Op.3
第1幕「微笑みの眼差しさえあれば」

【1】





 僕たち――特に守――に、大きな痛みを残した2学期前半が過ぎ、聖陵祭を終えて一息ついたところで行われる大きな行事と言えば、高等部生徒会選挙と各部の部長選挙だ。

 僕は去年のこの時期は入院していたからどんな様子か全然知らなかったんだけど、生徒会選挙ってのは結構静かなものだった。

 というのも、一番要となる会長については、すでに生徒たちの間で『次はあいつだ』っていう認識が出来上がっていて、ほぼ無風選挙に近いものだったからだ。

 もちろん、年によってはそうではないのだと僕らの担任――翼ちゃんは教えてくれた。

『次はこいつだ』っていう候補が複数いるときには、それはそれは激しい選挙戦になることもあるのだと。

 けれど、ここ数年はこんな状態が続いているらしい。

 だから、表だった事前運動なんてのもほとんどなくて、『あ、そう言えば明後日選挙だっけ』…みたいな感じだった。

 で、今年の『こいつ』は我らが2−Aの委員長、古田くん。

 中等部時代会長だった祐介が、早くから選挙には出ないって公言していたから――管弦楽部長候補だから、その辺りは周囲も納得だった――去年の段階で、候補はすでに古田くんに一本化されていたようなものだったんだ。

 だから僕も、『この人…っていう候補がいるって幸せなことだよね』…なんて、のほほんと構えていて、なんとも思ってなかったんだ。

 ところが、今回僕は意外な形で選挙に関わることになったんだ。
 少しだけ、だけど。

 それは、演劇コンクールが終わった直後のことだった。



                   ☆ .。.:*・゜



「代表推薦人?」

 なに、それ。

「そう、奈月に頼みたいんだ。桐哉とは仲が良いって聞いてる」

 片づけがすんで、部活に行くまでの僅かな時間、『話がある』と言われて教室に残った僕に、古田くんは聞いたことのない単語を突きつけてきた。


「あ、うん、桐哉とは仲良しだよ。時々茶道部にも遊びに行かせてもらってるし」

 桐哉とは、入学して割とすぐに知り合った。6月頃だったっけ。
 クラスは違ったんだけど、茶道部の桐哉が――今は剣道部と掛け持ちしてるけど――お茶会に招待してくれたのがきっかけで、以来大の仲良しだ。


「で、代表推薦人って、何?」

「ああ、推薦人が複数いると、立候補するのに有利なんだ。で、その代表を頼みたいんだ」

「ってことは、もしかして桐哉、立候補するの?」

「させる」

 …ってことは。

「桐哉、承知してないんだ」

「いや、承知もなにも、そもそもそんな話が本人の前では出ていない」

「ええ〜?!」


 古田くんの話をまとめるとこんな感じ。

 古田くんにはこれと言った有力な対抗馬がなしってことで、まず会長当確って言われている。そんな古田くんは、すでに他の人事に気を配り始めていて、副会長候補を考えているところだった。

 最初は、中学時代の副会長――祐介の片腕だった中島くんという子なんだけど――が、やはり適任だと思っていたのだそうだけど、その中島くんが体調を崩してしまって、夏休みに2週間ほど入院していたらしいんだ。

 本人も、生徒会活動には未練があるって言ったそうなんだけど、その反面、中等部の時とは比べものにならない激務である高等部生徒会できちんと役目をこなせる自信は全然ないそうで、古田くんは『力になれなくてごめん』って、ちょっぴり泣かれちゃったんだそうだ。

 古田くんは、『俺はそう言う場面での慰めが苦手なんだ。で、『心配するな、元気になったら呼び戻してこきつかってやる』なんて言ってしまったんだが、まずかったかな』なんて、ポーカーフェイスで言ったのが可笑しかったっけ。

 でも、きっと中島くんは喜んだと思うな。
 必要としてくれる場所があるっていうのは、元気になるために大切なことだと思うしね。

 で、この事態が桐哉の立候補とどう繋がるかといえば、中島くんの降板で、副会長戦は票が割れると古田くんは踏んだ。

 で、票が割れて未知数の人間に副会長が転がり込むくらいなら、最初から自分がこれだと思う生徒を推して、片腕になってもらおうと思ったのだそうだ。

 で、それが桐哉と言うわけだ。


 さすが古田くんって言うべきか。これと決めたら絶対やり遂げる。

 きっと現会長の浦河先輩や副会長の横山先輩もしっかり囲い込んでいるに違いない。

 桐哉もある意味災難だよね〜。
 きっと、『え? ええっ?』とか言ってるうちに担ぎ出されちゃうんだ。で、『あのー』とか『うそー』とか言ってる間に当選の運び…って感じだね。


「桐哉は頭の回転も速いし人当たりもいい。おまけに真面目で誠実ときているからな、打ってつけだと思うんだ」

 そう。桐哉が頭いいのはよく知ってる。話をしていてもわかるし、それにこの前の全国模試で東大A判定だったの、うちの学年では古田くんと桐哉だけだったもんね。

 学年主任の先生は『奈月と浅井も受けていればなあ…』なんて言ってたけど、そもそも音大受験するのに模試に行く必要ないんだから仕方ない。

 それはともかく、桐哉は頭がいいだけじゃなくて、優しい。
 見た目の柔らかさ以上に心が柔らかいっていうか…。

 でも、その反面、芯が強いことも僕は知ってる。
 逆境を克服できる強さを持っていることも。


「うん、確かに桐哉は適任かもね」

「だろう? で、奈月に代表推薦人を頼みたいわけだ」

「OK、いいよ。僕で役に立つのなら、いくらでも」

「おいおい、奈月で役に立たなかったら、他の誰が役に立つっていうんだ」

「あはは。委員長ってば、おだてるの上手だね〜」

 まあ、僕は、良いか悪いかは別として、校内での知名度は高いみたいだし。

「それにしても、古田くんと桐哉がそんなに仲良いとは知らなかった」

 だって、タイプ的には正反対っぽいもんね。

 銀縁眼鏡も知的でクールが売りの古田くんと、小動物系可愛い子ちゃんの桐哉。

 そもそも桐哉は初対面では人見知りする方だから、自分から、パッと見取っつきにくそうな古田くんに近寄っていったりはしなさそうだし。

「入試の時に、席が隣だったんだ」

「え、そうなんだ」

 それはまた、縁があったと言うか何というか。

「ああ。その時に言葉を交わす機会があって、話してみれば妙にウマがあってな。入学してみればクラスが一緒でその後は自然と親しくなった」

「そうかー、入試ってそんな出会いもあるんだ」

 この2人の場合、恋には発展しなかったけどね。…って、それが普通か。


「…ああ、奈月は大阪で受験したんだったな」

「そう」

「確か大阪受験は奈月だけだったんだよな、合格は」

「そうなんだ。会場でさんざん声かけられたけど、入学してみたら誰もいないしね。ちょっと残念だった」

「…やっぱりな」

「なに? やっぱりって」

「声掛けられたってのは、『試験すんだらお茶しにいかない?』とか、『どこに住んでるの?』とか、『携帯教えて?』…とかそういう類だろう?」

「あれ、古田くん凄い。なんでわかったの」

「なんでってな。そんなのは、邪な気持ちで声を掛ける男の常套句だろうが。それに、桐哉もその手の声は掛けられていたからな」

「あ、やっぱりね。桐哉、可愛いもん」

「ああ、目立っていたな、かなり」

 だよね。なんか、守ってあげたい…ってタイプなんだ。
 見た目がね。


「でもさ、そんなに仲良いのに、どうして同室じゃないの?」

 2人がその気になれば同室希望は叶うのに、今年は部屋どころかクラスも違う。

「ああ、それは…」

 珍しく、古田くんが言葉を濁した。

「なに?」

 見上げると、ちょっと観念したように肩を竦める。

「桐哉って、ふとした表情が松山先生に似てるんだ」

 へ? …ああ、そう言われてみれば、そんな気もする。
 目を伏せた瞬間とか…。

 でもそれがどうし………あ! もしかしてっ。


「ついうっかり…なんてことになったら加賀谷先輩に殺されちゃうもんねえ」

 加賀谷先輩は桐哉の恋人。
 現剣道部長で2年連続インハイ個人優勝、しかも成績は万年TOP3入りという凄い人なんだ。


「…奈月、お前、察し良いな……」

 えへへ。ビンゴ〜。

「古田くんって、やっぱりケダモノだったんだ」

 ニヤッと見上げた僕に、古田くんはスッと向き直る。

「言っておくが、『ついうっかり』が懸念されるんじゃなくて、俺の『精神衛生上』悪いってことだからな」

「またまた〜」

 茶化した僕に、古田くんはさらに真顔になった。

「あのな、この際だからきちんと聞いておこうと思うんだが」

「なあに?」

「奈月はどこからその情報を得たんだ?」

 その情報っていうとアレですな。
 古田くんと翼ちゃんがごにょごにょ…っていう。


「俺は表に出したことはないぞ。絶対に」

 あらら、凄い自信だね。
 でも、確かに古田くんだけを見ていてもわかんないかも。

 大方の人間は『担任に非常に協力的なとても優秀な生徒』って見ているだろうから。


「だね。古田くん見ててもわかんないよ」

「じゃあ…」

「ナイショ」

「奈月〜!」

 ふふっ。ホントのこと知ったら古田くん腰抜かすよ? 
 だって、僕の情報源は翼ちゃん本人なんだから。

 あんまり天然さんだと思ってタカをくくって、面白いことになっちゃっても知らないからね〜。

 ま、確かに天然さんだけど、でもさすがに7年の教師歴は侮っちゃダメなんだよ。

 先生はすごく注意深く生徒のこと見てる。
 そして、どうすれば生徒にとって一番いいのか、いつも考えてる。

 もちろんそれは古田くんの場合も同じなんだけど、でも先生の中ではもう、古田くんは『特別』だもんね。
 
 だいたい僕知ってるんだから。
 古田くんが夏休み前に翼ちゃんにキスしちゃったこと。


「もしかして、昇先輩にばれているのは奈月経由か?」

「え? 何それ。昇先輩も知ってるの?」

「ああ」

「へ〜。でも僕はそれ知らないよ」

 きっとそれは光安先生経由だ。先生と翼ちゃん、仲いいから。

「じゃあ、森澤先輩は?」

「へ? 森澤先輩にもばれてるんだ」

 なんだ、ばればれじゃん…と言った僕の呆れ顔に、古田くんは大きな掌で顔を覆ってため息をついた。

「昇先輩にばれてたら守先輩にもツーツーってことか」

 …や、それ違うと思うな。
 だって、光安先生から聞いた話って、昇は兄弟にだって滅多に漏らさないから。

 …あ。もしかして森澤先輩の情報源も、それこそ翼ちゃんかもね。
 テニス部の顧問と部長だもん。


「で、守先輩から悟先輩、そして奈月へ…ってわけか」

 ええっ。ちょっと待った!

「ど、どうして悟先輩から僕なんだよ」

 僕と悟のことって、ばれてないはずっ。

 慌てた僕に、古田くんの答はもっと驚くべきものだった。


「だって、奈月は先輩たちの弟だろう? それなら…」

 え、ええっ、ええええええええええええええええ!

「ななな、なんで知ってるのっ?!」

「うちの祖母から聞いた」

 はいぃぃぃ〜?

「まあ、俺自身は音楽方面はさっぱりだから全然知らなかったんだが、うちの父方の祖母がピアニストでな」

「えっ、そうなんだ」

 名前を聞いてまたびっくり。
 だって、古田くんのお祖母さんは有名な往年の名ピアニストで、しかも赤坂先生の恩師の妹だったんだから。 


「今年の正月にご機嫌伺いに言ったとき聞かれたんだ。同じ学年に奈月葵くんって子がいるでしょう…ってさ。で、いますがそれがどうかしましたか…って尋ねたら、彼ね、良昭くんの4番目の息子さんなんですって…って言われたんだ。まさか奈月があの有名な指揮者の息子だとは夢にも思ってなかったし、よくよく考えてみれば、それって悟先輩たちの弟になるってことだろう? 聞いたときはさすがに驚いたな」

 だろうね。僕も驚いたもん。
 でも、この春同じクラスになって、親しくなってからもう半年経ってる。


「ね、どうして今まで『知ってる』って言わなかったの?」

「ん? ああ、卒業するまでは内緒なんだろう。祖母はそう言ってたぞ。それに奈月が誰の息子で誰の兄弟であっても、俺とのつき合いには関係のない事だからな」

 だろう?…と言われて、僕は小さく『ありがと』と返す。
 こんなところが、古田くんの凄いところなんだな。うん。


「だが、今回それを口にしたのは、ちょっとした意趣返しだな」

 古田くんが腕を組んで僕を見下ろした。

「意趣返し?」

「そうだ。奈月はどうしてだか、俺と先生……翼のことを知っていて、その情報源を内緒だっていうんだから、俺もこれくらいのサプライズは提供しないとな」

 そう言って、古田くんは『してやったり』って顔でニッと笑った。

 ったく、敵わないね。僕らの委員長には。


「じゃあ、信頼の置ける僕らの委員長氏に質問」

「なんだ?」

「いつから翼ちゃんのこと、好きなわけ?」

 って、はたして素直に答えるかな…って思ったんだけど。

「入試の時だ」

 それってまさか。

「一目惚れ?」

「そう」

 あらら。

「で、この先の展望は?」

「任せておけ」

「自信だね」

「当然だ」

「本気なんでしょ?」


 その意味はもちろん、今だけの刹那的な恋じゃないって意味。

 そして、古田くんの答えは自信と確信に満ちていた。

「どこまでもな」

 そう言いきったときの古田くんの情熱的な瞳。
 知的に光る銀縁眼鏡の奥で、それは強い光を放ちながらも、幸せそうな色を湛えていた。



【2】へ続く

君の愛を奏でて2〜Op.3、スタートしましたv(*^_^*)
読んで下さってありがとうございますv

毎度の如く、穏やかなスタートですが、この先どうなりますことやら…。

葵と悟、昇、守の4兄弟編、いよいよ最終編となります。
どうぞ最後までおつき合いくださいませv

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