Op.2 第2幕 「汝、空の彼方の星よ」
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今年もまた、ここ聖陵学院にこの日がやってきた。 9月2日。 始業式を終えたばかりの3年B組の教室。 高等部の1年から3年までの総勢120名がすし詰めになっている。 言うまでもないが、他のクラスも同じ状態である。 そんな中、ど真ん中の席に長い足を組んで悠然と守は座っていて、教壇ではクラスメイトである3−Bの委員長が拳を突き上げ教室中に檄を飛ばしている。 「いいか! 今年は話題の人間がA組に集結してしまっているっ。 しかしだ! ともすれば強烈な個性は殺し合う! だが我々には桐生守というスターがいる!」 その言葉に怒濤のような雄叫びで応える野郎ども。 そして、その雄叫びに、ご指名の彼――守は長い睫毛を伏せ気味に、軽く片手を上げて応える。 そんな様も嫌みもなく決まってしまうのは、まだ17歳と言う年齢を考えると恐ろしくさえあるのだが、そんなポーズを決めながらも、守の視線はただ一人に向けて流される。 そして、向けられている本人――隆也は守から少し離れたところでクラスメイトたちとなにやら小声で密かにはしゃいでいる。 つい一昨日まで軽井沢学舎で行われていた合宿では、ほんの少し、裏工作をして――ちょっと副部長の弱みを握っただけのことだ――隆也とアンサンブルを組めるように持っていき、5日間べったりがっしり側に張り付いた。 昨日の入寮後もなんだかんだと理由を付けてはひっつき回って、たまたま通りかかった葵を呆れさせたくらいだ。 そして…。 明日から始まる予定の『聖陵祭名物〜クラス対抗演劇コンクール』の練習でもその状態は続くのだ。 もちろんし向けたのは守本人。 「本年度、聖陵祭演劇コンクールに我らがオールB組がなぐり込みをかけるのは…!」 統括責任者、3−B委員長の言葉に一同が一瞬押し黙る。 守が誰にも気付かれないようにニッと笑う。 「我らがスター、守の指定っ! 『ロミオとジュリエット』!」 演目発表に、またしても野獣の雄叫びが上がる。 打ち合わせ通りだ。 どうせ今年も主演だというのはわかっていた。それは学年初めから言われていたことだし、別に演じることにも抵抗はないし、むしろ楽しい。 しかし、だからといって、言いなりになる気はない。せっかくやるのだから、企画から噛んでいないと面白くないではないか。 何といっても『主演男優』が楽しんでいないと、観客にも楽しんでもらえるわけがない。 根っからエンターティナーの守はそんな風に理屈をつけて、この演目を提案し、そして、キャストも指定したのだ。 自分が今、一番ノリノリで演じられる相手はこいつしかいない…と。 「そして、学院史上もっとも色気のある『守ロミオ』のご指名は『麻生ジュリエット』〜!」 ヒロインの発表に、さらに怒濤の雄叫びが巻き起こる。 そう、これこそが今回守が自ら『ロミオとジュリエット』を提案した『真の目的』である。 『1ヶ月間の聖陵祭準備期間を最大限に利用して、この恋に王手をかける』 聖陵祭が終わると、守たち3年生は本格的に入試体制に入る。 特に守が進学を希望している音大は、推薦入試の実技試験を12月に行うため、まさに正念場となってしまうのだ。 だから、それまでになんとかしたい。 そう切実に願って、この企画を上げたのだ。 むろん、入試そのものに関しての不安はこれっぽっちもない。 自惚れでもなんでもなく、自分の実力で合格できないはずはないのだから。 だから、体調管理さえしっかりしていればどうということはない。 そんな守の願いは『大学合格を隆也に祝ってもらいたい』と言うことに他ならない。仲のいい後輩としてではなく、恋人…として。 守は興奮の坩堝となった周囲の様子を満足げに見回し、そして再び隆也に目を留める。 ――ふふっ…『目が点』とはこのことだな。 視線の先の隆也は、さっきまでクラスメイトとじゃれていた様子はどこへやら。 いきなりの指名にプチパニックの様相を呈している。 いや、思考停止と言った方がいいだろうか。 「何といっても麻生は去年、悟を相手に堂々とジュリエットを演じているからな。学院史上、2年連続でジュリエットを演じるのは麻生が初めてで、しかも相手役は我が聖陵の誇る桐生兄弟と来ているっ! 諸君っ、このチャンスを逃す手はないぞ〜!」 「おーーーーーーーーーーーーーー!!!」 ――2年連続だなんて、嬉しくも何ともない〜! そんな隆也の心の叫びも何のその、教室中みっしり詰まった野獣どもは大騒ぎだ。 「ちょ、ちょっと待って下さいっ! 先輩っ」 そんな中、ガタンと椅子を鳴らして隆也が立ち上がった。 一つの椅子に無理矢理3人も座っていたから、バランスを崩して後の二人が転げ落ちる。 「ん? なんだ、麻生」 だが、そんな様子も毎年のことで、統括責任者は気にも留めずに隆也にチラリと視線を送った。 「僕、去年より随分背も伸びましたし、声だって低くなりましたっ。ジュリエットには向かないと思うんですけど!」 ――確かにな。 守は小さくクスリと笑う。 確かに隆也はここ1年で背も伸びたし、ほんの少し声も低くなった。だが全身からにじみ出る可愛らしさというものはどうしようもないだろう…と、守はその口元をふわっと綻ばせる。 そんな守の様子に周囲は静かに色めきたち、隣に座っていたルームメイトの森澤東吾は呆れたように肩を竦めた。 「守、不気味な笑い方すんなって」 ほぼ100%の人間が見惚れてしまうという守の「微笑み」も「親友・東吾」にはさっぱり通用しないようだ。 実際この「微笑み」を「不気味」と言い切れるのは東吾くらいのものだろう。守の二人の「兄」を除いては。 「失礼だな、東吾。誰のおかげでジュリエットから逃れられたと思ってるんだ?」 俺が隆也を指名したおかげだろう? …と囁かれて、東吾は可愛い顔で『けっ』とそっぽを向く。 「ばーか。指名されたところで誰がジュリエットなんかやるかっつーの。女役なんて死んでもやらねーぞ。女装させるってんなら、その前に退学届け出してやるっ」 わざと大きな声で言うのはもちろん周囲に対する牽制だ。 昨年、不本意ながらも東吾が『令嬢』をやったのは、当時の統括責任者であった3年生がテニス部の先輩で、どうあっても逆らえなかった所為だ。 それがいっそのこと『パワーハラスメント』――言うことを聞かなければ試合に出させないとか――なら、然るべき所に『畏れながら』と訴え出られたのだが、如何せん、散々世話になって可愛がってもらった先輩に涙目で『頼むよ、東吾。俺を助けると思って…』と懇願されてしまえば、元々情に脆い東吾に最後まで『否』と通せるはずもなかったと言うわけだ。 だが今年は自分が最高学年。女装なんて死んでもやるか…と東吾は決意を新たにしているところだ。 その決意について、周囲は『…せっかく最後の機会なのに、もったいない…』と深くため息をついているのだが、この可愛いらしい『きかん坊』がその面立ちに似合わず頑固なことも、長い寮生活で存分に知れていることだから、致し方ないと諦めるしかない。 さて、そんな間にも隆也の抗議は3−Bの委員長の『おい、誰か麻生に鏡見せてやれ』との一言であっさり切り捨てられ、話はすでに他の配役やスタッフ調整に入っている。 ――これっていったい…。 取り合ってももらえずに、隆也はがっくりと脱力する。 そして、ふと巡らせた視線の先には…。 ――守先輩…。 ジッとこちらを見つめる守と視線がぶつかった。 ニッと笑われて思わず頬が熱くなる。 昨日の朝まで軽井沢学舎にいて、練習も食事時もずっと一緒で、昨日入寮してからもほとんど側にいても思い出すことのなかったと言うのに、何故か今急に、夏の最中のあの出来事――夏祭りの夜、掠めるように頬に触れたあの熱い唇――が蘇って、思わず目を逸らしてしまった。 ――ったくもう、何を考えてるんですか…。こんな無茶しなくたって、僕は……。 そこまで考えてから、隆也はふと顔を上げた。 ――僕は…、何? 「おい麻生。2年連続でご苦労さんだが頼むぞ。衣装も去年の使い回しなんかじゃなくてちゃんと新調してやるからな」 去年も同じ組だった1年上の先輩にポンッと肩を叩かれ、隆也は掴みかけた意識の尻尾を手放してしまう。 「使い回しでいいですよ、そんなの」 葵じゃあるまいし、可愛い衣装なんて本当にそろそろ似合わないと思うのだが、去年の衣装もちゃんと自分で保管しているところがなんだか情けない。 ただ、背が伸びたから合わなくなっている可能性はあるのだが。 「そうはいかないって。衣装係はもうデザイン画描き始めてるんだからな」 去年よりちょっとアダルトなジュリエットを目指して露出度を上げてみるかとかなんとか言ってるぞ…と、ワクワクした顔で告げられて、隆也はまた、どこをどう露出させる気ですか…と、本日何度目かわからないほどの脱力感に襲われる。 「でも先輩、僕、管弦楽部の方が忙しくてろくに練習できませんよ?」 今からこんなにだるいのに、聖陵祭コンサートの練習と同時進行で大丈夫なんだろうかと半ば本気で不安になる。 「ああ、そういやお前、今年首席奏者だったっけ?」 思い出した…とばかりに言われて、よし、この手が使えるぞ…と隆也は内心で拳を握る。 「そうですよ〜」 何といっても管弦楽部の首席奏者と言えば学院内でも一目置かれる存在なのだから。 「あ、でもさ、守はソロやるんだろ?」 「…う」 そう言われてしまえば返す言葉がない。 ソリストは別格だ。たとえそれを守が余裕でこなすのだとしても。 「ま、とりあえず楽しくやろうぜ。守の艶姿も今年で最後だからな」 最後。 この言葉の持つ威力は大きい。 そうだ、来年の今頃は、守の姿はこの学校の中にはないのだ。 「…がんばります」 とりあえず…と続くのは胸の内にしまって、隆也は小さくそう言った。 |
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