第2幕「Audition!」

【4】





「さて、どうしたものか」
「祐介、そのセリフ、今日2回目」
「わかってるよ」


 ちょっと口を尖らせる祐介。
 ちなみに腕組みのポーズもさっきと一緒。
 今度は足も組んじゃってるけど。

 それにしても、足長い。羨ましい…。やっぱり男と生まれたからにはこれくらいのタッパは欲しいところだよなぁ。



「確かに簡単ですけど、でもこの曲、難しいですよね」

 僕がこの状況下で不謹慎にも『どうでもいいこと』に思いをはせていると、藤原くんが、心細そうにポツンと言った。

 それは、一つの曲に対して全く相反する二つの感想。


“簡単だけど、難しい”


 彼は何故か僕の隣にひっついて、まるで初瀬くんの視線を避けるかのように座っている。

 どうやら藤原くんは、この大きな後輩にちょっと怯えているようだ。


「なんか意味あるンすかね」
「あ、俺もチラッとそれ思った」

 谷川くんの言葉に紺野くんもすぐに反応する。

「確かに去年のバッハに比べると、随分…だよね」

 去年の課題は吹くだけで精一杯って感じだったけど、今年の曲は吹く分にはさして大変じゃない。それどころかさすがに『初見用課題曲』なだけあって、ちょっと楽譜をさらえば『それなりに』演奏はできるんだ。

 ロマンチックな曲って、それだけで形になっちゃってるからね。 


「初瀬くんはどう思う?」

 僕が黙ったままの新入生に、ふいに話を振ると、それまで伏し目がちだった黒い瞳がスッとこちらを向いた。

 力のある、それでいて――なんだろう、穏やかな――ううん、ちょっと違うな…。


「正直言って、びっくりしてます。聖陵のオーディションはレベルが高いって聞いてましたので」

 …そう言えば、初瀬くんがまともな文章を話したの、初めて聞いた。

 それにしても、正直な感想ながらも受け答えはかなり分別くさい。もしかしたら、僕みたいに『大人の中』で育ったのかもしれないな。

 そう思ったとき、初瀬くんの瞳の中に何となく過ぎるものが…。。

 ――哀しそう――な?


「でも、きっと吹けるだけじゃだめなんだ…と思います」

 遠慮がちに付け加えられた感想に、やっぱり僕は、彼の中にある昇華されてない何かを感じてしまった。……考え過ぎかなぁ。


「そうだな、初瀬の言うとおり…だろうな」

 暫く黙ってみんなの話を聞いていた祐介が、腕組みを解いて、言った。

「僕が入学した年もこの曲が課題だったんだけれど、当時はただ『難しいオーディションだって聞いていたのに、意外と簡単な曲でラッキー』みたいな感想しか抱かなかった。でも、今考えると、あの時の状況って今の状況によく似てるんだ」

「…どういうこと?」

 僕の問いかけに、祐介は軽く頷いた。


「当時、フルートの最上級生は伊藤治樹先輩だった」

 …ああ、去年の秋、一時帰国してリサイタルをした先輩だ。可愛い感じで優しい人だったっけ。チョコパも奢ってもらったし。

「聞いたことがあるかも知れないけれど、伊藤先輩は中2で次席、中3で首席になった人で、この記録は未だに破られていない、すべてのパートを通しての最速記録なんだ」

 へ〜、そうだったんだ。
 あ、でも…。

「昇先輩って、中1で次席になったんじゃなかったっけ?」

「ああ、そうだな。守先輩も中2で次席になっている。でも2人とも、首席になったのは高1だからな」


 そっか。弦楽器と管楽器はちょっと事情が違うってのもあるからね。

「でさ、当時伊藤先輩と言えば押しも押されもしない偉大な首席でしかも管弦楽部長。人柄も実力もピカイチで、先輩に敵う人間なんていなかった。もちろんオーディションだって、伊藤先輩を抜いてやろうなんて、誰も、これっぽっちも思わなかった」

 祐介が一気にそこまで言い切ったとき、『あ』と声を上げたのは紺野くん。

「それで、今の状況と…」

 そう言っただけで、谷川くんも藤原くんも表情を変えた。ただ、初瀬くんだけは相変わらずのポーカーフェイス。

「そうだ。今の状況と一緒なんだ。あの時は、伊藤先輩が中心になって、全員で課題の勉強をした。曲の解釈だけじゃなく、それこそ呼吸法から口の当て方、息を入れる角度……本当に基礎から一つずつ丁寧にさらっていったんだ」

 …ってことは。まさか。


「わかるか? 初瀬」

 恐らく他の後輩はみんな得心したと見たのだろう。
 祐介は、一人表情を動かさない初瀬くんに声をかけた。

 初瀬くんの伏し目がちな視線が僅かに上がる。

「…はい。今年は奈月先輩を中心に、全員で課題に挑戦しようということ…ですね」


 あああ、やっぱり。

 それにしても、初瀬くんってば察しがいい。
 去年の首席が僕だって知ってるからかな? でも、今年もそうだとは限らないのに。


「そういうことだ。いいな、みんな」

 祐介が見回すと、みんな嬉しそうに頷く。

 もちろん僕を除いて。

 だって、こんな責任の重いこと……。それこそ、さっきの佐伯先輩の脅し文句じゃないけれど『ヘタな演奏は聴かせられない』じゃん。

 全員で水準を上げることができなければ、この計画はおじゃんってことだ。

 まあ、この課題を僕らに与えた光安先生の意図が、本当にそうであれば…の話だけどね。



「初瀬もいいな?」

 祐介が確かめるように目を見て言うと、初瀬くんもしっかりと頷いてしまった。

「もちろんです。去年何度も奈月先輩の演奏を聴いて、憧れていました。その先輩に教えていただけるなんて、嬉しいですから」

 …って、見た目はちっとも嬉しそうじゃないんだけれど、でもその声色はなんだかとても誠実で、妙に説得力がある。

 そして、僕に憧れていたという初瀬くんを見上げて、控えめにうんと頷いたのは藤原くん。

 彼も、去年コンクールで初めて僕の演奏を聴いて、憧れてる…って言ってくれた可愛い後輩。

 でも、そんな藤原くんをチラッと見て、初瀬くんは何故かふと視線を逸らした。

 心なしか、目を眇めて。そう、ちょっと眩しそうに。

 それは一瞬のことだったから、藤原くんは気がつかなかったみたい。

 よかった。気がついていたら、きっと藤原くんは戸惑ってしまう。
 ただでさえ、近寄りがたい後輩だな…と思ってるようだから。





 そして、僕たちは明日からの練習計画を綿密に練った。

 今日はとりあえず、楽器を持たずにそれぞれの部屋で徹底的に譜読みをやる。

 楽譜自体は決して難しくないから、音はすぐに拾えるんだ。

 けれど、その先にある――ほら、文章を読むときに『行間を読む』って言うのがあるように、楽譜にも、音符や発想記号なんかに表されていないものがたくさん潜んでいる。

 それを自分なりに見つけないと、いくらテクニックばかり磨いてもダメだと思うから。



 それから僕らフルートパートの闘いが始まった。

 大げさないい方だけど、気分的にはまったくその通り。

 他のパートはみんな、パートの中で闘っているけれど、僕らは違う。

 出来るところまで一緒に勉強していって、でも最後は全員でそれぞれの「コンクールのための小品」を仕上げて、オーディションに討って出ようってことになったんだ。

 基本は同じでも、最後の味付けはお好み次第…ってことだ。
 自分が奏でる音の一つ一つに、自分だけの想いを込める――それこそが、個性、だもんね。



                    ☆ .。.:*・゜



 オーディション準備期間の1週間。
 もちろん普段の部活はないから、どうしても、顔を合わせるのは同じパートの人間ばかりで、他のみんなとは話す機会がない。

 もちろんそれは悟ともそういうことで…。

 なんとかすれば時間のやりくりは出来るんだけど、悟もまた大変な状況なのだと思うと、連絡を取ることもできなくて、僕は日々煮詰まっていった。



 そんなある夜のこと……。



「葵」 

 消灯まであと30分。

 寮の階段で呼ばれて、振り返ったそこには昇の姿。

 まだ周りにはたくさんの生徒がうろうろしているから、僕はもちろん昇を『先輩』と呼んで側へ行く。


「あのさ…ちょっと」

 その手には楽譜がある。

「はい、なんでしょう?」

 示された楽譜を覗くとそこには……。

『消灯後、123号室へ』 

 隅っこにそれだけが書いてある。

 123号室って……悟の部屋!


「あ、あの、これ…」

 そう言うと昇は、僕の耳元でこそっと囁いた。

「大丈夫、悟、しばらく一人だから」

 え? それって。

「…でも、横山先輩は?」

 悟の同室、横山大貴先輩は現生徒会副会長。少なくとも進んで寮則を破れる立場にはない人だ。


「オールクリア。葵はなんの心配もいらないから、とりあえず行って」
「あ、はい」

 そりゃあ、悟に会えるのは嬉しいけれど。

「じゃあ、よろしく頼むね」

 周りを意識してなのか、昇は急に普通の声で、しかもこれ見よがしに楽譜をひらひらとさせてそう言った。そしてまた、急に声を潜めて…。

「ほんっとに頼む。もう、煮詰まっちゃって大変なんだ」

 昇は呆れたように肩を竦めて…パチンとひとつウィンクを残して階段を下りていった。

 煮詰まっちゃってって…? 煮詰まってるのは僕なんだけど…。




 そしてやって来た消灯時間。

 学年も始まったばかりだから、あんまり遅くまで勉強するヤツもいなくて、寮内は静まり返っている。

 さて、どうする。

 悟はいいとして、問題は祐介。

 ここはやっぱり正直に話して了解を得る方がいい……だろうな。

 そう思って僕が、ベッドの小さな灯りでまだ本を読んでいた祐介に、『あのさ、祐介』って声をかけ、祐介が『何?』ってこっちを向いたとき…。


『コンコン』


 微かなノックの音。

 …へ? だれ?

 顔を見合わせた僕らは、どちらともなくベッドから降りて、ドアへ向かった。

 そして、そっと開けたドアの向こうには…。

「は〜いv My Honey〜」

 密やかだけれど浮かれた声。
 満面の笑みは僕が見上げないといけないほど高いところにあって。


「「あ、アニー…」」


 僕らが声を揃えてそう言った瞬間、アニーはそのガタイに似合わない機敏な動作でスルッとドアをくぐって部屋に入ってきた。

「おじゃましま〜す」

 お邪魔します…って。

「ささ、なづきせんぱいは おでかけ ですよね?」

 はい〜?

「アニー、どうしてそれを…」
「葵、どういうこと?」

 祐介がジロッと僕を睨む。

 ええと〜。

「あ、あのさ……」

 僕は説明しようとしたんだけれど、それはアニーによってあっさりと遮られてしまった。

「あさいせんぱいのことは ごしんぱいなく〜」
「アニー! その『せんぱい』ってのやめろって!」

「「しー!」」

 ドアは閉まっているものの、すでに消灯から30分。
 僕とアニーは慌てて人差し指を口に当てる。
 祐介も慌てて口を塞いで…。



 何だか知らないけど、とにかく助かっちゃったかも。

 僕は祐介をアニーに預けて(?)、そそくさと308号室をあとにした。


【5】へ続く

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