第2幕「Spring Sonata」

【1】





「あ〜、ほんまにびっくりした〜」

 たった一箱の、しかもこの上なく軽い段ボール箱を、結局親切な後輩に大切そうに運んでもらい、新しい部屋に落ち着いた僕は、くっついてきた司をそのまま部屋に入れた。

 もちろん祐介の了解を得て。

 だって、ロビーや談話室には『興味津々』の視線がいっぱいあって、おちおち話もできないんだ。

 それにしても司は大きくなった。

 去年の春、僕がこっちへ来て以来だけれど、その時は少し下だった目線が、今や僕をちょっと越してる様な気がする。

 なんだか悔しい。


「まさか、ここに司がいるやなんて。一瞬学校の中やってこと忘れてしもたやんか」

「えへ、ごめんな葵ちゃん。びっくりさせようとおもて、黙っててん」

 祐介は状況が全く把握できてなくて、いきなり関西弁で会話を始めた僕たちを不思議そうに見下ろした。

「あ、えっと」

 そんな祐介の視線に気付き、僕は司を祐介に紹介しようと向き直った。
 けれど。

「初めまして、浅井先輩。僕、佐倉司といいます」

 なんと司は、これまで聞いたこともないような綺麗な標準語で自己紹介をした。

 それにしても、どうして祐介を知ってるんだろ?
 それは祐介も同じ事を思ったようだ。


「えっと、…初めまして…」
「そう、僕の親友、浅井祐介。管弦楽部のフルート奏者なんだ」

 珍しく戸惑ったような声を出した祐介の先回りをして、僕は僕の大切な親友を紹介した。

「うん。栗山センセから聞いてる。いつも、葵ちゃんをしっかり支えてくれてる人やって」

 司は僕に向かうと関西言葉になるようだ。
 そうなると僕も、つい。

「そっか、センセから聞いてるんや」

 でも、祐介に向かうと言葉は自然に…。なんか変な感じ。

「あのね、祐介。司は僕の幼なじみなんだ。幼稚園も小学校も中学校も、ずっと一緒だった、一つ後輩」

 そう言うと、祐介はやっと納得いったような、安心したような表情になった。

「じゃあ、京都から?」
「そうです」

 司もにこやかに返事をする。

 もともと線の細い、綺麗な顔立ちの子だから、微笑むといっそう美人になる。

「管弦楽部でもお世話になりますので、どうぞよろしくお願いします」
「え? 司、管弦楽部に入るん?」

 そういえば、司は3つのときからヴァイオリンをやっていたけど…。

「それはようこそ。こちらこそよろしく。楽器は何?」

 部活の後輩にもなると知ったせいか、祐介も優しい先輩の表情で会話を始めた。

「はい、ヴァイオリンです」

 やっぱり。

 でも、祐介はそれだけで何か思いついたようだ。
 少し首を傾げて、じっと司を見つめた。

「あれ…もしかして、佐倉くん…新入生総代?」

 え、まさか。

 でも、『佐伯情報』によると新入生総代は確か関西出身のヴァイオリニスト…。

 でもでも、それはないよ。
 だって、司って小学校の時も中学に入ってからも勉強嫌いで、宿題なんか全部一つ上の兄貴の豊にやらせてたくらいで…。

 けれど、そんな僕の思考を、司はたった一言でうち砕いた。

「はい。そうなんです」

 …………。

「えーーーーーーーっ!」
「うわっ」 

 いきなり大声をあげた僕に、祐介は両耳を塞いでジロッと視線を流してよこす。

「なんだよ、葵、いきなり」
「だってだってだって、司…っ」

 言葉の継げない僕の、言いたいことがわかったのか、司はニコッと笑ってうんうんと頷いた。

「葵ちゃんの言いたいことわかる。勉強嫌いの僕が、なんで入試で一番が取れたんやってききたいんやね〜?」

 やね〜……って。そりゃそうだけど。

「1年間、めっちゃがんばったんやで、僕」
「え。」

 それはかなり意外な言葉だった。

 もともと司は要領がよくて、勉強嫌いでもそこそこの点数を取ってしまうってタイプで、少なくとも今、司自身の口から出たような『めっちゃがんばる』タイプの子ではなかったから。

 それはヴァイオリンに関してもそう。

 とにかく器用で、必死で練習しなくてもそこそこには弾ける子だった。
 もう、随分長いこと聴いてないけれど。


「いややなぁ、葵ちゃん。絶句したきりやなんて〜。可愛い顔が台無しやで〜」

 なんだよ、それ。そんなに間抜けな顔をしてるって?

 それを見て司は明るい顔でころころと笑う。

「僕、ほんまにがんばったんやで。夏休みかて、冬休みかて会われへんかったやろ? 葵ちゃんに会いたいのんを我慢して、必死で受験勉強してたんやし」

 そう言えばそうだ…。
 あれだけ僕にべったりだった司が、夏休みも冬休みも、京都へ帰った僕の前に一度も現れなかった。


 …でも、確かに前から僕も思ってたっけ。
 司は真剣にやれば、けっこうスゴイことになるんじゃないかなぁ…って。
 なんでもかんでも『そこそこ』で、もったいないなとは思っていたんだ。


「ともかく葵ちゃん。僕な、お兄ちゃんからも頼まれて来たんやで。『葵のこと、守ってやれよ』って。一年我慢したけど、こうやって側に来れたことやし、これからもよろしゅうな」

「あ、うん、もちろん」

 そりゃあ僕だって幼なじみの司とまた一緒に過ごせるってすごく嬉しいことだけど…。

 守ってやれよ…って。

 …そうだ。司と豊は、僕が誘拐されたときのことを知っているんだ…。


「あのさ、司」
「なに?」

 ここは思い切って聞いてみるしかない。

「栗山先生からなんか聞いてる?」

 僕の父親が見つかったこと…兄たちが見つかったこと…。

「あ、ええと…」

 僕の言葉の中の含みを感じたのだと思う。司は言葉を濁し、ちらっと祐介の方を見やった。

「ああ、大丈夫。祐介は知ってるから」

 僕が誘拐された事情も、その後のことも、そして…『今』のことも。

 僕の言葉に、祐介が頷いたのを見て、司も小さく頷いた。


「…うん。先生、全部教えてくれた。僕が聖陵に受かった時に」

 やっぱり……。

「よかったなぁ、葵ちゃん。お父さん、見つかって。それにお兄ちゃんまでいたやなんて」

 そう言って微笑んだ司に、僕の肩の力はスッと抜けた。

「びっくりしたで。あんな有名な人がお父さんやったなんてなぁ。まあ、祇園では珍しいことやないけど」

 そう言ってまた、コロコロと笑う。

「そや! 葵ちゃん、ちゃんと紹介してな、お兄ちゃんたちに僕のこと」

「あ、うん、それはもちろん。チビの頃からの仲良しだってちゃんと紹介するよ。いつも側にいて助けてくれた大事な友達だって」

「ふふっ、楽しみやなぁ。桐生昇先輩に桐生守先輩。どっちも弦楽器奏者にとっては憧れの人やから」

 屈託なく笑う司。

 そして、栗山先生から『すべて』を聞いたという司のその口からでた『僕の兄たち』の名前は、昇と守。

 だから、それは些細な違和感だった。


「浅井先輩〜」

「なに?」

「さっきちらっと見かけたんですけど、昇先輩は金髪のお人形みたいな人で、守先輩はモデルみたいにかっこいい人ですよね〜」

「うん、そう」

 人懐っこい笑顔で話す司に、祐介も自然な笑みで返事をする。

「コンサートマスターとしての昇先輩って……」

 話を続ける司の声がなぜか遠く霞んでいく。 

 なんだろう、この居心地の悪い感じ。

 それを自覚した瞬間にグッとこみ上げて来た不快感。けれど、僕は敢えてそれに蓋をした。

 司は弦楽器奏者。
 だから興味は自然と、同じ弦楽器奏者に向くのだろう。

 うん、きっとそう。

 でも、栗山先生が話した『すべて』って、本当に、僕にとっての『すべて』なんだろうか?

 悟……とのことは?

 片親とはいえ、血の繋がっている僕たちの、本当の関係は…?

 もしかして、司はそれも知って、僕のことを…悟のことを…。

 どうしても考えたくない不吉な言葉がふいに頭をかすめたけれど、僕はそれを無理矢理ねじ伏せた。

 司はきっとそんなことで僕たちのことを厭わしく思ったりしない。

 きっと僕の考えすぎだ…。

 僕はそう、2度3度と自分に言い聞かせた。

 それに、僕たちがそういう関係になったのは、兄弟と知る前のことだから。

 …そこまで考えて、僕は今度は自分自身にした『言い訳』に対して激しい不快感を覚えた。


 例え僕らが兄弟であってもなくても、そんなことは関係ないんだと、まだ言い切れない自分が情けなくて。



【2】へ続く

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