ちが溢れていて、相変わらずブラコン満開の兄弟だなと可笑しくなる。
 それだけではないことも、信隆は知っているけれど。


「…そうだ、先輩、現地は2日間滞在ですか?」

「そうだよ。明後日の夜発で帰るけど」

 信隆の答えに若きマエストロは身を乗り出した。

「もし、明日にご予定がなければ、ゲネプロ(総練習)聴いていただけませんか? ちょうどフランクフルトで振るので」

「え、いいの?」

 フランクフルトで振ると言えば、おそらく現地の名門放送交響楽団だろう。
 そのゲネプロが聴けるなんて、願ったり…だが。 


「先輩の忌憚のないご意見を伺えればありがたいんですが」

 その言葉に信隆は笑いをかみ殺しつつ答えた。

「無茶言うなあ、悟。世界的マエストロに意見しろって?」

「だって先輩はいつも本当のことを言って下さってましたから」

「じゃあ、手放しで誉めちぎっても文句言うなよ?」

「それはそれで力になりますから」 

「ふふっ、相変わらず可愛いこと言うね、悟は」


 詳細はメールで…と言うことになって、2人の密やかな再会は終了した。

 ジェットエンジンの騒音は、潜めた声なら完全にかき消してくれるから、密談にはもってこいだ。

 そして、ここから到着までにもう一度顔を見ることは叶わないだろう。
 到着時に見送れれば良い方だが、それもおそらく無理だ。

『審査』は降機してデブリーフィングまで続くから。


 ギャレイに戻ってみれば、結子がワクワクした顔つきで信隆を迎えた。

「教官、もしかしてお知り合いだったんですか?」

「うん、実は高校の後輩なんだよ」

「えーっ!」

「あ、結子、みんなには内緒ね」

 含みたっぷりのウィンク付きで言われ、結子もまた茶目っ気たっぷりに肩をすくめて『了解です』と微笑んだ。

 そして、この時の『内緒ね』…が、後に巨大な墓穴になるとは、さすがの信隆も思いもしないことだった。


☆ .。.:*・゜



「あ、れ?」

「何? あ、都築教官だ。そう言えば昨日の711便に審査乗務だっけ」

「そうなんですけど、…お相手は、誰ですか?」

 連れ立って出掛けていたのは、国際線乗務1年目と2年目の女性クルー。

 信隆が乗務していた便の3つ後――フランクフルトへは1日3便飛んでいるから、ちょうど1日後の711便だ――で数時間前にフランクフルトに到着したクルーたちだ。

「うわあ、めっちゃ美しい男前…」

「なんか、あそこだけスポットライト当たってる感じしません?」

「だよねえ…ってか、やたらと親しそうじゃない?」

「ですよね。それに教官があんなに寛いだ感じなのって、見たことないかもです」

 どこにも『教官』だとか『CCP』なんていう色を纏っていない、素の表情に見えたそれは、完全にオフの顔だった。


「うんうん。…ま、中原CPにはあんな顔するけどね、教官も」

「ってことは、お相手は中原CPレベルってことですか…?」

「や、そのレベルってのがそんなにいたらマズいんじゃないのって気がするけどさ」

「って、あの麗しき男前って、どこかで見たことあるような…」


 信隆は約束通り、悟のゲネプロを聴きに出掛けて、その後2人で食事に行き、さらに夜更けまで開いているカフェ――夜はバーだが――のテラス席にいた。

 こんな機会を持てたのは5年ぶりのことで、話は弾み、お互いに別れがたくて今に至る…なのだが、クルーたちに目撃されている時点での話題は、溺愛のパートナーについての『臆面もないのろけ話の数々』だった。

 弟の昇から少々の情報を入手していた悟は、自身も信隆の『お相手』について興味がある上に、信隆に機内で会ったことを弟たちにメールしたら、その弟たちから『詳細を探り出せ』と指令を受けたこともあり、さらに信隆がまた乞われるまま嬉しそうに話すものだから、まさに『話が尽きない』状況なのだ。

 しかし信隆にとっては運の悪いことに、ステイしているホテルへの道と言うこともあって、クルーたちが通りかかっていた。

 いや、そんな目だつ場所でノロケているヤツが悪いのだが。


 そして、その『通りかかったクルー』がまた増えた。
 信隆と同じ711便に乗っていた横澤結子と、翌日の711便のチーフパーサー、水野愛だ。

 愛は遥花の同期で、香平とは同じ藤木チームに属しているチーフパーサー同士と言うこともあり、常から連絡を密にしている『仲良し』だ。


「なにしてんの? 2人してコソコソと」

 愛に声を掛けられ、最初の目撃者2人がそっと指差したその先には…。

「あ、あの人、指揮者の桐生悟さんじゃない? 昨日の711便に搭乗されてたから」

 結子の答えに2人は目を見開く。

「え、それってめっちゃ有名人じゃないですか」

 驚く2人に愛が、何でもなさげに言った。

「なに言ってんの、ビジネスクラスの常連さんだよ? ご家族みなさんVIP会員の超お得意様だし」

 まだエコノミークラスしか担当出来ない2人は顔を見合わせてさらに目を丸くしたが、それよりもその有名人と差し向かいで座っている人物だ。

「って、そんなことより、一緒にいるのって、都築教官じゃん」 

 愛の言葉に1年目のクルーが乗った。

「そうなんですよ〜、なんか凄く親しげなんですよ。もしかして知り合い…とかでしょうか?」

「ん〜、教官のことだから、今まで何度もキャビンで会ってるだろうし、それで知り合ってても不思議じゃないけど、都築教官って、お客様との線引きは結構厳しい人だからなあ…、ね、結子」  

 いきなり話を振られて、『あまりにも親しげな2人』に気を取られていた結子は間抜けな声を出した。

「ほえ? …あ、ああ、そうですよね。乗ってる時と降りた時の…ええと、切り替え…そうそう、はっきりしてます、よね」

「どしたの? 具合悪い?」 

「や、大丈夫です。何でもないです」

 慌てて否定する結子に、更なる突っ込みが来た。

「あ、横澤AP、教官と同じ711便でしたよね? ビジネスクラスでした?」

「え、あ、うん」 

「もしかして教官、機内でも接触とかありました?」

 尋ねられて、結子はさらに言葉を詰まらせる。

「…さ、さあ…そこんとこは、ええと、よくわかんない…かな?」

 内緒ねと言われて了解ですと答えた以上、『高校の先輩後輩なんだって』とはバラし難く、結子は言葉を濁すしかない。

 言ってしまった方が良いような気もしないではなかったが、やっぱり約束は約束だ。
 約束したからには、『言ってしまって』失敗するより、『言わないで』失敗する方が良いに決まっている。

 そもそも、客室乗務員は顧客情報の取り扱いには神経を遣うものだから。


「あっ、出てくる!」

 こっちが悪いことをしている訳でもないのに、思わず4人は身を隠した。

 そして、路上に出てきた2人はやっぱり『ただの知り合い』程度にはとても見えない親密振りで…。

「うわお」
「ありゃ〜」
「みぎゃうっ」
「うう…眩しすぎる」

 目の前で展開された、美し過ぎる男たちの親密なハグは、まさに『目がつぶれそうなほど』眩しくて、悶絶モノだった。

 そして、これが信隆でなければ――もしくは相手が香平なら――『良いもの見ちゃったね〜』『眼福眼福』…で終わったところなのだが。

「…ってか、なんか色々とマズくないですか?」

「…それって、道徳的に…ってこと?」

「…だって、都築教官には中原CPって大切な人が…」


 そして、今度は結子も同意してしまった。
 ハグがあまりにも『熱かった』ので。

「うん。確かになんかヤバい気がする…」

 本当に『ただの後輩』なんだろうかと疑わしくなってきた。


「…そう言えば中原CP、もうすぐこっち来るんじゃなかったですか?」

「だよ。教官とはちょうどすれ違いの717便…だったと思う」

「…って、この事態をどう収拾すればいいんですか…ね」

「や、どうしようもないんじゃ…」

「そんなあ。それじゃあ中原CPがあまりにも可哀想です〜」

「水野CP、なんとかして下さいよう〜」

「えーっ、何とかって、どうすんのよ〜」

「いっそ、教官を問い詰めるとか」

「…むちゃ言うなって。それが出来るのって、小野CPかノンノンCPくらいだろ…」

「や、この際すっぱり別れてもらって、中原CPをフリーにして我らに返してもらうってのも…」

「えー、それヤです〜。やっぱり中原CPは都築教官と一緒でないとダメですぅ〜」

 ヒソヒソガヤガヤ侃々諤々やっているうちに、眩しすぎる男たちは姿を消していた。


「…まあまあ、みんな落ち着けってば。単なる『仲良し』って可能性だってあるんだし、ハグだって、こっちの習慣じゃ当たり前なんだし」

 愛はこの場の最年長者として火消しにかかったのだが、返ってくる若手2人の視線は疑惑に満ち、結子の瞳は戸惑いに揺れている。 


 ――ま、確かにかなり心配な雰囲気だったけどさ…。

 さりとてここで打てる手はなく、『取りあえず帰ろ』…と、3人を促してホテルへと向かった。


☆ .。.:*・゜



 そして予定通り、翌々日の早朝、717便で香平がやって来た。  

 その前夜に信隆と結子は羽田へ向けて飛び立っていて、あまりにもバッチリなすれ違いに『可哀想だなあ』と思いつつも、もしステイが被っていたら、信隆がどんな顔で香平に接するのか確認してみたい気もして、愛は複雑だった。


「あ、香平くん、お疲れ〜」
「あれ、愛さん、おはよう。こんな時間にコーヒー飲んで大丈夫?」

 午前6時半過ぎにクルーバスでホテルに着いた香平は、この便の時にはいつもカフェでコーヒーを飲んでから4時間ほど仮眠する事にしている。

 そうしないと寝過ぎてしまって、夜に眠れなくなってしまうからだ。

 同じ便できた遥花はもうすでにベッドの中だろう。

 遥花は『現地時間通りに三食とおやつを食べて、あとは本能の命ずるままに寝る』と言う方法で時差ボケを乗り越えられるようになった。

 以前は周りのアドバイスに振り回され過ぎて、自分のペースが保てなくなり、身体を壊してしまったから。

 遥花とは、11時30分に待ち合わせてランチに行く約束になっている。


 717便は夜中の1時過ぎに羽田を飛び立ち、フランクフルト着は朝の5時30分。
 昼に出て夕方に到着する711便や夕方に出て夜に到着する713便に比べると体調の調整は難しいから、何が何でも昼には起きて、食欲がなくてもランチに出かける。
 それはほとんどのクルーが実践している。 

 そして、朝のカフェでぼんやりと外を眺めてコーヒーを飲んでいたのは愛だった。

「愛さん、今夜の712便じゃなかったっけ」
 
 香平の記憶通り、愛は今夜の712便で羽田へ帰る。
 20時40分発だから、ホテルを出るのは18時30分。

 この便のクルーは午後4時くらいに起床するスケジュールで就寝するのが常だから、今頃コーヒーを飲んでいては目が冴えてしまうのでは…と香平は思ったのだ。

 18時55分発の714便のクルーは今頃夢の中で、11時35分発の718便のクルーがそろそろ起き始める頃だ。


「ん〜、なんか眠る気にならなくってね」

 妙に冴えてしまったその主な原因はもちろん、目の前にいる優秀かつ可愛いチーフパーサーのプライベートだ。 

 愛も、仲間として、友人として香平が大好きだから、傷つくようなことになって欲しくないと切実に願っているから。 

 だからつい、口にしてしまった。

「ね、香平くん」
「ん?」

 愛の向かい側に腰を下ろし、香平はいつもの柔らかい笑顔で応えた…のだが。

「指揮者の桐生悟さんって知ってる?」

 不意打ちで登場した『初恋の人』の名に、香平は思わず目を見開いて、固まった。

 その、明らかに動揺した様子に、愛は心の内に芽吹いてはいたが、一生懸命打ち消していた疑惑を大きく膨らませてしまった。

 しかも、信隆が浮気をしているだけでなく、『その事実に香平は気づいているのではないだろうか』と。


「えっと、名前…は知ってる…し、うちのVIP会員様…だよ、ね。それが、どうか…した?」

「あのさ、3日前の便……、ええっと…」

 言いよどんでしまったが、ここまで言ってしまったら、もう最後まで言うしかないと腹をくくり、一つ息をして言った。

「都築教官が審査乗務してた711便に乗っていらしたらしくてね…」

「え…」

 息を飲むと言う、さらに激しく動揺しまくったリアクションに、やっぱりマズったかなあと冷や汗が背中を伝い、愛はそれ以上言えなくなった。

「…えと、別にそれだけ…なんだけどね」
「愛さん…」

「…さて、頑張って寝てくるよ。ごめんね、着いたばかりなのに引き留めて」
「あ、うん」

 明らかに不審な愛の様子だったが、出た名前に動揺してしまっていた香平は、それ以上言葉が出なかった。


☆ .。.:*・゜



 そしてそれは、ほんのわずか数時間後のことだった。

 仮眠と言ってもベッドの中にいるだけで、ほとんど眠れなかった香平は、遥花との待ち合わせ時間より少し早く部屋を出た。

 と、その時。

『や、ダメだよ。私の口からはとってもじゃないけど言えないよ。都築教官の密会現場見ちゃった…なんて』


 ――え…?

 廊下の角の向こうから、愛の声で聞こえたその言葉に、香平は思わず息を止めてしまった。

『…ですよね…。でも、見て見ぬ振りって…』

『やっぱり上級CPに相談した方が…』

『や、あんまり事を広げちゃマズいって。それに浮気って決まった訳じゃないんだし』

 知った声ばかりのその会話は遠ざかって行ったが、香平はそこから一歩も動けなかった。

 ――あの人に、会ってたんだ…。

 いや、会っていたくらい、何でもないじゃないか、先輩後輩なんだからと、すぐに自分で否定する。

 でも、羽田へ向かう712便の搭乗直前に送ってくれたのであろうメールには何も書いてなかった。

 いつものように甘い言葉と、そして今回は同じ空域ですれ違ってしまう嘆きの言葉が並んでいて。

 そんな信隆からのメールに香平が返す言葉と言えばいつも、甘さもへったくれもない、まるで業務連絡のような文面なのだが、信隆はそれも『香平らしくていいよ』と笑ってくれるけれど。

 でも、今は何も報告がなくても、帰着して落ち着いて話せるようになったらきっと、『後輩に会ったよ』と、聞かせてくれるに違いない。

 そんなことを止めどもなくぐるぐると考えて、どれくらいぼんやりしていたかわからなかったが、一度ゆっくり深呼吸して、気にすることはない…と、自分に言い聞かせた。

 そう、あの人は『浮気』なんて絶対しない。
 他の人とそう言う関係になるのなら、その時は自分との関係をきちんと終わらせてからに違いない。 

 それだけは信じている。

 けれど、信じていても不安は…ある。

 だがその不安も、そもそもが『不釣り合い』なのだから、それは致し方のないことなのだと無理やり自分を納得させている。

 そう、『初恋の人』くらい凄い人ならば『お似合い』なのだけれど。

 職場環境にはこれでもかと言うくらい恵まれているおかげで、信隆は当たり前のように2人の関係をオープンにしようとしているけれど、それも香平にしてみればとんでもない話だ。

 香平も、相手が信隆でなければこうまで隠そうとはしない。

 わざわざ大っぴらにして開き直るつもりはもちろんないけれど、自分に釣り合った相手なら、自分の気持ちを偽ってまで隠しはしないし、むしろ相手を守るためにも『自分がパートナーだ』とそれとなくアピールしてしまうだろう。

 けれど、生え抜きでもなく、まだ経験も浅いチーフパーサーが、よりによって全社的に信頼が厚く全てのクルーの憧れである人のパートナーだなんて、未だに『有り得ないにもほどがある』のだ。

 だから、ひっそりとしているのが1番だと、真剣に思ってきた。


『香平、俺のものだ』

 初めての時、もう、何が何だかわからなくなっていたけれど、あの言葉は耳にずっと残っている。

 あんなに嬉しい言葉はなかった。
 言葉通り、全てを独占して欲しいと思った。


 ――でも、僕は信隆さんのものだけど、信隆さんが僕のものとは限らない…よね。

 もちろん、『いずれは同じファミリーネームに』とまで言ってくれた信隆の言葉は今でも信じているし、疑ったこともない。

 けれど、自分が独り占めしていい相手ではないことも、香平は良くわかっているつもりだ。


 それともうひとつ、香平にはずっと引っかかっていることがあった。

 乱気流で怪我をして、ICUを出て移った個室のベッドの上で目を覚ました時、そこにいてくれたのは信隆で、そしてそのすぐ後に、『愛している』と言ってもらった。

 まだ体中が辛い状況の中だったのに、あんなに幸せなことはなかったのだけれど、随分経ってからふと思いついてしまったのだ。

 あの告白は『非常事態』だったからなのではないだろうかと。

 入院中に担当医からも聞かされた。

『あの事故が、中原くんが普段乗っているヨーロッパの長距離路線だったら、間に合ってなかったと思うよ』と。

 聞かされた香平自身、少し手が震えるほどの言葉だったが、信隆には、『もしかしたら命の危険もあったかも知れない』…という程度に伝わっていると聞いていたので、この場に信隆がいなくて良かったとホッとしたものだ。

 ただ、ヨーロッパ路線はホノルル線とは違い、ダイバートできる空港は多いから、単に距離だけでは比べようがないのだが。


 ともかく、そんな非常事態だったから、その異常な状況が信隆に一歩を踏み出させてしまったのではないだろうかと後から気がついた。

 いずれ、そのことを信隆が不意に気づいたとしたら…。

 そう思うと、怖くて仕方がない。
 そう、担当医に『間に合ってなかったと思う』と言われたことよりも、もっと。

 もし信隆の心が離れてしまったら、今度こそ自分はもう、飛べなくなる。

 けれど、そんな日がいつかは来るのかもしれないと、覚悟だけはしておく必要があるのだろうかと、自分自身に問いかける。

 だが、覚悟していたところで、心まで預けてしまった後にもし無くしてしまったら…と、想いはまたループに入ってしまう。


『はあ…』と、沈痛な溜息を零したところで遥花がやってきた。

 現在遥花はチーフパーサー昇格試験の最終段階で、今月末と来月頭のフライトでチェックアウトすれば、晴れて『太田遥花CP』の誕生だ。

 途中体調を崩して国内線に戻ったりして少しばかり遠回りにはなったが、信隆からは、『遥花はいいCPになるよ。私が保証する』と言われ、これからもその言葉を胸に頑張っていこうと思っているところだ。


「香平くん、お待たせ〜。って…どしたの? しんどい? どっか痛い?」

 自身に関しては大ざっぱで男子力満点――信隆からは『根性満点』と評されている――と言われる彼女だが、人の様子や気持ちにはとても敏感で、その意味でも『上に立つ』のに向いていると、教官たちもまた、遥花の今後に大いに期待をしている。

「あ、ごめん。大丈夫だよ。ちょっと考え事しちゃっただけだから」

 遥花は首を傾げた。
 これは何かを誤魔化しているな…と。

 ともかく、国際線クルーにとっての香平は、とてもとても頼りになり、そしてとてもとても気になる存在であり、それは香平自身が人気者であるからと言うことの他に、当然『都築教官との関係』も含まれている。

 ぶっちゃければ、『クルーたちの燃料』だが、遥花にとっての香平は、今や雪哉と並ぶ『親友』であり『戦友』なのだ。

 同期からは、『さすが男子力満点の遥花。両手に花だよ』と言われているが。
 ちなみに『花』とはもちろん、雪哉と香平だ。


「香平くん、溜め込んじゃうとこあるから、ひとりでぐるぐる考えてもわかんないことあったら、聞くよ?」

「うん、ありがとう。遥花さんにそう言ってもらえるだけでも随分楽になるよ」

 少し無理のある柔らかい笑みを返せば、遥花はぷくっと頬を膨らませた。
 雪哉に一番よく似ていると言われる表情だ。

「ってことは、やっぱり何かあるんだ?」

 鋭い指摘に、香平が一瞬言葉に詰まる。

 けれど、続く遥花の言葉は柔らかかった。 

「あー、たださぁ、私、恋愛関係の相談だったら役に立たないんだよね。何しろ経験値が地の底レベルだからさあ。 あ、あと借金の申し込みも『ゴメンナサイ』だよ。貯金も底ついてるから」

 言って豪快にあははと笑い飛ばす遥花だが、そう言いつつ、逃げ道を開けてくれたのだろうと香平は思った。

 そう、気には病んでいるが、今誰かに打ち明けられるような状態ではないのは確かなことで。

 そんなごちゃごちゃな感情を、ふんわりと包んでくれた遥花に感謝して、香平は『ともかく乗務は完璧に』…と、気持ちを切り替えた。


                    ☆★☆


「あ、遥花、ちょっといい?」

「あれ? 愛、今日の718便じゃなかったっけ」

「違うって。712便だよ。718便でこの時間にホテルにいるわけないじゃん」

「あは、そうだよね」

 愛は今夜の便で羽田へ帰る。

「ね、ちょっと話したいことがあるんだ」

 そう言って愛は、遥花を廊下の隅に連れ込んだ。

「遥花、指揮者の桐生悟さんって知ってるよね?」

「もちろん。うちのVIP会員様じゃん。私は1度しかお世話させてもらってないけど、弟さんのご一家にはよく遭遇するよ? あそこの子ども達がまた美形揃いなんだ」

「まあ、ご両親が美形だからね…って、そっちじゃなくて、桐生悟さんなんだけどね…」

 誰もいないけれど、辺りを憚るように声を潜めて愛は遥花の耳元にこっそりと『見たこと』を囁いた。


「えっ? 都築教官がっ?!」

「しーっ! 遥花、声がデカいってば」

「…ごめーん…。って、それマジで?」

 遥花の問いに、愛は深刻そうに頷いた。

「うん、マジなんだよ。あの若き世界的指揮者とそりゃあ親密にさ…」

 事の仔細を愛から聞いて、遥花は顔を曇らせた。
 もしかして、香平の気鬱はそれではないかと。

「ってさ、それ香平くん…」

「……や、密会は知らないはずなんだけど、香平くん、ちょっと様子おかしいんだよ」

「え、やっぱり?」

 愛も気づいていたのかと、遥花が目を見開いた。

「え、なに? 遥花も気づいてたの?」

 愛もまた同じように目を見開く。

「うん、なんかね、こっち来てからちょっと落ち込んでるっぽくて…」

 だが、遥花の言葉に愛は青ざめた。

「…うわ、もしかしてそれ、私の所為かも…」

 到着したときには『いつもの香平』だったのだ。
 それが愛の一言で表情を一変させてしまったのだから。

「どーゆーこと?」 

 遥花が見開いていた目をすっと眇める。

「私もさ、もう気になっちゃって眠れなくてさ。つい、香平くんに言っちゃったんだよ。都築教官が乗ってた便に桐生さんが乗ってたって」

「でも、それ事実なんだろ?」

「うん」

「都築教官だったら顔見知りでも全然不思議ないじゃん?」

 それくらいどうってことないじゃん…とばかりに言う遥花に、愛も頷いて同意するのだが。

「や、私もそう思ってたんだけどね、でも香平くんは桐生さんの名前聞いて、すごく動揺したみたいでさ…」

「それって、香平くんが『何か』に気づいてるってこと?」

「…って気がしてしかたないんだよ〜」

 5センチほど背の低い遥花にすがりつき、愛は『どうしよう〜』と嘆いた。

「教官と桐生さんが密会ハグしてて、香平くんが桐生さんが乗ってたことを聞いて激しく動揺して、その後落ち込んでいる…」

 すがりつく愛の背中をさすりつつ、遥花は少し遠い目で事実を整理してみる。

「ね? なんかもの凄くヤバくない?」

 愛が顔を上げて真剣な目つきになった。

「…超ヤバい気がする…けどさ、ちょっと信じられないんだよね。あんだけ香平くんにメロメロの教官がよそ見するなんてさ」

「そりゃ私だってそう思うよ。ってか、クルーみんな同じ意見だと思うし、マジで浮気だったら、もう総スカンだよ。全員香平くんの味方についちゃうし」

「…だよね」

 いくら全クルーの心の支えでも…いや、それだから余計に、裏切りが事実なら許せないと誰しもが思うところだ。

「遥花。帰着まで香平くんのこと、しっかり見守っててね」

「うん、もちろん。…ってか、これ、見てるだけでいいんだろか?」

 見守るだけでは解決しないような気がするが、さりとて今名案があるわけでなく、遥花は頭を抱えた。


「…あ! ゆっきーに相談してみるってのは? ゆっきーなら、オフの教官や香平くんをよく知ってるだろうし」

 良いこと思いついた!…とばかりに愛が言ったが、遥花は重いため息とともに肩を竦めた。

「ゆっきー、今休暇でパパと旅行中なんだよ」

 連絡も取ろうと思えば取れるけれど、この休暇を雪哉がどれだけ楽しみにしていたかを知っている遥花としては、雪哉が心を痛めるであろう話をわざわざ耳に入れたくはない。

「そっか…そりゃかわいそうだよね」

 愛は遥花の思うところを正しく受け取って、同じように重いため息をついた。


 帰りの718便での香平は、いつもの通りの『頼りになる優秀なチーフパーサー』だった。

 ドイツ人の男の子から『折り紙を教えて』と言われて、にこやかに丁寧に教えている様子は、周囲の乗客も思わず笑顔になってしまうような優しい光景で。

 そんな香平に、遥花は『やっぱり凄いな、香平くん』と思いつつも、日々友人としても深く接している身には、わかってしまっていた。

 そう、どこかで無理をしているな…と。


                   ☆ .。.:*・゜



 朝7時の定刻に羽田に帰着した香平は、いつものように真っ直ぐ自宅に帰った。

 少し怖かったが、でもそれよりもやはり、早く会いたいという気持ちが先に立った。
 すれ違いが辛いのは香平も同じだ。

 信隆は午後の便でパリへ飛び立つ。
 1ヵ月振りの通常乗務だ。


「お帰り香平」 

 満面の笑みで出迎える信隆は、すでに出社の用意を整えている。

 一緒に過ごせる時間はわずか1時間あまり。

 信隆は、香平に『ただいま』を言わせる間もなく抱きしめて、その唇を塞いでしまう。
 相変わらず、香平の息が上がってしまうまで。


「ごめんな。もう、香平不足で燃料切れだったんだ」

 肩で息をしてしまう香平の背を撫宥めつつも、抱きしめて離そうとしない。

「信隆さん、まだ手も洗ってないのに…」

 ちょっと抗議すると、『ごめんごめん』と言いつつも、洗面所までついてきて、ずっと背中に張り付いている。 

 家ではいつもこんな風にべったりの信隆で、香平はその様子にいつも安心するのだ。

 そして、これならきっと、フランクフルトで会っていたという後輩――初恋の人の話も聞かせてくれるに違いないと香平は思った。

 …のだが。

 信隆は香平のことばかり聞きたがり、乗務のことやステイ先でのことなど事細かに話させて、その間一時も離そうとせずにいて、しかもあっちこっちにキスが降ってくる始末で、とにかくいちゃつきまくって信隆は出勤していった。

『しっかり休むんだよ?』

 そう言い置いて。


 いつもなら、それも嬉しかったに違いない。
 けれど、今日ばかりはその様子が、信隆が自分の事を話すのを回避しているようにも思えてしまい、香平の不安は一層募ってしまった。

 しかも、このままだとスケジュールチェンジが無い限り、また6日間のすれ違いだ。

 信隆が戻ってくる5時間ほど前にはまた、香平がパリへ発つ。

 香平は、寂しくなったソファーの上でクッションを抱きしめたまま、しばらくボンヤリと、遠くに行き交う旅客機を眺めていた。





「遥花、どうかした? あんたが塞ぎこんでるなんて珍しいわね。しかも難しい顔して。あ、そうか、もうすぐ最終チェックか。気になるところがあるんなら何でも聞きなさいよ。私が特別に鍛えて上げるから」

 出社スタンバイ中、キャビンクルー用のスタンバイルームの片隅で考え込んでいた遥花を見つけ、その肩をガシッと抱いて豪快に言い放ったのは国際線の『女帝』、教官チーフパーサー小野香澄だ。

「…小野CP…」

 だが、弱り果てた顔で見上げてきた遥花に、香澄は直感した。
 これは仕事絡みではないな…と。
 遥花は仕事で何かあっても、こんな顔はしない。


「ちょっと、こっちおいで」

 遥花を抱え込んで、ミーティングルームに連れ込んだ。

「どうしたの? 話せることなら全部吐いてみ? 恋愛相談から借金問題まで、私の守備範囲は広いからさ」


 フランクフルトから帰着して3日目。

 2日の公休を挟んで、遥花は出社スタンバイだが、香平はつい先ほどパリへ発った。
 信隆が帰ってくるのは今夜だ。

 その間にも遥花は何かと理由をつけては香平にメールを送ったりしてその様子を探っていたのだが、どうにも気になって、昨日の午後は『昇格審査の最終チェック目前で弱ってるから慰めて』…と、まるっきり嘘八百を言って呼び出し、夕食を共にした。

 遥花自身は最終チェックなんてこれっぽっちも気にしていない。
 ここまで来たら、『いつも通り』にやるしかないからだ。

 それでも香平は遥花のことをとても心配してくれて、自身の経験や、今まで見て来た他のクルーの審査の様子を聞かせてくれたりして、一生懸命に遥花の緊張をほぐそうとしてくれた。

 嘘をついてちょっと申し訳ないなと思ったが、香平の話は確かにとても役に立ったし、また香平自身も、待ち合わせた時よりも別れる時の方が格段に元気になっていたので、呼び出して良かったなと思いつつも、やはり香平にはどこか思い詰めている節があり、遥花もまた眠れないほど心配になっていた。

 雪哉が休暇を終えて乗務に戻ってくるのはまだ先だ。

 香澄から声を掛けられたことで、張り詰めていた気持ちがプツッと切れ、やっぱりこのままではいけないのでは…と、遥花は口を開いた。


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☆ .。.:*・゜

おまけ小咄

『都築信隆 (いろんな意味で)無敵伝説』



 ある日のステイ先。クルー全員で食事に出かけた時のことだった。

「都築教官って、ほんと、スーパーマンですよね」

 言い出しっぺは国際線デビューからまだ間もない、入社2年目の女性クルー。

「よね〜。外見も中身も万能だよね」

 即座に応じたのは3年目の、やはり女性クルー。

 彼女たちの視線の先には、この便のチーフパーサー都築信隆の姿。

「そりゃあもう、都築教官に関してはマジ伝説がいっぱいあるし」

 ちょっと得意げにいうのは、乗務6年目、アシスタントパーサーの横澤結子だ。

「横澤AP、それ教えて下さい!」

「そうだなあ、カレンダーの話はみんなだいたい知ってるし…」

「あ、表紙を飾ったとき、増刷になったって話ですよね?」

「プロのモデル頼んだのかって言われたんですね」

「そう、あの年のカレンダーは社内でも入手困難だったって、上の人たち言ってたよ」

 社長ですら手に入らなかったという噂があったくらいだ。

「あと何かあります?」

「ええとね…。あ、安全デモの話知ってる?」

「安全デモンストレーションですか?」

 安全デモンストレーションというのは、離陸前に、非常用設備や緊急時の対応について、クルーが乗客に対して説明することだ。

 大型機ではビデオ上映と言う形式を取っているが、小型・中型機ではクルーが酸素マスクや救命胴衣を使って説明する事が多い。
 離陸前に必ず行うことが航空法で義務づけられていて、これを完了しないうちに離陸することはできない。

「そう。77や78のデモはビデオだけど、教官が新人のころはまだ国際線の大型機でもクルーがデモやってたんだよ」


 ちなみにビデオに不具合が生じたときには、以前と同じようにクルーがデモをする決まりなので、安全デモが出来ないクルーはひとりもいない。


「ってことは、教官もデモされてたんですか?」

「そりゃそうよ。教官だって、私たちと一緒で国内線エコノミーからスタートしてるんだし」

 そう、その前にはちゃんと『訓練生』だった時期もあるのだ。

「なんか、今の姿からは想像もつかないですよね」

「確かにね。 でさ、その安全デモ、実は教官ってば、すぐに担当外されたんだって」

「えっ、なんでですか? 何かやらかしたとか?」

「教官、新人の頃からめっちゃ優秀だったって聞きましたけど」

「や、ミスっておろされた訳じゃなくてね、教官のあまりの美しさにお客様たちが見惚れてちゃって、デモの内容が頭に入らないってことでさあ」

「…っちゃー」

「めっちゃありそう…」

「酸素マスクを顔に当てたら、『顔が見えない』って文句が出て、救命胴衣のチューブに口近づけたら、『あの唇にキスされてみたい』…って、ストーカー激増」

「「「……。」」」

「やだー、もー、みんな、何を妄想してんのよ〜。目がコワい〜」

「や、だって…」

 そこは妄想しちゃうじゃないですか〜と、言おうとしたとき。

「楽しそうだね。なんの話?」

 さっきまで機長とコパイに挟まれていた信隆がやってきた。

 すべてのクルーと等しくコミュニケーションを取るのはチーフパーサーとして当たり前のことだ。


「教官の『安全デモ伝説』教えたら、固まっちゃったんですよ〜」

 結子の報告に、信隆が『また古い話を』…と笑う。

「私としては、安全デモはクルーが直接やる方がいいと思ってるんだけどね。ただ、ビデオになったおかげで離陸前に少しでも余裕ができるのはありがたいよね。お客様のベルト確認にも時間が取れるし」

 信隆の言葉にみな頷く。

 それから少しの間、離陸前の心構えなどを話し合っていたのだが。


「それにしても、教官って、苦手なものとかも何にも無さそうですよねえ」

 心底感じ入った様子でクルーの最年少が言う。

「苦手なこと? もちろんあるよ。スーパーマンじゃあるまいし」

 そうは言うものの、信隆は余裕の笑顔だ。

「えっ、何がダメなんですか?」

「そうだな。子供みたいで恥ずかしいんだけどね、実は目薬さすのが苦手なんだ。ほら、落ちてくる瞬間に目を閉じてしまうってあるだろう?」

「あ〜、わかります、それ」

「特に機内は乾燥してるから、目薬さしたいこと多いですよねえ」

「そうなんだ。だから機内では毎回苦労してるんだよ。家なら香平が膝枕でやってくれるんだけどね」

 ――えっ?

 美しい笑みのまま、何でもなさげにさらりと言われたが、とんでもないことを聞いたような気がする。

「寝ころんだままゴロゴロ甘えてたら頭撫でてくれてさ」 

 ――ええっ?

「そのうちに気持ち良くなって眠っちゃうんだよね」

 ――えええっ?!

「目が覚めたら、香平もウトウトしてて、もう可愛いったらなくて」

 ――ゴクッ。

 独身女子たち、妄想炸裂。

 ――じゅるる…。


 都築信隆、40歳。
 たとえキャラが崩壊しようとも、愛に溺れる幸せな毎日である。
 

はっぴー。


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