Op.2 第3幕 「Finale. Allegro moderato」
【3】
![]() |
ほとんど眠れなかったんだけど(それは祐介も同じだったみたいだ)、ともかく今日はまだ平日だから学校は普通にある。 だから、寝不足の所為だけではなく、全然回転してくれない頭を抱えて、ともかく朝ご飯をすませ、登校して、いつものように授業を受けて――校内は案の定、隆也の家の話で持ちきりで――放課後部活の為に音楽ホールへ入ったとき、明彦が真っ青な顔で僕たちの所へ走ってきた。 「…葵っ、祐介っ、大変なんだっ」 言いながら、僕と祐介を手近な練習室へと引っ張り込む。 「どうしたの?」 大変だ…と言われたところで、昨日のこと以上に大変なこと…なんて、今の僕の頭には全然想像できなくて、明彦の慌て振りにも奇妙に落ち着いた対応をしてしまう。 けれど、あまりにも意外な明彦の次の言葉に、僕も祐介も、半端でなく驚いた。 「俺、さっき理事会に呼ばれて…」 「え?」 「なんでお前が…」 祐介が不審げに眉を寄せる。 そうだよ。一生徒が理事会に呼ばれるなんて、どういうこと? 「3人くらいの…見たこともないおじさんたちに囲まれて…おとつい、隆也に不審な点はなかったかって…」 「…なに、それ…」 なんで理事会が隆也のこと…しかも不審な点だなんて…。 思わず祐介を見上げれば、祐介も驚きを隠せない顔で僕を見下ろしてくる。 そんな僕たちに、明彦が堰を切ったように話し始めた。 「ほら、理事会があって、その後隆也がお祖父さんに呼ばれてるって言ってたじゃんか。でさ、お祖父さんに会った後、封筒のようなものを持って帰ってこなかったか…とか、いろいろ聞かれて…。で、俺、ほんとに何にも気がつかなかったし、隆也は『今日は怒られなかった』ってホッとしてたくらいで他に変なところは何にもなかったし、そう言ったんだけど、もっとよく思い出せとかいろいろ言われて…」 明彦は拳をギュッと握りしめて、小さく震えはじめた。 怖かったんだろう。いきなり一人でそんなところへ呼び出されて、訳の分かんないこと聞かれたんだ。周りはきっと偉そうな大人ばっかりで…。 祐介もそう思ったんだろう。自分より一回り小さい明彦――それでも僕より大きいけど――の身体をギュッと抱き込んで、黙ったまま、落ち着かせるように背中を何度もさすった。 暫くすると、明彦はちょっと落ち着いた様子で、小さく深呼吸した。 「…どうしよう…と思っておろおろしてたら、そしたら院長先生が駆け込んできて、『私の許可なく勝手に生徒を呼び出すとはどういうことですか』って凄く怒ってさ。 俺に、『悪かったね、怖い思いをさせて』って、理事会室から連れて出てくれたんだ…。で、もう大丈夫だから部活に行っておいで…って」 言い終わると、明彦は床にへたり込んだ。 僕と祐介は、慌てて明彦を抱え上げて椅子に座らせたんだけど、明彦だけじゃなく、僕らももう、十分に混乱していた。 隆也のお父さんの突然の死。そして、理事会の不審な動き。 どうして隆也の行動が、理事会の監視を受けないといけないのか。 何にもわからない。 見当すらつかない。 でも、無関係なはずはきっと、ない。 結局この日の部活はみんな集中力なんて全然無くて、合奏練習から個人練習に切り替えられ、しかも早く終わった。 そして、その夜のニュースで僕たちは、隆也のお父さんの会社がすでに破綻していたことを知ったんだ。 ニュースでは、このことを苦にしたのだろうとの見方を示していて、家族や関係者宛の遺書が見つかったと告げていた。 隆也…今、どんな気持ちでいるんだろう…。 こんな時、側にいてあげられないなんて…。 そして、僕や祐介、明彦、そして隆也の多くの友人たちがみんな、どうしようもなくもどかしい思いに苛まれて眠れない二夜目を明かした翌日…。 登校時間に正門で騒ぎが起こった。 正門周辺に、見るからに胡散臭い大人が現れて、通りかかる数少ない自宅通学生を掴まえては何事かを聞き出そうとして先生たちと揉み合いになったんだ。 結局学校側から『警察を呼ぶ』と言われて、その胡散臭いヤツはいなくなったらしいんだけど、うちのクラスにもその胡散臭いヤツに掴まったのがいて、彼は興奮気味にこういったんだ。 『理事の一人が、聖陵の金庫から横領を働いていたんだけど、何か知らないかって聞かれた』…と。 そして、その理事の名前が…隆也のお祖父さんだったのだ。 これが本当だとしたら、昨日聞いた明彦の話に裏付けがついてしまう。 理事会は、証拠を掴もうとしていたんじゃないだろうか。 具合の悪いことに、その胡散臭い大人――聞くところによると週刊誌の記者らしい――が生徒を掴まえて暴露する…なんて、バカな事をしてくれた所為で、この話はあっと言う間に全校に知れ渡ってしまった。 しかも、ニュースのように『事実を端的に伝える』のではなく、そこにさもネタになりそうな事件性を匂わされたものだから、憶測や噂の類は尾ひれをつけまくり、それこそ数限りないパターンで流れ始めた。 舞台が『自分たちの学校』というのも一つの要因だろう。 そして、午前中のうちにこの話は保護者にまで流れ着いてしまったらしく、問い合わせ殺到という事態になり、夜には臨時の保護者会が行われることになり、生徒たちには明日、全校集会で事情説明…ということになった。 どうやら、隆也のお祖父さんの話は本当らしく、昨日までの、「突然親を亡くしてしまった」という事に対する隆也への同情の声は急速に消え始めた。 中学時代、隆也は『身の危険を感じるお誘い』の類には、理事であるお祖父さんの名前を引き合いにだして逃れていたらしく、そのことをこころよく思ってなかった連中が、ここぞとばかりに隆也の批判を始めたんだ。 会社経営の失敗は犯罪ではないけれど、横領は立派な犯罪だから…なんて、もっともらしいことをぶち上げながら、声高にものを言う。 でもそれって違うじゃないか。 横領は確かに罪だけど、それは隆也の罪じゃない。 ☆ .。.:*・゜ 「守、ちょっと来い」 顧問に呼ばれたのは、合奏練習が突然中止になり、その後のパート練習を終えた後だった。 光安はただ『ついて来い』とだけ言って守を音楽準備室に連れ込み、ソファーに座るよう促した。 「先生…」 だが何も言わずに黙ってコーヒーの用意をし始めた光安に、守は不審を感じながらも、先ほどの『突然の合奏中止』が気になり、何かあったんですか…と尋ねてみた。 その言葉に光安は、黙ったままでコーヒーカップを守の前に置き、そして向き合う形でソファーに腰を下ろした。 「…守」 「はい」 「…昇から聞いたんだが、お前、麻生とそういう仲だと言うのは本当か?」 何の話かと思えば、どういう話だ…と、守は目を丸くする。 「そういう仲っていうのはつまり、先生と昇のような…と捉えていいわけですね」 茶化すつもりはないのだが、つい茶化したようになってしまうのは、去年の夏以来、上手くいきっぱなしの恋人同士が羨ましいから…というのもあるだろう。 だが、光安は表情を緩めないままに、ああそうだな…と、視線を落として呟いた。 その姿にはあまりに違和感があって、守はそこで初めて、嫌なものを予感した。 「…確かに俺と麻生隆也はそういう仲…ですけど…」 本当はまだあとちょっとと言うところなのだが、守的にはもうすでに誰に堂々と宣言しても構わない状態なので、隆也には悪いが外堀をちょっと埋めさせてもらうつもりでそう言った。 「…そうか。それなら…」 光安は言葉を切った。 ぶつかる瞳が射抜くような光を放っていて、守は瞬間息を飲む。 「今夜にはわかることだから、お前には先に言っておく」 その口調に、光安が告げようとしている事柄に不吉な影を感じた。 「麻生のお父さんが亡くなった」 「…え?」 「自殺、だそうだ」 自分自身がまだ動揺の収まらない中ではあるが、光安はできるだけいつもの口調で告げるようにした。 だがその言葉に守からの応えはない。 「麻生は実家へ帰った。事が事だけにいつ戻れるかはまだわからんが、実はもう一つ問題があってな…」 「…せん…せい」 言葉が震えていることに気がついたが、ここで話すことをやめるわけにはいかないだろう。やめたところで恐らく守は納得しない。 「大丈夫か、守」 だからわざと冷静に、光安は尋ねる。 「…は、はい。続けて下さい」 その応えに静かに頷き、光安は一つ息を取った。 「麻生理事の…横領が発覚した」 今度こそ、守の動きが止まる。 「詳しいことはまだ言えないんだが、先週の抜き打ち監査で見つかったらしい。理事の横領と麻生の父上の件に関連があるのかどうかは調べている最中だそうだ。 学校側としては、できるだけ公表を控えて穏便に済ませたいところなんだが、麻生理事に反発していた一部の理事からすでに情報が漏れたらしくてな…」 光安が言葉を途切らせる。どう取り繕っても上手く言えそうにない。 仕方なく、端的に告げるしかないが、それを守がどう捉えるか…。 「事が漏れてしまえば、校内での麻生の立場はこの先厳しいものになるかもしれん」 そこまで言って、光安は一度言葉を切った。 守ってやれるか? …つい、そう聞いてしまいそうになったからだ。 しかし、それは教師として…いや、責任ある大人としてやってはいけないことだろう。 守はまだ高校生だ。他人の重荷まで背負わせることはできない。 たとえそれが、心から想いを寄せる相手だとしても。 だが。 「先生。俺が隆也を守る」 一点の曇りもない瞳でそう言いきった守に、光安は不思議な既視感を覚えた。 そうだ、あれは6年ほど前、祖母の虐待から逃れてきた二人を預かった時のこと。 『僕は昇を守ろうと思って…』 そう言った守の瞳。あの時と同じ、強さ。 ――そうだ。この子は、愛するものを守るためなら全力を尽くせる子だった…。 「…わかった。ただし、無茶はダメだ」 光安にとっては、隆也も守も等しく大切な子供なのだから、どちらにも傷ついて欲しくない。 「わかっています」 本当は無茶でも何でもやってやろう…と言う気にはなっているのだが、とりあえず状況判断が先だ…と、守は静かに深く深呼吸をする。 「で、隆也の状況はこちらでは掴めない状態ですか?」 悔しいが、まさか一生徒が実家へ押し掛けるわけにいかない。 「担任の吉村先生が麻生に付き添っている。状況は逐一こちらに入ってくるから…」 「教えて下さい。お願いします」 真摯な表情で頭を下げる守に、光安は、わかった…と頷いた。そしてもう一度、『くれぐれも無茶をするな』と念を押した。 ☆ .。.:*・゜ そして。 守にとっても隆也にとっても不運なことに、隆也の祖父の話は最悪の状況で校内に知れ渡ることとなり、口さがないうわさ話が横行する学院内で、守は隆也を守るために一人静かに行動を開始した。 まず、守が連絡を取ったのは父親の赤坂良昭だった。 彼は現在のところ理事でもなんでもないのだが、とにかくOBの中でも群を抜いた知名度の高さのおかげなのか、理事への就任要請はここ数年毎年のようにくると聞いていた。 だが、ドイツと日本を往復する今の状態で引き受けられるようなものではなく、かえって迷惑を掛けることになるだろうからと、この春も丁重に断ったばかりだった――と、教えてくれたのは母の香奈子だ。 だからこの際、使えるものは何でも使う。それが親なら遠慮もいらない…と、守は父親に連絡をとって、理事会の動向を探ってもらうよう頼んだのだ。 それに関して父親は、『えらくヘビーなお願いだな』と苦笑したものの、出来るだけのことはしてみよう…と約束してくれた。 そして、わずか半日で守へと電話を入れてきたのだった。 |
【4】へ |