第5幕への間奏曲「それでも僕は、君だけを想う」

【6】





 そのまま司はいなくなった。

 6時限目の授業に戻らず、部活も無断欠席し、消灯点呼にも戻らなかったために騒ぎになった。



 部活を無断欠席した時点から、光安は注意を向けていた。

 そもそも管弦楽部では無断欠席など皆無だ。

 それを、あろうことかコンサートマスターの代理を務めようかという司がやってのけたのだから、顧問としては叱責よりもまず、原因を知らなければと考えた。

 聞けば部活だけでなく、6時限目の授業にも出なかったらしいから。
 
 だから直接話を聞こうと、司のルームメイトたちに、司が戻ったら連絡を入れるようにと言っておいたのだが、結局連絡は入らなかった。

 その代わり、入ってきたのは斉藤からの連絡。

『消灯を1時間過ぎても佐倉が戻らない』と。


 そもそも消灯破りをやらかす生徒はほとんどいない。

 守のように『数多くの協力者』に恵まれている特異な例は別として、普通の生徒たちは、とりあえず『消灯点呼まで』は大人しくしている。
 活動を開始するとすれば、それ以降だ。

 だから、点呼時に不在な上、それを1時間を過ぎてなお戻らない生徒など、まずいない。

 そうなると心配されるのは「事故」だ。

 外へ出るには守衛室の前を通らなければいけないから、まず校外へ出たとは考えにくい。

 校舎内や体育館、音楽ホールなどは点検した上でセキュリティーシステムが稼働するから、ここにも残っているとは考えがたい。

 すると行き先は必然的に「裏山」になる。

 いくら校内の山とはいえ、まったく手を入れていない『立入禁止』区域も奥にはある。

 もし、わざわざそんなところへ足を運んだとしたら、『何かの弾み』が簡単に怪我に繋がってしまう。

 しかも今夜の予報は『雨』。





「私が責任を持って探す。だからこっちは生徒たちが騒がないように収めてくれ」

 寮に駆けつけた光安が、斉藤にそう告げる。

「だが、一人では…」

「ぼくも いきます」

「アニー…」


 いつの間に現れたのか、微笑みを絶やさない普段のアニーからは考え難いほどの真剣な眼差し。


「しかし…」

「おねがいします。つかさがいなくなったのは、ぼくのせい なんです」

 アニーが頭を下げる。

「アニー、それは事情を知ってるってことか?」 

「そう、です」

「…わかった、行こう。いいですね、斉藤先生」

「ああ、わかった。許可する。アニー、しっかり探してこい。ただし、光安先生から離れるんじゃないぞ」

「はい!」




 それから二人は、懐中電灯を手に裏山へ入った。

 司の名を呼びつつ、歩を進める。

 普段生徒たちがよく利用する岩陰や竹林、そして、普段生徒が立ち入らない方角にある、茶道部の茶室に至るまで。

 どれほど歩き回っただろうか。

 月が完全に隠れ、霧のような雨が降り始め、光安とアニーに焦りが募り始めた頃……。



 ふと、司を探す二人の声が途切れた瞬間に、細い嗚咽が聞こえた。

 二人は慎重に声の方角を探り当て、静かに向かう。




「つかさ…」

 心底ほっとした声で、アニーが名を呼んだ。

「佐倉…」

 直人もまた、その姿を確認して安堵の息を付く。


 草むらにかがみ込んでいた司は、しっとりと濡れてしまっている。だが幸い怪我はないようだ。


「佐倉、心配したぞ。ほら」

 何があったとか、どうしてこんなことをしたとか、そんなことは一言も口にせず、光安は着ていたジャケットを脱いで、司をくるんだ。

「お前…冷え切ってるじゃないか。風邪をひくぞ。さ、帰ろう」

 だが司は激しく首を振った。

「嫌…っ、いや、ですっ」

 ジタバタと暴れるのだが力はない。

「…ったく、仕方のないお姫様だな」

 光安がからかい半分で呆れたように言うと、アニーが横から手を伸ばしてきた。


「先生、まかせてください」

 そう言って、司を軽々と抱き上げる。

「あっ、アニーっ」

 司はさらに往生際悪く暴れたが、アニーに『あばれるなっ』と一喝されて、シュンと萎れた。


「…たいしたもんだな、アニー」

 そう言った光安に、アニーは悪戯っぽく微笑んで、小さな声で呟いた。

『あいのちから です』…と。



                    ☆ .。.:*・゜



 保護された司は、どうしても寮へは戻りたくないと言い張ったため、光安が斉藤に連絡だけ入れて、そのまま自室へ泊めることにした。



「アニー、理由を話せるか?」

 やはり、司の側を離れようとしないアニーにそう尋ねると、アニーはゆっくりと首を横に振った。

「ぼくからは なにも言えません。つかさが じぶんの口からはなさないと いみがないんです」

「アニーっ」

 司が真っ赤に充血した瞳を上げる。

「いい? つかさ。 このまま せおっていても みんながつらいだけ なんだ。ぼくはつかさが苦しんでいるすがたなんて 見たくない。もちろん、悟せんぱいも 奈月せんぱいも」


 ここで光安は気づいた。

 葵があんな状況に陥った理由。

 悟がわき目もふらず、半ば狂ったように珠生に入れこんでいる理由。


 すべての糸口は、もしかして佐倉司が握っているのではないかと。

 だが、この様子では、急いだところで司はその心を簡単に解放はしないだろう。

 光安は、司とアニーを私室のベッドに寝かせ、自分は一人、ソファーに身体を預けたまま、まんじりともせずに夜明けを待った。

 そして、明日の放課後にでも、昇と守にも相談してみようと決めた。





 翌朝、やはり司は頑なに登校を拒んだ。

 まず、側にいたいというアニーを説得して寮に返し、それからもう一度司を説得してみたが、ガンとして聞き入れないので、3時限目が終了して自分が戻るまで、ここから出ないことを約束させて、光安は授業に向かった。


 高校寮の生徒たちには昨夜の騒ぎはすでに知れ渡ってしまったようで、特に管弦楽部の生徒たちは光安の顔を見ると心配げに『佐倉、どうなりました?』と聞いてくる。

 その度に『心配いらないよ』『もう大丈夫だ』『ホームシックだろう』と笑顔で返していたのだが、もっとも心配して声をかけてきそうな生徒――管弦楽部長――が、授業で光安と顔を合わせたにも関わらず、何も言ってこなかった。

 それどころか、光安が向けた『お前、私に何か言うことはないのか』というアイコンタクトを、悟は視線を逸らすことで避けたのだ。


 これは、急がなければ…。
 直感的にそう思った。

 いったい何があったのか。まだ事の子細は明らかではないが、早急に手を打たないと取り返しの付かないことになりそうで。

 葵ももちろん心配だが、悟が以前の悟に…いや、あの時以上に心を閉ざしてしまったらと思うと、とてつもなく怖かった。





 
 戻ると、司は約束通りそこにいて、ソファーに沈み込んでいた。

「佐倉、腹は減ってないのか?」

 出来るだけ優しく尋ねてみるのだが、司は緩く否定を示すだけ。

「でも、何か入れておかないと、あとが辛いぞ」

 それでも司がまた同じ動作をしようとしたとき…。


 Prurururururu…。


 突然鳴った内線呼び出しに、司の肩がビクッと震える。

 そんな司の背を2、3度さすり、光安は受話器を取った。


『直人、すぐ来てくれ』

 こちらの応答を待たずして、緊急を告げる固い斉藤の声。

 咄嗟に光安の脳裏を掠めたのは『葵の異変』だった。

 …が。

 次に耳に入ってきた言葉はあまりにも意外なものだった。


『昇が怪我をした。骨折の可能性がある』

「昇が骨折っ?!」

 光安の大声に、司も我を忘れてその顔を上げた。

「すぐ行くっ」

 受話器を置いて振り返ると、司も立ち上がっていた。

「僕もっ、僕も行きますっ」

 その言葉に光安は頷き、そして二人は走った。


【7】へ続く

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