その2
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SIDE:葵 「はぁ…」 葵は心底だるそうに、ため息をついた。本日何度目だろう。 春休みで帰省中のベッドの中、しかも恋人の腕の中で。 「なに?葵、もっと?」 ため息をつかれた方は、自分が原因ではないとわかっているので余裕の表情…しかも微笑みつき…だ。 「ななな、何をっ」 慌てて腕を突っ張ろうとしたが、さんざん体力を消耗した後ではたいした力はでない。 逆にその腕を捉えられて、ギュッと抱きしめられてしまう。 「そんなに嫌?」 そう問われた内容は、もちろんこの状況についてではない。 そんなことは葵にもわかっている。 「だって…もともと僕はこう言うことに興味ないし」 「まあね、それはわかっているけれど」 それでも『学院長のたっての泣き落とし』とあっては致し方ないのだ。 葵がCM出演を『うん』と言えば、入ってくる寄付は『千万』単位。 たった半年とは言え、その寄付のおかげで自分は学院生活を送ってこられたのだという思いも…あるにはある。 それに自分は奨学生を返上したけれど、現在も約2割の生徒が奨学金に支えられて学院生活を送っている。 中には、入学して半年で親の会社が倒産して…という悲劇もあるらしい。 それでも聖陵学院は、その生徒に在校の意志がある限り、卒業まで面倒を見る…と言うのだ。 確かにいい学校だとは思うのだが…。 「心配ないよ。今度はちゃんと男の子としての起用だろう?」 「うん」 これがもし、またしても女装で男優との共演などというのであれば、悟もきっと妨害したことだろう。 それこそ、『OBナンバー1有名人』の父親に頼み込んででも。 だが今度はれっきとした男の子としての出演、しかも、共演相手はモデルの『女の子』だ。 それにしても、女の子相手の共演に全く危機感を抱かないのは、すでに『聖陵学院色』にどっぷりと染まっているからだろうか。 「それに僕がちゃんとついてるんだから」 「…そうだね」 諦めたようにポツっと呟くと、またふんわりと抱きしめられる。 「さ、明日は早いから、もう寝よう」 髪を優しく撫でてやると、葵は悟の胸に顔を埋める。 そして、甘い吐息を漏らして目を閉じた…。 SIDE:直 「なっ、何で俺がっ」 「どう言うことですか、おとうさん」 驚きのあまり言葉に詰まる嫁と、あくまでも冷静に対峙してくる長男。 しかし、そんな4つの瞳にも、怪人はびくともしない。 「そういうことだ」 「ですから、どうして直がCMにでなくてはいけないんですか。それもMAJECや関連会社のものならともかく、ただの友達の会社でしょう?」 「いや、そもそも今回の一件に利害関係はまったくない」 その言葉に、智雪は『そらみろ』と言わんばかりだ。 「ならどうして」 言ってから思いつく。もしや…。 「お父さん、まさか、直にまた妖しげな格好を…」 思いついた疑惑を口にした途端、右腕にぶら下がっていた直の身体がギュッと縮む。 それしかない。この根っからの経済人がなんの利害もなく動くとしたら、純粋に『趣味』しかないのだ。 智雪は、直の身体をギュッと抱きしめた。 だが…。 「とんでもない。まりちゃんはれっきとした男の子としての起用だ。振り袖だのメイドさんだの、誰があんな可愛い姿をわざわざ万人に晒したりするもんか」 …嘘臭い。実際嘘なのだが。 「それに、今回は私の母校が深く関わっていてね。まあ、第一期生としては学校に対する社会的恩義も果たさねばならん」 もっともらしいが…嘘臭い。第一、自ら深く関わっていったのだ、この怪人は。 しかし、この一言は、智雪には意外なほど効果があった。 自分の父親の過去がどうであったか、智雪は知っているのだ。 優秀な生徒であれば、その生活状況に応じて学費を減免してくれるという新設校の第1期生となった父親のことを。 わずか16歳違いの母子が、たった二人でどれほどの苦労をしてきたかということを。 「直…」 抱きしめていた腕を解いて、智雪は直の目をまっすぐに見る。 「直、ちょっとだけ、我慢できるか?俺がちゃんとついて行くから」 もちろん二人には『パパもついていくよ〜ん』…などという誰かさんの心の声は聞こえていないが。 「智…」 直もまた、その瞳を捉えてまっすぐに見つめ返す。 智雪がこんな風に言うのだ。事情はよくわからないけれど、うんと言ってあげようと、健気な決心をする。しかし、やっぱり不安はあって…。 「けど、おとうさん」 「ん?なんだね、まりちゃん」 直の声は、それは珍しいほど心細げなものだったが、『おとうさん』と呼ばれただけで、怪人は無条件で天まで昇ってしまう。 「俺、きっと上手くできないと思うんですけど…」 不安げに潤む上目遣いは凶悪に可愛い。 そんな直を安心させるように、父は晴れやかに微笑んでみせる。 「何も心配はいらない。君はそのままでいいんだ」 そう、黙って座っているだけでも……いや、かえって黙っている方がいいのだが……絵になるのだと言うことに、本人は当然、全く気付いていない。 「すまないね、まりちゃん。私の事情に君を巻き込んでしまうなんて。だが、あの母校がなければ今の私はないんだよ…」 嘘ではない。嘘ではないが…クサすぎる。 「おとうさん……」 抱き寄せられても今日ばかりは抗わない。素直に腕に抱かれると、そのぬくもりは暖かいばかりで。 そしていつもなら血相を変えて引き剥がしにかかる智雪も、いつになく殊勝な態度の父親に、ちょっぴり心を動かされていて…。 『へへっ、やったね』 誰かさんの心の声は、当然聞こえない。 前田智雪、まだまだ青いぞ。 |
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そして撮影当日。 結局『ついていくよ〜ん』と浮かれていた今回の仕掛け人は、日頃の行いが祟ったのか、ベルリン支社でのトラブルに対処するため「何処のドイツだっ、そんなヘマをやらかしたのはっ」…と、集めた座布団を全部持っていかれてしまいそうな小ネタを叫びながら欧州路線の機上の人となった。 もし彼が撮影現場にいたとしたら、あるいはこの事態は意外に早く収集していたかも知れないのだが…。 |
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「やあ、奈月くん、久しぶり」 スタジオの入り口でその優男ぶりを目の当たりにして、葵はげんなりする。 「…神崎さん」 以前葵がCMにでたときのディレクターだ。 もう二度と会うこともないだろうと思っていたのに、またこんな事になろうとは。 「やだなぁ、そんな顔しちゃって〜。そうそう、早速だけど相手役の子を紹介しようね」 神崎が後ろを向いて誰かを呼ぶ。 「直く〜ん!」 直…くん?相手役は女の子じゃなかったのか? そして、呼ばれた直も…。 「紹介するよ。君の相手役、奈月葵くんだ」 葵…くん?相手役は女の子じゃなかったのか? 相手役を目の当たりにして、こぼれそうなほど目を見開く。 「葵くん、こちらは前田直くん。歳は…2つほど直くんの方が上だったな」 大まじめに引き合わされてしまっては、『話が違う』と暴れるわけもいかず、二人はおずおずと言葉を交わす。 「は、はじめまして…」 「あ、ども…」 確かに可愛い。そんじょそこらの女の子では太刀打ちできないほど可愛い。 だが…自分もそうだからわかる。『彼』は男…だ。間違いなく。 戸惑いがちに絡む二人の視線。しかし…。 頭上で散ったのは火花か? 「初めまして、直の兄です」 「お世話になります、葵の兄です」 確かにどちらも嘘ではない。嘘ではないのだが…。 直と葵はその険悪な様子を敏感に察知したのか、今度はやたら親しげに握手を交わし始めた。 「ええ…っと、葵くんって可愛いな」 「そ、そんな、直さんこそ可愛いですよ」 その様子はスタジオのスタッフ全員が思わず目を奪われるほどで…。 「じゃあ、準備に入ろうか」 してやったりは神崎だ。 吉田社長の愛娘が降ろされて、急遽別の子に決まったとき、その子の写真を速攻で手に入れた。そして、急ぎ、絵コンテを変更したのだ。 役どころは『ガクランの男子高校生』と『天使』。 せっかくこんなに美味しいモデルが手に入ったのだ。これはやるっきゃないだろう。 役柄を入れ替えて2バージョン撮らせてもらおうじゃないか。 しかも、お互いの『保護者』の不機嫌に恐れをなした直と葵は、『天使』を突きつけられても文句を言わずにそれを受け入れ…きっとさっさと済ませてしまった方が得策だと考えたのだろう…そして、撮影は始まった。 ライトが眩しい。 普通の生活を送っている人間には、スタジオの照明というのは特殊で、かなり目に負担がくる。 撮影開始からすでに13時間。幾度かの休憩は挟んだものの、二人の疲労はかなりのものになっていた。 だが残り後少し。最終段階に入った撮影は、直が男子高校生、葵が天使のパターンで行われていた。 もう1つのパターンはすでに撮影が済んでいる。 「そこ、少しだけセット移動して!休憩中に誰か触った?場所が微妙に違うよっ」 カメラリハーサル中に演出から声が飛ぶ。 「すみませんっ!すぐ直します!」 セットは蔦の絡まる煉瓦の塀。 直は地面に座り、ラフな様子でそこにもたれている。 そして葵は塀の上に腰をかけ、直の様子を伺っているという『絵』なのだが…。 「あ…っ」 突然、座っている塀が揺れ、小さく葵の声が上がった。 「あっ、ばかやろうっ!葵くんが乗ってるんだぞっ」 しかし、その叱責は遅かった。 「うわっ」 大きく揺れるセット。 「葵っ!」 じっと見守ってきた悟が大きな声をあげた。 「葵くんっ」 直もまた、立ち上がり葵に向けて手をさしのべ…。 「直っ!」 智雪もまた…。 「あぶないっ」 そう叫んだのは誰の声か。いや、きっとスタジオ中が声を上げたはずだ。 しかしその声は、セットが崩れ落ちる大きな音に飲み込まれた…。 「う…」 「ん…」 「大丈夫かっ?」 「葵っ」 「直っ」 幸いセットは軽かったため、下敷きになった二人はすぐに助け出された。 落ちてきたところを受け止めたのか、直と葵はしっかりと抱き合い、そして、呆然と見つめ合っていた。 見たところの外傷はない。 しかし、すぐに救急車が呼ばれ、二人は搬送先でさんざん検査をされ、『異常なし』と釈放されたのは深夜のことだった。 撮影は中止になったが、二人に怪我がなかったことから、1日休みを置いて後日撮り直しと言うことでけりが付いた。 …のだが…。 |
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SIDE:葵 やっと帰宅した桐生家で、事情を聞いた家族からさんざん心配をされたのだが、葵は言葉少なに『大丈夫』と言っただけだった。 きっと疲れがでたのだろうという悟の判断で、葵は自室へ戻ったのだが…。 「あ、あの…」 「何?葵」 バスルームへ押し込まれたはいいが、どうしてこの人まで入って来るんだ…と葵は訝しむ。 確か『兄』だと言っていた。 しかも、帰ってみれば、兄だと言う人間がさらに二人もいて。それも、金髪と栗毛だ。わけがわからん。 「葵、本当に大丈夫か?まだ顔色が悪い」 「え、あの、だ、大丈夫」 だからぜひ一人にして欲しい。 「あ、シャワーくらい自分で出来る…から」 そっと言ってみると、兄は怪訝そうな顔をした。 「どうしたの?葵。いつも一緒に入ってるのに」 ……………え。うそ。 「疲れているのはわかるけど、今日はあんな事もあったんだし、もし一人で入ってて気分でも悪くなったらどうするんだ」 こっ、こっ、こっ、この歳で毎日『お兄ちゃん』と一緒に風呂に入ってるってかっ?! どんな生活してるんだ、いったいっ!ブラコンかっ? 「とっ、ともかくっ、今は一人にしてっ」 葵は戸惑う悟を強引に部屋の外へ押しだし、ドアを閉めるなり鍵を掛けた。 SIDE:直 帰宅先は高級そうな広いマンション。どうやら他に人の気配はない。 二人暮らしなんだろうか。 「直…ごめんな」 鍵を開けて入るなり、心底すまなそうに謝罪してくる兄に、直は『え?』と顔を向けた。 苦しげな瞳が揺れている。 「あんなに嫌がってたのに、無理にこんなことさせたから…」 ギュッと抱きしめられると、息が出来ない。 「そ、そんなことない…から」 「すりむいたところとか、痛くないか?」 兄は直の手を取り、赤くなっているその甲にそっと唇を這わせた。 え?ええええええええええええええええっ! ななな、何っ、これはっ。 直は慌ててその手を引っ込める。 「直?」 「あ、いや、その…」 とまどいを見せる直に、一瞬怪訝そうな顔をした兄は、それでもすぐに納得したように頷いた。 「ごめん。疲れてるよな、直。…今日は俺、父さんの部屋で寝るから、直は一人でゆっくり寝るか? くっついて寝てたら、ぶつけたところとか辛いだろ?」 な、何っ? こっ、こっ、こっ、この歳でお兄ちゃん、弟と一緒に寝てるのっ?! どんな生活してるんだよ、いったいっ!ブラコンっ? 直は目一杯頷いて、頼むから一人で眠らせてと瞳で訴えた。 |
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