「Sweet Home」
昇、高校二年の冬休み
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冬ごもりの支度をして、僕は直人とマンションに帰ってきた。 今日は12月30日。 本当にいろんなことがあった、この1年が終わろうとしている。 12月24日に、僕たち聖陵学院管弦楽部は1年で1番大きな行事、定期演奏会を終え、25日にはうちでクリスマスパーティーを開いた。 その後、葵と栗山先生が先に京都へ戻り、ついさっき、悟と守、そして母さんの3人が京都へ向かった。 守と母さんは、初めて過ごす京都のお正月にワクワクしているようだったけど、悟は当然、葵と二人っきりになれる時間が少なくなると踏んで、若干ご機嫌斜めのようだったのが笑えたっけ。 あれ以来、守も葵にベタ甘だからね。 僕も守のことは言えないけど。 ま、先は長いんだから、そんなに焦らなくってもいいのにさ…。 で、僕と直人はこのマンションで年を越した後、3日から5日まで京都へ行くことになってる。 4日に葵が神社の祭礼で雅楽の奉納をするのだけど、多分これが最後になるだろうからということで、僕と直人も聴きに行くことになったんだ。 「うっわ。ホントに冷蔵庫空っぽだ〜」 思わず叫んでしまった。 だって電気がついてるだけの、ただの箱って感じなんだもん。 「仕方ないだろ? ここに帰って来るのは久しぶりなんだから」 直人は、食料のぎっしり詰まった袋をガサゴソさせながら、返事だけを返してくる。 そう、直人は24日まで学校、25日にはうちに来て、26日から昨夜まで実家に帰っていたんだ。 「ちゃんと冷凍と冷蔵、間違えないで入れてよ〜」 「そんなの間違えるわけないじゃないか」 わかんないよ。直人は、思いもかけないところで抜けてるんだから。 「ちょっと窓開けて換気するね」 「ああ、頼む」 今日は天気がいいせいか、そんなに寒くないし、まだ陽も高い。 人気のなかったマンションには、冬に入ってからの重い空気がどんよりと居座っているから、窓を大きく開けて…。 「うわ〜」 リビングの大きな窓。 ベランダへ出ると、澄んだ冬の空気のおかげで遠くまで見渡せる。 小さな山の裾に広がっているのが、聖陵学院だ。 音楽ホールのてっぺんが少しだけ見えている。 寮は、少し高いところにあるから見えてもいいはずなんだけど、背の高い木に囲まれているからよくわからない。 どっちにしても、学校は今日から6日まで完全休暇だから誰もいないはずなんだけど。 それにしても、僕はこのベランダからの眺めがこんなにいいことに、今まで気付かなかった。 これなら、夜の眺めもいいかもしれない…。 僕は夜景に期待をして、大きく深呼吸をしてから隣の部屋へ向かった。 ここは、僕と守が半年間暮らした部屋。 僕は小学校から帰って来た後、直人が聖陵から帰ってくるまでの間が待ち遠しくて、直人の姿が入ってくるなり、それこそ寝るまでまとわりついていたっけ…。 壁一面の本棚には楽譜がぎっしり詰まっていて、今ではその頃を思い出すようなものは何も残っていないけれど…。 あれ? これは…? 一つだけアルバムのようなものが挟まれている。 そっと手にとって開けてみると、たまっていた空気がフワッと揺らいで、あの頃の匂いがしたような気がする。 そこで笑っていたのは、あの頃の僕と守と、そして…『先生』…。 |
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「イヤだ、僕行きたくない。お留守番してるっ」 「でもね、昇。あなたのものもたくさん買わなくちゃいけないのよ」 「悟と守と同じのでいいから」 「悟も守もあなたより大きいのよ」 「じゃあ、悟と守より小さいの買ってきてくれたらいいっ」 そう言うと、お母さんは小さくため息をついて、先生に『お願いします』って言って、悟と守を連れてお買い物に行った。 「どうした、昇。気分でも悪いのか」 先生は僕の額に手を当てた。ひんやりしていて気持ちがいい。 「熱はなさそうだな」 熱なんかないよ。でも、なんだか苦しいよ…先生…。 「僕、行きたくない」 「ん? 何か言ったか」 先生はしゃがみ込んで、僕の目の前に来てくれた。 「僕…学校なんか行かないっ」 僕は思いっきり先生にしがみついた。 一生懸命にしがみついておかないと、先生と一緒にいられなくなるような気がして…。 「僕、先生と一緒にいるっ」 耳の側で、先生が小さく笑ったのが聞こえた。 「バカだな、昇。聖陵へ来たら、今までよりずっと長い時間一緒にいられるんだぞ。昇は管弦楽部へ入ってくれるんだろ? なら、毎日放課後は一緒にいられるぞ」 先生は座って、僕を膝に乗せてくれた。 学校へ入ってしまったら、きっとこんなコトもできなくなるに決まってる…。だって…。 「でも、他の人もいっぱいいる…」 先生はきっと、みんなのもの。 学校では、僕だけの先生ではいてくれないんだ…。 「大丈夫。どんなにたくさんの生徒がいても、昇をずっと見ているよ」 先生の大きな掌で、僕の頭は、そっと先生の胸に…。 心臓の音がすぐ近くに聞こえる…。 ドキドキしている僕と、同じくらいの早さ…。 ホントに? ホントに僕をずっと見てくれる? 「それに、会いたくなったらいつでも僕の部屋へ来ればいい。昇だけ、フリーパスにしてあげるよ」 「ホントにっ?」 「ただし、授業中はダメだぞ」 中学生になっても、先生は僕の『先生』でいてくれる…! 嬉しくって、ギュッとしがみついた僕に、先生は優しい声で『みんなには内緒だよ』って言った。 『みんなには内緒』…悟にも、守にもナイショ…。 僕たちだけの大切な秘密。 先生は、ずっと、僕だけの先生…。 「よかった」 そう言うと、先生も、ギュってしてくれる。 痛いくらいだけど、でも、それもすっごく嬉くって…。 そうだ…。僕は大切なことを言わなくちゃいけないんだ…。 身体を離して先生を見ると、真っ黒な先生の目に僕が映っている。 『昇の目は、綺麗だね。サファイアの色をしてる』 『サファイアって何?』 『宝石のことだよ』 『宝石…? じゃあ、僕の目は宝物なの?』 『そうだよ。昇は、…僕の宝物だ』 夜、急に悲しくなって、初めて先生のベッドに潜り込んだとき、先生は僕にそう言ってくれたんだ…。 僕がずっと先生の宝物でいられますように…。 「先生…大好き」 |
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あれは、明るい陽の射す、二人きりのリビングでのことだったっけ…。 『せんせい…僕のことずっと見てるって、約束して』 そう言って僕が差し出した小さな小指に、直人は躊躇わずに長い小指を絡ませてくれて…。 『約束…しよう』 直人は、守って…くれた…。 「どうした? こっちは終わったぞ」 後ろから覆い被さるようにして、直人が覗き込んできた。 「ん…。これ見て」 僕は手にした写真を見せる。 「…へー。懐かしいな。そういえば、本棚に置いてたっけ」 「休みの度に、いろんなところに連れてってくれたよね」 「そうだな…。ディズニーランドなんか行くと大変だったよな。守は文句言わないのに、昇は『並ぶのいや』とか『こっちじゃなくて、あっちがいい』とか、すぐわがまま言ったからなぁ」 「な…っ、どうしてそんな余計なこと覚えてるわけ?」 「これだけじゃない。昇の言った言葉は、みんな覚えてるさ…」 ………。顔から火が出そうだ…。 「あ…あっちの窓開けてくるっ」 照れくさくって、恥ずかしくって、僕は手にしていたアルバムを直人に押しつけると、そのままリビングを横切って寝室に入った。 ここへ入るのは、8月のあの日以来なんだけど…。 あれ? なんだか様子が違うような…。 部屋が…狭くなった…? キョトンとしている僕の肩を、直人が抱きしめて来る。 「気に入った?」 え? 何が…? カーテンもスタンドも多分前と同じで…。 でも、よく見ると…。 「べ…ベッド?」 ベッドが替わってる…! 「さすがにシングルじゃ狭いからな」 「な、直人っ」 「ん? 何だ。昇は子供部屋の方がいいのか?」 自信満々の顔で聞くなっ。 「あ、それとも、想い出のベッドがなくなって寂しいか?」 「ど、どういう意味だよっ」 僕は、まだ一度きりの『あの日』を思い出して、頭から湯気を噴いた。 「んー? 小学生の頃、昇が潜り込んできた想い出のベッドって意味だけど」 「なっ…!」 直人は確信犯の笑みを浮かべて、僕の唇に近づいてきた。 「昇…愛してる…」 僕の返事は、そのまま直人の唇に吸い込まれて…。 チビの頃、二人で寝ていても全然狭くなかったベッド。 僕はもう、大きくなってしまって、想い出のベッドでは眠れない。 でも、寂しくなんかない。 だって、ここから先はきっと、新しい想い出を二人で作っていけるから。 …その夜、初めて潜り込んだキングサイズのベッドは、確かに寝心地満点だったけれど。 でも、こんなにひっついて眠ってたんじゃ、意味ないよな…。 |
10万Hits記念感謝祭「Sweet Home」 END