第1幕「春の祭典」

【3】





「留学生?」

 僕たちも、その声に思わず顔を見合わせる。

 佐伯先輩は声の方向にチラッと視線を投げたんだけど…。

「そう、実はその期待のオーボエ奏者は異人さんだ」

 言いながら、ニヤッと笑った。

「え、でも、留学生枠って言うのはないって…」

 春休み中の一時期、留学生枠が新設された…ってウワサが流れたんだけど、昇によると完璧なガセネタだそうで…。

 まあ、『昇経由』の情報は、『涼太経由』のそれと同じように絶対信頼できるからね。どっちも『先生発』だし。

「ああ、留学生枠ってのはないんだ。そいつは純粋に入試をクリアしてきたらしい」

「じゃあ、日本在住の外国人ですか?」

「日本語ができるってことですよね?」

 うん、陽司と祐介の意見はもっともだよね。だって、聖陵の入試はただでさえ半端じゃなく難しいって言われてるんだけど、言葉の壁があったらそれどころじゃないもんね。

「ああ、かなり堪能ならしいぞ。ただ、日本に来たのは去年の秋らしいんだ」

「去年の秋〜?」

 陽司が声を上げたけど、それは祐介も僕も、涼太も同じ。

「去年の秋って言ったら、まだ半年じゃないですか」

「そう言うことになるよな。なんでも聖陵の入試を目指して日本にやって来て、必死で日本語の勉強をしたらしい」

 スゴイ…。入れ込んでるんだ。

「しかも、そいつに関しては更に驚く情報がある」

 ただでさえ目を丸くしている僕らに、先輩は悪戯っぽくもアヤシイ微笑みを浮かべて迫ってきた。

「な、なんですか?」

 その『情報』は気になるけど、そんなに顔をくっつけられては…っ。 


「ひ・み・つ」


 はいぃぃぃ〜?

「先輩っ」

 祐介が我に返って慌てて僕を引き剥がす。

「ま、そのぶっ飛び情報はあとのお楽しみだな。今頃は先生の部屋で管弦楽部長とご対面してると思うぜ」

 悟と?!

「先輩、副部長なのにこんな所にいていいんですか?」

 横から涼太が口を挟んだ。

「俺は、愛しい葵の顔を見てる方がいいんでね」

 …あのねぇ…。

「あとな、新入生総代は今年も音楽推薦だってさ」

 おお〜。新入生総代! 懐かしい言葉だな。

「ヴァイオリン奏者で、しかも、関西の子らしいぜ」

 なんと!

「どんなヤツらなんだろうな」

 祐介もなんだかワクワクしてるみたい。
 もちろん、僕も。

 先生が選んだっていうホルン奏者。
 外国からはるばるやってきたオーボエ奏者。
 そして、新入生総代で関西出身のヴァイオリン奏者。

 早く会ってみたい。もう、入寮してるのかな?


「さて、詳しい事はそのうちいやでも耳にはいるだろうし」

 佐伯先輩は懲りずにまた僕の肩を抱いてきて…。

「お前たち、さっさと引っ越し始めろよ」

 …そうだった!
 先輩はもうすんでるもんだから、こんなにのんびりしてるんだ!


「やばっ、行こうぜ」

 うん、そうしよう。でも、その前に…。

「先輩、離して下さらないと動けません」

 だって先輩ってば僕の肩をがっちり抱いたままなんだから。

「葵の引っ越しは、頼りになる浅井クンがやってくれるんじゃないの?」
「せ〜んぱ〜い」

 うわ。祐介が火の玉背負った。

「こわっ」

 先輩は茶目っ気たっぷりにそう言うと、僕の肩を離して柔らかく押し出してくれた。

「さ、行って来い」
「はい!」




 そして僕らはそれぞれの荷物を抱えて寮への道を上がっていく。

 行き交う生徒のほとんどは、僕らに親しげに声をかけてくれて、中には見知らぬ顔からの無言の視線もあるけれど、こんな行事のひとつひとつがなんだか僕には嬉しくて…。

「でも、4階の荷物を3階に降ろすって結構大変だよね」

 僕がそういうと、

「何のこれしき。去年なんて中等部の寮から高等部の寮の4階へ引っ越しだぜ」

「あ、そうか」

「あれ、きつかったよな」

「お前は本が多いから特に大変なんだぜ」

 そっか、涼太って読書家だもんね。8割マンガってとこがご愛敬だけど。

「今回もとーぜん手伝ってくれるんだろ?」
「どーしよっかな〜」
「陽司っ、お前ってヤツは〜」
「明日の昼飯で手打とうぜ」
「高すぎっ。缶コーヒー一本だっ」
「いやん、涼太クンのケチ」

 ぷぷっ。相変わらず陽司と涼太はいいコンビ。

「だいたいお前って暇じゃねえか」
「え? 陽司、暇なの?」

 涼太の言葉に僕が聞き返すと、祐介が『あ』と小さく声を上げた。

「そうか。森澤先輩って引っ越しすんでるから、手伝わなくていいんだ」

 あ、なるほどね。…ってことは。

「涼太は?」

 僕が聞くと、陽司が一瞬ふくれていた顔を元に戻した。

「そうだ。お前、秋園の引っ越し手伝ってやらなくていいのかよ?」
「まさか、4階か?」

 心配そうに祐介も聞く。
 そう、涼太の大切な人、今年高等部に上がってきた秋園くんは、心臓に重い疾患を抱えていて、3学期からは体育も全面禁止になったってきいてる。 

「いや、さすがにそれはない。それに、あいつ、引っ越しすんでるんだ」

 え、そうなんだ。

「混雑しない昨日のうちに、ご両親と斉藤先生…それと同室になるバスケ部の川添の4人でな。 俺も手伝いたかったんだけど、なにせお父さんも来られてるから、ちょっとな。 お母さんだけなら面識あるからよかったんだけど」

 涼太はちょっと肩をすくめた。
 そっか、やっぱり遠慮ってあるよね。

「で、部屋はどこなんだ?」
「100号室」

 100…ってことは、1階かな? もしかして3年生用の部屋?

 僕は寮内の事って自分が用事のあるところしか知らないから、どのあたりの部屋か見当がつかない。

 悟の新しい部屋の位置はチェック済みなんだけどね。

「100って…」
「一番嫌がられる部屋じゃん」 

 祐介と陽司が目を丸くした。

 え? 嫌がられる部屋って…。まさか、『出る』…とか。

 思わず腕を掴んでしまった僕に、祐介はにっこりと笑って説明してくれた。

「100号室ってな、寮長室の隣なんだよ」

 斉藤先生の?
 ってことは、なんだ、『出る』わけじゃないんだ。

「1階ってもともと3年部屋だろ? 最高学年にもなって先生の部屋の隣ってのはちょっとなぁ」
「そっか、羽目外せない…ってことだね」
「そういうこと」

 涼太はそのやりとりを黙って聞いていたんだけれど。

「でも、貴史には最高の場所なんだ」

 その言葉に、僕たちは返す言葉をなくす。

「いざというとき、先生がすぐに駆けつけられる」

 涼太の言葉に、暗さはないんだけれど…。



 ちょっとだけの沈黙の後…。

「そっか」
「そうだよな」
「安心だね、涼太」

 涼太はニコッと笑った。

「ああ。しかも院長がわざわざ4人部屋に改装してくれたらしい。一応『1年生は4人部屋という決まりだから』…って理由らしいけど、斉藤先生に聞いた話では『2人より、4人の方がより安心でしょう?』ってのが本当のところらしいんだ」

 そっか。さすがだね、院長先生。

 うん、きっと大丈夫。斉藤先生がついていて、友達がついていて、そして、何より涼太がついているんだから。



 そうこうしているうちに、僕らは寮へと到着した。

 ひゃ〜、ロビーも階段もごった返してるよ。

 すれ違いざまに、先輩や後輩、そして同級生たちと言葉を交わしながら僕たちは3階へ上がった。

 まず、308号室に持ってきた荷物を置き、そして4階へ。

 それぞれ段ボールやボストンバッグにまとめて預けていった荷物は、ロビーや談話室に山積みになってる。

 この中から自分のを探して3階の新しい部屋へ運ぶんだけれど。

 これってほとんどが『本』や『日用品』なんだ。

 3学期に着ていた服は、季節が替わるからみんな持って帰るし、新しい季節のは家から送るか、持って来るかしてるしね。

「あった? 祐介?」
「うん、あった。葵は?」
「うん、僕も見つけた」

 というわけで、僕たちは荷物が少ない。

 部活三昧で本を読んでる暇がないおかげかな?

 ちなみに僕の荷物はたった一箱。そのうちの半分がベッドを占領しているぬいぐるみだって言うのはナイショ。
 ま、いい年してもう『ぬいぐるみ』もないよな〜…とは思うんだけど、どうにもこう、愛着があって手放せなかったり。

「持てる?」

 祐介が心配してくれるんだけど…。
 軽いんだ…。ぬいぐるみだから…。

 でも、祐介のボストンバッグの中は絶対、さやかさんからのプレゼントである、クマのぬいぐるみだと思うな。うん。
 だってほら、軽そうだし。

「あ! 浅井先輩っ、奈月先輩! 手伝いますよっ」

 早々に引っ越しを終えたらしい管弦楽部の新1年生が、駆け寄ってきた。

「あ、大丈夫だよ」

 …って言ってる間に箱を奪い取られちゃったんだけど…。

「随分軽いっすね」

 だから〜。

 大丈夫だから…と箱を取り返そうとしたとき…。


「葵ちゃんっ!!!」


 僕の名を呼ぶ声が、4階のロビーに響き渡った。

 葵…ちゃん?

 周りは一瞬にして、水を打ったような静けさに…。

 声の方を振り返って、僕もまた、響き渡るような声を上げてしまった。


「…司っ?」



第1幕「春の祭典」 END

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