君の愛を奏でて

「僕だけの聖域」






 あの時もそうだった。

 ちょうど1年ほど前。
 僕は中学3年生で、今夜と同じように、光安先生の部屋へ呼ばれた帰り道のこと…。

 確かに聞こえる。
 微かなんだけど、あれは、ピアノの音だ。

 あの時と同じ…。

 1年前、僕はその正体を確かめなかった。

 でも、2度目を聞いてしまった以上、確かめないわけにはいかない。

 僕は意を決して、音の方へと足を進めた。

 僅かに漏れ出てくる音は、やっぱり音楽室からだった。

 校舎内にある音楽室というのは授業にだけ使われる部屋で、僕たち管弦楽部員は別棟の「音楽ホール」を使う。

 だから、部員の誰かが音楽室を使っているということは…まず無い。

 第一…。

 僕はそっと重いドアのハンドルに触れてから、グッと力を入れて押し下げてみる。

 一つ目の扉は開いた。

 けれど、音楽室のドアは二重になっていて、僕の足幅を2歩分進むと次の扉だ。

 そして、二つ目のドアのハンドルはびくともしない…。

 鍵がかかっている…。
 なのに、中からは…ピアノの……音………。
 



 僕は滅多なことで驚いたりしないし、『怖い』って感情も少ない方だと思う。

 けれど、この不可解な出来事は――不可解だからこそ――僕の足に、一刻も早くそこから離れることを選ばせたんだ。

 1月半ば。夜の学校は、それは寒くて……。











「鍵のかかった音楽室からピアノの音?」

 フルートパートのパート練習を終えて、佐伯先輩や中学生たちがいなくなった練習室。

 僕は昨夜の出来事を葵に話した。
 もちろん、できるだけ冷静に話したつもりだったんだけど。

「あっはっは〜。祐介、それって『お約束』だよ」

 葵はフルートを片づけながら、片手間に僕の話を聞いている。

「ほら、『学校の怪談』ってヤツ。理科室、音楽室、トイレ…この3つは定番じゃないか」

 葵はフルートのキーを磨きだした。

「お約束…たって、別に僕だって作り話をしてるわけじゃないぞ」

 ほんの少し、ムキになってしまう。

 本音を言うと、ちょっと葵に怖がって欲しかったんだ。
 怖がって、しがみついてくれたり…なんて妄想を勝手に抱いていたんだけど。


 それにしても、葵のこの反応は可愛げなさ過ぎじゃないか。

 あ、もちろん僕自身もこの不可解な出来事を、葵に話すことでケリをつけたいって気持ちは十分にあるんだけど。


 僕の声色が少し変わったせいか、葵は少し目を丸くして僕を見上げた。

「別に、祐介が作り話して僕を怖がらせようとしてる…なんて思ってないよ」

 ニコッと笑う葵。
 でも、信じてくれてる顔じゃない。

「でもさ、ホールじゃないとしたら管弦楽部員じゃないだろ? それに光安先生は部屋にいたんだから、音の主は先生じゃない。他の音楽の先生方は二人ともそんな時間に校内にいないはずだし…」

 葵は「ん〜」と唸って口を尖らせる。

「長期休暇中は校舎も鍵がかかってるけど、普段は夜でも校舎への出入りは自由だから、きっと誰かが許可をもらって弾いているか…」

 葵は言葉を切ってまたニッコリと笑った。

「祐介、聞き間違いだよ、きっと」

 ………そうくるか。

「1年前と同じシチュエーションって言うのが余計に恐怖感を煽っちゃったりしたんじゃない?」

 僕は、怖くなんかない。
 ただ、不可解なだけなんだってば。



「も、いいよ。一人で確かめる」

 僕はフルートケースと楽譜を抱え、葵に背を向けた。

「祐介…。怒った?」

 途端に心細そうな声になる葵。

「別に。怒ってなんかない」

 そう、怒ってなんかいないけど、ちょっと悔しい。

「祐介…」

 心配そうな声をする葵を一人残し、僕は練習室を後にした。

 絶対、確かめてやる。

 誰かが弾いてると言うのなら、その誰かを確かめないと、もう、気がすまない!










 その夜から僕は、消灯点呼ぎりぎりまで音楽室の側で張り込みをした。

 非常灯の灯りだけの暗い廊下。
 当然暖房は切れていて、寒いことこの上ない。

 僕はしっかり着込んではきたものの、部屋へ帰る頃には芯まで冷えていて…。




 そして、『その夜』は3日目にやって来た。

 僕がやって来たときにはもう、微かな音が聞こえていたんだ。

 僕はそのまま踵を返し、寮へ駆け戻った。




「葵っ!」

 僕は412号室へ駆け込むなり葵の腕を取った。

 葵もどうやらホールから戻ってきたばかりらしく、身体が冷えている。

「な、なに? 祐介」

 目を見開く葵。

「いいから、来て、音楽室っ」
「おい、なんだよ、祐介。一体何が…」

 横から陽司が口を挟む。

「陽司も来いっ」
「はぁ?」

 わけがわからん…と言う顔をして、陽司は僕を見据える。

「とにかく急いでっ、音楽室で…」

 葵が少し、顔色を変えた。

「ピアノが鳴ってるんだ…!」





 
「ホントだ…」

 息だけで葵が呟いた。
 重いドアにピッタリ耳をつけ、中の音を懸命に拾おうとする。

「な、だから言ったろ?」
「うん。……ゴメン、祐介」 
「わかってくれればそれでいいんだけど…」

 …いや、良くない。
 とにかくこの音の正体を確かめないと…っ!



「これ、結構上手いんじゃねーの?」

 言葉の最後に『…俺、よくわかんないけどさ…』っていう呟きをつけて、陽司は僕と葵を見た。

「うーん、僕もピアノは苦手だから…。でも、かなり弾けてると思うんだけど」

 今度は葵も僕を見る。
 僕は二人に向かって頷いた。

「確かに、上手い。かなりの弾き手だよ、これは」

 僕も子供の頃から嫌々やらされていたから、そこそこ弾ける。
 でも、これは僕なんかの比じゃない。

「悟先輩に近いものがあるんじゃ…」

 ボソッと僕が言うと、陽司が掠れた音で口笛を鳴らした。

「そりゃ、すごいじゃん」

 そしてニタッと笑う。

「中でバッハとかモーツァルトの肖像画が弾いてんじゃねーの?」

 ………。

「陽司…」
「何?」
「お前、このシチュエーションでよくもそんな笑えない冗談が飛ばせるな…」

 僕が横目で睨むと、陽司はひょいっと肩をすくめる。

「そんなことないぜ、十分笑えるよな、葵」

 葵は、特殊錠だから見えないっていうのに、鍵穴を覗き込んでいる。

「ううん、笑えないよ、陽司」

 そうそう、その通り。

「だって、この曲ショパンだよ。先に生まれたバッハやモーツァルトが知ってるはずないじゃない」


 …………頭痛くなってきた…。


「こうなったら、張り込むしかないよね」

 葵はすっと背筋を伸ばす。

「出てくるまで待とう」


 …望むところだ…! 







「おい、そろそろヤバイぜ」

 陽司が耳元で言う。

「そうだね、消灯点呼まであと15分だよ」

 葵も耳元で言う。

 寒いせいか、怖いせいか、葵が僕の右腕にギュッとしがみついていて気持ちいい。

 左腕にぶら下がってる陽司が余分だけど。


「涼太のヤツ心配してるかな」
「あ」

 そうか…3人ともこの時間にいないなんてこと滅多にない。

 涼太、心配してるかも知れないな…。


「どうするよ? 今夜の所は諦めて帰……」

 陽司が言ったとき、音も立てずに扉が開いた。

 僕らは慌てて頭を引っ込める。
 そして、扉の前に現れたのは…。


「りょ…」

 僕たちは、慌てて互いの口を塞ぎあった。

 そこにいたのは、そう、412号室で心配しているはずの『ヤツ』だったんだ。

 しかも、中等部の後輩連れ。 
 涼太はその後輩、秋園貴史の肩を自然な仕草で抱き寄せ、歩き出した。





『行くぞ…』

 息だけで陽司が言い、僕らは頷いた。
 足音を立てずに後を追う。

『おい、涼太ってピアノ弾けるのかよ』

 陽司が息を殺して聞いてくる。

『いや、聞いたことないな』

 涼太のことは結構知っているつもりだったけど、そんな話はでたことがない。

『んじゃ、秋園か? 弾いてたのは』
『秋園くん、なんだか似合いそうだよね』

 葵も安易に同意する。

 そりゃあ、あの涼太がショパンを弾くより、秋園が弾いてる方が似合いそうだけど…。


 ごちゃごちゃ言いながら、適当な距離を保ちつつ後をついていくと、案の定、中等部との寮の分かれ道で、涼太は秋園の額に小さくキスを落としてその姿を見送った。


「今だっ!」

 秋園の姿がすっかり見えなくなった頃、陽司の合図で僕たち3人は涼太の捕獲に成功した。


「うわぁっ!!」

 いきなり現れた僕たち3人に、涼太は思いっきり驚いて、胸を押さえてしゃがみ込む。

「なんなんだよ〜、一体」

 心なしか、見上げる涼太の顔が赤い。

 あのタイミングで僕たちがでてきたということは、現場を見られていたはずだとでも思っているんだろうか?

 実際そうだけど。   





 僕らは412号室に戻り、無事点呼を済ませた。

 パジャマに着替えたところで、陽司が涼太に詰め寄った。

「おい、お前、毎晩ああやって逢い引きしてるのか?」

 ……そうじゃないだろ…。
 僕らが聞きたいのは…。



「涼太。ピアノ弾いてたのは、秋園か?」
「え?!」

 僕らの予想に反して、涼太は素っ頓狂な声をあげた。 

「あれはっ、貴史じゃな………」

 慌てたのか、涼太が首を2,3度強く振ったとき、今度は葵が声をあげた。

「ああっ!」
「うわぁっ」 

 その声に驚く僕たち。

「そう言えば…涼太って…!」

 涼太って?

 僕と陽司は葵を凝視した。
 涼太は、目を大きく開く。

「光安先生の甥っ子だったんだっけ!」

 ………………。

 一瞬の沈黙、のち…。

「ええーーーーーーーっ!」
 

 







『くしゃんっ』

「祐介、大丈夫…?」

 葵の細くて小さな掌が僕の背中を行き来する。  

 結局あのあと涼太には、光安先生の甥――それですべての謎が解けたわけだけれど――だって事を黙っていた罰として、一週間の『食堂席取りの刑』が言い渡され、ブツブツ言いながらも刑期満了まであと2日となっている。

 けれど僕はこの美味しい時に、ベッドの住人となって、ここ、412号室に監禁の身だ。

 寒い夜、3日も校舎の中で張り込んでいたのが祟って、風邪をひいてしまったんだ。


「ごめんね、祐介。僕が最初から信じてあげていれば、風邪ひかなくてすんだのに」

 葵は責任を感じたのか、僕が熱をだした夜からつきっきりでせっせと世話を焼いてくれている。

「でも、普通の風邪でよかったね。インフルエンザだったりしたら、隔離だなんて…」

 知らなかったよ…と、葵は夕食のトレイを持ち上げて小首をかしげた。


 そう、この学校には保健室にはいくつかの個室があって、インフルエンザになんかなったら、即、隔離なんだ。

 だって、寮生活でインフルエンザが蔓延したらとんでもないことになるしな。
 まあ、予防接種は必須だから、そんな事態には滅多にならないんだけど。


「それにしても、祐介、食べられようになってよかったね」

 漸く食欲が戻った僕に、葵はホッとした笑顔を向ける。 

 今夜も食堂のおばちゃんが作ってくれた『特製病人食』を葵が運んできてくれたんだ。

 僕は毎年冬になると、1回は風邪をひいて熱をだすっていう悪い癖があるんだけど、こういう風邪なら何回かかってもいいかな…なんて思ってしまう。


「葵のおかげだよ」

 練習室にも行かず、ずっと僕の側に葵がいてくれるなんて…。

「もとはと言えば、僕のせいだもん」

 少し表情を曇らせながら、葵が僕の肩をそっと押さえる。
 僕に横になるよう促しながら、そっと毛布をかけ直してくれて…。

「今夜も寒いみたいだから、冷やさないようにしないとね」

 ニコッと笑った葵の手を、僕はギュッと握る。

「祐介…?」

 キョトンとした目が可愛い。

「暖めて」
「……え?」
「寒い夜、病人には人肌が一番」


 安物臭いキャッチコピーのような言葉を吐いて、僕は掴んだ細い腕を引っ張った。

「あ、わわわわわ…」

 葵の身体は結構簡単に崩れて来た。

「温かい…葵…」

 そう呟くと、葵は大人しくなった。

「今夜だけだよ…」

 小さく胸元に落ちた呟きに、僕は敢えて答えを返さない。

 しっくりと腕に納まる身体は、たまらない抱き心地で…。


 そういえば、去年もこんな事、あったっけ…。

 あれからいろんな事があったけど、結局僕らの関係は…あの時の、まま…。

 葵…僕はまだ少し苦しいよ。

 でも、僕は、僕だけの場所をキープしてみせる。

 恋人になってしまうと、もう、踏み込む事のできない『友情』と言う名の聖域に……。









 二人の寝息が規則正しくなってから少し後。

 寝ているかも知れない祐介を起こさないように、涼太と陽司はドアをそっと開けて412号室へ入った。

 そこで見た光景は…。


「うわお。宵の口から大胆だな、お二人さん」
「くっっそぉぉぉ。羨ましいぜぇぇぇぇっ!」








 翌日、祐介はすっきりした顔で4日ぶりに登校し、その隣では葵がやつれた顔を見せている。

 原因は昨日の『添い寝』そのもの、ではない。



『奈月のヤツ、浅井の風邪もらったらしいな』
『え〜、そうなんだ?』
『添い寝しててうつったらしいぜ』
『ふ〜ん、恋人に移すと治るってホントなんだな〜』



 一番コワイのは、深夜の音楽室でも、一人でに鳴り出すピアノでもなく、無責任な噂話……なのであった。



END

BBS1100GETのみゅんさまからいただいたリクエストです(*^_^*)

 リク内容は
『葵くんにドキドキのマイスイート祐介くん!…んでもって、赤丸急上昇の涼太くんと、ダークホース陽司くんにもゲスト出演してもらって、『葵くんを囲んで、嬉し楽しの412号室』をリクエストさせて頂きます!』
 と言うことだったのですが…。

 わはは(笑って誤魔化す)

 とりあえず、4人ともでてきたと言うことと、祐介がちょっぴり美味しい思いをしたと言うことで、お許し下さいませ〜!(逃げっ)

 みゅんさま、リクエストありがとうございましたvv

 …しかし…タイトル負け(汗)

バックで戻ってねv

文中にでてきます、涼太と秋園くんの恋物語は「私立聖陵学院・バスケ部!」でどうぞv