第2幕への間奏曲「渡り廊下の3悪人」





「まてよ、悟」

 教職員棟のある第1校舎から第3校舎への渡り廊下。

 駆けてきた美形を呼び止めたのは、これまた嫌みなほどの二人の美形。

「なんだ? 二人揃って」

 いたずらを見とがめられた子供のように肩の強ばりをあらわにして、悟は立ち止まった。

「なんだとはご挨拶だな。顧問に呼ばれたって聞いたから、こうして待っててやったのに」

 柱にもたれ、腕を組んでいる姿が気障でなく、恐ろしいほどお似合いの美形が言った。

 緩くウェーブのかかった茶色の髪、それと同じ種類の茶色の瞳。
 悟より僅かに高い身長。
 どことなく異国の雰囲気を漂わせる健康的な青年。


「どうせ、コピーにいくんでしょ? 手伝うよ」

 その傍らに立つ、まだまだ頬のあたりに少年っぽさを残した美形が続ける。

 限りなくブロンドに近いサラサラの髪、それによくお似合いの深いブルーの瞳。
 悟より10cmほど低い身長。
 その口から日本語が出てくることが不自然なくらい、完璧に異国の雰囲気を漂わせるしなやかな青年…というよりはやっぱりまだ少年。

 コピーと聞いてふと、手にした分厚く大きい封筒を見る。
 そうだ、顧問の光安に『準備しておくように』と言われたのだ。

「これ頼む!」

 悟は封筒を異国人に押しつけて、踵を返し、あっという間に走り去っていった。

「な、なんなんだ…?」

 美形も台無しな、残された二人の間抜けな顔。


 『らしく』なさ過ぎる。

 いつだって冷静な悟。
 自分に託された仕事を他人に押しつけたことなど一度もない悟。
 誰に対しても同じように、優しく穏やかに振る舞う悟。

 部活で指揮を振っているときですら、内に秘めた情熱がかいま見えることは稀だ。

「廊下、走ってたよな」
「うん…」
「顔、赤くなかったか」
「うん…」
「封筒押しつけていったよな」
「うん…」
「何かあったのか」
「さぁ…」
「春休み中になんかおかしなことあったっけ」

 二人は顔を見合わせた。


 聖陵学院に3人揃って入学して4回目の春休み。
 彼らは例年通り、一年で唯一、部活動のない休暇を楽しんでいた。

 テニスをしたり、映画を見に行ったり、連夜の酒盛りなど他愛もない(?)高校生らしい(?)休暇だったはずだ。

 今朝一緒に入寮したときも、悟の様子はいつもと変わらず、静かで穏やかで柔らかかった…はずなのに。

 桐生家の次男・昇と三男・守は、長男・悟の後を追うべく走り出した。



                   ☆ .。.:*・゜



「どうした? 悟」

 管弦楽部の顧問、光安直人は『らしく』なく息をついてやってきた悟をおもしろそうに眺めていた。

『どうした』と問われても返す言葉がない。

 どうして戻ってきてしまったのか、悟は自分でもわからないからだ。

「葵をちゃんと送り届けてくれたのか?」

 そうだ、その『葵』だ。

「あ、あの…」

 言葉に詰まる悟を見て、光安は笑いをこらえることが困難になり始めていた。
 あまりにも、らしくなさ過ぎる。

「まあ、座りなさい」

 ひくつくこめかみを押さえながら、先ほどまで葵が座っていた場所を示す。

 所在なげに座ろうとする悟を見て、おもしろさのあまり、血管がぶち切れそうになる。

 桐生家の弟たち同様、光安も『こんな悟』を見たのは初めてだった。
 もっと苛めてみたい気もしたが、やりすぎると後がコワイ。

 管弦楽部での悟は、光安にとって最も重要な片腕であるのだから。
 残念だが、ここは譲歩してやるしかなさそうだ。


「葵のこと、よろしく頼むよ」

 光安の言葉に、はじかれたように悟が顔をあげた。

「は、はい」
「アレは栗山の秘蔵っ子でね。よく手元から離したものだとびっくりしている」
「先生が呼ばれたんですか?」

 聞きたかった話が始まったせいか、悟は少し冷静さを取り戻したように見えた。

「それもあるがね、彼にはここを選ばざるを得ない事情があった」

 悟は食い入るように光安を見つめて、次の言葉を待っていた。
 光安は満足そうに、わざとゆっくり言葉を継ぐ。

「あれだけ優秀な生徒だ。なにしろ、入試は満点、手みやげに『コンクール優勝』つきだ。関西にでもいくらでもいい学校はある。かえって聖陵なんかに『音楽推薦』つきで入ると、足かせができて鬱陶しい」

 光安は悟の反応を楽しみつつ、続けた。

 特に『満点』のところで驚愕に目を見開く悟は絶品だったりしたのだ。

「なぜ彼が、うちを選んだか」

 悟がゴクッと喉を鳴らす。

(お、おもしろすぎるぅ〜)

 しかし、光安はグッとこらえて、わざと深刻そうに表情を作る。

「『学費・寮費・諸経費全免除、しかも奨学金つき』、こんな学校、関西にはなかったんだよ」

 悟の瞳が再び驚愕に見開かれる。

「ま、まさか『A特待』ですか?」
「そう、そのとおり」

 悟の表情は、光安を満足させるに充分だった。

「前の『A特待』は24年前の『彼』だった」

 その『彼』は今、世界的に活躍している。

「葵はいずれ、世界へ出ていく」

 ニヤッと笑う光安の表情に、悟は完璧に呑まれていた。


 いつも、精神的に同等、時によってはそれ以上のものを感じさせる、『大人びた教え子=桐生悟』に、今日は完璧に勝利だ。

 光安はこの勝利をもたらせてくれた相手に、『葵様々』と心の中で手を合わせていた。

「だがな、『A特待』と聞いて気づいているだろうが、葵には親権者がいない。母親が今年の始めに亡くなっていて、もう血縁は一人もいないらしい。天涯孤独ってやつだな」

「あの子が…」

 普通『天涯孤独』なんていう人間は、そうそう転がっていない。ましてやこの若さで…だ。

 24年前の『彼』にも、親はなかったが、伯父や伯母がいたことは悟も知っている。

(あんなに可愛い子が…)

 可愛くなけりゃいいのか、というわけではないのだが、それでもあの子がひとりぼっちだなんていう事実が許せない悟だった。


 光安はとどめを刺した。

「あいつはまだ子供だ。私たちで大切に育ててやろうじゃないか」 

 この時、悟の表情はすでに、いつもの彼のものだった。
 迷うことがなくなったのだから…。

「…新年度のオリエンテーションは、予定通り明日の午後に行います」

 悟は立ち上がった。

「頼むよ。悟」
「はい。失礼します」

 退室しようと背を向ける悟に、光安は心の中で呟いた。

(がんばれよ。『お前らしさ』を取り戻すために)

 ドアを開けた悟の向こうに何かが見えた。

 悟が何か呟く。そして、走り去る。

 そこに残されていたのは、頬を染めた葵だった。

(おいおい、先は長いんだぞ、悟)

 光安は、立ちつくす葵に、入っておいでと手招きをした。




第2幕への間奏曲「渡り廊下の3悪人」  END


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