2003年お正月企画
花のワルツ

前編




 ボクの名前は藤原彰久。聖陵学院中学校の1年生。
 管弦楽部でフルートを吹いている。

 入学するまでは不安でたまらなかった寮生活も、仲のいい同級生や、頼もしくて素敵な先輩たちに囲まれてとっても快適。

 今は冬休みなんだけど、年末に退寮するときは、何だかすごく寂しかった。

 明後日にはまた入寮で、みんなに会えるのに、ボクはこのたった2週間を『うちに帰りたくない』と思うまでに寮生活に馴染んじゃったんだ。

 もちろん、夏休みと違って誰もいない寮に残ろうって気は全然ないけど。

 夏休み以来、久しぶりに帰ったうちでは、お父さんとお母さんがボクのことをめちゃくちゃ甘やかしてくれちゃって、居心地は悪くないんだけど、でも、何だか違う…。


 …今頃何してるのかな…先輩。


 奈月先輩は京都へ帰るって言ってたけど、浅井先輩がどうするのかっていうのは何にも聞けなかった。

 もしかして、一緒に京都に行っちゃったりしてるのかなぁ…。

 …でも、明後日には会えるよね…うん。 


「あーちゃん、用意できた?」
「あ、うん、できたよ」

 今日は1月5日。ボクの13回目の誕生日。

 誕生日のプレゼントを買いに行こうってお母さんが言うから、これから出かけるところ。


「あらあら、こんな薄着じゃダメよ。ちゃんとマフラーもして」

「暑いよ、お母さん」

「ダメダメ。管楽器奏者が風邪ひいちゃダメでしょ? 喉を冷やすと風邪をひきやすいんだって。ほら、手袋も」


 聞くたびに上手になってる。
 …お母さんは、ボクのフルートをそんな風に言う。

 ともかく自分が叶えられなかった『楽器が出来る』って夢をボクが実現していることが嬉しくて仕方ないんだって。

 だから、風邪をひかないようにとか、指を冷やさないようにとか、とにかくすごく過保護なんだ。

 そういうわけで、ボクはいっぱい着せられて、あっという間に雪だるまのようにまぁるくなってしまう。

 うう…暑いよぉ…。 

「さ、できた。行くわよ」

 お、お母さんっ、手、繋ぐのはナシっ!



    ☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆



 お母さんと二人、出かけてきたのは表参道。

 普通の会社はもう仕事が始まったけれど、学校はまだ休みだから人も多いし、なによりお正月の華やかなウィンドウはまだまだそのままだ。

 でも、ボクがみて楽しいお店はあんまりないと思うんだけどな…。

 お母さんは『久しぶりに来てみたら随分変わってるわね〜』なんて言って熱心にキョロキョロしてる。 


「あら?」

 言いながらお母さんはボクのマフラーを引っ張った。

「ねぇ、あーちゃん、あの人…」

 お母さんがちょっと指でさした先を見れば…。

 …え? まさか。

 でも、確かにそう。何度目を擦ってみても、そう。

 あれは、浅井先輩…!

「あの人、あーちゃんの先輩よね?」

「あ…うん、多分…」

「何が『多分』…よ。あんなハンサムくん、そうはいないわよ。この前の定演の時も素敵だったわ〜。管弦楽部の黒の制服がまた似合ってるのよね〜」

 そりゃそうだけど。

 でも、同じ学校でも寮が違うから、私服姿ってのは滅多に目にしなくて…。

 だから向こうを歩いている先輩は、制服姿とはまた違う格好良さで、ボクにとっては、何だかまるで知らない人のよう。

 しかも…先輩、一人じゃない。


「まぁ〜、あれだけの男前だと連れて歩く女性も上等だわねぇ」

 ため息を付きながらお母さんがうっとりと言った。

 先輩の隣には、すごく綺麗な人。

「ねぇ、あーちゃん。あの先輩って何年生だっけ?」

「…高1だよ」

「…ってことは、女子大生か、あの彼女は」

 女子大生の、彼女…。


 楽しそうに笑いながら歩いている先輩たちは、まるでそこだけスポットがあたってるみたいに目立っている。


「ね、せっかくだから、ご挨拶しましょうよ。紹介して、あーちゃん」

 ええっ?
 …お、お母さんっ、いきなり何をっ。

「や、やだよ。せ、先輩だってせっかくの休みなのにっ」

「何言ってるのよ。……あら、もしかして怖い先輩なの?」

「ち、違うよっ、浅井先輩はすごく優しいよっ」

「ならいいじゃないの」

「ダメだってばっ、デートの邪魔になるじゃないっ」

 …あれ? …ボクの胸、なんだかキュッと縮まった。

「…そういえばそうね。せっかくのデートのお邪魔になっちゃうわねぇ」

 …まただ。
 なんだろう、この痛いような、感じ。

 …って、そんなこと考えてる場合じゃないや。とにかく早くここから離れないと!

「そうでしょ? 早く、いこ」

 ボクはお母さんのハンドバッグを引っ張って、反対を向こうと…。


「あれ? 藤原じゃないか」


 …ひ。

 ちょっと遠くから。でもよく通る声でボクの名前を呼んだのは、紛れもなくデート中のその人。

 呼び止められて、ボクは恐る恐る振り返る。だって、どんな顔で振り返ったらいいのかわかんないから…。

 振り返ってみたら、先輩はもう目の前まで来ていた。


「こんなところで会うなんて」

 笑顔の先輩に、ボクも思わず嬉しくなってしまうんだけれど…。

 先輩は、ハンドバックをしっかりと握りしめているボクの手の先を視線で辿ると、その高い身長をかがめてボクの耳にそっとささやいた。

「…もしかして、お母さん?」
「…あ、はい…」

 チラッと見上げたお母さんは、もう、これでもかって言うくらい、にっこにこで。

 そんな母さんに向き直り、先輩はそりゃあ素敵な笑顔で言ったんだ。


「初めまして。聖陵学院高校の浅井祐介と言います。管弦楽部では藤原くんと同じフルートパートです」

 …めっちゃ、かっこいい〜。

「こちらこそ初めまして。彰久の母でございます。いつもうちの子がお世話になりましてありがとうございます。本当にまだまだ赤ちゃんが抜けてなくて…」

 お、おかあさんっ!

「甘えんぼで泣き虫で…」

 な、なんてことをっ!

 ボクは慌ててお母さんのコートの袖を引っ張ったんだけれど、お母さんはまるで気にしないんだ。

「きっとご迷惑をおかけしていると思います」

 うわ〜ん、そりゃあ『ゴメイワク』はおかけしてるかも知れないけど〜。

「いえ、藤原くんはとてもしっかりしていて、素直で優しいからみんなの人気者です」

 …せ、先輩まで、何を言い出すかと思えばぁぁ。

「まあ、そうなんですか? 先輩に誉めていただいてよかったわねぇ、あーちゃん」

 げ。その名で呼ぶ?

 見ると、浅井先輩は一瞬目を丸くして…。それから…。

「藤原……『あーちゃん』って呼ばれてるんだ」

 ククッって笑ったんだ〜!
 お母さんのばか〜!

 でも、ボクが――きっと顔を真っ赤にして――俯いてるっていうのに、お母さんはそんなボクにお構いなしにまだ話を続けるんだ。


「そう言えば、先日の定期演奏会もとても素敵でしたわ。チャイコフスキーの5番では首席をつとめてらっしゃいましたわね」

「はい、首席の奈月がコンチェルトのソロで抜けたので、僕が代わりをつとめました。藤原くんも中等部では立派に首席をつとめて、評判もとてもよかったです」

 あああ。先輩…そんなこと言ったらお母さん、舞い上がっちゃうよ…。

「まあ、そうなんですか? よかったわね、あーちゃん」

 だからやめてってば〜!!

 ボクがますます慌てたとき、先輩の後ろから声がした。


「祐介、私も紹介して」

 綺麗で優しくて、でも芯の強そうな声。ああ、そう言えば先輩、デート中だったんだ…。

 ボクの胸がまた、変な感じに疼く。痛いのか、くすぐったいのか、わからない。


「あら、ごめんなさい。せっかくのデートのお邪魔になりましたわね」

 お母さんが言うと、先輩と、それから後ろの女の人――うわ、近くで見ると、さらにすっごい美人――が目をまん丸にして、それからいや〜な顔になった。

「…あの…デートに見えましたか?」

 先輩が言うと、お母さんはにっこり笑って『ええ。とっても』って答える。

 すると先輩は美人さんに向き直って言ったんだ。


「だから、一緒にくるのやなんだよ」

「何言ってるのよ。たまに帰ってきたときぐらい姉孝行しなさいよ」


 …え?


「だいたい、ちょっとでかくなったからって、一人で大きくなったみたいな顔しちゃって。誰におむつ替えてもらったと思ってるのよ」

「…なっ、姉貴っ、何をっ」

 …お、おむつ…。


「あ、ご挨拶が遅れました。私、祐介の姉で浅井さやかと申します。いつも不承の弟がお世話になりましてありがとうございます」

 お、お姉さんっ? あ、あんまり似てないみたいだけど…。でも、どっちも美形…。

「ま〜! お姉さまでいらしたのね、ごめんなさいね、あまりにお似合いの美男美女でいらしたから、つい〜」

 って、お母さんはコロコロと笑い出した。

 先輩は…『おむつ』って言われたのが効いたのか、かなり…むくれてる…。

 これってボクが「あーちゃん」って呼ばれてるのより、もうちょっと恥ずかしいかも…。

 …って、先輩や、お姉さん、それにうちのお母さんをクルクルと観察しているうちに、話は妙な方向へ向かっていた。


「じゃあね、1時間ほどで戻ってくるから、イイコでいるのよ」

 そう言ってボクの頭を撫でるお母さん。

「お買い物すんだら携帯に連絡入れるから、あなたはあーちゃんとゆっくりしてらっしゃいね」

 そう言って、背伸びしてまで先輩の頭を撫でたのは、お姉さん。


 二人はすっかり意気投合してしまって、表参道にできた新しいブランドショップへ行こうって話になったらしいんだ…。

 ボクと、先輩を置いて…。



「…どうする、藤原」
「…どうしましょう、先輩」

 だいたいお母さんってば、今日はボクの誕生日のプレゼントを買いにきたんじゃなかったの?

 …それがいきなり、先輩と二人きりって…。
 あ、なんだかまたドキドキしてきた…。


「仕方ないな〜、寒いから何か暖かいものでも飲みに行くか」

 そう言って先輩はボクの肩をポンッと叩いた。

「…そ、そうですね」



後編に続く