第2幕 「From New World」





 入学式。

 昨日まで咲き誇っていた満開の桜は、今日、ちらほらと花びらを落とし始めている。

 聖陵の入学式は、引き続き始業式となるため、最初から全校生徒が揃う賑やかなものだった。

 そして、情けないことに僕は、桐生先輩の予言通り『新入生総代』だったのである。


 昨日、院長先生から手渡された『折り畳んだモノ』は、まさしく新入生を代表しての挨拶文そのものだった。 
 書いたモノを読ませるだけなら、誰がやったって同じじゃん…って感じだけど。

 僕は別に、人前でどうこうすることについて特に感慨はない。

 緊張しないと言うわけじゃぁない。
 ただ、慣れていると言った方がいいのだろうか。

 子供の時から、人前に出ることは慣れているし、それが舞台の上となればなおさらだ。
 けれど昨夜、ルームメイトになりたての3人は、僕のために『挨拶』を読み上げる練習をして下さったのだ。

 そう、入寮日の夜。
 しっちゃかめっちゃかな夜だった。


 
                    ☆ .。.:*・゜


「さて、お集まりの皆さん。お待たせいたしましたが、葵くんは長旅と緊張で非常にお疲れですから、質問タイムは10分間で切り上げさせていただきます」

 ルームメイトの中沢涼太くんが、司会よろしく声を張り上げる。

 とたんに、『えー!!』とか『横暴!』とか言う声が挙がる。

 夕食のあとの4階、1年生のための談話室。
 僕は真ん中にしつらえたイスに座らされていた。

 しかし、いくら新入りが珍しいからって、『正真正銘』なら僕だけじゃなく、あと24人いるはずだ。
 何で僕だけがこんな目に…。

「出身は?!」

 う、まずは当たり障りのないところか…。

「あ、あの京都です」

 どよめきが上がる。
 何で?
 え? 誰だか『かわいー』とか言ってるヤツがいるぞ…。
 京都と何の関係があるんだ…。


「身長と体重とスリーサイズを教えて!」

 は、はぁっ!? なんだそりゃ!

「おまえなぁ、いきなり核心ついてどうすんだよ」
「なんだよ、ききたくねぇのかよ!」
「ききてぇよ!」
「なら黙ってろ」

 僕の意志とは関係なしに、ロビーはめちゃめちゃ盛り上がってる。

「姫、質問にお答えを」

 これまた今日からルームメイトの早坂陽司くんが、僕の前に跪いてほざく。

「ひ、ひ、ひ…」
「姫、お笑いになっている場合ではありません」

 め、めまいが…。
 思わず『クラッ』となっていると、とどめが刺された。

「おっと、これはいけない。やはり姫はお疲れのご様子。本日の謁見はこれまで。さ、お部屋へ参りましょう」

 そう言われた瞬間、僕は抱き上げられていた。


 ロビーは興奮の坩堝。

『お嫁さん抱っこ』の僕は憤死寸前だ。
 そして僕を軽々と抱き上げているのは…。

『浅井祐介』!!


「こーら、一年坊主! うるさいぞ!」

 階段の方で声がした。
 その声に一年坊主が一斉に振り返って歓声を上げた。

「守先輩!」

 階段の手すりにもたれた声の主は、長身の超美形。
 日本人離れしてる綺麗なブラウンの髪。瞳の色素も薄いような…。

 この学校は何だってこんなにハンサムが多いんだ…。
 顔で合否を決めているとか…。

 しかもこいつら一年坊主の嬉しそうなこと。
『うるさい』って怒られてんだぞ、わかってんのか。

 美形の上級生は、ちらっ…と、辺りに流し目を送り、長い足を組み直した。

「ったく、下の二年生から苦情が出てるぞ」
 ごもっとも。

「こっちにも可愛いの何人かよこせってさ」
 ……腐ってる。

「お、浅井、羨ましいことしてるじゃないか」
 それってこの状況のこと?

「いいでしょ。」
 こらっ、得意そうに言うなっ。

「今夜から一緒に寝るんです」
 そうじゃないだろっ!

「…おろして…」
 僕は遠慮がちに言った。

 おふざけにいちいち目くじらをたてるほど僕は純情じゃないんだけれど、でも、まだ彼らのこと、よく知らない。
 どんな風に接していいのかもまだわからない。

 おかげさまで僕は、『慣れていないところでは、とりあえず猫を被って様子を見る』っていうのも身に付いているもんだから、こんな場面ではその能力(?)が最大限発揮されてしまうわけだ。

 けれど、今回ばかりはその能力が思っていた以上に誤解を呼んだようだった。

 そう、僕はすっかり『初で、おとなしくて、可愛らしい子』と思いこまれてしまったんだ。

 この調子じゃ、おもちゃにされること請け合いだな…。



                   ☆ .。.:*・゜



「しかし、びっくりだよな。昨夜の様子じゃ『総代挨拶』で怯えて泣き出すんじゃないかと思ってたのに」

 始業式を終えてホームルームへ向かう廊下を歩きながら、涼太が言った。

「まったくだよ。壇上へ上がる姿なんか、堂々としてるって言うか、舞台映えがするっていうか…。そんなにおっきくないのにな」

 腕組みをほどいて、僕の肩に手を回しながら、陽司が答える。
 その手をグッと掴んで祐介がふりほどく。

「こう見えても葵は音楽コンクールの優勝者だよ。舞台の上であがったりするもんか」

 こう見えても…とはなんだ。どう見えてるってんだ。
 あぁ、昨日つい、がらにもなく恥じらってしまったから…。

「ええっ? ほんとか、葵」

 涼太と陽司が僕の顔を覗き込んだ。
 近づきすぎだっつーの。

「なんでそんなことを祐介が知ってるの?」

 僕たちは昨夜の消灯前に『名前で呼び合う』ことを約束していた。

「管弦楽部は葵の噂で持ちきりさ」

 だから、そのウィンクやめろってば。



 そう、僕は昨日『さやかさん』を持ち出して祐介をびっくりさせてやったんだけど、お返しがあった。

 祐介は管弦楽部のフルート奏者だったんだ。
 ま、同じ楽器なら地方の小さなコンクールの情報にも多少の興味があるのかも知れない。

 けど僕は、自分が連れていかれるまで、そのコンクールの存在すら知らなかった。
 単なる無知とも言えなくはないけど。

 でも、さやかさんも人が悪い。知ってて黙ってるんだもんな。
 ま、『漢字の謎』は解けたけど。





 廊下の先がざわめいている。何かの張り紙だ。

「おっと、恐怖の席次発表だ」

 昨日、祐介が言っていたやつだな。どれどれ。

 張り紙を覗き込もうとしたら、まわりから好奇の視線が降り注いできた。

「おい、あいつだ」

 何が、僕だって? …と、見れば、ああなるほど。

『1.奈月葵 500点』とある。

 おっと、満点か。
 ならば『あれ』は当たりだったと言うことだな。

「ま、満点かよ…」
「総代だから、1番はわかってたけど…」

 涼太と陽司がうめいている。

 続きには、
『2.浅井祐介 498点』とある。

 すごいんだ、祐介。

「2点差か…。やっぱり『あれ』かな?」
 祐介も腕組みして唸っている。

 僕は申し訳なくなった。
 実力ではきっと、祐介が『総代』だったんだ。

「祐介、ごめん…」
「ん? どうしたの」

 頭一つくらいでかい祐介が、優しい微笑みで僕を見下ろす。

「僕の『総代』は詐欺なんだ」

 僕の言葉に、祐介の優しい微笑みが一転、『眉間に皺』となる。

「どういうこと?」
「実は、社会の問題で一つわからないのがあって、鉛筆を転がして答えを決めたんだ。鉛筆がもうひと転がりしていたら…」

 深刻に懺悔する僕を、3人は一瞬きょとんと見つめて…。


 そんなに笑うなってば。

「葵はかわいいなぁ」

 こら、髪が乱れる。なでまわすな。

「心配はいらないよ、葵。僕は2つの問題で鉛筆を転がしたから」

 う……。
 こいつとは仲良くやっていけそうだ…。



☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆



 入試なんかで手を抜くわけにいかなかったから、全力投球で臨んだ結果が『満点』(ちょっと詐欺)だったけど、これからのことを考えると気が重い。

 何とはなくついたため息は、しっかり3人には聞かれていたようだ。

「どうした?」

 祐介がなおも髪をかき回す。その手をピンッとはじいて、僕は呟いた。

「維持していく自信がない…」

 そう、僕はこの成績を維持していく自信がなかったんだ。

「あははっ、何言ってんだよ。鉛筆転がしたのは一問だけだろ」

 陽司が負けじと髪をかき乱す。
 負けてたまるかと参戦してくる涼太。
 僕は3つの手から、体をかがめて逃れ、3人に向き直る。

「部活と両立なんて無理だ」
「え? じゃあ中学の時はクラブやってないのか」

 僕は涼太の問いに素直に答えてしまった。

「書道部やってたけど」
「へ?」

 3人揃って間抜けな顔するなってば。

「そりゃまた風流な部活だな」

 陽司も涼太もバリバリの体育会系だ。

「うちの中学の書道部ってね、年1回出ればOKだったんだ」

 僕は病気になった母さんの代わりに、家のことを全部やっていた。

 母さんがバリバリの現役だった小学生の間は、大勢の大人たちと暮らしていたので、家事をする必要はなかったんだけど、中学1年の秋からは母さんと二人、その家を出て、栗山先生のところへ行った。

 そして、中学2年の夏の終わり頃、母さんは倒れた。
 それからこっちへ来るまで、僕が家事をやって来たんだ。

 もちろん一緒に住んでいる栗山先生の食事や掃除や洗濯の分も。

 もっとも栗山先生からはもっともっと大きな「精神的な支え」をもらっていたんだけど。

 ま、そんなわけで、部活なんかに時間を割いていられなかったのだ。

「年に1回だけ?」
「うん、書き初めね」

 こら、こんなことぐらいでそんなにウケるな。
 お腹抱えて笑うようなことじゃないだろ。

 ふと思い出したように祐介が言った。

「ブラバンじゃなかったの?」

 うーん、するどい。普通はそう思うだろう。
 しかし、残念ながら…。

「うちの中学、ブラバンなかったの」
「そりゃあ珍しいな」

 確かに珍しいかも。しかも栗山先生がいるのに。

 それはけっこう以前から気になっていた疑問だった。
 今度帰省した時にでも聞いてみよう。


「確かに管弦楽部は拘束時間が長い」

 思い出したように言ったのは、バスケ部の涼太だ。

「バスケも練習きついけど、それ以上に管弦楽部のやつらって大変そうだもんな」

 テニス部の陽司も大げさに頷く。

「言えてる。連中……あ、おまえもな、祐介。とにかくコンクールや行事の前になると、授業中以外はホールか練習室にこもりっきりだもんな。ひどいときなんか同室のヤツに夕飯確保させておいて、夜中に部屋で食ったりしてたもんな」

 …ひぇぇぇ…。

 怯えた僕に祐介のとどめが入った。

「中等部であれだったからね。高等部は比じゃないらしい」
「…いつ勉強するわけ?」

 恐る恐る聞く僕に、ほれぼれするような笑みを浮かべて祐介が答える。

「そんなヒマはない」

 げっ!

「それでも祐介は3年間トップだったよな」

 羨望のまなざしで、涼太と陽司がうっとりと上目を使う。
 この二人も背が高いが、祐介はもう少し高い。
 祐介ってルックスだけじゃない、おつむの出来も違うんだ…。

「成績って、いくつくらいまでなら下がってもいいのかな…」

 僕は本当に不安だった。基準があるなら聞いておかないといけない。
 僕はクラブも辞められない、成績も下げられないという哀れな身分なのだ。

「心配するなって。オール赤点でも退学になんかなりゃしないよ」
「そうそう、せいぜい留年くらいですむ」

 脳天気に言ってくれるね、運動部。
 こっちの事情はそんなに単純じゃないんだ。

『成績低下→奨学生資格剥奪→学費免除解除→高い学費が払えない→退学→栗山先生が泣く』

 脳裏をかすめる図式が、またしても僕に、ため息をつかせる。

「もしかして、葵、奨学生なのか?」

 さすが、おつむの出来が違う人は察しがいい。
 この際、隠してもしょうがないだろうから、僕はコックリ頷いた。

「おおっ、さすが総代」

 今度は二人がうっとりと見おろしてくれた。
 どうせ僕はちびですよ。あと3cmで170なのにな…。

「聖陵の学費はバカ高いからね。ま、葵はうちの看板・管弦楽部を背負ってたつ人間だから、残り半分の学費くらい、院長がポケットマネーで払ってくれるよ」

 笑えない冗談言うなよ…、って、え? 残り半分?

 僕は顔をあげてその綺麗な目に見入った。

 祐介はにっこり笑って『大丈夫だよ』と頷いた。
 きっと普通の奨学制度のことを言ってるんだろう。特待生A種・B種以外の奨学制度は『50%減免』がMAXらしいから。

 本当のことは…言えなかった。





 式の後はホームルームでオリエンテーション。
 教科書の配布と自己紹介が主な内容だった。

 僕のクラスは1年D組。担任はまさかの光安先生。
 ここまで一緒とは…。
 ちなみにルームメイトは全員同じクラスだ。

『正真正銘』は僕以外に4人。
 そのうち2人が『音楽推薦』の弦楽器奏者だった。

 そして、午後は部活のオリエンテーションとなる。

 中高一貫教育のメリットを生かしているだけあって、高校一年生の部活は、ほとんど中学のまま、同じものを選ぶらしい。




 初めていく管弦楽部。
 部員は中高あわせて150人近いらしい。全校生徒の1割強という多さだ。
 普段の活動は合同だったり、中高別々だったり色々らしい。

 光安先生のやり方は、中学で育てて、高校で花開かせるんだと、祐介がいっていた。

 そして、何よりびっくりしたのが、高校で新たに入った25人のうち10人が音楽推薦だったことだ。

 今年は特に多いそうなんだけど、その中身ときたら、弦楽器9人、管楽器1人。

 そう、管楽器は僕一人。

 高校から入る管楽器奏者は滅多にいないらしい。

 中学から育てた管楽器奏者の中に、外部から優秀な弦楽器奏者を加えることによって高い水準を維持し続けている…のだそうだ。
 もちろん中学の弦楽器奏者たちもすごいらしいけど…。

 僕と祐介は、体育館へ向かう涼太・陽司と別れ、音楽ホールへ向かった。

 ここは管弦楽部の専用ホールなんだけど、僕は中へ入って唖然としてしまった。
 だって、ちょっとしたコンサートホールだったから。

 ロビーをはさんで、大小いくつもの防音練習室もある。
 造りはシンプルだけど、そっけないわけではない。
 機能的だから、美しいって感じかな。
 …こりゃ学費が高いはずだ。

 今日は全員集合なのでホールの舞台ではなく、客席側へ入った。
 前列の方から上級生が占めているらしい。

 僕と祐介は中程の端っこ、ドアの側に座ろうとした。
 誰かが『奈月』だ、と言ったのを合図に、みんながざわざわと振り向く。

 総代なんかやっちゃったおかげで、すっかり顔が知れてしまった。

 けれど、絡みついてくるいくつもの視線は、そんなに不快なものではなかった。
 その多くはただ、『好奇心』と言う名のものに占められているだけのようだったから。



「よろしく」

 いきなり胸の前に大きな手のひらが現れた。

 見上げると、またしてもハンサム。けど今回のはちょっと遊び人っぽい。

 僕の『人を見る目』は、この人を瞬時に『数多くの男女を泣かせてる人』と断じた。
 僕は遊び人には敏感なんだ。

 けれど、出された手を無視するわけにはいかない。

「あ…初めまして。奈月です。よろしくお願いします」

 そっと出した手は、いきなり捕らわれて引っ張られ、あっという間に僕の身体は、遊び人の腕の中に納められてしまった。

 ちょっと〜。

「君、可愛いね」

 僕の耳元で彼がそう言うのと、祐介が『佐伯先輩!』と叫ぶのは同時だった。

 まわりからも『ずるいぞ! 佐伯!』の罵声があがっている。

 僕が両腕を思いっきり突っ張って離れようとしたとき、ふいに襟首を引っ張られた。

「佐伯、いたいけな少年を苛めてはいかん。舞台の上で仕返しされても知らんぞ」
「げっ」

 遊び人が呻いた。

 声の主は言わずと知れた、顧問の光安先生。

 先生はふと、祐介の方を向いてにっこり笑った。

「よかったな、浅井。仲良くなれたようじゃないか」
「せ、先生!!」

 おおっ、祐介でも狼狽えることがあるんだ。

 満足そうに微笑んだ先生は、僕の肩を抱いて耳元で言った。

「準備室に残っている上級生を呼んできてくれないかな? オリエンテーション始めるよって」

 そんなこと、肩を抱いて耳元で言うことじゃないだろ。

「それなら僕が…」

 気を取り直した祐介が申し出てくれた。
 しかし、先生は人差し指をビシッと立てて言い切る。

「奈月に準備室の場所を覚えてもらわねばならん」

 どーでもいい理由に聞こえるんですけど…。

「ロビーに出て左の突き当たりだ。いっといで」

 先生はまたしても耳元で囁き、僕は腰を押されて、やむを得ず歩き出した。



☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆



 ロビーに出て左の突き当たり。

 はっきり言って、わざわざ覚えなきゃいけないような複雑なところじゃなかった。
 目の前じゃないか。

 先生の行動に、何か企みめいたものが感じられて、ドアをノックする手が躊躇する。

(ええぃ!)

 思い切ってノックしようとしたその手は、ドアを叩かなかった。
 触れたのは…。

「き、桐生先輩!」

 まったく昨日のリフレイン。心臓が急にわめき出す。
 しかし昨日と違ったのは…。

「何?」

 後ろから2つの声がした。
 そしてすぐ、先輩の肩越しに2つの顔が覗いた。

「あ…」

 一人は昨日、寮の4階に現れた日本人離れした美しい上級生。
 もう一人は…。

 なんだこりゃ、日本人じゃないぞ。金髪碧眼…。まるでフランス人形だ。
 ここって男子校じゃなかったっけ?

「おおっ、新入生総代、500点満点、コンクール優勝の奈月葵クンじゃないか!」

 お二人さんは、見事にハモってくれた…。

「……」

 僕の脳みそは完全に『状況を把握する』という作業を放棄しているようだ。
 固まる僕を、桐生先輩が抱き寄せてくれた。

「ごめん、びっくりさせたね」

 そう言って後ろの二人に向き直る。
 僕を抱いたまま。

「葵がびっくりしてるじゃないか。おどかすんじゃない」

 言葉の内容に反して、声は至って穏やかだ。

「ちょっとまて、悟! なんだその親密な振る舞いは」 

 背の高い方、そう昨日寮で、僕を抱き上げる祐介を茶化した人が、噛みついてきた。
 たしか『守先輩』って呼ばれていた…。

「まるでもう、旧知の仲のようだね」

 うわっ、このガイジン、難しい日本語知ってる!
 顔も綺麗だけど声も麗しいし…。

「旧知の仲だ。すでに昨日知り合っている」

 桐生先輩は平然と言い放った。

「桐生先輩…」

 そんなつもりはなかったんだけど、出てみれば僕の声はひどく心細げだった。

「「「何?」」」

 …それぞれにやさしいけれど、違う声の三重奏。
 もしかして3人とも返事した…?

 間抜けな間が訪れる。


「葵が呼んだのは僕だ」
 僕を抱いている人が言った。
 そうだ。そのとおりだ。

「僕も桐生だ」
 茶髪が言う。

「僕だって桐生だ」
 金髪も言う。

 はいぃぃ?

「管弦楽部へようこそ、僕は桐生守」
「初めまして、僕は桐生昇」

 そう言って茶髪と金髪は、僕の両側から頬にキスをした。

 ……………。ガイジンはやることが派手だな。

「何をするっ!」

 思考が逆回転して、またしても固まった僕を、桐生「悟」先輩はかばうように抱きしめた。

「ふ〜ん、昨日お前の様子がおかしかった訳がわかったぞ」
「葵くんを独り占めしようったって、そうはいかないからね」
「おいっ、ちょっとまて、お前は『受け』だろうが」
「葵くんが相手なら『攻め』でもいい」
「なんだよそれ! 節操のないヤツめ!」
「誰かれかまわずのヤツにいわれたくないね」

 ……………。ガイジンはオープンだな。

 桐生悟先輩は、相変わらず固まったままの僕を小脇に抱えるように、部屋を出た。

「呼びに来てくれたんだろう?」
「あ、はい、そうなんです」

 僕は当初の目的をやっと思い出した。

「光安先生が…」
「ありがとう」

 先輩はちらっと部屋の中を見て、僕に呟いた。

「馬鹿はほっといて、行こう」

 そう言って僕の肩を抱いて、ズンズン歩き出した。
 なんだか肩が熱い…。

「こらぁ! まて!」
「あ、待ってよ!」

 ガイジンさんたちも追ってきた。
 だけど、かまわず歩を進める先輩は、僕の肩をしっかり抱いたまま、ホールの重いドアを開けた。

 集中する視線。
 ざわついていたホールが水を打ったように静かになった。

「さ、悟…」
「悟先輩…」

 あちこちでつぶやきが聞こえる。
 重苦しい雰囲気をうち破ってくれたのは、やっぱり、あのガイジンさんたちだった。

「おっと、フリーズしてるぜ」
 桐生守さん…だったっけ。ハーフなのかな?

「『らしく』ないことやるからだよ」
 桐生昇さん…だったよな。まんま、異国人だな。

「ねっ、悟・に・い・さ・ん」

 最後のセリフを二人同時に見事に決めながら、その4つの腕は、僕を先輩から引き剥がした。

(に、にいさん?! 誰が? だれの?)

 …ダメだ。思考が正回転したがらない…。


「葵! こっちへ!」

 聞こえたのは、僕が今、一番慣れ親しんでいる声。
 祐介が手を差し伸べていた。

 僕はためらわずに、逃げ込む場所を祐介に求めた。
 このドキドキから逃れたい一心で。
 
「さあ始めるぞ! さっさと席に着け!」

 沈黙を破ったのは光安先生。
 でもなんだかめちゃめちゃ嬉しそう。

 まるでストップモーションが解けたかのように、辺りが動き出した。
 先生の声に、みんな、なぜだかホッとしたように見えた。



                    ☆ .。.:*・゜



 オリエンテーションは、顧問の光安先生と部長である高3の先輩の挨拶。それに、年間スケジュールの発表と新入部員の紹介。そしてオーディションの課題の発表だった。

 フルート奏者は中学高校合わせて6人。
 高3は空席で、一番年上は高2の佐伯先輩。そう、握手のついでにいきなり僕を抱き込んだ遊び人だ。

 次は高1の祐介と僕。

 あとは中学の各学年に一人ずつ。

 そして、僕たちの『序列』を決める課題は「J.S.BACHの無伴奏パルティータより『アルマンド』」 

 オリエンテーションが終わるや否や、祐介は僕の腕を掴み、真後ろのドアを乱暴に開け、ホールを後にした。

「葵、寮に楽器を取りに行って、すぐに練習室へ行こう。課題を見て欲しいんだ」

 まっすぐ前を向いたまま、怖いほど真剣な顔。
 そうか、『序列』を決めるオーディションだもんな。
 管弦楽部の人間にとっては、試験の順位より大切なことなんだ…。
 けど…。

 僕たちは寮へ戻って楽器ケースを掴み、すぐにホールの練習室へとって返した。

 すでにほとんどの練習室が埋まっている。
 防音だから聞こえてこないけれど、みんなそれぞれのパートに与えられた課題を一生懸命に料理しようとしているんだ。
 一つでも上を目指して。

 4.5畳ほどの小さな防音室に、僕と祐介は入った。譜面台と小さな机の他には何もない殺風景な部屋。
 楽器を組み立てながら祐介が言った。

「どうしても佐伯先輩を抜きたい」
「祐介…」
「どうしても、葵の隣に座りたい」

 へ? 何それ?

「ぼ、僕の隣って祐介、僕だって何番目になるかわかんないのに」

 僕が6番目だったら、佐伯先輩を抜いてちゃ隣に座れないぞ。

「葵は首席に決まってる」
 祐介は組み立てた楽器を微調整している。

「ちょ、ちょっと待ってよ。僕だって受けるんだよ、オーディション」

 やっと祐介が顔をあげた。笑ってない。

「わかってるさ。でも葵は首席だ。僕は次席になりたい。葵と組みたい。だから頼む。練習を見て欲しい」

 オーケストラの曲の場合、たいがいフルートは2本でいい。
 
 つまりレギュラー入りすると言うことは、首席・次席になってコンビを組むということなんだ。
 そして、フルートが3本必要な曲の場合は、第3の奏者が入ると言うことだ。

 僕だって、組むのは佐伯先輩より祐介の方がいい。
 けど…。

「パルティータは何度かやってるんだ。音は読めているから…」

 祐介がたたみかけるように言う。
 けど…。

「ごめん。祐介」
 僕は目を伏せた。

「葵…。どうして? 僕の練習を見るのは嫌?」
「ち、ちがう! そうじゃなくて…」
「そうじゃなくて…?」
「僕は首席にはなれないよ」
「どうして?!」

 僕はため息と共に白状した。

「パルティータ、やったことないんだ。聞いたことはもちろんあるけど、楽譜を見るのはこれが初めて。とてもじゃないけど1週間では仕上がらない…」

「葵…」

 きっとあきれてるだろうな、祐介。

『パルティータ』はある程度フルートを吹く人間にとっては『必須』ともいえる曲だ。それをやったことがないなんて…。
 それに、僕のフルーティストとしてのキャリアはまだたったの2年。多分管弦楽部の誰よりも浅い。


「じゃ、一緒に練習して、ワンツーフィニッシュを狙おう!」

 励ますような祐介の声に、僕は弾かれたように、顔をあげた。
 そこには桜並木で見たのと同じ、綺麗で優しい笑顔があった。

「祐介…ありがと…」


 二人でゆっくりウォーミングアップをして、やっと楽器がぬくもりだした頃、僕はパルティータの楽譜に向き合った。

 とりあえず最後まで吹いてみようと思った。

 端から端まで16分音符の羅列だ。
 最初の1小節、16個の音符をまず頭にたたき込む。あとは吹きながら読んでいくしかない。

 ゆっくりとお腹の底まで息を入れ、慎重かつはっきりと音を奏でる。
 あ、いい感じ…。

 3分とちょっとの曲を、僕は思いがけないほど気分良く吹ききった。
 やっぱいい曲だよな〜、とホッと息を吐いたが、祐介の気配がない。

 恐る恐る振り返ると、祐介はちゃんとそこにいた。
 綺麗な眼が凍り付いて僕を凝視している。

「祐介…?」
「葵…。初めてって言ったよね。この曲初めて吹くって」

 声色がおかしい。掠れている…。

「うん…」
 そんなに変だっただろうか…。

「ノーミスだった…。しかも音色に全く澱みがない…」

 確かにノーミスで吹いたとは思うけど、音色が完璧だったわけじゃない。
 いっぱいいっぱい直すところはあった。
 栗山先生に言わせるときっと『ボロクソ』だろう。

「葵、レッスンお願いします」
 祐介が頭を下げた。
「ちょ…、やめて祐介」




 結局その夜、僕たちは夕食に間に合わなかった。

 消灯間際に寮に帰ると、涼太と陽司が二人分の食事を確保してくれていた。

「まったく、初日からこれだぜ」

 けれど二人は、あきれながらも、僕たちの「ワンツー・フィニッシュ」を応援してくれることとなった。




第2幕「From New World」  END


お待ちかね、葵くんの『名曲おすすめの一枚』のコーナーです。
 今度僕が挑戦する「J.S.BACHの無伴奏パルティータより『アルマンド』」
タイトルだけ見てると、なんだか難しい感じだけど、聞いてみるととっても耳馴染みのいい優しい曲なんだ。無伴奏だから、ピアノの伴奏とかもなくて、本当にフルート一本で奏でる、実力勝負!の曲、かな?
 正式な曲名は「無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調 BWV1013」。
『アルマンド』の後に、『クーラント』『サラバンド』『ブーレ・アングレーズ(ゼ)』と続く、全4楽章、約12分ほどの曲なんだ。
 おすすめのCDは「定番中の定番」、グラムフォンから出てる、「J.S.バッハ フルート・ソナタ集」。 パルティータだけでは短すぎてCDにはならないから、必ずなにかとカップリングされて出てる。 僕の持ってるのは2枚組CDだけど、確か1枚で出てるのもあるはずだから、探してみて。
 僕も、フルート・ソナタをやったときは、何回もこれを聴いてたんだ。
 フルートはオーレル・ニコレ。
 ソナタの伴奏に入ってるチェンバロはカール・リヒター。 
 理想のペアって呼ばれてる。 

*第3幕への間奏曲「準備室の3悪人」へ*

*君の愛を奏でて〜目次へ*