「ボクたちの午後」





「…フルート。首席、奈月葵。次席、浅井祐介。以下、佐伯隼人、藤原彰久、紺野昌生、谷川康裕」

 静まり返ったホールの中、高校3年の管弦楽部長が淡々と読み上げる。
 今年の『序列』だ。

 部員たちのざわめきが広がる。
 理由は簡単。
 ここ数年『年功序列』だったフルートの世界に、『下克上』が起こったからだ。

 ざわめきの中に否定的な声はない。
 あるのは「やっぱりな」という声ばかり。

 オーディションは公開だから、ほとんどの部員が聴いている。
 葵が首席なのは今さら…だ。

 部員たちの関心は、『浅井が佐伯を抜いたか』と、『中1が躍り出るか』に集まっていた。

 祐介の演奏は、今までを知っている部員たちの度肝を抜いたし、入ったばかりの中1の演奏では正直ビビッた。

 聞けば1年坊主の彰久は、この春、葵が優勝したコンクールで最年少ながら3次まで残ったのだという。


 案の定、彰久は中学の首席になった。
 ため息をつくのは、中3の紺野昌生(こんの・まさお)と中2の谷川康裕(たにがわ・やすひろ)だ。

 異議はない。
 ない、が、悲しいものは悲しいし、悔しいものは悔しい。

 見ると彰久は困惑げな顔をしている。
 彰久の気持ちもわかる。
 昌生と康裕は彰久の肩を叩いた。

「気にすんなって」

 無理に笑ってくれている2人の先輩に、彰久は戸惑った。
 こんな場合『すみません』というのも、きっと失礼だろう。

 戸惑いを隠せない1年坊主に、二人は『しょうがないな』という顔をして見せた。

「いいから、がんばろうぜ。これからよろしくな」

 この言葉に彰久は涙腺を緩ませてしまった。
 思わず二人にしがみついて、盛大に鼻をすする。
 真後ろで、葵が微笑んでいるとも知らずに。




 翌日の部活は、管楽器のみ、中高合同になっていた。
 6畳ほどの練習室に、フルートパート6人が集まる。

 3人の中学生は、最初から異様な雰囲気に気がついていた。

 佐伯隼人はやたらと葵に触りたがるし、浅井祐介は間に割り込んで火花を散らす。

(佐伯先輩って、奈月先輩にベタベタしすぎ…)

 彰久はまだまだお子さまで、隼人や祐介の胸の内などわかろうはずがない。
 けれど、一人前に『なんだか嫌だな』とは感じているのだ。



「佐伯先輩っ、葵にちょっかい出さないで下さいっ」

 祐介がまた、『らしく』ない大声を上げる。
 隼人がまた、葵に触ったのだ。
 今度はこともあろうに、腰を抱くという、祐介にとってはとてつもない暴挙。

 昌生と康裕は慣れたものだ。
 昌生は2年間、康裕も1年間、佐伯隼人という、遊び人だが腕は確かな先輩と一緒にやってきたのだ。

 ふざける時は徹底的にふざけて、打ち込む時は徹底的に打ち込む…、中途半端は大嫌い、そう言う先輩なのだ、佐伯隼人は。  

 ただ、昌生と康裕にとって、見慣れない光景が今回は、ある。

 祐介だ。

 かっこよくて、頭が良くて、フルートもうまいけど、こんな風になるのはみたことがない。

 必死になる祐介。
 顔色を変えて慌てる祐介。

(浅井先輩…どうしたんだろ?)

 これが昌生と康裕の統一見解だった。 





「な、浅井先輩、変だよな」

 フルートを3つに分解しながら、紺野昌生が言う。 

「あ、やっぱ紺野先輩もそう思いマス?」

 谷川康裕は、ガーゼをフルートに突っ込んで、管体内部のお掃除中だ。

 キョトンとしているのは、以前の祐介を知らない藤原彰久。

(浅井先輩…ヘン…なのか)

 なんだかよくわからないけど、そういうことらしい。

「な、もしかして…だけどさ…」

 思わせぶりな昌生に、康裕は頷いてみせる。

「僕もそう思うンですけど」

「やっぱねー」

 腕組みをする二人の先輩。
 彰久も一緒になって腕組みをしてみる。


「でも、浅井先輩のキモチ、わかるですよ」

 しみじみ言う康裕に、昌生は『あれっ?』という顔をする。

「なんだ、お前って浅井先輩の親衛隊じゃなかったのか」

(ええっ、浅井先輩って、親衛隊がいるのっ?)

 密かにビビる彰久。

「そうですよー。だからァ、浅井先輩のキモチ、わかるって言うんデスヨ。本物の親衛隊ってのはネ、その人の幸せを心から願うものなんデス」

 こころなしか康裕の表情はうっとりとしている。


「俺だったら、断然、奈月先輩の親衛隊だな」

 昌生の言葉に、思わず頷く彰久。

「ん? なんだ、藤原。お前も奈月先輩派か?」
「もちろんですっ」 

 拳を握って頷く彰久をみて、康裕はため息をつく。

「あ〜あ、浅井先輩、前途多難デス」
「ちょっとライバルが多すぎるよな」

 話は、またしても彰久のあずかり知らない分野に突入したようだ。


「佐伯先輩は言わずもがな、だけど、俺、実は悟先輩も怪しいんじゃないかと思ってるんだ」

 昌生は自分の意見に、自分で深く頷いてみせる。
 納得しきっているようだ。

「言えてマスね、それって」

 康裕も安易に同調する。

(悟先輩って言うと…。あの、超かっこいい、生徒指揮者の桐生先輩のことだよね…) 

 中1の彰久にとって、高2の生徒指揮者など、雲上人だ。
 その人が『怪しい』って、いったいなんだって言うんだろう。 

「しょうがないデスね。こうなったら僕、浅井先輩を応援する会、作りマース」

 フルートケースをパチンと閉じると、康裕は嬉しそうに宣言した。

「ちょっと待てよ。それなら俺は、奈月先輩を守る会を作るぞ」

 昌生の言葉に、彰久はおろおろと二人の顔を見比べる。

(守る? 奈月先輩を守るって、何から守るの?)

「な、藤原。お前も一緒に奈月先輩を守るだろ?」

 そんなの当然だ。でも…。

「先輩…。奈月先輩…どうして危ないんですか…?」
「…………………」 

 いたいけな少年には、早すぎる話題だったと、聖陵に入ってすっかり感覚が麻痺してる二人は、今さらながらに思い至る。


「あのな、藤原。落ち着いて聞けよ」

 悪魔が囁く。 

「奈月先輩は、あの通り、超可愛いだろ?」

 魅入られた子羊ちゃんは、素直に頷く。

「悟先輩、佐伯先輩、浅井先輩は、どうだ?」

 子羊ちゃんはちょこっと首をかしげて、答える。

「超かっこいい」

「だろー?」

 悪魔その1、昌生は、よしよしと彰久の頭を撫でる。

「そういうことだ」

 しかし、子羊の目は納得していなかった。

「どういうことですか?」

 悪魔その2、康裕がため息をつく。

「紺野先輩―。こいつダメですヨー」

 康裕の言葉に、今度は昌生がため息をつく。
 …こいつ、全部言わせる気かよぉ…。

「だからな、藤原。奈月先輩は狙われているっていうことだ」
「ええっ!?!」

 やっとわかってくれたかと、脱力する悪魔たち。

「奈月先輩、何かしたんですかっ?!」
「だぁぁぁぁぁ!」



                   ☆ .。.:*・゜



 二人の悪魔が去った後、一人残って練習していた彰久は、何気なく2階の窓から外を見おろした。 

(奈月先輩…)

 寮へ向かうのだろう。葵と祐介が歩いている。
 突然葵が立ち止まり、目を擦った。
 ゴミでも入ったのだろうか。
 祐介がその手を取り、葵の眼を覗き込む。
 重なる二人の頭。

「あ…っ」

 まるで、映画で見たキスシーンのようだ。
 春の夕日が、二人をスクリーンの中に閉じこめる。

 やがて、しばらく重なっていたシルエットがゆっくりと離れた。

 祐介の手にはハンカチ。
 葵の眼をそっと拭っていたようだ。

 幸せそうに、優しく微笑む祐介の表情を目の当たりにして、彰久はついに思い至る。

(浅井先輩…好きなんだ…)

 ボクも好きだけれど、ちょっと違う『好き』なんだ。きっと…。

 そして微笑み返す葵の表情を見て、思う。

(浅井先輩…大変かも…)

 葵の『好き』も、ちょっと違う『好き』のように見えたから。
 

 なかなかどうして、お子さまの感性も侮れないのである。




5000Hits&オープン1ヶ月記念番外編 「ボクたちの午後」 END


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