2002年クリスマス企画

「サンタクロースは、誰?」
〜葵、高校1年生のクリスマス〜

前編





 12月も中旬。

『師走』っていうのは字の通り『お師匠さんも走るほど忙(せわ)しない』…って意味なのよ、と教えてくれたのは、僕が6歳の時から習っていた日舞の先生。

 でも、忙しいのはお師匠さんや先生ばかりじゃなくて、僕たち聖陵学院管弦楽部も目前に迫った定期演奏会の準備と練習で大忙しだ。

 奏者としては練習だけをしていればいいわけなんだけど、光安先生は『お前たちを、裏方仕事を知らない演奏バカに育てるつもりはない』っていうのが信条で、演奏会の準備や当日の進行手順なんかも、出来るだけ部員全員――メインメンバーもそうでないメンバーも――に仕事が行き渡るようにするんだ。 

 僕も先生の方針には賛成。

 おかげで忙しいことこの上ないんだけれど、でも、それもみんなで力を合わせて一つのものを作っていく…っていう楽しみになっている。

 忙しくなればなるほど、みんなで手伝いあいながら、毎日が充実して過ぎていくって感じかな。

 そんな中、一番忙しいのは、ほんの2ヶ月ほど前に管弦楽部長になったばかりの悟だ。
 部全体の統括の他に、今回は栗山先生と僕のコンチェルトの指揮もするから、それこそ寝ているヒマもない。

 なのに何故か、密会する時間はある……ほんの少しだけど。




 僕も先生とソロを吹くんだけれど、だからといって仕事が当たらない…ってことはないんだ。

 でも、光安先生はそう言うところの配慮がとても細やかで、個人的に大変な状態の生徒には、それとなく加減された仕事が回るように悟や佐伯先輩と相談してるみたいなんだ。

 だから今回の僕の仕事は『プログラムの校正』。しかも補佐。

 フルートパートとオーボエパート全員でプログラム関係に当たっているんだけれど(佐伯先輩は副部長として悟の補佐をしてるから、この仕事からは抜けてる)、実際僕にはほとんど仕事は回ってこない。

 そこには祐介のさりげない気遣いも、たくさん含まれているっていうことだ。

 だって、僕の仕事、ほとんど祐介がやってくれてるんだから…。
 ほんと、僕って甘やかされてるよね…。

 でも、そんなプログラム関係の仕事はそろそろ終わり。

 本番の何日か前には刷り上がってないといけないんだから、今頃はもう、印刷屋さんに原稿は回っていて、あとは受け取るばかりってとこだ。

 そうしてホッと一息…って感じのフルートパートの練習の時に、僕はそれを初めて聞いたんだ。





「今年もそろそろだな」 

 練習を終えて、楽器を3つに分解しながら祐介が言った。

 佐伯先輩は今日も悟の補佐として走り回っていて、パート練習には来ていない。

 もっとも今回の演奏会そのものに、先輩は出ないから。

 なんでも『今回悟は本番指揮者だからな。せめて3日前くらいからは部長の責任から離してやりたいんだ』そうで、本気で悟のフォローに全力を挙げてるみたいなんだ。

 実際悟はとっても助かっているようだし。

 でも、僕らとしては、パートの長(首席は僕だけれど、パートリーダーは先輩だからね)がいないっていうのはなんとも寂しいものなんだけれど。



「そういえばそうですね」

 外した足部管にガーゼを突っ込みながら、祐介の言葉に答えたのは中3の紺野くん。

「1年経つのって早いっスね」

 頷いて言うのは中2の谷川くん。こちらは頭部管を拭いている。

「僕は絶対先生だと思うんだけどな」

 キーの下にクリーニングペーパーを挟みながら、またしても祐介。

「それは同感なんですけどね〜」

 今度は胴部管にガーゼを突っ込んで紺野くん。

「でも、センセってばいつも『なんのことだ』…ってしらを切り通しますよネ」

 頭部管が拭けたかどうか、のぞき込んで谷川くん。

 そんな彼らの意味不明な会話を、僕は楽器を持ったままでキョロキョロと落ち着きなく聞いている。

 なんのことだろう。


「そうそう、とにかく、どんなに問いつめても絶対落ちないもんな、先生」

 そう言う祐介を不思議そうに見上げているのは中1の藤原くん。

 彼も『なんのこと』って顔をしてるってことは、今年の新入生である僕らにはきっと、わからないことで。

 藤原くんが僕をみた。
 瞳が『先輩〜、これってなんの話でしょうか〜?』って言ってる。

 気にはなっても、最下級生の身としてはおいそれと口を挟めないんだろう。
 もっともそれは藤原くんらしい、彼の性格でもあるんだけれど。

 僕は藤原くんに、にこっと笑ってみせる。

 そして。

「ねぇねぇ、なんの話?」

 すると。

「あのな」
「あのですね」
「えっとですネ」

 ぷぷっ。3人一斉に説明しようとするんだから〜。

 僕と藤原くんが吹き出すと、3人はお互いをチラッとみて…。
 中学生たちは、説明を高校生に譲った。

「実はな…」
 





「そうなんだよね」

 消灯点呼まであと30分と迫った音楽ホールの練習室。

 1番とつけられているこの部屋には、練習用としては一番大きいグランドピアノが入っていて、実質悟の専用部屋になっている。

 ということは、いきおい昇と守もここへ集まるってことで、そうなると当然僕も…。


「毎年12月中旬になると現れるんだ」

 僕たち兄弟がここへ集まるのは5日ぶり。
 それぞれの演奏会の準備に忙しくて、ゆっくり話す時間もままならない。
 けれど、漸くここで昇と守に会えて、僕は昼間に祐介たちから聞いた話をしてみたんだ。

 悟はまだ来ない。来るって言ってたんだけどな…。


「毎年欠かさず?」

「そう、俺たちが入学してからはずっとな」

「僕らの1年上の先輩方に聞くと、どうも僕らが入学した年から始まったらしいよ」

「じゃあ、今年も来るとしたら、5年目…ってことだよね?」

 僕の問いに、二人が「そう」って答えたとき、悟がやって来た。


「お待たせ」

「遅いぞ」

「ほんと、消灯点呼まであと25分だよ」 

「そう言うなって。これでも必死で片づけて来たんだから。…それより何の話だったんだ?」

 悟はそう言って僕をみてにこっと笑う。
 うん、やっぱり綺麗だな、悟は。

「…えっと、今日聞いたんだ。毎年今頃現れる、サンタクロースの話」

「ああ」

 僕の言葉に、悟はまたしてもにっこりと笑う。

「そういえば、今年もその頃だな」

「去年はどんなだったの?」

 そう聞くと、3人は入学してから今までの『12月中旬』をいろいろと聞かせてくれたんだ。




 僕が祐介たちと悟たちに聞いた話はこう。

 つまり、聖陵学院管弦楽部の根城、音楽ホールには毎年12月中旬になるとサンタクロースが現れるんだ。

 音楽ホールのメインホールには舞台があって、そこは普段オーケストラ用に雛壇が組まれていて、譜面台と椅子が並べられている。

 曲によってそれらは若干数が変わるんだけど、だいたいはメインメンバーの数を揃えてあって、いつでも全員合奏が出来るようになっている。

 で、どこにサンタクロースが現れるかというと…。

 譜面台なんだそうだ。

 例えば、僕の席は雛壇の1段目――管楽器の最前列でフルートの一番左。右隣は次席である祐介の席で、左隣はオーボエの首席の場所だ。

 そんな風にメインメンバーは席が決まっている。
 それは弦楽器もそう。

 サンタクロースはその譜面台に、毎年、可愛いオーナメントとお菓子の袋を置いて行くらしい。

 しかもそのオーナメントというのが凝っていて、その席に座っているのが誰か……その席の主に合わせたものがおいてあるんだそうだ。

 ちなみに去年、昇の席に置いてあったのは、可愛いペルシャ猫がヴァイオリンを弾いているもので、守の席には丁寧に手彫りされた木製のちいさなチェロが置いてあったそう。

 あと、悟のように舞台に席のない…メインメンバー以外の生徒には、準備室の個人ロッカーにぶら下げてあるんだそうだ。 

 ともかく、管弦楽部総員150名。全員に種類の違うオーナメントと小さなブーツに入ったお菓子が配られるんだ。

 で、そのサンタクロースの正体は未だに不明。

 前日の消灯までは、音楽ホールには何の変化もないのに、翌早朝、朝練に駆けつけてみれば、すでにプレゼントは配られているのだそう。

 もちろん、もっともその正体を疑われているのは、我らが顧問、光安先生。

 動機も十分だし、何より深夜にホールへ入るためには厳重なセキュリティを解除しないといけない。

 その深夜セキュリティの解除は、光安先生と院長先生にしか許されていない。

 じゃあ、もしかして院長先生? …って噂もあったらしいんだけど、仮にも院長たるもの、いくら管弦楽部が聖陵の看板だからと言って、こういう特別扱いはないだろう…ってことで一応決着しているらしい。

 その推理にはもちろん、僕も賛成。
 秋に半日デートをした時に感じたんだけど、院長先生って、ああ見えても公私の線引きには結構キビシイ人だから。


 ちなみに院長先生は実は茶道部の顧問で、茶道部では毎年院長先生と一緒に『クリスマス茶会』なるものをやっていて、今回僕も招待されているんだ。

 お菓子皿に『ロイヤルコペンハーゲンのクリスマスイヤープレート』を使ったり、床の間の掛け軸がクリスマスツリーだったり――どこで見つけて来るんだろう?――とかの、とっても遊び心のあるお茶会らしくて、僕は今から楽しみにしてるんだけど。



 ま、そんなわけで、光安先生がもっともサンタクロースに近いわけだけれど、もちろん先生は認めない。…っていうか、知らん顔らしい。

 深夜セキュリティの解除が二人の先生にしか出来ない以上、光安先生が何も事情を知らないはずはない。

 けれど、先生は無関心を装ってるんだそうだ。



昼間にこの話を聞いたとき僕は祐介に言った。

『先生じゃないの?』…って。

 でも祐介は首を振った。

『先生には完璧なアリバイがあるんだ』

 先生のアリバイ。


 それは、この『12月中旬』ならではのことだ。

 定期演奏会を前にもっとも忙しいこの時期。OB会やPTAに発送した演奏会への招待状の返信を受けて、来賓リストの作成や座席指定を決めるっていうなんとも面倒くさい作業があるんだけれど、それが毎年、先生と担当の部員たちの手によって、夜通しで行われるんだそうだ。

 なんで夜通しなんだろうと思って一度先輩に聞いてみたんだけれど、先輩曰く『こんな面倒な作業、毎日部活後にちょっとずつやっていくなんてゾッとするだろ? だから担当部員全員で、一晩だけ頑張って一発で仕上げちまおう…てことだ』…そうだ。

 もちろん消灯を守らないわけだから、特例として光安先生からお願いしてもらって、寮長である斉藤先生に許可をもらうんだけど、その許可の条件が当然というか何というか『光安先生の部屋で、先生の付き添いの下、作業すること』なんだそうだ。

 サンタクロースが現れるのは、そんな『夜通しの作業』が行われた夜…なんだそうだ。
 
 それについて守は『実際出来過ぎたアリバイだよな…』っていったけど…。
 





「…ったく、相変わらずよくこれだけ揃えるよな」

「まあな。確かに一人ずつに合わせたものを探すのは結構手間がいる作業だがな、なかなか楽しいものだぞ」

「ふぅん。でもさ、手伝わされる俺の身にもなって欲しいよ」

「何言ってるんだ。約2時間の作業で報酬が1万円。いくら時間外労働だといっても、こんな『濡れ手に粟』なバイト、他にないぞ」

「そりゃまあ、そうだけど。でもさ、俺が入学する前は誰に手伝わせてたわけ?」

「ん? ああ、部長に頼んだ」

「…ただでさえ忙しい演奏会前に、こんなことまでやらされて、当時の部長から苦情来なかった?」

「来るわけないだろ。喜んで荷担してくれたからな。 だがそいつは次の春に卒業してフランスへ行ってしまったんだ。 入れ替わりにお前が入学してくれて助かったよ」

「だろ? なんだったら俺は卒業してからも来てやってもいいぞ」

「それはありがたいな。持つべきものは『出来のいい甥っ子』だな」

「調子いいんだから」

「Give and Take…だろ?」

「まあね」
 


後編へ続く

注)文中の諺『濡れ手粟』は正しくは『濡れ手粟』です。
言い回しの好みで『濡れて』にしましたが、
学生さんたちはテストで『に』と書かないように注意しましょう(笑)