3月20日 葵birthday企画

君の愛を奏でて

花雪洞の灯りの下で
〜SIDE 葵〜

このお話は「君愛1」の「花雪洞の灯りの下で」の葵視点のお話ですv







 お日様は山の向こうに沈んだけれど、まだ少し空に明るさが残る頃。

 僕の住んでいる祇園界隈では雪洞に灯がともる。

 それを合図のように、このあたりから僕たち子供の影は消えて、ここは大人だけの世界になる。

 お茶屋のお客さんや、普通の観光客、ご飯を食べにやってきた会社帰りの人たち…。

 いろんな人が通るけれど、でも、夜の祇園は大人の世界。

 僕もこの時間にはもう家の中にいて、置屋のおかあさんや由紀、そして栗山先生と一緒に晩ご飯を食べて、宿題やって、お風呂に入って…。

 お母さんがお座敷から帰ってくる頃には、僕はもう眠ってる。




 僕は奈月葵。
 今日、10歳になったばかりの小学校4年生…春からは5年生やけれど。



「あれ? 葵ちゃんやないの。こないな時間に何処行くんえ?」

 祇園の細い路地をちょっと早足で抜けていた僕を呼び止めたのは、舞妓になって2年目の鈴香ちゃんやった。

「あ、鈴香ねえさん、こんばんは。おおきに、お疲れさんどす」

「いややわあ、葵ちゃん、一人前の舞妓の口きき、しはるわあ」

 コロコロと笑う鈴香ちゃん。

「それにしても、ようこないな時間に外へ出してもらえたなあ。栗山センセはどないしはったんえ?」

 中学校の先生をしてはる栗山先生は、お母さんの幼なじみで、父親のいない僕のお父さん代わりの人。

「修学旅行の引率で東京行ってはる」

「へえ、ガッコのセンセも大変やなあ。 そやかて葵ちゃん、センセ居はらへん間にオイタしたらあかんでぇ」

「うん、大丈夫やて。バレたらあとからコワイもん」


『葵ちゃんは知能犯やしなあ』…なんて失礼なこと言うて笑う鈴香ちゃんに、僕は、僕のお母さんの居場所を聞いてみた。


「なあ、鈴香ちゃん。うちのお母さん、今日は何処に居てるか知ってる?」

「綾菊姉さん? そう言えば今日はいつものお客さんのお座敷断らはったて聞いたような…」

 そうなんや。本当は今日はお馴染みさんのお座敷のはずやったのに、お母さんは夕方の早いうちからもう支度をして、置屋のおかあさんに予定を変えてもらえるように頼み込んでさっさと出かけてしもたんや。

 いつもはそんなこと、絶対あらへんのに。
 
 しかも出がけに僕の顔をジッと見つめて、『葵みたいなええ子を持てて、うちはほんまに幸せもんやわ…』なんて言うから。

 そやから、僕は何や急に心配になってしもて…。

 お母さんが、先に決まっていたお座敷を断ってまで会おうとしてるのは、いったい誰なんやろう?

 鈴香ちゃんは思い当たるお茶屋の名前を僕に教えてくれて、『また抹茶パフェ食べに行こな』と言って『いやあ、急がんと遅刻やわあ!』と、慌てて――それでも軽い足取りで花見小路を横切っていった。





 教えてもらったお茶屋は、僕も時々――昼間に…やけれど――遊びに行くところやから、尋ねやすい。

 僕は細い路地をいくつか抜けて、古めかしい佇まいの小さな格子の前に立った。
 

 カラカラカラ…。

 
 乾いた木の気持ちのいい音を立てて、格子戸が開く。
 
 遠くから聞こえるのは三味線の音や、地唄の声。
 



「…こんばんわあ…」

 小さな声で言うてみると、お茶屋のおかみさんが廊下の奥から顔を出した。

「あれまあ、葵ちゃんやないの。どないしたん? こないな時間に」

「あの、ごめんなさい。うちのお母さん、いてるかと思て…」

「ああ、綾菊ちゃんなあ。来てはるけど、今は大事なお客さんが来てはるさかい…」

 やっぱり、大事なお客さんなんや。
 誰なんやろう?

「あれ? 葵ちゃんや」

 おかみさんの後ろから顔を出したのは、お母さんの妹分に当たる舞妓――綾花(あやはな)ちゃん。

 あれ? 変やなあ。


「綾花ちゃん、お座敷は?」

 お母さんと一緒に出てるのと違うの?

「さっきまでは一緒にお座敷出てたんやけどなぁ。綾菊姉さん、大事なお話があるさかい…て言わはったから、うちはお先に失礼させてもろうてん。そやけど姉さん差し置いて先に帰るわけにいかへんやろ? そやし、ここで待たせてもろうてるねん」

 言いながら僕に上がっておいでと手招きをする。
 お茶屋のおかみさんも『おいで』て言うてくれはったから、僕は『お邪魔します』言うて上がらせてもろた。


「葵ちゃん、お腹空いてへんか? ほら、いづ重のお稲荷さんあるさかい、お食べ」

「わあ、おおきに!」

『いづ重』はここからすぐそばの『祇園石段下』にある小さなお寿司やさん。
 今でも薪でご飯を炊いてはる。
 ここの『お稲荷さん』はほんのり柚の香りが効いていて、お揚げも柔らこう炊けてて美味しいから大好きなんや。




「なあ、綾花ちゃん」

 お稲荷さんを3つもよばれて、おかみさんが用事で出ていかはった隙に、僕は綾花ちゃんに聞いてみた。

「今日のお客さんてどんな人?」

 お客さんの話をお座敷の外でしたらあかん…っていうのは祇園の常識。

 でも、僕が芸妓『綾菊』の子で、生粋の祇園っ子やから、当たり障りのないことは教えてもらえる。


「なんでも有名な音楽評論家のセンセらしいで。音楽大学の学長さんもしてはるんやてぇ」

 ふうん。でも、そう言うお客さんは、ここ――祇園では珍しゅうないけど。
 
「しかも、ものすごう可愛い男の子を連れてはるんえ」

「男の子?」


 子供がこんなところ――お茶屋に来てるなんて、聞いたことがない。

「いくつくらいやろ? 葵ちゃんよりは上やと思うねんけどなあ」

 綾花ちゃんは、天井――2階のお座敷方向を見上げながら、首を傾げる。

「そや、ちょっと覗いてみたないか?」

「の、覗くて…」

「ええスポット知ってるねん。ちょっと襖を動かすだけでお客さんの顔がチラッと見える、絶好のポイントや」

「でも、そんなことしたらあかんやろ?」

 ばれたら大目玉やで。

「男の子の顔、見るだけやん。センセの顔は見たらアカンかもしれんけど、お子ちゃまやったら平気平気」


『一見の価値はある美少年やで。葵ちゃんには負けるけどな』…なんて言う綾花ちゃんの言葉に釣られて、僕はお客さんの通らへん裏の階段をこっそりとついていく。


 でも…。

 角度が悪かったらしく、結局、綾花ちゃんの言う、『ものすごう可愛い男の子』をみることはできなかった。

 ただ、一筋だけ涙を落とした、お母さんの悲しげな様子だけが見えて…。





 …もしかしたら、今日お座敷にいたのは『僕の父親』に関係してる人なんかも知れへんな…。

 なんとなく、そう思た。

 でも、そんなことはどうでもええんや。
 僕が大人になったら、僕がお母さんを幸せにしてあげるんやから。

 栗山先生は、『葵は頭がええから、ちゃんと勉強したら何にでもなれる』て言うてくれはった。

 だから、僕は頑張ってる。
『お父さん』なんていらへん。

 お母さんと僕だけで、――あと…栗山先生もずっと一緒にいてくれはったらええなあと思うけど。

 それだけでええのやから。





 表に迎えの車が来たらしい。

 お客さんを送りに出てたお母さんが、僕が綾花ちゃんと喋ってる声を聞きつけてやって来た。


「おかあさん…」
「これ…こんなとこまで来たらあかんやろ」
「う…ん、そやかて…」

 僕はお母さんが心配やってん。

「…そやなぁ、…今日は誕生日やったなぁ。堪忍な…今日くらいは一緒にいてあげようと思うてたのに…」

 あ、そう言えば誕生日やった。ちょっと忘れてた。

「ううん…。お座敷忙しいのわかってるし。…僕な…おかあさん、迎えに来たんやで」

 一緒に帰ろ?

「おおきに…。ほな、帰りにお好み焼き食べて帰ろっか?」
「うん!」
「ほな、もうちょっと待っててな」

 お母さんは僕をふんわりと抱き寄せてから、玄関へ戻っていった。




 春の匂いがする京都。

 雪洞の灯りのない、観光客の通らない裏道を、僕とお母さんは手を繋いで歩く。


「なあ、葵は何が食べたい?」
「んーっとなあ、僕はエビ玉!」
「ほな、お母さんはイカ玉にしようかなぁ」


 夜の空気に紛れて、桜の気配がほんの少し…した。



 そして、いつの間にか僕は、この日のことを忘れていった。



                



 今、僕の手元にあるのは一枚の写真。

 あの日のお母さんと悟、そして、悟のお祖父さんが写っている。

 やっぱりちょっと惜しかったな。
 綾花ちゃんの言う、『一見の価値ある美少年』時代を見ておきたかった。

 だって、彼は今、『美少年』を脱ぎ捨てて、クラクラするほどいい男…になっちゃったから。





「葵、そろそろ袖へ行こう」

 そう言って僕の手を取ってくれるのは、今やその実力と容姿で若い女性を中心に絶大な人気を誇る、若きマエストロ。

「うん!」

 今夜の舞台は、定番『モーツァルトのフルート協奏曲』。

 悟が振るときは、僕はなんにも考えなくていい。
 
 ただ、心を悟に寄り添わせる…それだけで…。




葵birthday企画
「花雪洞の灯りの下で〜SIDE 葵」 END

2004.3.20  UP
2005.3.26 再UP


*花雪洞の灯りの下で…へ*

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