「いけいけ、隆也!」
*葵が入院中のお話ですv
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「危ないっ」 葵の声に、隆也は慌てて手元を見る。 「あ…ごめん」 その右手にはナイフ、左手にはリンゴ。 今受けた衝撃に、隆也はナイフを落としそうになったのだ。 「葵…。今なんて言った…?」 隆也はリンゴを剥く手を止めて、葵をジッと見る。 ベッドの上の葵はずいぶんと元気になった。 葵が血を吐いて倒れたのを、すぐ間近(聖陵の場合、第2ヴァイオリンの10番目の奏者の席は、フルートの真ん前なのである)で見たときには心臓が止まりそうだったが、こうして回復した葵を見て、本当にホッとしている隆也だった。 学校から病院はかなり遠い。 片道1時間もかかるのに、桐生家の兄弟はもちろん、同室の祐介、涼太、陽司も頻繁にやってくる。 葵が疲れてしまうから、と言う理由で、学校側も面会を制限しているのだが、隆也もお構いなしにやって来ては、あれこれと世話を焼く。 それは葵との仲に自信があるからに他ならなかった。 謝罪し、和解して以来、隆也はその思いを葵に寄せていたが、それが受け入れられないのはよくわかっていた。 葵の心は悟にある。 わかってはいるが、諦めきれない。 ならば…と、祐介たちルームメートが占めていた『親友』の位置に食い込んだのだ。 今では周囲もそう認識している。 葵が自分を信頼してくれている。 今の隆也はそれだけで十分幸せだった。 そして、今日も隆也はやって来た。リンゴを抱えて。 自慢じゃないが、今までリンゴなんか剥いたことがない。 それでも、葵の世話を焼きたい一心で、昨日の夜、5個のリンゴを剥いて、練習してきたのだ。 そして隆也は半分剥いたリンゴを持ったまま、葵の答えを待っている。 「隆也、リンゴ、食べたい」 聞きたいのはそんな答えではないのだが、隆也は慌てて残りを剥き、葵の口まで持っていく。 「はい、あーんして」 隆也は自分まで口を開けてみせる。 「ちょ…いいよ、自分で食べられるよ」 葵は隆也の手からリンゴを奪いとる。 「よく噛んで食べなきゃだめだよ」 胃に穴があいたんだから…と続けると、葵は、あいてないよ、と小さく答えて、それでも注意して、ほんのちょっぴり、リンゴにかじりついた。 「…で、さっきなんて言った?」 そう、なんだかすごいことを聞いたのだ。 葵は隆也をチラッと見て、ごくんとリンゴを飲み込んだ。 「父親が…見つかったんだ」 「…えっ?」 そうだった。 自分が暴露したクセに、忘れていたのだ。 葵に父親がないことを。 「いつ?」 「んー、聖陵祭の最終日。コンサートの後」 いったいどういうタイミングなんだ、と隆也は首をかしげた。 「ひょっとして、葵のストレスの原因って…」 葵が救急車で搬送されたあと、学院は大騒ぎになった。 その夜、葵への輸血を終え、病院から帰ってきた教師によって『原因はストレス』という情報がもたらされていた。 「うん…まあね」 そこの辺りは曖昧にしておきたい葵だった。 「会ったの?」 隆也が小さい声で訊ねる。誰も聞いちゃいないのに。 「うん。会った…っていうか、会ってるうちにわかった」 「どんな人だった?」 会ってるうちにわかった、というのはいったい何なのだろうと、内心首をかしげつつ、つい好奇心から聞いてしまう。 「赤坂良昭さんだった」 もとより、ルームメイトと隆也にだけは話しておこうと決めていたので、遠回しに言うのはやめだ。 「…ええと、それって、もしかして、指揮者の?」 聞いた瞬間、隆也は同姓同名の別人だろうかと思ったのだが。 「そう、指揮者の。あの日、来てただろ、コンサートに」 なんでもないように言って、葵はまたちょっぴりリンゴをかじった。 隆也はしばし、考え込むが…。 「あのさ…、あの人って、悟先輩と昇先輩と守先輩のお父さんじゃなかったっけ」 これは聖陵学院の生徒なら、誰でも知っている事実である。 葵はもぐもぐしながら頷く。 隆也は混乱したのか、俯いてしまった。 しばらく様子を見てから、葵が話し始める。 「祐介はその場にいたから最初から知ってたんだ。で、涼太と陽司には話した。 もちろん先輩たちも知ってる。 あとは…隆也だけには聞いておいてもらおうと思って」 隆也の方を伺うが、顔を上げる気配はない。 「学校には報告してもらった。 …ほら、あれ、『A特待』からはずしてもらわなきゃいけないだろ? だから…。でも籍は卒業まで触らないことにしたんだ。ちゃんと話し合って…」 葵が言葉をきってふと顔を上げると、隆也がいつにないほど真剣な顔で葵を見つめていた。 「…ビックリした? …そりゃ、するよね」 目をパチっと開いた葵に隆也はそっと手を伸ばし、その細い身体を抱きしめた。 「僕には教えてくれたんだね」 「う…ん。 だって、隆也は大事な親友だし、それに、きっと誰にも言わないでいてくれると思ったから…」 隆也の腕に力がこもる。 葵の身体が少し震えた。 (隆也…力、強くなってる…) そう言えば、夏以来、順調に背が伸びているようだった。 毎日顔を合わせるので、あまり気づかなかったが、よくよく思い出してみると、最近目線が少し上のような気がする。 実際隆也は、学院内でも『上級生たちのアイドル』から『下級生たちのお兄さま』に変貌しつつあった。 身近すぎて、葵にはさっぱりわかっていなかったのだが。 「誰にも言わないよ。絶対」 『絶対』の部分にやたらと力がこもっている。 (そんなこと、わざわざ人に教えてなんかやらないって) 抱きしめられている葵は、よもや隆也がアヤシイ笑いを漏らしているなどとは思いもしない。 悟と葵が兄弟だという事実は、隆也の未来をちょっぴり明るく照らしていた。 (チャンスが戻ってくるかも…) しかし、そんな気持ちは心の奥底にしまっておくに限る。 「よかったね、葵。一度に兄さんが3人もできて」 その顔は『ほんっとうによかったっ』といっている。 そりゃそうだろう。ほんっとうの『本心』なのだから。 そんな本心の下の、邪な想いに葵が気づくはずがない。 「うん。そう思う」 悟の気持ちが分かった今、葵にとって兄たちの存在は喜びでしかない。 無邪気な可愛い笑みを見せる葵に、隆也は若干の後ろめたさを感じつつも、抱きしめる手を緩めることはできなかった。 (これで浅井さえ出し抜けていれば…) そうは思ったが、今は仕方がないだろう。 「ね、隆也、苦しいよ…」 知らず力を込めていたらしい。 葵が窮屈そうに身を捩る。 ふふっ…。 隆也は小さく笑って、可愛い唇に『ちゅくっ』とキスを落とす。 「た…っ、隆也…っ?!」 初めての葵の唇は、やっぱりリンゴの味がした。 「気にしない、気にしない。今のはお友達のキス」 そういって立ち上がり、『じゃ、また明日くるよ』と告げる。 固まっている葵。 病室を出るとき、隆也は振り向いて笑った。 「葵、いつか浮気しようね」 隆也はやっぱり…隆也だった。 |
1周年&完結記念「いけいけ、隆也!」 END
Variation:この魔法が永遠に解けませんように…。→*「シンデレラの魔法は解けない」へ*