番外編
『初恋の人』
後編
遥花が香澄に話をした数時間後、信隆がパリから帰着した。 デブリを終えて解散になり、通常乗務だったから審査会議もなく、いくつかの案件を片付けて、後は着替えて帰るだけ…だ。 これで、家で香平が待っていてくれたなら言うことはないのだが、愛する香平は今頃パリへ向けて飛んでいる最中だ。 そう、今日も同じ空域ですれ違った。 2度も続けてこんな状況になるのも珍しいのだが、信隆もこの後2週間は国内線審査だけになるので、すれ違いは解消される。 ともかく、今度公休が重なったら1日中いちゃいちゃしまくってやるんだ、いや、抱き潰してしまわないように気をつけなきゃな、そう言えばアレって香平いやがるよな、でもそのうち我慢しきれない声が漏れてきて可愛いったらないよなあ…などと、あられもない爛れまくった妄想を、無駄にストイックそうに見える怜悧な美貌の裏側で展開しつつ男性乗務員用のロッカールームへ向かった信隆に、掛かる声があった。 「ちょっと信隆、顔貸して」 その剣呑な声に振り返って見れば、そこには仁王立ちの女帝様がいた。 「なんだよ、香澄。怖い顔して、美貌の女帝が台無しだぞ」 半ば笑いつつ言うと、香澄も半ば呆れつつ返す。 「へ〜、人を茶化してる余裕があるんだ。ふ〜ん、さすがモテ男は違うね」 明らかにいつもと違う、かなり怒りを含んだ様子に信隆が眉を寄せる。 「…なんだよ。どうしたんだ。何かあったのか?」 何か問題でも発生したかと心配になれば、香澄の口からはあまりにも思いがけない言葉が出てきた。 「あんたが浮気して香平くんを泣かせてるって噂があるんだけど」 「……はあっ?! なんだよ、それ!」 全く身に覚えのないことを突き付けられて、母国語なのに、一瞬理解ができなかった。 もはや驚きを通り越して、未知との遭遇だ。 頭の中は香平のことでいっぱいで、心も身体も香平を求め続ける日々なのに、どうしてそんな事実無根の噂が立つのか、まったくもって理解不能だ。 「あれ? 身に覚えないっての?」 「ないね」 当然即答だ。 「例え俺が捨てられる日が来たとしても、俺が香平を手放す日は永遠に来ないし、俺の全部は香平だけに向いていて、他なんかこれっぽっっっちも目に入らないよ。今までもこれからもずっとな」 言い切った信隆に、香澄は『きゃ〜』…と、頭を抱えてうずくまった。 そんな香澄に、信隆は訝しげに声を掛ける。 「…何してんだよ」 「やだー、もー、恥ずかしい〜。ホントにあんたってば身も蓋もないノロケ方するわね〜。マジ、キャラ崩壊。大崩壊。土砂崩れ〜」 「別にノロケちゃいないだろ? 本当のことを言ったまでだ」 かつて敬一郎のことを『臆面もなくノロケ倒すようになったもんだ』…と、笑った信隆だが、今や全く同レベルだ。 いや、弁が立つ分、信隆の方がより『重症』だろう。 「…んじゃ、何でこんな噂が立つわけ?」 「俺が聞きたいよっ、どこからそんな話が出たんだ?」 問われて香澄は話して聞かせた。遥花から聞いた事をすべて。 そして、その『現場』にあの時のアシスタントパーサー、結子がいた事を知り、それで話がもつれたのでは…と、思い至る。 「…あー、もしかして俺が結子に口止めしたから…か」 あそこで口止めしなければ、その場で2人の関係は詳らかになっていて、あらぬ誤解を生むことはなかったのかもしれない。 ハグが熱すぎたことはさておいて。 そして、律儀に約束を守ったことについては、誉めてやらねばならないだろう。 「どういうこと?」 「そもそも711便で会って、キャビンで少し話をしたんだ、あいつと」 「あいつって…もしかして桐生悟さんのこと言ってる?」 当然香澄はVIP会員の彼ら一族を今まで何度も機内で世話していて、それは国際線である程度以上のキャリアを持つクルーはみな同じだ。 だが、『あいつ』呼ばわりとはいったいと、首を傾げてみれば。 「悟とは中高時代からのつき合いで、部活の後輩なんだよ」 「えっ、マジでっ?!」 「悟だけじゃない、兄弟みんな…あ、一番下の奈月くんだけは卒業してから知り合ったんだけどな、同い年の3兄弟はみんな、どっぷり青春時代を共にした仲間だよ」 香澄はあまりにも意外な事実に、ばっちりメイクの大きな目を見開いた。 「…知らなかった…」 「そのことを結子には言ったんだが、軽い気持ちで口止めしたんだ。それに、確かに今までも機内で会うことはあったんだけど、今回は偶然フランクフルトで振るってことで、プロオケの総練習を見せてもらえるチャンスなんてそうはないからさ、誘ってもらって喜んで行ったわけだ。その後は、本当に久し振りだったから、話が弾んで…以下略…だ」 弾んだ話の9割は自分のノロケ話だったが。 「旧交を温めたってわけ?」 「まさにその通り」 「それにしちゃあハグが熱かったって話だけど?」 「そりゃあ顔見るのも久し振りだったし、次に会えるのもいつかわからない…じゃあ、別れ際も名残惜しくなるもんだろ?」 「あ〜、まあ、なるほどね」 結局聞いてみれば、なんてことはなかった。 ハグが誤解の大きな『タネ』になったのは、どちらもが美形過ぎた所為も大いに有るところだろう。 「ってかさ、誤解ってのは解ったけど、私たちの誤解を解いてもどうしようもない話でさ、香平くんが気に病んでるのは事実のようだし、早く香平くんに説明してあげないと…」 「いや、そこなんだけどな、まあハグが熱かったってのは確かに誤解の元になりうるかも知れないけど、たったそれだけで香平が思い悩むとは思えないんだよな…。実際、パリで4年暮らしてた香平の方がはるかにハグ慣れしてるし、俺だって挨拶のハグくらいは寛容な気持ちで見守ってるし」 「嘘つけ、この前お客様が降機するときに香平くんをハグったって、超むかついてたくせに」 「……。」 間髪入れないツッコミに、信隆が珍しく返す言葉もなく押し黙る。 「ま、確かにあのちょっぴり天然くんがハグ程度で落ち込むとは思えないし、だいたいハグ情報以前に、桐生さんの名前聞いただけで様子が変わったって、愛が言ってたらし…」 「え? そうなのか? 密会ハグ情報が原因じゃないのか?」 「…あれ? そう言えば、ハグ情報が香平くんの耳に入ったって話はなかったっけ。先に桐生さんの名前を出した時点でおかしかったって話で、愛はてっきり、香平くんがすでにあんたの不貞に気がついてるんじゃないのか…って思ったわけだったか」 香澄の話に信隆は眉を寄せた。 弟の昇とメル友になった雪哉の話を楽しそうに聞いていた香平が、どうして悟の名前を聞いただけで動揺したのか。 考えて、ふと、思いついた。 「…もしかして…」 呟いた信隆に、またすかさず香澄のツッコミが入る。 「なによ、やっぱり思い当たる節があるんじゃないの?」 「いや、確かに悟は後輩なんだけど、実は初恋の相手…なんだ」 「ええっ?!」 当然だが、今更信隆の初恋の相手が同性というくらいで驚く香澄ではなくて。 「ってことは、あんたっ、やっぱりスケベ心が…」 「ないってのっ。だいたいそんなもの、四半世紀も経てば笑い話だろうが」 「あー、まあ若気の至りってやつ?」 「そこまでも行ってないよ。本当に高校時代の単なる思い出話だし、ネタみたいなもんだ」 「それにしても高校時代って、初恋、遅っ。私なんて幼稚園の時だよ」 「男は純情なんだ」 「うわ〜、似合わねー。ってか、それなら話は俄然わかりやすくなるじゃないの。誰だってパートナーが初恋の人と2人きりで会ってたって知ったら、穏やかじゃいられないんじゃない?」 香澄の言うことは正論だが、問題はそこだ。 「いや、香平にその話をしたことはないんだ」 「…まあ、余計なことを耳に入れることはないわね」 初恋の人の話を進んで聞きたがる人間はそう多くは無いだろう。 「そういう訳でもないんだ。そもそも、彼ら兄弟が後輩だって話をしたことがなくてさ」 「なんで?」 「特に理由はない。たまたま話そびれてたって程度のことなんだ」 「…ってことは、何で香平くんが知ってるのかってことじゃないの?」 香澄の問いに、また暫し考え込んだ信隆だが、不意に顔を上げた。 「……あ。」 「今度は何よ」 「思い当たる人物が…」 「だれ?」 「社内一の親バカとファザコンの親子。話してて、ネタにしたことがあるんだ」 それならツーカーも頷けると、香澄は納得の表情だ。 「あー、なるほどね〜。確かめてみれば…って、そう言えば来栖親子、休暇中だっけ」 「そうなんだよ…」 そう、もつれた原因の一端は、彼らが不在だったことだろう。 「あのさ、もう一つ質問」 「…なんだ?」 香澄が深刻そうな顔をしたので、信隆も身構える。 「香平くんに最後に会ったのいつ?」 「パリへ飛ぶ前。香平がフランクフルトから帰って来て俺が出勤するまで1時間くらいしかいられなかったけど」 『ってことは』と呟いて、香澄は一層表情を深刻化させた。 「その時、香平くんはすでに何かを抱えてたはずだけど、あんた、もしかして…」 指摘されて初めてそこまで思いが至った。 「…気づかなかった…」 香澄のため息が落ちてきた。 「…やっちまったな。香平くん、今頃しんどい思い抱えて頑張ってるんじゃないの?」 誤解はすぐ解ける。誤解なのだから。 けれど、不安を抱えている状況を見逃してしまった失敗は、信隆の胸に重く深く落ちてきた。 香平は、プライベートは顔に出やすいと高をくくっていた所為かもしれない。 唇を噛む信隆の肩をポンと叩き、香澄は『しょうがないね』と、柔らかい声で言った。 「遥花や愛たちにはちゃんと説明しといてあげるからさ、香平くんのフォロー、しっかりやりなさいよ」 「…ああ、頑張るよ…」 「そ。せいぜい捨てられないように頑張れ」 バシッと背中を張られ、信隆は珍しくも拗ねた顔を見せた。 「縁起でもないこと言うなよ」 「は? 私、結構マジで言ってんだけど?」 「香澄〜」 恋に溺れたオトコはホントにバカだね〜と、呆れた声で言う香澄だが、彼女もまた、不安を抱えているであろう香平のことが心配で仕方がなかった。 香澄と別れ、ロッカールームで信隆は、また考えこむ。 今、すぐにでも香平と話したいが、香平は空の上。 メールや電話で弁解するつもりはないから、帰着するのを待つしかない。 けれど、香平が重い気持ちを抱えたままなのは堪らない。 スマホを取り出し、信隆はひとつ深呼吸をした。 |
☆ .。.:*・゜ |
信隆が香澄に問い詰められていた時から少し前、香平はファーストクラスであるVIPの世話をしていた。 「パリ便でお目にかかるのは初めてですね」 いつもはこのVIP、羽田からの利用はフランクフルト便かミュンヘン便が主で、アメリカ東海岸へはジャスカの成田発をよく利用しているファーストクラスの常連様だ。 「そうなの。パリってそんなに行かないんだけどね、友人からコンクール審査員のピンチヒッター頼まれちゃってね。そっちにもいくらでもピアニストいるでしょって言ったんだけど、結局押し切られちゃったのよ」 華やかな美人は孫が3人もいるが、とてもそうは見えない若々しさで、職業はピアニスト。日本の有名音大の偉い人で、欧米を中心に演奏活動を精力的に展開しているバリバリの現役だ。 しかも、信隆の『初恋の人』の母親だったりする。 このタイミングでこの出会いは少し厳しいものはあるが、香平は乗務は乗務だと切り替えた。 それにこの美しいピアニスト――桐生香奈子はいつも優しく朗らかで、会うのが嬉しくて楽しみなお客様のひとりなのだ。 離陸し、水平飛行に入ってすぐウェルカムサービスが始まり、それも一段落した頃、香奈子が香平に声を掛けた。 「少しお話ししてもいいかしら? 今、大丈夫?」 「はい。ちょうど皆様落ち着かれました頃ですので」 乗客と親しく会話を交わすのは、特に常連客相手なら日常のことだが、ファーストクラスを担当するようになってから、乗客ひとりひとりと密に接する機会が増え、楽しみでもあり、勉強にもなる日々だ。 それに今日は、普段なら8席が満席になることの方が多いこの便のファーストクラスが、珍しく3席という状態で、ひとりひとりへ更に厚いおもてなしができるから、香平はもう1人の担当アシスタントパーサーと共に、どんな事ができるのか考え、そしていつもに増して他のクラスへ応援に行けるなと考えていた。 ファーストクラスが満席の時は、キャビンパトロールにもなかなか出られないから。 それに、頭も身体もフル回転させていると、気に病んでいる暇もなくて、今の香平にはありがたい。 「中原さんはパリ便にはよく乗るの?」 「はい。だいたいフランクフルト便とパリ便が主で、間にロンドンやミュンヘンが入ります」 「アメリカは?」 「2、3ヶ月に一度程度ホノルル便に乗務いたしますが、アメリカ本土は今のところ担当していないんです」 「ヨーロッパが主なのね」 「はい」 「フランスのエアラインから引き抜かれた…ってお話を聞いたことがあるんだけど…」 言われて香平が目を丸くする。 「よくご存じですね」 「可愛くて優秀なクルーさんに関する情報は早いのよ」 うふふ…と、茶目っ気たっぷりに笑う美人に、香平も笑顔になる。 「ところでね…」 「はい」 「都築くん…ご存じよね? 教官の」 いきなり出てきた信隆の名に驚いた。 「あ、はい、もちろんです。私をこちらへ呼んで下さったのも、都築教官なので」 香平の言葉にふわっと笑って、話は続いた。 「彼ね、私の息子たちの先輩なの。息子たちが中学時代にそれはそれはお世話になってね。当時から本当に王子様みたいに素敵な子だったのよ、都築くんって」 『王子様』という言葉に、きっと高校時代もモテたんだろうなと思わず笑顔になってしまったが、『先輩後輩』という事実を『知っている』と言ってしまって良いのか悪いのか、咄嗟に判断がつかず、曖昧なリアクションをしてしまった。 だが、香奈子は気にする風でもなく、言葉を継いだ。 「で、先日ね、フランクフルト行きで長男が都築くんと久しぶりに同じ便に乗り合わせたものだから、向こうへ着いてからもお食事に行って、ゆっくりお話が出来たって喜んでたの」 まさかここで『噂の密会』の話が出るとは夢にも思わず、つい目が泳いでしまいそうになったのを香平は慌てて止めたのだが、続く言葉は、想像から全く違う方向へ突っ走っる衝撃的なものだった。 「都築くんったらね、愛するパートナーのこと、ノロケ倒して自慢しまくって、名前がでる度にデレデレで、幸せだだ漏れ状態だったって」 言葉の終わりに、堪えきれないように笑いを零し始めた香奈子に、香平は今度こそ目を泳がせてしまった。 これはもしかして、いや、もしかしなくても自分の話なのかも知れないと。 「ま、そんなわけで、やっと生涯のパートナーをつかまえた都築くんとその愛する人に、私と息子たちからのプレゼントを渡したくて、中原チーフパーサーの便を指定したってわけなのよ」 その長く美しい指が、華やかにラッピングされた小ぶりな箱を捧げ持つ。 「中原さん、これからも都築くんのこと、よろしくね。そして、お幸せに」 「…あ、あのっ」 「ふふっ、ほっぺがピンクで可愛いわぁ」 もう、どんな顔をしていいかわからない。 恥ずかしいのと、どうしてこんな展開になってしまったんだろうと言う思いが渦巻いて、頭も身体も固まっている。キャビンでこんな状態になったのは初めてだ。 そんな香平の困惑を察したのか、香奈子はその手を優しく取り、箱をそっと握らせる。 「白状するとね、少し前に次男が後輩のパイロットさんから情報を仕入れてきた時に、私は気がついてたのよね。ああ、これは絶対中原さんだなって」 ちなみに『後輩のパイロットさん』のことは、先輩である息子たちがまったく知らないような詳細情報に至るまで、香奈子は把握している。 在校当時、子供たちの父親である元夫が学院の理事をしていたからということもあるし、現在は自分自身が理事でもあるからだ。 「桐生様…」 「ちょっと重くて申し訳ないけれど、お家に帰ったら都築くんと開けてみて」 その、見かけの大きさを裏切るずっしりとした質量は、今はただ、幸せの重みに感じられて、香平の心が温かくなる。 「ありがとうございます」 「これからも、家族みんなでお世話になるけどよろしくね」 「はい。精一杯務めさせていただきますので、こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします」 祝ってもらったことはもちろん、その上、香平の不安を払拭してくれた香奈子に心から感謝して出た笑顔は、花が綻んだような、香平の一番の笑顔だった。 ☆★☆ パリに到着し、空での再会を約束して香奈子を見送った香平の元に信隆からのメールが来た。 クルーはみな、到着時に事務所のWi-Fiでメールチェックをするのが常だ。 開けてみると、いつもに増して甘い言葉がずらずらと並んだそれに、香平は思わず吹き出した。 顔を見て、きちんと話そうと決めていたから敢えて弁解を避けた内容だったが、もちろんその事を香平は知らない。 けれど、ふさぎ込んでいるという香平の気持ちは早く楽にしてやりたいから、思いの丈を込めて、『ラブレター』のようなメールを送りつけたのだ。 香平は、少し、心の荷物を下ろした。 信隆が思い続けてくれる限り…いや、思いが離れたとしても、自分はずっと、愛し続けていこう…と。 そして、これからは一層周囲に悟られないように気をつけなければ…と、気持ちを引き締めた。 |
☆ .。.:*・゜ |
3日後、香平が帰着した。 パリ到着時に香平から返ってきたメールも、パリ出発時に送信されたメールも、どちらも相変わらず『業務連絡仕様』だったが、最後に一言、『帰着したら、やっと公休が重なりますね』とあって、香平もすれ違いを寂しく思ってくれているのだと嬉しくなったが、ともかく香平の気持ちを早く楽にしてやりたいと、一日千秋の思いでこの日を待っていた。 昼過ぎに審査乗務を終えていた信隆は、一旦帰宅し、私服に着替えてから香平を迎えるために再びオペレーションセンターに来た。 そして、いつものようにオペセン内で待とうと思っていたのを、途中で思いとどまり、センター入り口付近の人目につかないところで待つことにした。 それは、今の状況が、思い出したくもない『あの時』と同じシチュエーションだと気づいたからだ。 シップが定刻で到着しているのはスマホでも確認できる。 デブリを終え、報告書を提出し、着替えて出てくるのはだいたい到着から1時間後。 そろそろかなと思った頃に香平が出てきた。 その姿を確認して、安堵の息をつく。 「香平、お帰り。お疲れ様」 「信隆さん」 こんなところで待っているとは思わなくて、香平は驚きを隠せない。 だが、嬉しかった。 一刻も早く顔が見たいと言う気持ちはいつも同じだから。 「さ、早く帰ろう」 ☆★☆ 帰宅し、やっとゆっくり向き合えた。 相変わらず信隆は香平に張り付いたまま離れようとしない。 手洗いとうがいをしっかりやって、本当ならシャワーを浴びたいところなのだが、信隆は『それは後で一緒に』…と、香平の手を引いてリビングのソファーに腰を下ろした。 「思い出したくない話だと思うけど、香平がホノルル便で怪我をしたときの話を少ししてもいいか?」 突然の話に、香平は少し身を堅くした。 それを信隆は『嫌な思い出のフラッシュバック』と捉えて、香平をしっかりと抱きしめた。 だが、香平はもうそんな事は気にしていない。 身を堅くしてしまったのは、信隆があの『非常事態』での『気の迷い』に気がついてしまったのではないかと思ったからだ。 が。 「あの時、香平がもし怪我をしないで無事に帰ってきていたら、あの夜のうちに香平を抱いてしまいたいと思っていたほど俺は思い詰めていた。何が何でも誤解を解いて自分の気持ちを…愛しているんだときちんと伝えようと、色んな言葉を考えて香平を待っていた。だから、今日も…」 香平の身体をぎゅっと抱き締めて、続いた言葉は消え入りそうで、そして震えていた。 「香平の帰着を待っていて、あの時と同じシチュエーションだと気づいた時、死ぬほど怖くなった。また、香平の身に何かあったら…って」 「信隆さん…」 「だから、中に入れなかった…」 その手も震えていることに気づき、香平は信隆の背に手を回し、しっかりと抱きしめた。 「大丈夫ですよ。僕は必ず、ちゃんと信隆さんのところへ帰ってきます。どんなことがあっても」 「香平…」 信隆の言葉に、あの日の告白が『非常事態』だったから…の行動でないことを理解し、香平は泣きたくなるほどに嬉しくて、でも、自分よりも信隆の方がトラウマになってしまっていることが申し訳なくて、これからもっとしっかりしないと…と思った。 のだが、それにしても…。 「あの、信隆さん…」 「ん?」 「あの時と同じシチュエーションって?」 あの時はお互いに正反対の方向に思い詰めていて、そのすれ違った気持ちを解消しようとしてくれていたと知っているが、今も同じ状況と言うのは何のことだろうと香平は首を傾げた。 「香平が、フランクフルトでの俺の行動を不安に思ってるんじゃないかって件だ」 「…え? ええっ?!」 一瞬、信隆は透視能力でも持っているのかと慌ててしまった。 だが、香平のあまりの慌て振りに、信隆は『香平、可愛いなあ』と、またぎゅっと抱き締める。 「あ、あのっ」 いったい何がどうしてこうなっているのか、これっぽっちもわからなくて、香平は狼狽えるばかりだ。 「俺が悟と会ってたこと、香平の耳に入ったんじゃないのか?」 「…ええと、あの…」 機内だけでなく、フランクフルトでも会っていたことを香平が知っているという確信はなかったが、問われての反応を見ると、間違いないのだろうと信隆は思った。 「それで香平がふさぎ込んでるって聞いて、もう居ても立ってもいられなかったんだ。早く誤解を解いて、香平を安心させたいって。愛しているのは香平だけだって早く伝えたくて、それが、『あの時』と重なったんだ」 シチュエーションについての説明は良く理解できたが、その根本がさっぱりだ。 確かに指摘された通りだが、自分は誰にも心の内を明かしていないのに、何故バレたのか。 「あの、その話は、どこから…」 …と言いかけて、遥花の顔が浮かんだ。 あのフランクフルトの日以来、気遣ってくれている様子だったから。 それに、愛の様子もおかしかった。 中途半端に名前だけ出して、後は明らかに誤魔化した様子で。 けれど、それらは断片ばかりで全く繋がらない。 そんな香平に、信隆は今までの経緯を丁寧に説明してくれた。 それを聞いて香平は、納得はしたものの、遥花や愛の観察力には驚くしかない。 そう、女性の『目』は侮れないのだ。特に色恋沙汰に関することは。 「で、俺からの質問なんだが、香平はどうして会っていただけで気になったんだ?」 お膝抱っこのような状態で抱き締めて、優しく問うと、観念したようにひとつ息をついて、香平は小さな声で白状した。 「桐生悟さんが、信隆さんの初恋の人だと聞いてたから…」 俯いた頭のてっぺんにもキスが降ってくる。そして…。 「もしかして、それを教えたのは、香平の初恋の人?」 笑いを堪えた口調で尋ねられ、香平は弾かれたように顔を上げた。 「確かにあいつは俺の初恋の人だけど、それは過去の思い出話だし、今はそれ以上に『大切な後輩』…なんだ。香平にとって雪哉が『大切な親友』になったのと同じだよ」 「…信隆さん」 すでに不安は払拭されていたとは言え、真摯に言い聞かせてくれる信隆の気持ちが嬉しくて、香平はその頭をそっと信隆の肩に預ける。 その頭を撫でてくれる手も、うっとりするほどに優しくて。 「まあ、だからこそ香平の気持ちはよくわかる。俺も雪哉に嫉妬しちゃうからね」 「ええっ!?」 思わず飛び上がった。 「え、なに、そのリアクションは。俺のいない時間に香平を一人占めしている雪哉のことは、羨ましいと思ってるよ、切実に」 「ってことは、僕は来栖キャプテンから嫉妬されてるってことですか?」 それは大変だと慌てる香平に、信隆は小さくため息を落とす。 「あのさ、香平。この流れでそっち行く?」 「はい?」 全くもって、天然さんだ。 香平がかつて雪哉に長く恋をしていたからこそ…の、信隆の言葉なのに。 自分も雪哉に恋をして破れたことはこの際棚に上げて。 「…いや、そっちは大丈夫だから、気にしなくていいよ…」 むしろ敬一郎は、香平が居てくれるおかげで雪哉がひとりになる時間が少なくなることを歓迎しているのだ。 その点、信隆より敬一郎の方が懐が深い…ように見えるが、実体は『ベビーシッターがいてくれて助かる』…みたいなものだ。 雪哉にはナイショだが。 そして香平は信隆の言葉に屈託なく『良かった』と笑顔になり、『そうだ…』と、慌てた様子で信隆の膝から降りて、リビングの隅に置きっぱなしになっていたオーバーナイトバッグから小さな箱を取り出した。 「あの、これ、頂いたんですが…」 帰るなりいきなりの展開で、報告が遅れてしまった。 「誰に?」 また香平を引き寄せて、抱え込んで尋ねる。 贈り主によっては即刻廃棄だ。 だが、贈り主は信隆にとって、思いも寄らない人物だった。 「ええと、桐生様…」 「えっ、会ったのか? どこで?」 桐生と言ってもファミリー全員お得意様で、信隆は悟がまず頭に浮かんだが、あの時悟は『今度日本に戻るのは3ヶ月後』だと言っていたので、そうなると誰が現れたのか想像がつかない。 そして、香平の答えは信隆の予想を超えていた。 「761便にお母様…ええと、桐生香奈子様が乗って下さって、いつも、シップでお目にかかると優しくお声を掛けていただくんですが、この前は少し長くお話させていただいて…」 その時の様子を、信隆がノロケたおした事を省いて伝えると、信隆は『相変わらずとんでもないゴッドマザーだな、香奈子先生は』と小さく笑い、『開けてみようか』と香平の手を取った。 リボンを解き、華やかな包装紙をそっと開ける。 丁寧に包まれたその中には、凝った細工の銀のフォトフレームとメッセージカードが入っていた。 カードには桐生家の兄弟たちがそれぞれ直筆で祝福や冷やかしの言葉を綴ってくれていて、全員が『いつか彼に会いたい』と、香平と空で出会うチャンスを願っていて――東京にいる次男だけは『先輩抜きで飲みに行こうよ。あ、来栖くんも一緒にね』…なんて書いていたが――香平はどんな顔をしていいのか、今から悩んでしまう羽目になった。 そして信隆は、海を隔てて離れて暮らす彼らが同じカードにメッセージを寄せるのもさぞかし手間だったろうに…と、後輩たちの暖かい祝福に胸を熱くする。 ちなみに兄弟たちは、世界中を飛び回る指揮者の父親を伝書鳩代わりにしているのだが。 「2人で礼状書こうな、香平」 「はい」 そして、フォトフレームには雪哉が撮ってくれたお気に入りのツーショットを入れようと思った。 香平が怪我から復帰したホノルル便で、ステイ先のホテルへ向かうクルーバスの中でのショットだが、2人とも制服姿の写真は、今の所これだけだ。 制服一式すべてが持ち出し禁止なので、チャンスはステイ中しかないが、そもそも同じシップで長距離を飛ぶ機会が少ないから。 見事な細工のそれを熱心に見ている香平の耳を甘噛みしながら、信隆が『ああ、そうだ』と呟いた。 そして顔を上げた香平の瞳をしっかり捉えて言う。 「今後のためにも知らせておくけど、悟にはね、メロメロの恋人がいるんだよ。ただ、いつも一緒にいるけれど、パートナーであることは絶対に公表出来ない関係なんだ」 「…え」 愛する人との関係を、絶対に言えないとは、どれだけ辛いことだろうかと香平の表情が曇ったが、すぐにふと思いついた。 「…もしかして、それ…弟さん?」 「香平…どうして」 驚く信隆に、香平は慌てて首を振る。 「あ、ううん、知ってるんじゃなくて、桐生悟さんが乗っていらした時に隣に同じ桐生さんで『あおい』さんってお名前の方がいらして、お二人がなんだかとっても寄り添ってる感じだなあと思って、帰って少し調べたら、フルーティストの1番下の弟さんだってわかって…」 彼のCDやDVDも、信隆のコレクションにはたくさんあった。 旧姓のまま演奏活動をしているから、本名を見てピンとこなかったのだ。 「そう、彼らは兄弟なんだけれど、学院で先輩後輩として出会って、恋人になってしまってから兄弟だとわかったんだ。片親とは言え、血が繋がっているとわかった時の彼らの衝撃と混乱は、想像を絶するものがあるよ…」 信隆の話を、痛ましそうに眉を寄せて聞いていた香平だったが、ふと顔を綻ばせた。 「でも、お二人は乗り越えられたんですね」 「香平…」 「だって、とっても幸せそうだったから」 心から信頼を寄せあう様子を見せていた彼らには、分かち難い確かな絆のようなものが見えたから。 そう言う香平を嬉しげに見つめる信隆だったが、ふと真顔になった。 「…って、いつ同じシップになったんだ?」 「あ、ええっと…」 いつだったっけ…と、誤魔化そうとしたのだが、結局、2ヶ月ほど前の出来事――気になって、キャビンパトロールのついでに見に行ってしまったこと――を白状させられてしまった。 信隆としては、香平を不安にさせるのは本意ではないが、それでも気にしてくれたことは単純に嬉しい。 「なあ、香平」 「はい」 信隆は、抱きしめていた香平の身体を少し離し、真正面から向き合う。 「彼らは、パートナーであることは一生隠し通さなくてはいけないけれど、幸いなことに周囲は理解者でしっかりと守られているし、来栖先輩と雪哉のように戸籍でも守られている」 彼らの場合はあくまでも兄弟として…だが。 「もちろん俺たちにもたくさんの理解者がいてくれる。だがな、法的には俺たちの立場はまだ他人のままだ。いずれ…が1日も早く来るように努力はするが、時間がかかるかもしれない。だから、俺は俺の手で香平を守ろうと思っているんだ」 真摯な告白に、香平が口を引き結ぶ。 「香平の意に添わないことはしないでおこうと思っているし、時と場所と相手もきちんと見極められる自信もあるけれど、それでも香平には不本意なことがあるかもしれない。でも、俺は香平を守りたいんだ」 言葉の終わりにまた、抱き締める。 「信隆さん…」 「世間的な目だけじゃない。香平を危ない目に逢わせないためにも…だし、香平に粉をかけてくるようなヤツらを牽制したいって思いももちろんある」 それはまさに、香平が考えていたことと同じだった。 愛する人を守るために、自分を偽ったりはしない…と。 ただ、懸念の方向性が若干違うだろうけれど。 「ついでだから念押ししておくけどな、俺はお前を墓まで連れて行く気だから、覚悟しておいてくれ」 それは2度目の、しかも熱烈なプロポーズ。 「…はい」 「死んでも離さないからな。俺が先でも香平が先でも、絶対離さないから」 これ以上ない『束縛の呪文』に絡め捕られて、香平は幸せそうに微笑んだ。 ちなみに、守りたいとか格好の良いことを言っても、『俺のパートナーはこんなに可愛くて優秀なんだ』と、あっちこっちに見せびらかして自慢したいのも事実で、でも相反する感情には、香平をこの家に閉じ込めて自分しか目に入らないようにしてしまいたいと言う、女性陣に聞かれたらドン引きされそうな――相手によってはバカ受けかもしれないが――思いもある。 ただ、キャビンクルーとしてシップで生き生きと働く香平もまた、信隆を強く惹きつけているのだから、恋愛というのは厄介極まりない。 けれど、ひとつだけはっきり言えるのは、自分の全ては香平のものだと言うこと。 そして、いつもに増して熱くて深い口づけの合間に囁かれた言葉は、香平の奥深くに染み込んだ。 「俺を丸ごと、香平のものにしてくれ…」 結び合わせた手の、信隆の左の薬指にはマリッジリング。 最近信隆は、オフの時とシップの中だけでなく、オペセンでも外さないようになってきた。 今年もそろそろ4月入社の新人がOJTに出てくる頃だが、きっと今年の新人たちには、最初から『都築教官は既婚』と認識される事だろう。 それでもきっと、信隆は全てのクルーの尊敬を一身に受ける憧れの人であり続けるに違いない。 それを思うと香平は、やっぱりパートナーが自分であると胸を張るにはまだまだ足りないと思えるから、これからもチェーンにぶら下げられた香平の指輪は、その制服の内側に在る事になるのだが…。 ――オフのときは、はめてみようかな…。 今はまだ何もない左の薬指をそっと撫で、香平はうっとりと目を閉じた。 |
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雪哉と敬一郎が帰ってきた。 彼らはジャスカが飛んでいない国へ旅行に出掛けていて、明日から2日間を休養して、明々後日から2人とも国内線乗務だ。 昼前に成田に着いた雪哉は、『ただいまメール』を香平と遥花に送った。 香平からは『お帰り。雪哉がいなくて寂しかったよ』と返って来たが、遥花から返ってきたメールには、雪哉が居なかった間の出来事が綿密に、しかも完全に笑い話化されて綴られていて、それを見た雪哉は笑うどころか青ざめた。 ☆★☆ 「まさかこんなことになっちゃうとは思わなくて…」 シュンとしおれて『ごめんなさい』と謝る雪哉を抱きしめて、その背中を優しく撫でながら信隆は言った。 「雪哉が謝ることは何にもないよ。すべて本当の事だし、私が口にしなかったのも、別に思うところがあってのことじゃなくて、本当に『ネタ』程度のことだからね。ついでがあれば話していたと思うんだ」 香平はスタンバイで出社しているが、起用がなければ午後6時には帰宅する予定で、久しぶりに夕食を4人でとることになっている。 「そもそも、私がもっとちゃんと色々なことを口にして伝えないといけなかったのに、どうしても香平の事ばかり聞きたがってしまうから、香平には不安に思うところもまだまだあるんだと思う」 まるで懺悔のように聞こえた信隆の言葉に、雪哉は心配そうな瞳を向けてくる。 「…確かに、私の愛はかなり重いと自覚はしてるんだ」 静かに零れた言葉には、少し自嘲の響きがあった。 少しばかり前、信隆はノンノンにも言われたのだ。 『都築さんの愛情って、重そうですよね』…と、それはそれは嬉しそうに。 『藤木くんの愛は重くないわけ?』と半分茶化して尋ねれば、『子供が生まれちゃうと、愛情よりも責任の方が重くなっちゃうんですよ』と、すっかりお母さんの顔で微笑まれて、ノンノンはさらにパワーアップして復帰しそうだなと嬉しくなったものだ。 「ただね、だからって軽くしようって気はさらさら無いんだ。もちろん重く見せないよう努力はするけれどね」 やっと少し笑った信隆に、雪哉は『ん〜』と、首を傾げた。 「でも、それってあんまり必要ない気がしますけど」 「そう? どうして?」 「だって香平、都築さんの重さなんて、ものともしてないんじゃないかなあって」 雪哉の分析に、信隆が目を見開いた。 「ってか、重い方が安心できるんじゃないかなって気も…」 重いと自認している信隆のすべてを受け止められるくらいには、香平は懐が深くて度量もある上に……少しばかり天然だから。 だから、『重い愛』の『重さ』を苦痛に感じるのでは無く、香平が感じとるのはきっと、『深さ』だけに違いないと雪哉は思う。 ――ま、それだけどっちもメロメロってことだけどね。 それを口にしてしまえば、『来栖親子には負けるけどね』と返ってくるに決まっているのだけれど。 「やっぱり雪哉には敵わないな」 笑いながら雪哉の頭をかき回す信隆に雪哉は、『えー、僕、都築さんに勝てたこと無いですよ〜』と、香平に負けず劣らずの無自覚な言葉を返してくる。 だが、雪哉は高校時代に免疫がついている所為か、香平と違って自分に降りかかる『粉』には気がついている。 ナンパ慣れしているとも言えないでもないが。 「ただね…」 信隆がぽつんと呟いた。 そして小首を傾げる雪哉に『はあ…』とため息をついて見せる。 「香平をパートナーにして、何が大変って、本人がモテるってことにまっっっったく無自覚なことなんだよ」 「あー…」 あまりにもよく理解出来過ぎて返す言葉がない。 「私がヤキモキしてるなんて、これっぽっちも思ってくれなくてね…。どうしたらもう少し危機感持ってくれるんだろう…」 またしても深いため息を落とす信隆に、雪哉は慰める言葉が思いつかない。 ただ…。 「まあ、そこが香平の可愛いところ…だと思うしか…」 なにしろちょっぴり天然さんだから。 「こら、そこの2人、いつまでまったり話し込んでるんだ」 キッチンから敬一郎が2人を呼ぶ。 「もうすぐ中原が帰ってくるぞ。ほら、これ運んで」 「はーい」 今夜の食卓は、土産話に花が咲くことだろう。 |
そしてまた、それぞれの乗務に励む毎日が戻ってきた。 信隆はあれから2週間、国内線審査乗務をこなし、その後通常乗務でアメリカ西海岸へ飛んだ。 そしてその復路でアクシデントが発生した。 そもそも西海岸は気候が温暖で安定している。 まして雨期でもない時期に雨が降ることは少ない。 なのにこの時は季節外れの大雨と雷に見舞われてしまったのだ。 17年も乗務していると、気象によるスケジュールの乱れには慣れている。 ただそれは、『予想される天候の変移』が主だ。 この日も天候の悪化はある程度予想されていたが、ここまで酷いことになるとは予報されておらず、しかも急変とあって空港全体が混乱状態に陥っていた。 急変後、いっそう状況が酷くなったのは、信隆の乗務便の搭乗がほぼ終わった頃だった。 この様子だと、しばらく離着陸がストップするかも知れないな…と、信隆は思っていたのだが、時間通りにドアをクローズした後は、これまた定刻にブロックアウトしてプッシュバックが始まった。 だが、あいかわらず雨も雷も止んでいない。 けれど動き出したからには、天候が回復傾向にあるのだろうと思った矢先、落雷のような振動があり、機体がストップし、そのままになった。 誘導路に出る前の中途半端な位置で止まったきりになったことに、信隆は窓の外を見る。 その時、コックピットからコールがあった。 「はい。L1、都築です」 声の主は機長で、信隆が思った通り、プッシュバックが中断されていた。 「被雷ですか?」 機内にいて、しかも離陸前の時間帯はキャビン内の様子に集中していて外の様子は分かり難いが、やはりあの振動は落雷だったのだ。 『ああ、駐機中のやつが2機も食らったらしい。それでグランドスタッフが全員退避になってるんだ。だがその前に大雨の視界不良で滑走路が閉鎖になっててな。それならプッシュバックの許可だすなよって話なんだが』 どのみち、ドアを一旦クローズしてしまえば、スポットに居ようが誘導路に出てしまっていようが身動きが取れないには違いないのだが、気分的な問題で、ドアを開ければすぐにブリッジが架かる位置にいる方が気が楽と言うものだ。 ともかく機長の話では、プッシュバック再開までの時間は全く読めないとのことで、場合によってはかなりの遅延を覚悟しなくてはいけないとのことだった。 「長引くようでしたら、ドリンクサービスのご要望にはお応えしようかと思いますが」 狭く乾燥している機内では、水分補給は重要だ。 『ああ、任せる。とりあえず体調不良の乗客を出さないように気を配ってくれ』 「了解しました」 機長としても、信隆がキャビンを纏めていると、手放しで任せられるから随分と気は楽なのだ。 もちろん、ジャスカのチーフパーサーたちはみな優秀には違いないのだが、やはり重ねたキャリアの差は少なくない。 その後、雨は小ぶりになったものの、雷雲は遠ざかっておらず、滑走路の点検や大量の着陸待ちが発生していたための大混雑などがあって、結局1時間近く足止めになったのだが…。 ――あ、やられたか? 小さな窓でもはっきりわかるほどの真っ白な閃光と独特の轟音と共に振動が伝わってきた。 乗客の間でも、女性の悲鳴やざわつきが起こる。 直後にまたコックピットからコールがあり、やはりこのシップが被雷したことを知らせてきた。 これはもう、このままでは飛べない。 GTB(グランドターンバック)して、一旦スポットへ戻り機体点検が行われるはずだ。 コックピットは、管制やグランドスタッフとのやり取りに集中していて、いずれ然るべきタイミングで機長からの説明は必ずあるはずだが、現時点での乗客への説明はチーフパーサーに託された。 ここで説明を誤ると混乱を招く。 信隆は、努めて落ち着いた声で、被雷したことと、安全運航のために機体点検をする旨をアナウンスする。 もちろん、遅れる事への詫びの言葉は殊更丁寧に伝えねばならない。 シップは機体点検のためスポットに戻り、乗客は一旦降機することになった。 さすがに雷が落ちた機体でそのまま飛べと言い出す乗客はおらず、機体点検が完了次第出発するという説明に異論はでなかった。 一度外へ出られるという開放感も手伝ったのだろう。 遅延はおそらく2時間を軽く超えるはずだ。 こう言う類のアクシデントは珍しい話ではないが、だからと言って頻繁に遭遇する事態でもない。 経験の浅いクルーたちには良い経験になるだろうと思いつつも信隆は気を引き締める。 機体点検が行われている間、キャビンクルーはキャビン内の点検と整頓に奔走する。 一旦乗客が席に着いたキャビン内は、それだけでもある程度は乱れている。 だが、待たせた挙げ句に乱れたままの機内へまた案内するのは日本のエアラインのプライドが許さない。 例えそれが不可抗力によるものであっても。 そしてそれも、機体点検終了までに済まさねばならない。 シップが飛べる状態になったのに、キャビンがまだ完了していませんとは、口が裂けても言えないから。 信隆は瞬時にタスクの優先順位を判断して、クルーに指示を出す。 経験がものを言うのはこう言う時だ。 長く乗っていれば様々な場面に遭遇していて、その都度判断力を磨いてきた。 もちろん信隆とて万能であるわけではないのだから、それなりに失敗も経験しているし、苦い思いもしてきた。 けれど、それらすべてを次へのステップにしてきたこと、その経験を後輩たちへ伝えていかなくてはならないと、特にCCPと言う立場になってから強く自覚するようになった。 「ビジネスクラス完了です!」 報告があり、そしてビジネスクラスのクルーたちはエコノミーへと応援に走る。 信隆はキャビン全体を俯瞰しつつ、コックピットとの連絡を密にし、最新の状況の把握に努める。 そんな中、フル回転する頭の端でふと、香平は今頃どの辺りを飛んでいるだろうかと思った。 試練はクルーを強く育てるけれど、どうか香平のフライトが平和でありますようにと願い、信隆は気持ちを切り替えた。 ☆★☆ その頃香平は、フランクフルトから羽田へ向かっていた。 気流は安定していて順調に航行している。 20時45分の出発からすでに6時間ほどが経過していて、出発地時間では午前3時頃にあたるため乗客はほとんど眠っている時間帯だ。 ただ、あと5時間ちょっとで到着する日本は16時過ぎなので、到着まで寝てしまうと後が辛い。 香平は、クルー用のタブレット端末で信隆の乗務便が『遅延』と出ているのを見て、気象情報を確認した。 ――え…、この時期に雷雨? 今はアメリカ本土へは飛んでいない香平だが、移籍前は東海岸も西海岸も頻繁に飛んでいて、主な国際空港周辺の気候はだいたい頭に入っている。 「あれ? 西海岸大荒れって珍しいですね」 横から覗き込んできたアシスタントパーサーの言葉に、香平は頷いた。 「だよね。特にこの時期に雷雨とか、聞いたことないかも」 「ですよね。これも地球温暖化の影響でしょうか…」 「あっちこっち異常気象だからね。これも例外じゃないかも知れないね」 安全運航には気象予測が大きなウエイトを占めているが、乗務9年目の香平ですら、乗り始めた頃より気象の影響は多くなっているなと感じているが、信隆に言わせると、年を追うごとに異常気象での欠航や遅延は明らかに増えているとのことだ。 空港情報を確認してみると、視界不良による滑走路閉鎖と複数のシップの被雷情報が掲載されていた。 ――雷って、ほんと、嫌なんだよね…。 香平も飛行中の被雷は経験しているが、地上では一度もない。 シップは被雷程度で深刻なダメージを受けることはないけれど、それでもある程度の不具合は発生することがある。 それを思えば、飛行中よりはまだ地上にいるうちの被雷の方がましと言えば、ましなのだが。 ――信隆さんのシップ、大丈夫かな。 アメリカ西海岸とは打って変わって、羽田を始め、日本国内の天候は概ね良好だ。 今は雪哉だけでなく敬一郎のスケジュールも把握している香平だが、来栖親子は今日は共に国内線乗務だから、天候による影響はないだろう。 ただし、気流の変化は別だが。 気象予報士の資格を持つ雪哉は、香平にこう言った事がある。 『ほんと、お天気だけはどうにもならないんだよね。予測通りかと思ったら、突然裏切ってくれたりするし』…と。 だから味方につけなくてはいけないのだと、雪哉は…いや、雪哉だけでなくパイロットたちはみな、気象に関する勉強には余念がない。 そして、運航はコックピットクルーに任せるしかないが、アクシデントで不安を覚えたり苛立ったりする乗客をいかに快適な状況へと導くかはキャビンクルーの手腕にかかっている。 香平は、今平和に飛べていることを感謝しつつ、信隆のシップが早くアクシデントから抜け出せますようにと祈った。 ☆ .。.:*・゜ 香平の便はその後も順調に航行し、定刻で羽田に帰着した。 何と言っても、定時発着率世界一の羽田空港をベースにしているエアラインだから当たり前の事なのだが、アクシデントはどこでもいつでも落とし穴を開けて待っている。 定刻なら、香平の帰着の6時間後に信隆も羽田へ帰ってくるはずだったが、香平の懸念は実際のものになっていた。 「え、被雷したんですか?」 「そうなんだ。で、機体点検でさらにディレイ(遅延)ってわけなんだよ。当初の情報ではディレイ4時間ってことだったけど、それだけじゃ済まないだろうなあ」 通りかかったディスパッチャーから話を聞き、これは大変だともう一度最新情報を確認してみると、出発したのはほんの少し前。 定刻より6時間遅れだ。 これだけ遅れるとすでに相当疲労が溜まっているはずで、しかもクルーの中で誰よりも休憩時間の少ない信隆の身を案じつつ、香平は帰途についた。 ☆★☆ 敬一郎と雪哉、そして信隆と香平の間には同じ約束事がある。 それは、乗務を控えているときには自分のペースで生活する…と言うことだ。 例えば、深夜に出発する便に乗務するときは昼から夜まで寝ているのが常だ。 それでもパートナーが夕方に帰着するとしたら、起きて待っていたくなるのが人情と言うものだが、それは我慢して、しっかり眠っておかねばならない。 何よりも乗務を完璧に務めるために、体調を万全に整えるのは基本中の基本で、睡眠不足など以ての外だから。 だが、香平は明日から2日間の公休で、3日目は出社スタンバイだ。 信隆の立場ではもうスタンバイ業務はなく、2日間の公休後、3日目は午前中だけ会議で午後は休み。 当然信隆は、香平と一緒に出勤してスタンバイ終了まで側で待つ気満々だ。 そんなわけで、今起きて待っていることには何の問題もなく、香平はリビングで資格試験のテキストを読みつつ、その傍らではタブレット端末で運航情報をチェックし、さらに航空無線を聞きながら信隆を待っていた。 ちなみに香平が航空無線を聞くようになったのはもちろん、雪哉の交信を傍受するためだが、敬一郎の両親もまた、雪哉の交信を聞くために受信機――エアバンド・レシーバーという――を買ったと聞いて、その溺愛振りに嬉しくなったものだ。 今の香平はというと、雪哉の交信を聞くだけでなく、信隆が乗務している便や、香平を可愛がってくれる敬一郎たちキャプテンや仲の良いコ・パイたちの交信を聞く楽しみも増えたが。 そして、お腹を空かせて帰って来るであろう信隆のための用意も万全だが、『到着』とフライト情報に表示されるのはまだ先だろう。 ――信隆さん、疲れてるだろうなあ…。 信隆を慮る香平だが、自身も乗務後の疲れが身体に纏わりついていて、次第に瞼が重くなってくる。 ――早く、会いたいな…。 いつしか香平は、ソファーですやすやと眠りについてしまった。 ☆★☆ 「ただいま…」 6時間遅れで帰着し、報告書はその場で出したものの、その他の要件は今日はさすがに免除――先送りになるだけだが――になって、信隆は空が白み始めた頃に漸く帰宅した。 寝ているだろう香平を起こさないように、そっとリビングへ入ったのだが、寝室にいるはずの香平はソファーで安らかに眠っていて、そのあどけない寝顔に信隆の顔が綻ぶ。 本当はちゃんとベッドで休んで欲しかったが、きっと待っていてくれたのだろうと、フライト情報を表示するタブレット端末と小さく交信の声が流れているレシーバーを見て思い、嬉しくなる。 「香平…愛してるよ……」 のし掛かり抱き締める。 「…信隆さん?」 香平が目を覚ました。 だがその呼び掛けに応えることなく、信隆は静かな寝息を立て始めた。 「お帰りなさい。あ、着替えないと…って、手、洗いました? お腹空いてるでしょ?」 小さく、でも矢継ぎ早に耳元に語り掛けたが、信隆はがっしりと香平を抱き締めたまま、落ちるように爆睡モードに入ってしまった。 こんな信隆は初めてで、可愛いなあと思いつつも、どれだけ疲れたことだろうと心配にもなる。 「お疲れさまでした…」 肩や背中を優しく撫でながら、囁く。 「って、信隆さん、重いし…」 幸せそうに笑って、香平も信隆をしっかりと抱きしめた。 |
END |
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おまけSS、3つ!
その1 『都築CCP、浮気疑惑について、ジャスカのみなさんに聞きました』
反応その1:客室訓練センターの教官たちの場合 「あっはっはっ、のぶちゃんが浮気〜! あーもう可笑しいったら〜」 「ほんと、都築くんが浮気だなんて、天地がひっくり返ってもないわよね〜」 「やれるもんならやってみな〜!…って感じですよねえ」 「ふふっ、あの甘えんぼさんにはムリムリ」 反応その2:社内一の堅物機長の場合 「都築が浮気? 何の冗談だ。中原を見るときのあいつのオーラはピンク色してるぞ。しかも結構どぎついピンクだからな。中原がそばにいない時でも頭のあたりからピンクが漏れてて、目のやり場に困るってんだ。ったく」 反応その3:人類の敵を成敗しまくる機長の場合 「あぁ? 男性クルーきってのカワイコちゃんをかっ攫っておきながら、浮気だと〜!? ええいっ、都築めっ、手討ちにしてくれる! …って言いたいところだけどさ、嘘だろ、それ。あいつ、暑苦しいほどデレデレだぞ?」 反応その4:現在産休中の上級チーフパーサーの場合 「いやー、ないない、絶対ないって。あれだけ骨の髄までメロメロで超重量級の重くて暑苦しい愛なんだから、むしろ棄てられる心配する方が現実的かも〜。や、でも香平くんもメロメロだからな〜。ま、似たもの夫婦ってことで」 反応その5:77課の人気者キャプテン、『☆っしー』の場合 「そりゃ女性目線ってのはわからないけどさ、男性目線で見たら絶対ないってのがわかるって。だって、都築が中原を見る目のエロさと来たら、視線だけで孕めそうだもんな。 っとに、ただでさえ色気の余ってるオトコなんだから、ちっとは自重しろってんだ。 ま、見てて面白いからいいけどな」 反応その6:碧い目のサンタクロース機長の場合。 「そんな、お日様が西から昇ったみたいな話、あり得ないって〜。 も、荒唐無稽って言うか、空前絶後って言うか、色即是空って言うか、百鬼夜行って言うか…。 え? 最後の方、意味違う?」 反応その7:二代目ミニスカトナカイの場合 「えっ! 都築教官浮気したんですかっ!? やった〜! 中原さんにはすっぱり見限ってもらって、僕が全力で慰めます! 待ってた甲斐があった〜!」 反応その8:ほのぼの系やり手課長の場合 「都築CCPが棄てられちゃったってホントですか?! いやー、やっぱりアレがマズかったんじゃ…。 ええとですね、トナカイのコスチュームを貸し出したんですよね。 ま、広報としても都築CCPにはいろいろと弱みも握られて…じゃなくて、ご協力いただいてるものですから、そのお礼ってことでして…。でもねえ、あれ、中原CPの性格じゃあ嫌がるんじゃないかなあって懸念してたんですよ…。 え? 棄てられたんじゃなくて、浮気した? は? 都築CCPがですか? あははっ、まさか〜」 結論。 肯定派はただひとりでした。 |
その3 『ゆっきー、アルプスを飛ぶ』
「ゆっきーって、休暇中の旅行でスイスアルプスを飛んだんだって?」 「そうそう、セスナでパパと2人でフライトしたらしいよ。久し振りに小型機で山の間を自由に飛んで、めっちゃ楽しかったって」 「ゆっきー、セスナの操縦できるんだ」 「当たり前じゃないの。自家用単発機の免許取るところからパイロットの訓練って始まるんだからさ」 「あ、そっか」 「でさ、現地のフライトクラブのオーナーがゆっきーに、『キミはどれくらい飛んでるんだ?』ってフライト時間聞いたらしいんだけどさ」 「うんうん」 「『3200時間くらいです』って言ったら、オーナーが真顔で『32時間?』って聞き返したらしい」 「酷いねー。職業パイロットだもん。趣味で飛んでるのとはキャリアが違うってもんだよ」 「ってことよ。でさ、『Boeing777のファーストオフィサー(副操縦士)なんです』って言ったら、腰抜かされちゃったんだって」 「…オーナーの気持ちはわからんでもない…」 「いや、それがフライトを予約するときに、ちゃんと『エアライン・パイロット』って伝えてあったはずなのに…」 「あ、わかった! パパだけがパイロットだと思われてたってオチだ!」 「ピンポーン」 「ゆっきー、かわいそう〜」 「いやいや、本人は『ライセンスがホンモノかって疑われなかっただけでも上等』とか言ってたし」 「…なにそれ、切なすぎる…」 |
おしまい |
☆ .。.:*・゜
その3 『都築教官、墓穴を掘る』
「ね、都築さん」 「なに? 雪哉」 「香平についての噂話がまことしやかに流れてるんですけど」 「香平の?」 「はい。完全にデマなんですけど」 「えっ? どんなこと?」 「香平、お酒に弱くて、同じペースで飲ませたら絶対先に潰れるから、口説くならそれからだって」 「…ふーん」 「…やっぱり。噂流したの、都築さんですね?」 「ふふっ、どうして?」 「だって、香平ってめっちゃ強いじゃないですか。アルコールはなんでも底なしなのに、お酒に弱いなんて噂がどこから…って思ったんですけど、『潰してから口説く』って話で『あれ?』って思ったんです」 「さすがだね、雪哉。そう、犯人は私だよ」 「同じペースで飲んだら絶対香平が残るから、それで香平を守ろうってつもりですね?」 「その通り。敵がさっさと自滅してくれるってわけだ」 「さすが都築さん、知能犯ですね…って言いたいとこなんですけど」 「…なに? 何かあった?」 「香平困ってましたよ。最近『飲みに行こう』って誘いがやたらと多いって」 「……。」 「アホな噂話でも、こと香平に関しては実践してアタックするヤツ多いんですから。気をつけないと墓穴掘りますよ?」 「………。」 「乗員部と違って、グランドスタッフの方にはまだ都築さんとのこと、知れわたってないですし、だいたい香平が『お誘い』の『目的』にまったく気づいてないんですから」 「…………。」 「そう言えば先週、ロードコントロール*の人と飲みに行ったら向こうが先に潰れちゃって、家まで送っていったら『泊まってけ』ってしがみつかれて大変だったって」 「…雪哉」 「はい?」 「そのロードコントロールのヤツ、何て名前?」 「…知りませんよ。ってか、知ってどうするんです?」 「…別に。今後のためにも頭に入れておいた方がいいなって思うだけだよ?」 「そう言えば、前にオペセンの廊下でふざけて香平に抱きついた整備の人が、それ以来シフトが完全にすれ違って、香平に会えないってボヤいてましたけど」 「へー、それはまた気の毒なことだね」 「……都築さん、『棒読み』なんですけど…」 「そう?」 美しく微笑んでしれっと答える美貌の悪魔に、『香平もコワいのに憑かれちゃったな』…と、呆れたため息をつく雪哉であった。 本日の教訓。 触らぬ香平に祟りなし。 |
おそまつ。 |
*ロードコントロール…機体、乗客、貨物、手荷物、燃料などの重量を計算し、
機体のバランスを管理して適切な搭載を整える業務。
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