第7幕「僕たちの音」
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初めて出会ったときの、悟の綺麗な笑顔。 最初のキスはおでこだった。 僕が階段から落ちた時に、薬を口移しで飲ませてくれた。 ドキドキして顔が上げられなかった。 『悟』って初めて呼んだときにくれた、大人のキス。 熱い舌先に体が震えた。 僕の背中をさすって、『どんな葵もみんな好き』って言ってくれた悟。 僕のフルートにいつもぴったり寄り添ってくれる悟のピアノ。 忌まわしい過去に捕らわれた僕を、大きく包んで辛抱強く待ってくれた時、悟の体の熱さに心が震えた。 そして、初めて一つになれた夜。 体を突き抜ける痛みの中で、僕の心は悟に寄り添い、悟に出会えた喜びと、悟を愛し、愛される幸せに感謝した。 大好きな大好きな悟。 これからどんなことがあっても、僕の心は悟にあるよ。 何があっても離れない。 僕たちは音楽で結ばれて、体で結ばれて、心で結ばれて…。 だから、想いのすべてを込めて、僕はこの曲を吹くんだ。 悟への想いのすべてを。 桐生邸の2階南東、僕が泊めてもらっている部屋に夕暮れの風が訪れる。 「良い曲だね。なんて言う曲?」 僕が3分ほどの小品を吹き終わったとき、いつの間に来ていたのか、悟の柔らかい声が聞こえた。 「悟…っ」 僕はたまらなくなって、悟に駆け寄り、飛びついた。 「…ごめん、練習の邪魔しちゃったね」 悟は僕を宝物のように、壊れ物のように抱きしめてくれる。 「ううん、違うんだ。…うれしくって」 悟は耳元で、どうしたの? と小さく呟いた。 「悟の傍にいられることが嬉しくて…」 今度は潰れそうなほど抱きしめられた。 「葵、嬉しいのは僕の方だ。葵の傍にいられる幸せを絶対に離さないから」 僕たちはいつまでも一つだ…。 悟の声が体中に染み込んでくる。 優しいキスが降ってきた。 そっと唇を離すと、悟はフルートを持つ僕の手をそっと握った。 「さっきの曲、もう一度聞かせて」 悟を想って作った曲。 悟の心に届きますように。 僕はもう一度、僕の思いを音に託す。 離さないで、僕を離さないで。 僕たちは一つなんだから。 「ごめん、葵。辛かった…?」 悟の長い指が、僕の額にかかる髪をそっとかき上げる。 ベッドに沈んだ僕は、目を閉じたままゆっくりと、一度だけ首を横に振る。 辛くはないけど、だるい。 体中に満ちる、五感が抜け落ちそうな疲労感。 返事をするのも億劫なほどに、熱を解放された身体は弛緩している。 ゆっくりと抱きしめてくる悟。 僕はまだ、納まりきらない息で、悟のなすがままに全身を預ける。 悟の胸に顔を埋めた僕の耳元に、柔らかく低い声で、悟が何かを言った。 …ううん、言ったんじゃない。 歌ってる。 昼間に僕が吹いていた曲。悟を想って作った曲を。 悟の声に、僕の、ほんの少しだけ高い声を重ねると、やがて悟はメロディーとは違う旋律を歌い出した。 僕の声に、悟の声の伴奏がつく。 楽器がなくても、僕たちは心を震わせて気持ちを伝え合う。 やがて僕の瞼には眠りの砂が振られ、悟の声を子守歌にして、抱きしめられる温もりに溶けていった。 次の日、悟の部屋で、僕はもう一度この曲を吹いた。 悟のピアノがぴったりと寄り添った。 書き上げられたばかりの楽譜に悟がタイトルを入れる。 『君の愛を奏でて』 これは、僕たちの、呼び合う魂の音色。 |
第7幕「僕たちの音」 END
Variation:…ね、僕を抱いて。→*「がんばれ、隆也!」へ*