幕間「管弦楽部長の個人的感傷」

【1】





 こうなるであろうことは…、想像はついていた。

 聖陵学院生活も最後の1年。

 最高学年になり、しかも管弦楽部長という肩書きをもつ桐生悟としては、これくらいの情報収集は当たり前のことなのだ。

 春休み中だって、ただ葵といちゃいちゃしていただけではない――いや、それがメインではあったのだが――しっかりとその情報網を張り巡らせ、顧問の光安直人、副部長の佐伯隼人とも連絡を密に取り、新学年に備えてはいたのだ。


 例年、音楽推薦の倍率は高い。

 以前からそうなのだが、特に悟たち桐生家の3兄弟が入学してからの倍率は目に見えて上がっている。

 それは、彼らが色々な意味で注目される存在であったことに端を発してはいるのだが、結局のところ、それが優秀な人材を呼び、さらにそれがまた優秀な人材を呼ぶ……という結果になり、倍率のアップに繋がっているのだ。

 しかし、今年は何かの間違いではないかと思うほど、更に倍率は上がった。

 理由は至極簡単。
 葵…だ。

 モデルの正体は校内でこそばれてはいるが、幸いなことに『こんな美味しい秘密、部外者になんか教えてやるもんか』という、ある意味心の狭い聖陵生たちのおかげで、意外なほど外部には漏れていない。

 だがしかし、『あの』栗山重紀の秘蔵っ子にしてデュオのパートナーの葵は、すでに、その世界では存在を知られるようになっている。

 聖陵経由で音大…そして、その先にあるプロの世界を目指す中学生たちにとって、葵はまさに『憧れの存在』なのだ。
 





「あ、あの人たちだよ…」
「うわ…ホントに3人とも髪の色が違う…」

 新学年の入寮日。

 来客用駐車場の入り口で母親の車から降りた桐生家の3兄弟は、寮へ至る道のりで、何度もこんな『ひそひそ話』を耳にした。

「なあ、なんか今年ってちょっと雰囲気違わねぇ?」

 守がポツッと漏らす。

「うん、なんだか動物園の珍獣になった気分…」

 昇もボソッとこぼす。


 3人とも注目を集めることには慣れている。

 子供の頃から、人前――特に音楽関係者の前に出ると、必ずこんな種類の視線を浴びたものだったから。

 だから今更『視線そのもの』にどうこういう感慨はないのだが、校内となると勝手が違う。

 それこそ中学に入学したときには噂が先行してしまい、いろいろとあったが、その後は特に何事もなかったはずだ。

 後から入学してきた後輩たちだって、髪の色の違うこの3人を端から『兄弟』としてみるはずもなく、『入学してみたら金髪の外人がいた』とか『ハーフっぽくてやたらカッコイイ人がいる』とか、その程度の注目の浴び方だったはずなのだ。

 いつも『異母兄弟』という事実はあとからついてきた。

 それが今度ばかりはどうも様子が違う。

 視線は皆、最初から彼らを『あの、わけありの3兄弟』としてみているようなのだ。  


「もしかして、これって父さんのせい?」

 昇がふと思いついたように言った。

「あ、なるほどね」
「確かにあるかもな」

 悟も同調する。

 いくら有名人とはいえ、ずっと海外で活動していた彼らの父親の事は、それこそ音楽に興味のある人間にしか関心はない。

 しかし、この春帰国したことで、父親のメディアへの露出度は飛躍的に上がった。

 若くてハンサムな世界的指揮者というだけでもそこそこ材料になるというのに、かつて本人が自覚なく流した浮き名のおかげで、TVから写真週刊誌に至るまで、それこそお堅い音楽番組から興味本位のワイドショーにいたるまで、彼らの父は取り上げられたのだ。

 だからなのだろう、特に音楽にこれと言った興味や関心のない、一般枠の新入生たちにまでこんな注目のされ方をする羽目になったのは。



「葵とはまた違った意味で『パンダ』だよな、俺たち」

 可笑しそうに守が言った。

「だよね〜。ま、でも物珍しいのも最初のうち……ってね」

 しかし、やっぱり慣れているのだ、こんなことには。

 だが、すでに悟の意識は自分たち3人の上にはなかった。

 今し方の守の言葉。

 葵は注目されている。

 だがそれは、自分たちに対するような物珍しさではなく、純粋に憧れや尊敬の視線。

 そう思うと、自分たちが4人兄弟であることを公表しなかったのは正解なのかもしれない。

 少なくとも、『注目』の中身から『好奇』という項目は外せるから。

 だがしかし、その純粋な憧れや尊敬はきっと、自分にとっては脅威になる。

 誰もがきっと、葵の優しさに触れ、その愛らしさに目を瞠り、類い希な才能に心酔してしまう。

 そしてそれは、いとも簡単に『愛情』をいうものにすり替わってしまうのではないだろうか。

 1年前の自分のように……。


 特に新入生総代の佐倉司。

 春休みの終盤、光安からの連絡で、学科も実技もTOPの成績を納めて音楽推薦を勝ち取ったこの新入生が京都出身だと知ったとき、悟はウィーンの栗山に連絡を取ったのだ。

 光安は学校側の人間として秘守義務があるため、新年度が始まるまで、細かな個人情報は教えてくれないから。

 そして、悟は栗山の話を聞いて確信した。
 佐倉司は葵を追って来たのだ…と。

 



 入寮するなり、管弦楽部長である悟は早速光安からの呼び出しを受けた。

 用件は昨年と同じだろう。

 今年もまた、新学年の序列を決めるオーディションが行われる。
 その準備に関することだとは思う。

 だが……。

 そうだ。昨年はその場で初めて葵にあった。

 儚げな後ろ姿、そして、優しげにその細い身体を包んでいた光安の腕。

 今から思えば、あれは、ああいう生い立ちを背負ってやって来た生徒を心から労る温もりの腕だったのだと納得できるのだが、当時はその態度が、昇に思いを寄せているものと思いこんでいた光安の『不実』に取れて、思わず冷ややかな声を発してしまったものだ。


 あれから1年。

 あの時自分を捉えた瞳は、今も変わりなく、いや、それ以上に悟のすべてを捉えて離さない。

 同じ学校にいることのできるのはあと1年。

 その次に訪れる離ればなれの1年を思うと今から気持ちが塞がるが、葵が高校を卒業すれば、その1ヶ月後に自分は成人する。

 そうなってしまえばこっちのものだ。誰にも文句は言わせない。
 籍を入れ、絶対に離れない。離さない。



 決意をもう一度心の中で繰り返し、最後の1年となる聖陵生活に葵との想い出をたくさん作ろうと考えをまとめた頃、悟は光安の部屋へ着いた。

 学年始まり。何故か少しの気合いを入れてノックをしてしまう。

 もしかすると、去年の葵のように、このドアの向こうにいるのだろうか?

 今年の総代。葵を追いかけてやって来た『佐倉司』が…。


 いつも、返事を待つことはないと言われているので、管弦楽部員はみな、ノックだけで扉を開ける。
 だが、今日のように中に来客などがある可能性が高い場合には、悟は返事を待つことが多い。

 今日も『どうぞ』というよく通る声が耳に入り、悟はそれを確かめて、改めて新学年への思いを胸に、ドアを開ける。

 しかし。

 確かに光安は一人ではなかった。
 ソファーにもう一人、光安に向かい合って座っている。

 だがそれは佐倉司ではない。

 司という少年にあったことはないが、葵の同級生である兄の豊には去年京都滞在中に何かと世話になっている。
 おおらかで良く笑う少年だという印象が強い。

 その豊と司は、似ていない兄弟だとは栗山から聞いていたが、それでも目の前の彼が司でないことは、まず間違いない。

 なぜなら、悟の姿を見た瞬間立ち上がったその人間の視線は、悟のそれよりもまだ高く、そして昇とは違う『本物』の金髪だったからだ。


「入寮早々呼び立ててすまんな」
「いいえ」

 不躾だとは思いつつも、目はその金髪青年に釘付けになる。

 おおよそ高校生の体格ではないし、雰囲気もそうだ。

 悟も相当に大人びてはいるが、所詮は生粋の東洋人。
 西洋人の持つアダルティな雰囲気には及ばない。

 しかも、目の前の金髪青年は、聖陵学院高等学校の制服を着ているのだ。

 サイズは恐らく規格外。特注だろう。
 ブレザーなどは一から型紙を起こし直したのではないだろうかと思うほどだ。

 だが不思議と威圧感はない。
 それは、柔らかい微笑みのせいなのだろうか。

「紹介しよう。新入生のアーネスト・ハースくんだ」

 光安の声に、悟の瞳が大きく開かれる。

 これが、例のオーボエ奏者…。名前は聞いていなかったが、恐らくそうだろう。

「はじめまして、Arnest Hass です」

 かなり流暢の日本語の中に、名前だけがネイティブな発音で混じる。

 その名前に悟は引っかかるものを感じたのだが、慣れた仕草で手を差し出され、悟もまた、慣れた様子で握り返す。

 桐生家には外国からの客も多かったから、挨拶程度のことは何でもない。

「初めまして。桐生悟です」

 日本語で語りかけられた挨拶には日本語で返す。これは、祖父からの躾だ。

「Oh! あなたがマエストロ・アカサカのむすこさん、ですね」
「父をご存じで……」

 父をご存じでしたか…といおうとして、悟は口をつぐんだ。

 オーボエ奏者のアーネスト・ハース……まさか。

「まさか、あの…」
「そうだ、あのアーネスト・ハースだ」

 悟が言い淀んだ言葉のあとを光安が継いだ。

 そんな二人を、当のアーネストはニコニコと人なつこい笑顔で眺めている。

『あの』アーネスト・ハースなら体格がよくて当然だ。

 曖昧な記憶だが、確か『最上級生』あたりではなかっただろうか。

 楽壇の話題をさらったあのデビューコンサート。
 仕掛け人が自分たちの父親だったということは、後に母からきいたことだ。
 
 その後着実に音楽界での地位を固めていった彼が、なぜ今ここにいて、聖陵の制服を着ているのか。



【2】へ続く

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