葵クンの憂鬱

〜楽園殿堂入り記念〜


後編



「僕、これ以上目立つのやなんだ」

 これはかなり本音。

「そうだな…。いろいろと詮索されるのも気分悪いだろうし」

 陽司が僕の頭を撫でる。

 僕が悟たちと兄弟だってことを涼太と陽司に話したときも、それこそ僕の生い立ちから話をしなくちゃいけなかった。

 そうでないと、こんなにこんがらがった話、わかんないもんね。 

 でも、涼太と陽司、それに隆也も僕の話を黙ってジッと聞いてくれて、最後に『お前、がんばってきたんだな』っていってくれたんだ。

 親友たちの温かい言葉に胸が一杯になった僕だけど、みんながみんな、そうとは限らないと思うんだ。

 きっといろいろなことを聞かれ、噂になる…。

 たとえ僕が我慢できても、それは悟、昇、守にも及ぶことだし、それに…。

 母さんが一人で大切に胸にしまってきた想い出を、多くの人の前に晒す気なんてない。

 だから僕は『このこと』を隠し通そうと決めたんだ。

「けどさ、その…葵のお父さん…の気持ちも、わかる気がするし…」

 言いにくそうに、涼太がポツポツと言葉を漏らす。

「赤坂先生も必死なんだろうな。知らずにいた15年を取り戻そうと思って…」

 祐介もちょっとしたため息と一緒に言葉を零す。

「うん、そうなんだろうね…きっと…」

 だからこそ、僕は『来ないでください』とは言えないんだ…。

 でも、でも…。

「でも、あんな大物がいきなり現れたんじゃ、みんな何事かと思うよな」

 僕が言いたかったことを、陽司が言ってくれた。

「そうだよな。去年聖陵祭に現れただけでもすごい騒ぎだったしな」
「いっそのこと、悟先輩たちの面談日と一緒にしてもらって、ついでに…ってのはどうだ?」
「あ、それいいかも」

 3人が勝手に盛り上がる。
 けど、そうは行かないんだな、これが。 

「その手はダメ。先輩たちの親権者は香奈子先生だよ。入学から5年も経って、今さら赤坂先生の出番なんかないって」

 僕がそう言うと、3人はがっくりと肩を落とした。

 でも、僕一人で悩んでいたことを、3人は「さてどうしたものか」と一緒に頭を悩ませてくれて…。

『ガタンっ』

 いきなり祐介が立ち上がった。

「わ、びっくりするじゃねーか、いきなりっ」

 陽司がいうと、祐介は「ちょっと、コーヒー買ってくる」と言って、部屋を出ていこうとした。

「あ、俺も! ブラックお願いね〜祐介クン」
「俺、ミルクティー!」
「僕、ココア!」

 こういうとき、みんな一切遠慮がない。
『立ってるものは○○でも使え』ってね。

 特に、こんな寒い日の夜はみんな部屋から出たがらない。
 廊下もほんのりと暖房は効いてるんだけどね。 

「あのね〜」

 ドアを半分開けたところで、祐介が呆れた顔で振り返る。

「お代は葵が身体で払うって」
「ちょっと、なんだよ、それっ」
「それなら、いくらでも買ってくるよ」
「祐介も真に受けるなってばっ」

 こんなおバカなやり取りに気を取られたせいか、この時、祐介が自販機へ行っただけにしては帰りが遅かったことに、僕はあとから気づいたんだ。



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 それから数日後、音楽ホールの掲示板に大きな紙が張り出された。

 そこには『オーケストラ・クリニック実施』の文字。

 オーケストラ・クリニックっていうのは、文字通り、オーケストラを見てもらって、診断してもらって、指導してもらうってことだ。

 オケでも個人レッスンでも、いつも同じ指導者についていると、いつの間にか弱点が出来てしまったりする事がある。
 それを防いだり矯正したりするって意味で、とても重要なことではあるんだけれど…。

 それにしてもいきなりだよな。

「ずいぶん急な話だね」

 掲示板から少し離れたところから張り紙を眺めていた僕は、隣に立つ祐介にそう声をかけた。

「そうだな」

 ん? 祐介から返ってきた答えは確かに僕の言葉に対する『肯定』を表しているんだけど、祐介の声色はちっとも驚いた感じじゃなかった。 

「あんまり驚かないね」

 そういうと、祐介は目をパチッと開いて僕を見た。

「そ、そんなことないって。十分驚いてるって」

 …なんだかへんなの…。

 掲示板の前に群がった部員たちからも『25日だってさ、ずいぶん急だよな』って声が上がった。

「え? 25日って…」

 僕の面談日じゃないか。

「ええっ?! 講師は赤坂先生だって」

 掲示板の一番前にいた2年生の先輩が大きな声をあげたとたん、あたりは興奮の坩堝になった。

 赤坂先生が来る…?
 25日に…?
 それって…。

 
「葵っ?!」
 
 驚く祐介の声を背中に、僕は走った。悟のところへ。

 今の時間なら多分、第1練習室にいるはず。

 絶対悟は何かを知ってる。

 だって、ホールの掲示板への張り紙は、光安先生と、部長である悟の許可が必ずいるからだ。

 そうしないと、掲示板は『恋人求む』とか『○日にデートしてくれる人募集!○×オケのチケットあり』なんて言うとんでもない物で埋まってしまうから。

 もっとも『生徒準備室』の掲示板はそんなので埋め尽くされてるけどね。


 一気に階段を駆け上がって、第1練習室へ着いた僕は、小窓から中の様子をみる。

 やっぱりいた! 悟はピアノを弾いていた。

 僕は分厚い扉をかなり乱暴にノックして、返事も待たずにドアを開けた。

「葵? どうした、血相変えて」

 返事を待たずにドアを開けることなんて一度もなかった僕に、悟は驚いて立ち上がった。
 そして駆け寄ってくる。

「何かあったのか?!」

 肩を掴まれて揺さぶられる。

「悟、あれ、何?」

 僕はほんの少し乱れた息で悟に聞く。

「あれ?」
「そう、あの張り紙だよ。『オーケストラ・クリニック』!」

 一気にそう言いきると、悟は急に表情を和らげた。

「見たんだ」
「見たよっ。25日、しかも講師は…」
「そう、珍しいだろ?」

 そう言うと、悟は半開きのドアから廊下に顔を出し、あたりをキョロキョロと伺うとドアを閉めた。

 そして僕をひょいっと抱え上げて僕ごとピアノ椅子に腰掛ける。

 さりげに小窓からの死角を選んでるところがなんとも…って、そんなこと言ってる場合じゃない。


「悟っ」
「あの人もここのOBだからな。しかも学費・諸経費全免除の『A特待』だ。まあ、それを返して余りあるほど寄付をしてるって言っても、こういう貢献もあっていいんじゃないかってね」

 口ではきっちり説明してくれるんだけど、その口は何故だか僕の頬や首のあたりを彷徨っていて…。

「悟、くすぐったいってば」
「え? 感じない?」
「あのねっ」

 僕は悟の口に掌を当てて押し戻す。
 ともかく話の続きだ。

「貢献って、どうしていきなり。しかも25日は…」
「ちょうどよかったじゃないか。葵の面談日だろう?」

 僕に押し戻されて、ちょっとムッとしながら悟が言う。

「誰が提案したの? 悟?」

 ジッと見つめてそう言うと、観念したのか、悟はちょっと首を竦めた。

「そう。僕が光安先生に提案して、マエストロにも連絡した。二つ返事だったよ、当然ね。まあ、どっちにしたってこっちへ来るつもりだったんだからいいんじゃない?」

 いいんじゃない? ……って、そんな…。

「どうして、そんな…僕のためなんかに…」

 ちょっと涙目になった僕に、悟は今度こそ『お手上げだ』って顔をした。

「ん〜…。絶対言わないでくれって言われてたんだけど…」
「なに?」

 まだ隠してることがあるんだ…。

「言わなきゃフェアじゃないよな」

 悟は自分自身に言い聞かせるようにそう言う。
 僕はすかさずそれに頷いた。

 なんだか知らないけれど、フェアじゃない、絶対。

「実は、浅井から相談されたんだ」
「え?」

 祐介…が?

「葵が悩んでるって。赤坂先生が来てくれるのは嬉しいけれど、それで騒ぎになると困ると思ってるようだ…ってね」

 そんな…いつの間に…。

「何とかしてやって欲しいって。赤坂先生が来ても騒ぎにならないようにできないかっていう話だったよ」

 悟は親指で僕の頬をそっと拭った。
 いつの間にか、こぼれ落ちるものがあったらしい…。

「でも、あの人が来たら騒ぎになるに決まってる。それならいっそのこと、騒ぎを中心にしてしまえばいいと思ったわけだ」

 その結果が『クリニック』だったのか…。

「悟…ありがと…」

 首に抱きついてそう言うと、悟はギュッと抱き返してくれながら、『その言葉、今回だけは浅井に譲るよ』って囁いた。

「うん…」

 僕がそう言ってもう一度悟にしがみついたとき、分厚い扉がノックされる鈍い音がした。

 慌てて飛び降りる僕。どこからって、それは悟の膝の…。

「悟先輩、葵、来てますよね」

 悟がドアを開けた途端に、祐介の声が流れ込んできた。

「祐介…」

 僕がドアへ駆け寄ると、祐介はちょっと口を尖らせていった。

「パート練習の時間だぞ。首席が来ないと始まらないんだからな」
「あ、ごめんっ」

 しまった、すっかり忘れてた。

「行っておいで、葵」
「うんっ」

 悟の優しい声に送り出されて僕は部屋を出る。

「ほら、行くぞ」

 先に立って早足で歩く祐介のあとを追いながら、僕はその背中に小さく声をかけた。

「祐介、ありがと」

 聞こえないかと思ったんだけど、祐介はピタッと立ち止まった。

「葵…」

 振り向かないまま落ちた、訝しげな祐介の声。
 僕は祐介の前に回り込んだ。

「祐介、ありがとう」

 もう一度言うと、祐介は一瞬ものすごく照れくさそうな顔をしてから、真顔に戻った。

「悟先輩…言わないでくれって頼んだのに…」
「言わなきゃフェアじゃないって」

 明るい僕の声に、祐介はなぜだかニヤッと笑う。

「へ〜。…ってことは、先輩、僕のことをまだライバルだって思ってくれてるわけだ」 

 はあ? ライバルぅ?

「さ、行こうか、葵」

 祐介はいきなり僕の肩をがっちり抱いて、引きずるように歩き出す。

「ちょ、ちょっと、祐介っ」

 暴れてもびくともしない祐介の腕。

 そして、慌てる僕の耳に『げっ』っていう、カエルが踏みつぶされたような声が…。

「よう。熱々じゃん」

 目線を上げると、真っ正面にニヤッと笑った茅野くんと、怯えた表情の羽野くんがいた…。

 どうやら『げっ』って言うのは羽野くんの声、らしい…。

「おかげさまで」

 こら、祐介、なにを余裕こいてるっ。

「羽野〜。当てられちゃったな〜。悔しいから俺たちも見せつけてやろ〜ぜ〜」

 言うなり茅野くんが羽野くんの肩を抱きしめる。

 …そっか、やっぱりこの二人、そうなのか…。

「あっ、何しやがるっ! こらっ、茅野っ、離せってばっ」

 引きずられながら暴れる羽野くん。
 照れちゃって、可愛いんだ。

「じゃあな」

 幸せそうに笑って、茅野くんが羽野くんを引きずって行った。

 …って、人のこと観察してる場合じゃなかったよ。

「祐介〜」

 見上げると、祐介がニコッと笑って見おろしてきた。

「そう言えば、この前のココア代…」

 あ。そう言えばあの時、小銭がなくて借りっぱなしだった…。

「身体で払ってくれていいよ」

 にこやかに言ってのける祐介に、慌てて僕がブレザーの内ポケットから財布を出したのは言うまでもない…。



END


羽野君の受難も覗いてみたい? ヒントは『げっ』ですよ(^_-)

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最後の最後まで疑ったあなたに幸あれ(笑)