その1


桃の国史上最強のタッグマッチ!悟と葵、智と直。
二組のカップルが夢の競演!
半分パラレル、半分マジ!恋人の身に一大事!どうするっ!ラバーズ!!


☆ .。.:*・゜
 


 その厄災は、ある日突然、空の上で芽を吹いた。
 

 国際的企業・MAJECの会長、前田春之は頻繁に利用する路線のビジネスクラスでのんびりと足を伸ばしていた。

 1週間の欧州出張を終え、帰国すれば2日間の休みだ。
 うちに帰れば可愛い嫁が待っている。
 長い機上の時間も、可愛い嫁の夢を見ながら眠ると幸せな時間に変わる。 


「お休みになられますか?」

 隣に座る、第2秘書が聞いた。

「ああ」

 短く、けれど穏やかにそう答えると、第2秘書は慣れた手つきで、それでもことさら丁寧にディープブルーの膝掛けを春之の身体に掛けた。

 もっとも多くの航空会社が競合するこの欧州路線の中で、春之がいつも決まってこの航空会社を利用するのは、なにも『マイレージをためている』などというケチな理由ではない(ためてはいるが)。

 この『膝掛け』が気に入っているのだ。

 暖か過ぎず、それでいてひんやりともしていない、微妙な温感。
 それにこの柔らかいタッチは、大好きな嫁のほっぺたとよく似ているのだ。
 それを口にしてしまうと『いつの間に触ったんですか』と長男に責められるので黙ってはいるが。

 春之は手のひらに触れるその手触りと目を閉じて楽しみ、やがて浅い眠りに…。



「あれ?春之じゃないか」

『おとうさん…』と、優しい声で起こしてくれる嫁の声を想像していたはずだったのに、聞こえてきたのはまごうことなき『おっさん』の声。 

「久しぶりだなぁ、元気そうじゃないか」

 誰だ。私の楽しい妄想タイムの邪魔をするヤツは…。

 春之は、突然掛けられた馴れ馴れしい呼びかけに、不機嫌モード100%でチラッと視線だけを上げる。

 何だ、この不摂生そうな腹は。ただでさえ見苦しいのに、元気よく揺するんじゃないっ。

「相変わらず飛び回っているようだな。まあ、お互い様だが」

『わはは』と笑うとまた腹が揺れる。

 ここまで馴れ馴れしく自分に声を掛けてくるヤツは、少なくともビジネスオンリーのつき合いでないことは確かだ。

 仕事上のつき合いで、春之に向かってこんな口のききかたが出来る大物は…いない。
 …ということは同級生か?

 そうだとしても、残念ながらこんな『腹』は記憶にはない。
 美少年の名前なら絶対に忘れないが、こんな風に、ただのオヤジに成り下がる事が予想されたヤツの名前など、いちいち覚えてなんぞいられない。

 だが、隣にいた第2秘書がスッと席を立った。

「吉田様、いつもお世話になりましてありがとうございます」
「おお、相変わらず長岡くんは綺麗だなぁ」
「恐れ入ります」
「うちにも君みたいな美人秘書がいてくれると出張も楽しいんだがなぁ」

 言いたいことを言ってまた、わはは…と笑う。

 吉田…?
 ああ、あいつね。なんだ、また太ったんじゃないか。それに、頭もやばそうだし…。

 春之がやっと顔を上げる気になったとき、第2秘書がその席を譲ったため、隣にドカッと大きな腹が座った。

「MAJECは相変わらず業績がいいようだなぁ」

 人のいい笑顔だ。

「ああ、おかげさまでな。お前の方はどうだ」
「まあ、下方修正はしなくてすみそうだ」

 吉田は春之の中高時代の同級生。現在は大手服飾メーカーの取締役だ。
 お互いの業種に接点がまるでないため、顔も忘れていられるほどののんびりとしたつき合いだ。 

「ただな、守りに入ってばかりもどうかと思うんでな、一発やってやろうかと思ってるんだ」

 尋ねもしないのにべらべら喋るということは、聞いて欲しいということだ。それも、すでに社外秘などではない事なのだろう。

 仕方ない、つき合ってやるか…と春之は座り直す。

「何を」
「社運をかけて、CMをうつんだ」
「CM?」
「ああ、新しいブランドをデビューさせるんだがな、それのTVCMだ」
「ふぅん」 

 興味のない業種の話には、いまいち気が乗らない。可愛い女の子向けの服だとでも言うのなら、嫁に買ってやってもいいかな…とは思うが、それ止まりだ。  

 だがそんな春之をよそに、吉田氏は興奮気味だ。

「実はな…」

 急に声を潜め、耳打ちするような仕草になったのだが、ますますボルテージが上がっているのは、その鼻息の荒さでわかる。

 可愛い男の子の喘ぐ息ならともかく、オヤジの鼻息なんて側で聞きたくない。

 思わず身を引く春之だが、吉田氏はさらにその分、身を乗り出してきた。


「今回、我らが母校の後輩をCMに起用することになったんだ」
「…ほう…」

 彼らの母校は私立聖陵学院。都下有数の進学校で、しかも『昔も今も』美形が多いと評判の学校だ。

「ほら、去年大ヒットになった化粧品会社のCM、あっただろ?」

 そんなもの、情報関連企業の経営者が知っているわけないだろう…と思ったのだが…。

 待てよ…と春之は思う。
 確か、社会現象にまでなった化粧品会社のCMがあった。
 その経済効果はかなり異業種にまで波及していたから、その点での記憶はある。
 だが、それと母校の後輩に何の関係が…。

「あれで一躍時の人になった美少女モデルのアンって子な、あれ、聖陵の生徒だったんだ」
「なんだって?」 
「びっくりしたろ?誰がどう見ても、ありゃあ女の子だもんなぁ。いや〜、今も昔も、我らが母校にはとんでもない美形がいるもんだ〜」

 だから腹を揺すって笑うな…と内心で呟く。

「プロフィールが謎だってのも頷けるよな。まさかあれが男子高校生だとは誰も思わないって〜」 

 美少女モデルとして通用するほどの美少年。
 春之には一人、心当たりがあった。

「まさか、それ、管弦楽部の奈月くんじゃないだろうな」

 名を聞いて、吉田氏は目を丸くした。

「何で知ってるんだ」

 肯定に、やっぱりな…と納得する。

「去年の夏、OB総会で会ったんだ」
「え?お前、OB総会でたのか?珍しいなぁ」
「俊介に無理矢理連れていかれたんだ」

 同期の浅井俊介は自他共に認める悪友だ。

「ああ、俊介ね。あいつ熱心だから」
「俊介の息子と奈月くんが同室なんだ」
「え?そうだったのか。そりゃ知らなかったな」
「で、奈月くんを使うのか?」
「もちろん。館林にも話は通した」

 聖陵の現学院長・館林氏もまた、彼らの同期なのだ。  

 そして、この時点で春之は『撮影現場に遊びに行っちゃおうかな〜』くらいのことしか考えていなかったのだが…。


「だがな、驚くのはまだ早いぞ」

 吉田氏は再び鼻息荒く迫ってくる。

「なんだ、まだ何かあるのか」
「今回、奈月くんは男の子としての起用なんだ」
「ほお…」

 そりゃあ、それでも十二分に通用するだろう。
 だが、それがどうしたというのだ。自分が遊びに行くというスケジュールにはこれっぽっちも変更はない。

 しかし、吉田氏が本当に言いたかったのはこれだったのだ。

「実は、うちの娘が相手役になるんだ」

 瞬間、春之のこめかみが引きつった。

「いや〜、うちの娘も昨年街でスカウトされてなぁ、デビューを待っていたんだが、なかなかなんで、それだったらうちのCMで使おうと思ってな」

 なかなか…ってことは、スカウトしてみたものの、使い道がなかったって事じゃないのか。

 そう言いたいのだが、そこは大人の理性でグッと飲み込む。

「ほ〜、お前の娘、そんなに綺麗なのか」
「ははっ、まあな、親が言うのもなんだが、かなりいけてるぞ」

 かなり…?その程度であの美少年の相手が務まると思うなよ。
 あの子に釣り合うのは…。

 春之はYシャツの胸ポケットに手を入れる。

「ま、親ばかだと笑われそうだが、うちの『娘』もなかなかだぞ」

 手にしたものは、『嫁』オンリー、秘蔵のポケットアルバム。
 特別のご開帳だとばかりに、もったいなげに開いてみせる。

 本当は『親ばか』などとは微塵も思ってやしない。この『謙遜』はあくまでも『社交辞令』だ。

 そして…。

「…………」

 完勝だ。オヤジは黙った。

 どうだ、思い知ったか。あの子に釣り合うのは、うちの子くらいのものだ。
 春之は表情を変えずにほくそ笑む。

「…だ、だが、もう決まったしな…」

 気の毒なことに、吉田氏の声は震えている。
 そうかな…?と微笑んだ春之に、吉田氏は、今度は怯えた表情を向けた。

「そ、そりゃあ、MAJECからの寄付は最高額かもしれんが、お、俺は学院の理事だからな…」

 往生際が悪い。
 しかし、いかんせん『理事』と言われると分が悪いのは確かだ。
 春之はそういう「面倒事」は避けて通ってきたから。

 だが、吉田氏は知らない。
 現学院長・館林氏が、中学時代からずっと片思いしてきたのは誰なのかを…。

 もちろん、春之はよ〜く知っているのだが。
 



 帰国してすぐ、春之は今まで銀行振り込みにしていた『寄付』を小切手に替えて、わざわざ自らの手で院長室まで持参した。

 生徒の校外活動には学院長の許可がいる。

 後日、何故か奈月葵のCM出演許可の条件に、共演者を特定する項目が増やされていた・・・。


 こうして『二人の出会い』はまんまと演出されてしまったのであった。
 


無謀な展開。その2へ続く(笑)