第2幕「Audition!」
【2】
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6学年全員集合の音楽ホール。 去年と変わらず、上級生から客席の前方を占めて、オリエンテーションの開始を待っている。 …って、僕はよく考えたらもう、上から2番目の学年になるんだっけ。 祐介たち『持ち上がり組』にしてみれば『やっとここまで』って感じらしいんだけどね。 最下級生である中1から数えたら、5年目だもん。そりゃ、長いよ。 …と、周りを見渡せばやっぱり『新顔』にみんなの視線が集まっている。 僕も去年はこの視線の中だったんだよね。 特に目を引いているのは…。そう、彼。 昨日、あろうことか祐介に『My Sweet heart』と叫んで抱きついた、超デカイ異人さんのアニーことアーネスト・ハース。 彼が『あの』欧州楽壇期待の新星・Arnest Hassと同一人物であるってことは、たった一日で、すでに学校中――それこそ管弦楽部とは縁のない生徒たちにまで知れ渡った。 僕ももちろん名前は知っていたから、ほんとにびっくり。 しかも、それが祐介の夏期留学の時の仲良しだと聞いて2度びっくり。 だって、祐介ってば、帰ってきてからもそんな話一度もしなかったんだもん。 ただ『オーボエ奏者と仲良くなって、いろいろ面倒見てもらったんだ』って話を、何かのついでにちょっと聞いたくらい。 だから、まさかそれが『彼』だとは思わなかった。 もちろん祐介は知っていたんだけれど。 夏期留学中の仲良しが『そう言う人』だってことは。 坂口先輩が卒業で抜けたオーボエの穴は本当に大きいけれど、これじゃあ、その穴も埋めてあまりある…って感じだよね。 そのアニーは、危なげなく日本語を駆使して周りと談笑してる。 昨夜もかなり遅くまで僕たちの308号室にいて、夕食の時も祐介の横にべったりだったから、彼がまったく言葉に不自由していないのはよくわかった。 僅か半年で日本語をここまでマスターするなんて、ほんとにスゴイ。 それが『祐介に会いたかったから』って理由だってのが、またふるってるよね。 祐介はまさかの展開に目を白黒させていたけれど、その後、『My Sweet heart』発言に関しては周囲の鋭い追求にも黙秘を貫いている。 まあ、そもそも本気にはしてないみたいだけれど、とりあえず『からかいのネタにはなりたくない』ってのが、今のところの本音らしい。 それにアニー自身が、その見た目を裏切らない大らかさで、しかもとても社交的で、僕や、様子を見に集まってくる連中にも同じように愛想がいいから、今のところ『娯楽の少ない男子寮に格好のネタ』的取り扱い…って感じかな。 あ、先生と悟がやって来た。 いよいよ新年度の管弦楽部のスタートだ。 上級生ですら、ほんの少し緊張するひととき。 新入生なんて、きっとガチガチだろうな。 まず光安先生の話。そして、続けて悟も話をする。 二人とも話は簡潔でわかりやすく、そして、短い。 聴いている方にとっても緊張を持続できる程度の長さにちゃんとまとめてあるから、だれることがないんだ。 これも『統率力』の重要なポイントってところだろうか。 そして、話し終わった悟が、次に新入部員の自己紹介…と告げると、あたりが少しざわついた。 どうしてだろう。 「どういうことだ?」 周囲からそんな感じの言葉が小さく漏れる。 どういうこと? 僕が首を傾げたのがわかったのか、祐介が小さく耳打ちをしてきた。 「いつもは年間スケジュールの発表が先なんだ」 …ふぅん。 「でも、順序がちょっと変わったくらいで…」 僕がそこまで言ったとき、前列にいた3年の先輩が振り返った。 「いや、ずっとそうだったんだ。顧問と部長の挨拶のあと、年間スケジュールの発表があって、それから新入部員の紹介、最後にオーディションの課題発表…ってな」 その先輩の言葉に、僕が返事をしようとしたとき…。 「静かに」 決して大きくはないけれど、よく通る悟の声が、あたりのざわめきを制した。 「中学1年生、全員起立」 水を打ったような静けさが訪れる。 悟に促され、中学1年生たちの自己紹介から始まった。 ほとんどの子たちが、緊張のせいか声を震わせている。なんだか可哀相なくらい。誰も取って食ったりしないのに。 いや、佐伯先輩あたりだと、取って食っちゃうかもしれないけど。 そんな中、一際目を引いたのは、なんと我らがフルートパートの新入部員だった。 『初瀬英彦です。パートはフルートです。よろしくお願いします』 抑揚なく言い切ったその声は、すでに声変わりが済んでいるのか、やたらと落ち着きがあって、しかも…。 「…葵の方が年下に見える…」 ボソッと隣で祐介が呟いた。 「ひっど〜い…」 僕もボソッと答える。 その密やかなやりとりが聞こえたのか、付近では忍び笑いが漏れる。 ……失礼な。 それにしても、あれが中1とはオドロキ。だって、先月まで小学生だったはず…だよね。 でも、その彼――初瀬くんだったっけ――は少なくとも僕よりは大きそうだ。…ってことはもしかして170cmくらいあるのかも知れない。でも4つも年下…だよね。 うーん、最近のこどもは発育がいいんだなぁ。 藤原くんなんて踏みつぶされちゃうかも……。 「藤原…踏みつぶされそうだな」 ぷぷっ、祐介も同じ事考えてる。 みかけはちょっと取っつきにくそうだけれど、また新しい個性が加わって、ますます面白くなりそうな気がするな、うちのパートも。 そうこうしているうちに、中学1年生18名の自己紹介が終わった。 次は高校1年生25人の自己紹介。 とはいっても、そのうち19人は中等部からの持ち上がりだから、実質は6人の『正真正銘』の自己紹介だ。 例年にない激戦を勝ち抜いていたって言う6人は、やっぱりそれぞれに一癖も二癖もありそうな感じ。 で、その中でもやっぱり司は人目を引いた。 華奢で美人な外見、物怖じしない態度。 すでに入学式でその顔はみんなの記憶にしっかり焼き付いているけれど、こうして違う場所で見るとまた新鮮な感じ。 しかも『幼稚園から中学までずっと奈月先輩の後輩で、同じ町内で生まれ育った幼なじみです』なんてアピールしてくれちゃったりしたものだから、あたりのざわめきも最高潮。 それにしても、司に『奈月先輩』なんて言われると、ちょっと背中がかゆい。 もちろん例のアニーも注目の的。 もうすでに素性は知れ渡っているけれど、あの『Arnest Hass』が入学してくるなんて、いったい何が起こったんだろう…って言うのが、管弦楽部員の素直な感想…かな? 中には『今年あたり演奏旅行が入るはずだから、その布石じゃないか?』なんて声も聞こえてくるけれど、その程度のことで『Arnest Hass』が絡んでくるってことはないんじゃないの? …って僕は思うけどな。 実際の所どうなんだろう? 純粋に祐介を追いかけてきたんだろうか? だとしたら、祐介……大変だよ、これは。 そして、もう一人の注目株と言えば、ホルンの新入生。 先輩の話によると、高校からホルン奏者が入るのは実に20年ぶりのことらしい。 20年前のその人は、当時先輩だった赤坂先生に心酔して、卒業後はずっと先生の追っかけをして、今は先生が常任を務めているドイツのオケの首席奏者らしい。 それにしても、これはまた小さい子だなぁ。これであの大きなホルンが抱えられるんだろうか。肺活量も心配なくらい。 その彼の名前は『宮階珠生』くん。 中1の初瀬くんとは正反対。こっちが中学生で、初瀬くんが高校生って言った方がよっぽど自然な感じ。 お父さんが有名な指揮者だってのも、もう昨日のうちに噂が飛んでいたっけ。 どんな演奏をするのか、まずはオーディションが楽しみ…ってところ。 「それではオーディションの課題曲を発表します」 ちょうど僕がオーディションについてあれこれ考え始めたとき、また、悟の凛とした声がホールに響いた。 でも悟のその言葉であたりはこれと言ってわかるほどざわついたんだ。 「年間スケジュールはどうなるんだろう」 周りがそんな風に騒ぎ出したから、佐伯先輩が手を挙げた。 「はーい! 質問!」 このタイミング、この口調。きっと、先輩は事情を知っているとみた。 「佐伯先輩、事情を知ってそうだな」 祐介も言う。 「そうだね」 先輩が手を挙げて『質問』と言ったのは、多分悟とも打ち合わせ済みのことだろう。 悟が軽く頷いて、佐伯先輩を促した。 「年間スケジュールはどうなってます?」 周りも当然この質問を期待していたから、急速に私語は消えて、悟か…もしくは黙って腕を組んで目を閉じている光安先生の言葉を待った。 悟はチラッと先生の方を見たけれど、先生は動かない。 それを見て取った悟は全員に向き直って告げた。 「例年、この場で年間スケジュールを発表していますが、今年はこれをオーディション後…つまり各パートの首席を決定の後、首席会議を通してからの発表とします。理由は、3回のコンサートの曲がまだ未定であること。その曲を決定するにあたり、首席会議の承認と協力が不可欠であろうと思われること。以上の2点です」 3回のコンサートっていうのは、夏のコンサート・聖陵祭コンサート・定期演奏会…のことだ。 いつもなら、コンサートの曲は先生と部長・副部長、そして高校3年生で編成されている『選曲会議』で前年度末に決定されている。よほどの理由がない限り覆ることはない。 だから、新学年が始まった今、まだ曲が決まっていないというのは相当に異常事態のはず。 それにしても、首席会議の承認と協力が必要な曲って……。 そう聞いて、実は僕には一つ、心当たりがあった。 春休み中、一生懸命にチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトをさらっていた昇…。 そもそも、生徒がコンチェルトのソリストを務めたのは、メインが栗山先生だったとはいえ、去年の僕が初めてのことだったそうだ。 だから、もしかして。 3年の先輩たちは落ち着いて聞いている。まるで何もかも知っているかのように。 だから下級生はこれ以上騒ぐわけにもいかず、ホールはまた静かになった。 そして、オーディションの課題が、発表された。 |
【3】へ続く |