「シンデレラの魔法は解けない」


*このお話は第9幕「君の愛を奏でて」で葵が退院してきた後のお話です。


 


「しばらく俺のベッドと交代だからな」

 退院してきたものの、やっぱり体力のちょっぴり落ちてしまった僕のために、涼太が下のベッドを譲ってくれた。

 涼太と陽司も、祐介と一緒に何度も病院に来てくれて、僕にクラスの様子を教えてくれたり、寮でのあれこれをおもしろ可笑しく聞かせてくれていたんだけれど、授業のことなどはあまり教えてくれなかった。

 入院中はそんな心配しないでゆっくり寝てろ、っていう心遣いからだったようなんだけど…。

 けれど、イヤでも中間試験はやってくる。


 「ありがと…。ところで、ね、試験範囲教えて」

 僕はベッドに押し込まれながらも、頼んだ。

 『特A』でなくなったから、これで安心して…と思ったのが大間違い。
 栗山先生から「順位が一桁から落ちたら承知しないぞ」って脅かされたし…。


「ああ、これ」

 そう言って陽司がメモをくれた。

「けどさ、葵…。お父さん見つかったから、奨学生を返上したんだろ?」

 涼太が心配げに覗き込んでくる。
 頷いた僕に、涼太はちょっと口を尖らせた。

「だったら、今回くらい試験のことなんか気にせずにゆっくり休んだらどうだ? せっかくよくなったのに、無茶したら元も子もない」

 いつになく真剣な涼太に、僕は申し訳なくってちょっと小さくなる。

 そう…いつだったか僕は、『涼太が大切にしている後輩が、難しい病気で…』って言う話を聞いたことがある。 
 その子はきっと、バスケ部の秋園くん…。
 涼太が僕にじゃれついてくるたび、僕は涼太が誰かに向けている熱い思いを何となく感じていたんだけど…。

「うん。ありがと、涼太。でも大丈夫だよ。無理もしないし、ゆっくりやるよ」
「約束だぞ」
「うん」

 僕の頭をクシャっと撫でて、涼太はニッと笑った。

 ん? 何…今の気になる表情は…。

 気になりつつも、僕は渡されたメモを見る。 
 中間は全部で10教科。試験範囲を見て、僕はにんまりと笑った。

 それは、2学期が始まるとまた忙しくなるだろうことを見越して、夏の間ちびちびと予習をしていた範囲だったからだ。
 これなら1番は無理でも、一桁はキープできそう。

「おい…」
「うん…」
「だから言ったろ」

 3人が怪しい会話を始めた。

「なに?」

 僕が聞くと、3人がそれぞれに、『どうする?』とか『お前が言えよ』みたいな会話を目で交わしている。
 何だってんだ、いったい。

「いや…あの、今度の試験でさぁ…」

 涼太が言い淀んで、となりの陽司をつつく。

「葵、ぜんぜん授業受けられなかったし…」

 陽司が目線を祐介に送る。

「…葵の順位がどこまで落ちるか…で…その…」

 祐介がしどろもどろになる。

 …なるほどね。
 僕はこめかみを押さえてため息をついた。

「……で、何を賭けてるわけ」
「さすが、葵ちゃんっ、お察しがいい」

 僕は、視線だけで『陽司のバカ』と告げる。
 わかった? 陽司。

「何賭けてんの。まさかお金じゃないよね」
「あったりまえじゃないか。健全な高校生が金賭けてどうすんだよ」

 祐介が憤慨したように言うけれど、説得力は皆無だ。

「じゃ、健全な高校生の皆さんは何を賭けてるの」

 またしても3人は顔を見合わせて、目で会話を交わす。

「心配するな。賞品が豪華なだけで、負けても失う物はない」

 祐介がチッチッチと指を振る。

「いいから、素直に吐きなさい」

 僕の言葉に、やっと涼太が口を開いた。

「ピタリ賞には『奈月葵くんと校内半日デートの権利』、前後賞には『奈月葵くんとツーショット撮り放題の権利』が贈られます」

 …ったく…開いた口が塞がらないとはこの事だな。

 僕は脱力すると、上目遣いに3人を見上げた。

「言い出しっぺは誰?」
「旧高等部生徒会だ」

 やけにはっきりと祐介が答えた。





 ここ聖陵学院は中等部と高等部で役員改選・各部部長改選の時期が違うらしい。

 中等部は所謂『高校受験』がないから、改選は学年の終わり、新3年生から選ばれて、卒業までつとめる。

 高等部はさすがに大学受験があるので、学年途中、つまり秋の『聖陵祭』の終了をもって役員の任期が終わることになっている。新役員は現在の2年生から選ばれるわけだ。

 入院中に選挙があったことは、僕も聞いていた。

 生徒会長に悟を担ぎ出そうという動きもあったらしいんだけど、案の定、本人がガンとして受け入れなかったらしい。
 そのあたり、悟は何にも言わないけれど。

 そのかわり、管弦楽部の選挙では、当然のように新部長には悟が就任した。

 副部長が佐伯先輩だって聞いて、僕が大笑いしたことは内緒だけどね。
 あれで、結構人望あるんだ、佐伯先輩は。僕にとっては危険な人だけどね。

 まあ、悟にとっては、今までやってきたことも、光安先生にとっての『片腕』で、前部長が悟の補佐をするくらいだったから、体制的にあまり変わりはないらしい。




「旧高等部生徒会っていうと…」

 確か、会長さんと会計さんと執行部員の人たちが僕に血をくれた…。

「そう、輸血に駆けつけた人たちだ」

 …そう言われると、言葉に詰まる。

「せっかく助けた葵の命。有効に使わせていただこうということで」
「ありがたくお相手させていただきます」

 僕はベッドに正座して三つ指をついた。

「でも、まさか、こんなくだらない賞品に乗せられてるヤツなんかいないよね」
「…全校規模に膨れ上がった。中等部まで巻き込んでるようだし」

 しゃあしゃあと陽司が言う。

「院長も投票したらしいぜ。何位に投票したか聞いてないけどね」

 先生〜。

「あー、俺まずったなー」
「俺もー」
「ふふ…僕の線が手堅そうだな」

 またしても3人だけの会話が成り立つ。

「なんだよ」

 僕が不機嫌になったのを見て、しょうがないな、と涼太が言った。

「いや、俺は12番、陽司は15番に賭けてんだけど…」
「僕は、2番に賭けた。1番は今度こそ僕がいただくから」

 祐介は不敵に笑う。

「さっき、試験範囲を見た葵が余裕の顔を見せたから、あ、こりゃ順位はそんなに落ちないなと思ってね」
「じゃ、1番に賭けてる人はいないの?」
「いるよ…」
「あ、ばかっ」

 陽司の言葉を涼太が遮る。
 陽司が慌てて自分の手で、自分の口を塞ぐ。 

「誰…。教えなさ〜い」

 3人は顔を見合わせて、『仕方ないな』という風に肩を竦めた。

「……管弦楽部の新部長さんが…」

 祐介が遠回しに告げる。

 はいぃぃぃ?
 がーーーーっ、悟まで『全校賭博』に手を出すなんてっ!
 …けど、そうと聞いちゃあ…。

「ふっふっふ。僕に喋ったのが運の尽きだったね」

 上目遣いに見上げる僕を、3人はビビッた表情で見おろした。

「中途半端な順位は狙いにくいけどねぇ、1番は狙いやすいよ。……祐介っ」

 僕はビシッと祐介を指さした。
 ビクッとする祐介。くくっ…おもしろ〜い。

「一番は渡さない」



☆.。.:*・゜



 翌日から4日間、10教科の中間試験が行われ、部活も休みだから、午後はゆっくりと静養し、定演に向けての練習もかなりできた。

 そして、1週間後…。

 僕をダシにした『全校賭博』の結果が張り出された。

 昼休み、いつも以上のにぎわいで廊下が盛り上がっているようだ。

 まったく腐ったヤツらめ。
 けれど、僕は寮の食堂にいた。

「あれ? 葵、見に行かないの」

 みんなが聞いてくる。

「うん。いい」

 結果は分かっているんだ。

 テストは全部返ってきたから、点数がわかってる。
 唯一のライバル、祐介が、古文で98点だったのも知っている。

 だから…ふっふっふ…。僕より上の人間はいない。絶対に。

 そろそろ、発表を見た連中がやってくる頃だ。
 
「葵っ!」

 そら来た。

「院長が泣いて喜んでる」

 ……はぁっ?  



☆.。.:*・゜



「いつまでも笑わないの」

 消灯前点呼まであと1時間。
 僕は悟と二人、練習室にいた。
 笑いっぱなしなのは悟だ。

「しかし、参ったね。せっかく僕のために1番を取ってくれたのに」

 悟は僕を抱き込んで、まだクスクスやっている。

「何が何でも1番って思ったんだよ。だからせっかく、絶対1番が約束される…」
「オール満点を取ったのにね」

 悟の唇が、僕のそれにちゅっと音をたてて触れた。

「高等部での『全教科満点』は学校始まって以来らしいよ。中等部と違って教科数が多いからね」
「悟はないの? 満点」
「中学の時は何回かあったけど、高校ではさすがにないな」 

 けれど、悟は今回ももちろん1番だった。
 僕の入院にべったり付き添っていて、しかも定演の譜読みまでしていたのでは、勉強するヒマなんかなかっただろうに…。

「なに?」

 見上げた僕に、悟が聞く。

「ううん。なんでもない…」
「院長、放課後教室に現れたんだって?」

 僕は情けない顔で頷く。

「まさか、院長が1番に賭けていたとはね」

 悟はまたクスクス言い出した。

「システム手帳を持って現れたんだ。いつデートしようかって」
「僕とダブルブッキングにする? そうすれば…」

 とんでもない。
 せっかく公(?)に悟と校内デートできるチャンスを、みすみす邪魔されてたまるかってんだ。

 僕がそう訴えると、悟は『それもそうだな…』と腕を組み、ちょっとだけ考えるとニッっと笑った。

 こういう笑い方をすると、やっぱり守先輩と兄弟なんだな…、似てるな…って思う。

 そう思ってから、僕もその片割れだって事に気づく。

 15年間の一人っ子生活は、しっかり僕に染みついていて、『兄』というものの存在がなかなか認識できないんだ…。
 当然、まだ『先輩』って呼んでいる。


「半日デートだろ? なら院長が午前中、9時から12時まで。僕が午後全部っていうのはどう?」
「午後全部って?」
「もちろん昼から夜中の12時まで」

 悟の手が、僕の腰に廻った。

「まるでシンデレラだね」
「シンデレラと違うところが一つ」

 綺麗な顔が近づいてくる。

「なに?」
「12時になっても魔法は解けないんだよ」

 言葉の終わりと同時に、僕の唇が塞がれた。
 首に後ろから手が当てられ、グッと引き寄せられて、唇の密着が深くなる。
 
 僕の息のすべてを吸い取ってしまいそうなほどの深いキスに僕はうっとりと身を任せてしまい…。
 そして、心の中で小さく唱える。


 願わくば、この魔法が、永遠に解けませんように…と。




1周年&完結記念「シンデレラの魔法は解けない」 END


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