第5幕への間奏曲「それでも僕は、君だけを想う」

【4】





 そして綻びはまだあった。

 第三の――とてつもなく大きな綻びが…。





「悟先輩」

 背後からかかった、若干硬質の声に振り返ってみれば、そこには葵の幼なじみだと言う今年の総代、佐倉司の姿があった。

「お忙しいところすみませんが、葵ちゃんから伝言を預かってきました」

 葵からの伝言と言えば大概は昇か守経由で、たまに祐介が間に入ることがあるくらいだ。

 それほどまでに、二人は自分たちの間のことに気をつかっている。


 だが…。


 そういえば、佐倉司は何もかも知っている…と二人は言っていたっけ。


 そう思い出し、悟は先輩としてのいつもの微笑みで司に向き直った。

 しかし、司は悟が何かを言おうとする前に、葵からの伝言を再生し始める。


「明日の9時の約束なんですが、どうしても外せない用ができたので、ごめんなさい…とのことです」

「…そう…」

 はっきり言って、かなりショックな内容だった。

 ここしばらくまともに話ができていなかったから、悟としても、明日の約束は指を折って数えるほど楽しみにしていたのだから。


「ええと、それだけ…かな?」

 葵は他に何か言わなかったのだろうかと、尋ねてみる。
 もちろん葵が、不用意なことを託すはずはないのだが。


「葵ちゃん、ちょっと忙しいので、またこっちから連絡するって言ってました」

 そんな言葉が聞きたいわけではなかったのだが…。

「…そうか。…ありがとう、佐倉」
「いいえ、どういたしまして」

 ほとんど表情を変えることなく、司は踵を返そうとした。


「あ、ちょっと待ってくれないか」
「…何か?」

 振り返った顔は引き留められたことをあまり歓迎はしていないようだ。

「悪いけど、今すぐ書くから葵に渡して欲しいんだ」

 そう言って、悟はわざと司の返事を待たずに――司が断りそうな雰囲気をありありと漂わせていたので――ノートを一枚切って、葵への伝言を書き始めた。


『毎晩8時から9時30分の間は必ず練習室1にいる。時間がとれたら、いつでも来て』


 万が一、他の生徒に見られても大丈夫なように、宛先の名は記さない。

 そうなれば、特に見られて困るようなことは書かなかったので、簡単にたたんで渡した。


「使いだてして悪いけど…」

 仮にも最上級生。そんなにも1年生に気を遣う義理はないのだが、どうしても葵に渡して欲しいから、悟は知らず低姿勢になってしまう。

「…わかりました」

 司はやっぱり表情を変えないまま――特に嫌そうな顔もされなかったので、悟は胸を撫で下ろしたのだが――メモを受け取ってブレザーの内ポケットにしまった。

「ありがとう、頼むよ」

 司は今度こそ、あっという間に悟の前から走り去った。






 今年の新入生総代にして、葵の幼なじみ、佐倉司。

 だが、昇や守から聞く『佐倉司』の印象は、自分が受ける印象とはかなりかけ離れている。


『佐倉は全部知ってるから、僕たちの味方になってくれるよ』


 そう言ったのは昇。

 新年度のオーディションの結果、第1ヴァイオリンのTopコンビになった二人は、守の言葉によると『あの二人もまるで幼なじみみたいだぜ』というくらいに、すでにうち解けあっているらしい。

 しかし、悟の前での司は、そんな雰囲気は全く見せない。

 緊張…というのともまったく違う。そう、まるでその周囲に結界でも張っているかのように、寄せ付けない何かを纏っているのだ。

 まるで『ここからは入ってくるな』と言わんばかりに。


 けれど、それでも伝言を持ってきてくれて、そしてまた伝言を頼まれてくれるのだから、それはそれで良しとしなくては行けないだろうと、悟は深くため息をついた。


 だが悟は知らなかった。
 そうして自分がため息を付いている時すでに、渡したメモが司の手の中で丸められてしまっていることなど。 






 同じ事はまた起こった。

 漸く――偶然だが――会うことの叶った、光安の部屋の前。

 葵が忙しいのは重々承知してはいたのだが、堪えきれずに翌日の約束を取りつけた。

 どうしても会いたい。会って話がしたい。その温もりに触れたい。

 だから、明日の夜に会いたいと告げたのだ。そして、葵も『Yes』と即答してくれて…。


 だが、次の日。またしても部活の終わる頃、司が葵からの伝言を持ってきた。


『ごめんなさい。どうしてもはずせない用事が出来ました。また連絡します』…と。


 悟はここで、何かがおかしいと思った。

 葵はこんなにたやすく約束を違える子ではない。それは、自信を持って言えること。

 そして、やはりその勘は正しかった。



                    ☆ .。.:*・゜



 午後9時。約束の時間。

 だがそれもキャンセルされた今、この不可思議な事態をどう収拾しようかと、悟は自室で思案をしていた。



 2〜30分経った頃だろうか、心底面倒くさそうな声を上げながら、同室の生徒会副会長、横山大貴が戻ってきた。

「どうした、大貴。何かあったのか」

「おうよ、参ったぜもう。また新聞部と放送部の小競り合いだ」

「まだやってるのか、あそこは」

 新聞部と放送部は以前から折りあいが悪く、悟が中学の生徒会長をしているときも、何かと問題のタネだった。

「2年の談話室で派手に始めやがってさ〜」
「原因は?」

 問うと、大貴は『アホくさい』と言わんばかりに肩を竦めて見せた。

「ヤツらの小競り合いの原因はいつもくだらないことさ。なにせ、隣で息しただけでも気に入らないんだからな。今回のだって、談話室で声がデカイだの静かにしろだの…そんなことだ」

「…なるほどね」

 悟も呆れた声で返事をする。

「ま、だけど今回は奈月のおかげで大事にならなかったしな」
「…葵?」

 思いもかけない名前が出たことに、悟は素直に驚いてしまう。

「そ。俺たちが駆けつける前に、奈月が止めてくれたんだ。『いい加減にしろっ』ってさ。『うるさいのは君たちじゃないか。喧嘩するなら裏山でやれ』って怒鳴ったらしいぜ。しかも『決着が付くまで帰ってくるな』ってオプション付き。 でさ、連中、普段は優しくて可愛らしい奈月の一喝に毒気抜かれちゃってさー。いや〜、痛快痛快。 ま、生徒会からもこれ以上問題起こすなら、部活動の制限も視野に入れて検討するって脅しといたから…」

「大貴っ」

 突然遮るように名前を呼ばれ、大貴も驚く。悟は滅多に大きな声を出さないから。

「な、なにっ?」

「それって、この時間に葵が談話室にいたってことか?」

「…へ?」

 生徒会の対応について何か意見されるのかと身構えた大貴は、考えてもみなかった悟の言葉に、思わず間抜けな返事をしてしまう。

「だから…っ」

「あ、ああ。奈月も2−Aの連中と一緒に談話室にいたそうだ。夕食後からずっと雑談に花を咲かせてたって言ってたから、8時にはもういたんじゃねぇの? …でもさ、悟、それが何か……あ、おいっ、悟ってばっ」


 大貴の言葉を最後まで聞かず、悟は部屋を飛び出した。

 向かう先は葵の所ではない。
 司のいる、4階。

 やはり、『どうしても外せない用事』など存在しなかったのだ。




 だが司は部屋にはいなかった。
 司のルームメイトたちは、突然現れた超有名人に驚いたが、それでも親切に『いつも今頃の時間は練習室にいるはずです』と教えてくれた。


                    ☆ .。.:*・゜


 ノックが乱暴になるのはいたしかない。

 ロビーのホワイトボードでも、部屋の小窓からも確認した。
 練習室12の中にいるのは、司、一人。


「…はい?」

 重いドアがゆっくりと開くと、司が顔を出した。

 瞬間、その表情はこれでもかというくらい『招かざる客』に対するものに変わったが、今の悟にそんなことまで気づく余裕はない。


「…先輩…。何かご用ですか」
「話がある。葵のことだ」

 それだけ告げて、返事など待つつもりもなく、悟は強引に部屋へ入った。

「…なんですか、話って」

 僅かに後ずさりながらも不遜な態度でそう告げる司だが、心当たりがあるのだろう、視線が微かに揺れている。


「どういうことだ…」
「だから…」
「葵のことだっ。今夜葵は談話室にいた。クラスメイトたちと雑談していたそうだ。つまり、佐倉が持ってきた葵の伝言は嘘だということだっ」


 その剣幕に、どうやら100%ばれたらしいと感づいた司は、ふうっと一つ息を吐いたあと、真正面から悟をにらみ付けてきた。


「…そうですよ。全部嘘です。最初の伝言も、今回の伝言も。…ついでに言うなら、以前先輩から預かったメモも、僕が握りつぶしました。ちなみに葵ちゃんにも先輩からのキャンセルをちゃんと伝えてあります。待ちぼうけなんて食わせてませんのでご心配なく」


 そのあまりに開き直った態度には、瞬間悟から言葉を奪うほどの威力があった。


「どうして…、どうしてそんなことをっ」

 だが、絞り出すようにして、悟は漸く言葉を吐いた。

 あまりの衝撃に、何をどう問いつめれば有効なのかわからない。桐生悟ともあろうものが、ほとんどパニック状態に陥っている。

 だが、司にもそれを察する余裕はまったくなかった。

 いつかはばれると思っていたが、いざその局面に立つと、今までシミュレーションしてきた策と計算が足元からぐらつき始める。


「そんなのっ、あなたと葵ちゃんを会わせたくなかったからに決まってるじゃないかっ」

 感情が抑えられない。

「だからっ、どうして…」

 もう一度理由を問いただしてはみるが、悟にとって、思い当たることはただ一つだ。


『葵を悟に渡したくない』


 恐らく司もまた、幼い頃から葵に惹かれてきたのだろう。


 だが、そんな悟の予想を、司は根底から覆した。


「あなたは何にもわかってない」

「…どういう意味だ」

「あなたの手は汚れている」

「……なんだって?」

「その汚れた手で葵ちゃんに触るなんて、許さないっ」


【5】へ続く

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