第2幕「Spring Sonata」
【2】
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その後、司は探しに来た佐伯先輩に拉致されて、院長室へと連行されていった。 なんでも、去年の僕同様、光安先生と話してる最中に院長から呼び出しがかかったそうなんだけど、僕が登校してきたと聞いて勝手に寮へ戻って来ちゃったらしい。 そんなところはまったく司らしいんだけど。 「葵、大丈夫か?」 「…え? 何、が」 司がいなくなったあと、僕は祐介に声をかけられるまで、ぼんやりとドアの方を見ていたらしい。 「何が…って、顔色悪いぞ。疲れたか?」 のぞき込んでくる祐介が本当に心配そうに眉をひそめたので、僕は慌てて取り繕う。 「やだなぁ。これくらいで疲れるわけないじゃない。さっきも景気づけにチョコ1箱食べたばっかりだよ」 「…ほんとに?」 祐介は、こと僕の事になると、とっても敏感というか、慎重になる。 「うん、ほんと」 にこっと笑ってみせると、やっと元の顔に戻ってくれて…。 「ならいいけど」 祐介は何も感じなかったのかな? 司の話に…。 それなら、本当に僕も気にすることはないのかも知れない。 次に司に会うときは、きっと悟の話もでる。 明日になれば、管弦楽部長としての悟の凄さを目の当たりにして、司のことだ、きっと『かっこいい!』って心酔するに違いない。 うん、きっと、そう。 「それにしても」 祐介がブレザーを脱いで、ネクタイを緩めながら言う。 …なんか、肩幅広くなったような気がするんだけど…。 「かなり個性的な子だよなぁ」 それはもちろん、さっきまでここにいた司のこと。 「物怖じしないって言うか…いつでも顔を上げて、しっかり前をみて歩くタイプだな、あれは」 祐介は、たいして多くない荷物を広げ、クローゼットにしまいながら話を続ける。 もちろん、さやかさんのクマも荷物の中から出てきた。 ちょっと押しつぶされて鼻がひしゃげてる。酷い扱いだな、もう。 「うん、チビの頃からそんな感じだった」 そんな祐介のクマを横目で眺めながら、僕もまた、新しいベッドにぬいぐるみを並べながら答える。今度は2段ベッドじゃないから並べやすい。でも、手すりがないから落っこちやすいかも。 うーん、やっぱりミッ○ーは枕の右で、プ○さんは左かな? 他愛もないことを一生懸命考えているうちに、さっきの不快感は薄れつつあった。 「賑やかになるんじゃないかな? 明るそうな子だし」 「それはもう保証つき。明るいだけじゃなくて、リーダーシップを取れるタイプでもあるしね」 何にしても、賑やかで明るいのは良いことだよね。 「リーダーシップが取れるってのは、コンマスとして絶対条件だよな」 それはもちろん、必須だけれど。 「でも、コンマスとしての昇のカリスマ性は、ちょっと高校生レベルじゃないからね。いくら技術があってリーダーシップがとれても、昇に張り合うのは難しいと思うよ」 まさか祐介だって、司の演奏を聴かないうちから司をコンマス候補だなんて思ってはいないだろうけど、僕が真面目にそう言うと、祐介は片づけの手をふと止めて柔らかく微笑んだ。 「今年もコンマスは昇先輩に決まってるさ。ただ、先輩は来年卒業だろ? 残念ながら、僕らの学年の弦楽器は粒ぞろいだけれど、コンマスの器は見あたらない。となると、次の学年に期待しなくちゃいけないな…ってことだよ」 あ、なるほど。 さすがに次期管弦楽部長最有力候補なだけあるね、祐介。 ちゃんと次の事も考えてるなんて。 「それにしても…」 祐介がまた、ふわっと微笑む。ほんの数週間の春休みのうちに、かなり大人びた祐介の微笑みはなんだかドキッとするほどかっこいい。 もともと大人っぽいと言われていた祐介だけれど、外見だけでなく、中身もグッと『いい男』になったような気がするな。 「自然に呼び捨て出来るようになったな、先輩たちのこと」 一瞬なんのことかと思ったけれど…。 ああ…そうか。僕はみんなの前ではちゃんと『先輩』って呼んで、使い分けてるから。 「…うん。今やみんなの前では意識して『先輩』ってつけなきゃいけないくらい、ちゃんと呼べるようになった…と思う」 「よかったな、葵」 何気なく距離を縮めてきた祐介の髪から、ふんわりとシャンプーのいい香りが漂ったなと思うと、僕はやんわりと抱きしめられていた。 「去年の今頃は、いろんなこと、一人で抱えてたんだよな」 その抱擁に、ただ心地よい暖かみだけを感じた僕は、抵抗なくその広い肩にそっと額を押しつける。 「…まあね。そんなに深刻じゃなかったつもりだけど」 「それでも葵は一人で背負っていた」 大きな掌のぬくもりが、肩からじんわりと染み込んでくる。 「初めて二人だけでゆっくり話したとき……ほら、夜中に地下の脱衣場で」 …ああ、あの時。 眠れずにいた僕を、祐介はそっと誘い出してくれて…。 「あの時、僕は葵の涙の意味に気がついてやれなかった」 そんなの…。 「そんなの仕方ないよ」 だって、僕が僕自身の意志で、その傷を隠していたんだから。 「でも僕は、その涙を止めてやりたかった」 少しだけ、祐介の腕に力が入る。 そう、最後に僕の涙を止めてくれたのは、悟。 でも、もしかしたら悟はまた、これから先、僕に新しい涙を流させるかもしれない。 そして僕も、悟に新しい痛みを与えてしまうかも知れない。 愛しているから。 誰よりも大切で、誰よりも愛おしくて、そして誰にも譲れないから。 でも…。 「…大丈夫。祐介だけは、絶対、僕に涙を流させない」 それは僕の、確信。 「葵……」 ほんの一瞬、僕を見つめて辛そうな色を浮かべた瞳は、すぐにまた柔らかくなった。 「そうだな。僕だけは、絶対に葵を傷つけない」 誰よりも、大切な『親友』。 その言葉を、殊更口にすることなく僕らが並んで歩けるようになったとき、僕らの関係は本当に昇華するはず。 でも、今はまだ僕自身が、そして、祐介自身がわざわざそれを口にする。 自分自身に、お互いに、言い聞かせるように、刻みつけるように。 僕たちは『親友』なのだと。 親友とは『信頼』を裏切らないものなのだと。 「さてと」 祐介が明るい声を出して、滞りかけた部屋の空気を吹き飛ばす。 「さっさと片づけて隣の部屋にでも奇襲をかけるか」 「そうだね。涼太と陽司の部屋も見てみたいし、羽野くんと茅野くんの部屋も見たいな」 両隣の住人の名をあげながら、僕も家から持ってきた着替えをクローゼットにしまい込む。 香奈子先生があれやこれやと持たせてくれた、着やすくて、ちょっとお洒落な私服のいろいろ。 「羽野と茅野の部屋はすごいことになるかもな」 「え? どうして」 二人部屋って言うのは、四人部屋よりもさらに個性がでる…って言うけれど。 「あの二人、実はコレクターなんだ」 へえ〜、それって、初耳。 「何集めてるの?」 仲のいいあの二人が、一緒になって集めてるものってなんだろう。 「あいつら、二人とも鉄道模型好きなんだ。もともと中1の時に、その話で盛り上がって仲良くなって今に至る…・って感じなんだけどな」 「そうなんだ。僕も好きだけど、見るばっかりで持ってないな」 そういえば豊がたくさん持っていたっけ。僕はそれで遊ばせてもらうだけで満足してたからなぁ。 「あれは場所取るからな。四人部屋だと他の二人に遠慮して広げられないだろ?」 あ、なるほど。 「じゃあ、二人部屋になったから、遠慮なし…ってことか」 「そういうこと。まあ見てろって、1週間もしないうちに、床に線路が通ると思うぞ」 「ひゃ〜、楽しみ〜」 寮の部屋の中に鉄道模型だなんて、ちょっとワクワクしちゃう光景だよね。 部屋の中を整えながら、そんな風にあれやこれやと祐介と想像しながら盛り上がっていると、ドアが軽快な音でノックされた。 「は〜い? 開いてますよ〜」 言いながら僕がドアを引くと…そこには…うわっ、でかっ。しかも…。 「はじめまして。なづきあおいせんぱい で いらっしゃいますね」 「…あ、はい、そうです」 見事なブロンド見事な体格――そして流暢な日本語。 もしかしてこれが、噂の? 「ぼく、しんにゅうせいの Arnest Hass といいます。あかさかせんせいには たいへん おせわになっています」 え? 赤坂先生の知り合い? …って僕が思った瞬間。 「アニー…?」 僕の後ろから、とても祐介とは思えない声が…。 「Wow! ゆーすけ! あいたかった!」 なに? 祐介の知り合い?! 「アニー! どうしてここに?! それに日本語……」 「ゆーすけにあいたくて、にほんごならった! せいりょう、うけた! かんげんがくぶ はいった!」 「えええええええええ!?」 驚きのあまりか、とんでもない声を出した祐介に、その――ええっと、アニー…だったっけか?――見事な体格の金髪のハンサムは、あろうことか『My Sweet heart!!』と叫んで抱きついた。 そして、ハッと気付けば……大勢の生徒が廊下から呆然とこの光景を見つめていて…。 もちろん、男子校なのになぜか色恋沙汰の宝庫である我が校の生徒たちが『My Sweet heart!!』の意味を知らないはずがなくて、あの祐介がさらに一回り半くらい(ちょっと大げさか)大きな異人さんに抱き竦められてジタバタしている様子はなんとも形容し難くて…。 「な、奈月…」 おずおずと声をかけてきたのはお隣さん。羽野くんだ。 「あ、羽野くん、久しぶり、元気だった?」 線路工事は始まったのかな? …って、そんな悠長なコト言ってる場合じゃないか。 「あ、うん、元気。奈月は?」 「うん、僕も元気」 …って、だからそんな悠長な…。 「あのさ、あれ、何?」 羽野くんがおずおずと指さした先にはそう、あの光景がまだ繰り広げられている。 「ええっと〜」 何って聞かれてもねぇ。 とりあえず、僕にはこう答えるしかなかった。 「あとで祐介に聞いてみるよ」 うん、とりあえず、それしかないよね。 |
第2幕「Spring Sonata」 END |