第4幕「Concert」
【1】
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「それでは、首席会議による承認の前にもう一度、協奏曲に関する決議事項を確認します」 僕たち管弦楽部員の根城、音楽ホールの3階。 ここは『練習室20』。 広さは20畳くらいあって、普段は管楽器用の分奏室だ。 ちょうどいい大きさってことで、首席会議はいつもここで行われている。 「夏のコンサート、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲Op.35。独奏は桐生昇。 秋の聖陵祭コンサート、ドヴォルザークのチェロ協奏曲Op.104。独奏は桐生守。 そして、冬の定期演奏会、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番 Op.23。独奏は桐生悟」 真面目な顔をして議長を務める佐伯先輩は…なんだか妙にかっこいい。 こんな一面もあるんだと、ちょっと感動。 普段おちゃらけていると、こういうとき簡単に感動させられていいかも知れないな。うん。 あ、どうして部長である悟ではなくて、副部長である佐伯先輩が首席会議の議長を務めているかというと、今回の議題の内容のせいなんだ。 議題はズバリ、3つのコンサートで協奏曲(コンチェルト)を取り上げるということ。 しかもソリスト(独奏者)は桐生家の三兄弟。 そう言うわけで、決議事項の当事者に当たる悟と、そして昇と守も、今回は自主的に議決権を手放して、それぞれ次席にその権利を託しているんだ。 そして、光安先生と首席会議の出した結論は、今佐伯先輩が言ったとおり。 でも、昇と守の曲はすんなりと話がまとまったんだけど、実は悟の曲だけはちょっと揉めた。 何といっても去年の定期演奏会のメインがチャイコフスキーの交響曲で、しかも夏の昇のコンチェルトがまたしてもチャイコフスキー。 あまりにも同じ作曲家の作品が続くのはどうかという意見が上がったんだ。 そして提出された対抗馬は『ベートーヴェンの協奏曲第5番』。 別名『皇帝』と言われているこちらも超有名な曲。 基本的に選曲に関しては『ミーハー路線』を貫いている聖陵学院管弦楽部なんだけれど、これは先生の方針でもあるんだ。 一般に知られていないマイナーな曲は、大学のオケへいってからいくらでも経験できるから、今のうちはこうした『知られている曲』で徹底的にアンサンブルの基礎を学んで欲しい…ってことらしい。 で、話を戻すと…。 悟は何でもいいって言ったんだ。首席会議の決定に従うってね。 そして、結構白熱した『チャイコフスキーvsベートーヴェン』の議論にエンドマークをつけたのは、我らが顧問、光安先生だった。 確かに、同じ作曲家の曲が続くのは歓迎すべき事ではないのだけれど、『皇帝』ではあまりにオケの難易度が平易だって。 いくらコンチェルトはソリストがメインとはいえ、そこはやはり管弦楽部の行事。 オケとしての実りがある曲でないとダメだ…ってことなんだ。 その点、ベートーヴェンはソロピアノとの掛け合いがあまり難しくなくて、オケを鍛える練習にはあまりなりそうもない。 反対に、チャイコフスキーはソロとの掛け合いもオケ内での掛け合いもかなり神経を使う曲なんだ。 …ってことで。 「以上、異議はありますか?」 佐伯先輩のよく通る声が促した。 けれど、誰も何も言わない。 ほんの少しの沈黙のあと、先輩は言った。 「異議なしと認め、決議事項は承認されたものとします」 …決まった。 会議の輪から離れ、正面とは反対側の壁際に座っていた悟が立ち上がると、続いて昇と守も立ち上がる。 「よろしくお願いします」 それぞれに決意を滲ませた声。 そして、自然とわき起こる拍手。 コントラバスの首席、三年生の篠山先輩が『がんばれよっ』と声を掛けると三人ともしっかりと頷いてみせた。 ☆ .。.:*・゜ 今年の管弦楽部はいつもと違う。 と言っても、僕は去年1年間の事しか知らないからこれは完全な受け売り。 昨日、たまたま人気のない準備室で鉢合わせした佐伯先輩に、僕は色んなことを聞くことができたんだ。 今まで「協奏曲」っていうのは2〜3年に一度、外部からソリストを招いてやっていたんだそうだけれど、それを今年『協奏曲の年』にしようって言い出したのは佐伯先輩だってこと。 そして光安先生に提案したら、先生も快く相談に乗ってくれて、そうしてこの話は先輩たち最上級生に広がり、今日の首席会議で実を結んだんだ。 事の成り行きはこう。 それは話の端々からもとても感じられたんだけれど、先輩はとても悟の事が好きで(もちろん僕の『好き』とは意味が違うけど)、とても尊敬していて、悟と、そして昇と守と過ごせた今までが、とても充実して楽しくて幸せだったんだそうだ。 『俺さ、その思いをなんとか形にして残せないかな…と思ったんだ。それに、あいつらが管弦楽部に尽くしてくれた事に対する感謝の気持ちっていうのもあったしな。ほんと、俺たち3年生はあいつらと同じ学年でいられたことをラッキーだと思ってるんだよ』 つまりそんな思いの集大成として、最後になる今年一年を『協奏曲の年』にして、ソリストとしての悟たちと共演したい…と考えたんだそうだ。 もちろんこれは悟たちにとってもまたとない機会でもあるしね。 『幸いヤツらにはその実力が備わっているからな』 そう言って佐伯先輩は悪戯っぽくウィンクして見せた。 そう、協奏曲のソリストを勤めるというのはとても大変なことなんだ。 まず、曲そのものが技術的に難しい。 特に昇が挑戦するチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、プロでもてこずると言われてるくらいの難曲で、まあこれが弾きこなせるくらいだったら大学入試なんてものの数じゃない…って感じかな。 あとは音楽性の問題だから、今さら僕が悟たちにとやかくいう事は何もないんだけどね。 それにしても、夏のコンサートまであと3ヶ月と少し。 はっきり言って、協奏曲を仕上げる時間としてはかなり短い。 でも、昇はこの短い時間で自分がソリストを勤める舞台を全力投球で終わらせて、あとは卒業までをコンサートマスターとして全うしようと思っているみたいなんだ。 それはもちろん、あとに続く守と悟の協奏曲をコンサートマスターとして支えることに専念したいからっていう気持ちの表れで…。 …ってことは? 夏のコンサートは昇がソリストだから、コンマスは誰が? もしかして…。 司っ?! いきなりっ?! でも、普通はそうだよね。首席が抜けたら次席が繰り上がるのが当然で…。 「あおいちゃ〜ん」 会議が終わってパート練習に戻ろうとした僕の肩にしなだれかかってきたのは、現在の僕的渦中の人、司。 「すごいよね〜。チャイコのヴァイコンだよ〜」 あ、チャイコのヴァイコンってのは『チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト』の略。 「ね、司」 「なに?」 ニコッと微笑む司の顔が…。 ちょっと近すぎない? 最近司のスキンシップが濃厚になってるのは気のせいだろうか。 これから気温は上がっていくんだから、ちょっと暑苦しいかも。 「夏のコンサートまでの間、コンマスって…」 僕の言いたいことがよくわかったのか、『ああ…』って答えた司の声にはため息が混じっていた。 「首席が抜けたら次席が繰り上がるってのは常識だから…っていわれたんやけど」 やっぱり。 「でも、僕はそもそもオケの経験がない。それなのにいきなりコンマス、しかも協奏曲なんていう普通より神経を使う曲でのコンマスやなんて、絶対無理ですって先輩方には言ったんだ。もちろん先生にも」 確かに司の言うことは当たってる。 普通コンマスはオケ全体と指揮者を繋ぐ重要な役目を負ってるんだけれど、それが協奏曲になると『指揮者とオケ』だけでなく『ソリストとオケ』の橋渡しもしなくちゃいけなくなって来るんだ。 つまりいつもよりさらに神経を使う場面が多いって事で…。 「でも、何事も経験だからって言われちゃって…」 …ってことは。 「司がコンマス?」 聞いた僕の表情がきっと不安に満ちあふれていたんだろう、司はちょっと苦笑いして、それから僕の肩を抱いてきた。 う、後輩のクセに生意気な。 「一応3番手の中山先輩がフォローに入ってくれるってことで、コンマス修行をさせてもらうことになった。で、本番に間に合えば僕がコンマスってことで」 「…そうなんだ」 「うん。でもはっきり言って自信は全然ないよ」 司にしては珍しく、少し弱ったような、無理矢理笑顔。 「自信どころか、正直言って逃げ出したいくらいの気分……かな」 その表情には『伝統ある聖陵学院管弦楽部』をいきなり背負わされそうになってしまった事に対する困惑がありありと見えて。 「つかさ…」 そのあまりにも『今までに見たことのない』気弱な司の表情に、掛ける言葉をなくしてしまう僕。 けれど。 「不安は、ぼくもいっしょだよ」 そんな僕と、そして司の肩を明るい声で叩くのは…。 「アニー」 見上げたところにある顔は、いつもに増してさらに柔らかく微笑んでいた。 「ぼくだって、オケのけいけんは ほとんどない」 そうか、アニーは音楽院でもエリート中のエリート、ソリストのコースに在籍してたんだっけ。 「でも、その不安は 毎日のれんしゅうで少しずつ うめていくしかないんだ」 司がちょっと眩しそうにアニーを見上げる。 「だからつかさは しんぱいするまえに うんとれんしゅうすればいい。そして まわりのadoviseに 耳をかたむける…それだけ、だよ」 うーん。さすがにプロの言うことは重み違う。 「…うん、そうだね」 司の返事は、まだ自信がなさそうにポツンとこぼれ落ちたけど、その表情からはさっきの真っ暗な影は去っていて僕も一安心。 「がんばれ、つかさ」 「うん!」 微笑みあう二人を見て、こうして同期の輪って固まって行くんだなと思いながら僕は、後輩だけれど人生経験も音楽経験も僕より長いアニーに感謝して、その場を離れようとしたんだけど…。 そんな僕の目の前をちょこちょこっと走り抜けていくのは宮階珠生くん。 そうだ、大事な話があったんだ。 「あ、ちょっと宮階くん!」 「は、はい! なんでしょうか、奈月先輩!」 くるっと振り返って戻ってきてくれた彼は、やっぱりどうみても中学生に混じってる方が似合ってるくらい可愛い。 「あのね、来週の管分奏のことで…」 僕は、なぜか今年、『管楽器セクションリーダー』なるものを任されてしまい、管楽器の練習について全面的に責任を負う立場になってしまった。 なので、こうやって管楽器の各首席にも練習日程その他について連絡や確認をとらなくちゃいけないと言うことで…。 「はい〜、わかりました。ホルンパート全員に伝えておきます。それと、ゴールデンウィークの合宿の日程で…」 「ああ、これね、これは…」 で、こうして宮階くんとも直接話す機会が多くなったんだけど、実は彼、その可愛らしい外見と口調に似合わず、中身は結構しっかりしてるんだ。 今もそう、これから詰めていかないといけないな…と思っていた話をきちんと先回りして押さえているんだ。本人には自覚はなさそうだけど。 「じゃあ、よろしくね」 「はい〜」 返事をしてからジッと僕を見つめる宮階くん。 「…えっと、何かついてる?」 不安になって聞いてみると…。 「奈月先輩って…綺麗ですねぇ…」 ため息混じりに何を言い出すかと思えば…。 まあ、こんな感じでちょっとどこか抜けた感じの、ぽよよんとしてる彼もいいんだけどね。 「僕も、先輩みたいに綺麗だったらなぁ…。そしたら…」 そしたら? 「珠生、残念だが葵はその手の誉め言葉には慣れているぞ」 いきなり背後から現れて僕の腰を抱くのは、そう、さっきまで堂々とした態度で会議を取り仕切っていた副部長サマだ。 またまた〜。早くも『珠生』なんて呼んじゃって〜。可愛い子には目がないんだから〜。 「それよりお前、早く行かないと、悟が待ってるぞ」 「あ! そうだった! 大変っ、急がなくちゃ〜」 宮階くんは僕と佐伯先輩にぺこっと頭を下げて、嬉しそうに――それこそ、ちぎれんばかりに振ってる尻尾が見えそうな感じで――駆けていった。 悟が待ってる? どう言うこと? 見上げた僕の表情には何もかも書いてあったんだろうか。 先輩はさらに僕の腰を抱き寄せると耳元で言った。 「悟、マンツーマンで珠生の指導をしてるんだ」 なに、それ。 初めて聞いた。 そしてその日の部活終了後、僕は光安先生から、ピアノの個人レッスンの先生が、悟から外部の講師に代わるということを告げられたんだ。 |
【2】へ続く |
☆協奏曲について超簡単なご説明☆ 協奏曲とは、独奏楽器とオーケストラとが合奏する形式の器楽曲のことです。 「ピアノ協奏曲」なら、独奏楽器はピアノ。 「ヴァイオリン協奏曲」なら独奏楽器はヴァイオリン。 「チェロ協奏曲」なら独奏楽器はチェロ…ということになります。 もちろんフルート協奏曲やホルン協奏曲など、 オケの楽器はたいがい独奏楽器になりますし、 最近では和楽器(琴・笙など)の協奏曲なんてのもあったりします。 そんな場合も、もちろんバックは西洋楽器のオーケストラです(*^_^*) |