第1幕「春の祭典」

【2】




 
 駅前は、やっぱり男子高校生の大売り出しだった。

 僕が一駅だけ乗っていた電車にも何人もの生徒が乗っていたとは思うんだけど、同じ車両に聖陵の制服姿をみなかったので、なんとなく勝手にのんびりしていたら、駅前は同じ制服でごった返していた。


 駅前から学校までは桜並木を約15分。

 今年は開花が早かったせいで、すでに満開を通り越している。

 去年と同じように、みんな大きな荷物を抱えていて、親しげに挨拶を交わす声が飛び交い、春休み中のあれこれを報告しあう声が聞こえ…。

 けれど。


「葵! 元気だった?!」

 そう、去年と決定的に違うのは、

「奈月〜、相変わらず可愛いな〜」

 こうして次々と僕にかかる声。


 去年は僕だけが私服で、制服の群の関心を集めながら一人で歩いていたんだっけ。

 僕は、たった1年前の様子を、まるで遠い日の思い出話のように頭に浮かべながら、かかってくる声と会話し、今日から始まる新しい1年へのたくさんの期待と、ちょっぴりの不安を感じていたりして。



「葵!!」

 そんな中、一際僕の耳を引くのは…。

「祐介!!」

 去年と同じように…ううん、去年のあの時より更に大人っぽく、更にかっこよくなった祐介が、走ってくる!

「もしかして、一人?」
「え?」

 僕が聞き返すと、祐介はキョロキョロとあたりを見渡した。

 周りの視線はやっぱり僕たちに集まっているようで…。

 それを認めたとたん、祐介は声のトーンをグッと落とした。

「先輩たち…」

 ああ、悟のことか。

「うん。だって、一緒に来るわけにいかないじゃん」
「そりゃまあそうだけど」


 未だに僕は祐介を巻き込んでいる。

 悟との仲をカモフラージュするために、祐介の優しさに寄りかかって、甘えて…。


「今日から二人部屋だよな」

 さっきのトーンとは打って変わって、祐介はわざと、まわりによく聞こえるような声で言った。
 これも、祐介の優しさの一部。

「でも、行ってみないとわかんないよ」
「大丈夫だって。葵と相思相愛の『同室希望』を出したのは、僕なんだから」

 相思相愛の『同室希望』から優先で決定していく…って言うのは、生徒会の人から聞いた話だから多分確かな情報だとは思うんだけど。


「うん。そうだね」

 僕と祐介同様、陽司と涼太も『同室希望』を相思相愛で出したから、きっとあっちも決定だろう。
 ま、この場合『相思相愛』って表現するのはかなり抵抗があるけどね。
 …って、僕らもそうか。


 それから僕たちは、頻繁にかかる声と楽しく会話しながら学校の正門をくぐった。


 正門を入って真っ正面には本館が建っている。

 ここは院長室や応接室、事務関係など学校の中心部分が集まっている建物だ。

 そして、その左に大きな講堂。

 合格発表の紙が張り出されるのはここらしいんだけど、僕は見に来てないから知らなかった。

 で、今日は合格発表でもないのに人だかり…。


「あれ、何?」

 僕がちょいっと指さして尋ねると、祐介は「僕らも行こう」といって、僕の手を引いた。

 やっぱりちょっとドキッとするけど、祐介のこういう行為にも僕は結構慣れてきていたりして…。 

「部屋割、あそこに張り出されてるんだ」

 あ。そうなんだ。

「寮の掲示板は狭いだろ? だから部屋割は合格発表用のボードが使われるんだ」

 なるほどね。確かに寮のロビーでこれやっちゃったら、ごった返して部屋の引っ越しどころじゃなくなるよね。

 僕は去年、これを見るまでもなく、光安先生の部屋へ行ったってことか。

「「葵! 祐介!」」
「あ、涼太! 陽司! 元気だった?」

 部屋割が張り出された前に、ついこの前までのルームメイトがいた。
   
「412号室はめでたく二部屋にきっちり別れたぞ」

 陽司の言葉に僕は顔を上げる。

 涼太が指さした先には、僕と祐介、そして涼太と陽司の名前。

 僕たちは308号室、そして涼太と陽司は…。

「うわ、隣同士だ!」
「ほんとだ」

 祐介も嬉しそうに言う。
 なんと二人は309号室。ばっちりお隣さんだ。

 反対側の隣は茅野くんと羽野くん。やっぱりあの二人も仲いいんだ〜。


「おうよ、なんだったら間の壁ぶち抜いてもいいよな」

 ぷ。陽司らしいや。

「え〜、勘弁してくれよ。せっかく葵と二人きりのラブラブ生活の始まりだってのに」

 ゆ、ゆうすけ〜。

「お。祐介、お前も言うようになったな」

 涼太も目を丸くする。
 けど祐介はその言葉には曖昧に微笑んだだけで…。

「あ。でもクラスが違う!」

 僕と祐介は2年A組。

「そ、俺たちC組だぜ」

 なんだ〜、これは結構残念かも。

 こんな会話を交わしている間にも、1年の時のクラスメイトや、管弦楽部のみんなも集まってきて、部屋割やクラス分けで盛り上がっていると…。


「奈月さんだ」
「あっ、ほんとだ」
「やっぱり近くでみると…」

 ……なに? 僕がどうしたって?

 声がした方をちらっとみると、そこには知らない顔。

 見るからにおろし立ての、まだ身体に馴染んでいない制服と学年章、そして、何より緊張した面もちが、彼らが『正真正銘』だって教えてくれる。

 もちろん持ち上がり組も真新しい高等部の制服なんだけど、やっぱりそこはそれ、纏っている雰囲気が全然違う。

 僕も去年はあんな風だったのかな…って思うと、ちょっと可笑しかったりして。

 そんな『正真正銘』くんたちと視線が合ったので、僕は『とりあえず』気持ちのまま、ちょっと笑顔を送った。

 あ。真っ赤になっちゃったよ。

「こら、葵。いたいけな1年生を誘惑すんなって」
「あのねえ…」 

 祐介、目ざとすぎ。 

「注目の的だな。葵」
「あ、佐伯先輩!」

 ちょっと緩めたネクタイがさらに『遊び人』に雰囲気を助長している、我らが管弦楽部の副部長さまにして、フルートパート・パートリーダーさま――首席とは別に、各パートに一人、リーダーがいるんだ。首席と違って主な仕事は事務的なもので、だいたいそのパートの最高学年の先輩がつとめる――の登場だ。


「今年の入試、すさまじかったらしいぞ」

 先輩は言いながら僕の肩をスッと抱き寄せた。
 もう、相変わらずっていうか、手慣れすぎっていうか…。

「先輩…」

 そんな先輩に睨みを利かせながら、祐介は、僕の身体に回された先輩の手を外していく。

 けど、先輩はそんなこと、全然気にしていなくって…。

「高等部の音楽推薦枠が希望者激増ってのはわかるけど、中等部と高等部の一般生徒枠まで例年にない倍率だったらしい」

 へぇ〜。それは初耳。

「そういえば…」

 涼太が口を挟んだ。

「音楽推薦の枠は30倍に近かったとか言ってたっけ」

 言ったのはきっと、僕らの顧問・光安先生。

「そっか、中沢って先生の甥っ子だったよな」

 そうそう。…って! どうして佐伯先輩が知ってるわけ?!

「せ、せんぱいっ?」

 涼太が目をまん丸にして、祐介も陽司も…。

「ま、まさかお前らっ」

 え? なに? 僕たち喋ってないってばっ。

 祐介と陽司ももちろん、慌ててぶんぶんと首を振る。

「ああ、情報の出所は412号室じゃない。気にするな、中沢」
「気にしますっ」

 けど、頭から湯気を噴いてる涼太をものともせず、先輩は飄々と話を続けた。

「でな、さすがに推薦希望者は腕に覚えのある連中がずらっと揃ってたらしいんだけど、結局、我らが顧問の選んだのはたったの6人」

 6人?!

「それって…いつもより少ないじゃないですか」

 祐介の言葉に、涼太と陽司は『え? そうなのか?』って感じで顔を見合わせてる。

 そう、去年の音楽推薦は10人。内訳は管楽器1人(僕)、弦楽器9人だったっけ。

「そうだ、いつもより少ない。しかも、今年は管楽器2名だ」

 おお〜、それも珍しいんじゃ…。僕だって去年いわれたもん。高等部から管楽器が入るのは珍しいんだって。

「楽器、なんですか?」

 ワクワクしてきた。どんな子が来るんだろう。
 フルートかな? それとも…。


「オーボエとホルンだ」

 は? そりゃまた特に珍しい。

 そして…。

「ついにホルン…ですか」

 祐介がちょっと声を絞った。

「そういうことだ。それに、オーボエは坂口先輩が卒業しちまった穴があまりにも大きいからな。だが、よほどでないとあの穴は埋まらないし、ホルンも然り。なにしろ聖陵学院管弦楽部で一番弱いパートって言われてるんだからな、ホルンは」

 うん、それは悟も昇も守も言ってたこと。

 もともとオーケストラの金管楽器って言うのは難しいんだけど(ブラスバンドで吹く場合とは、音色から何から変えていかないといけないしね)、うちの管弦楽部は幸いなことに、トロンボーンとトランペットは人材が揃ってるんだ。

 特に、羽野くんなんかはみんなの評価もすごく高い。今年は3年の先輩を抜いて、多分首席になるだろうって言われてるくらいだから。

 ただ、ホルンだけはそう上手く人材が揃わなくて…。

 まず、『きちんと』吹くことのできる人数が少ないんだ。

 通常の交響曲ではホルンは4人必要になることが多い。それも、最低で…の数字。

 息継ぎの事情なんかでアシスタント奏者を付けなくちゃいけなくなったりすると、5人6人と必要になってくる。

 けれどうちのホルンは10人いるうちで、オケに通用する実力のある人は2〜3人しかいなくて…。

 でもそれは、それだけ『ホルン』という楽器が難しい楽器であるってことの証しだと思うんだ。

 息は辛いし音程は不安定だし…。

 光安先生も、ホルンの指導にはわざわざ外部から現役のプロオケ奏者を呼んだりして力をいれてるんだけど。


 そして、オーボエもまた厄介な楽器なんだ。

 運指が難しいのもさることながら、まず『音を出す』ってところからすでに難しい。

 それに楽器が高い…ってのもネックだと思うんだ。
 フルートみたいに『初心者用一式3万円』で揃ったりはしない。最低でも楽器1本で40万くらいはかかっちゃうから『ちょっとオーボエでも始めてみようかな〜』ってわけにはいかないんだ。

 だから当然奏者人口も少なくて…。

「しかも……」

 またしても佐伯先輩が僕の――今度はあろう事か腰を抱き寄せながら、何かを言おうとしたとき…。

「え?! 留学生っ?」

 部屋割掲示板の前で、大きな声が上がった。



【3】へ続く

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