Op.3
第1幕「微笑みの眼差しさえあれば」
【2】
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そうして、僕は桐哉の代表推薦人となり、古田くんの思惑通り、80%という高得票で桐哉は副会長に選出された。もちろん会長は古田くん。 桐哉は『僕にできるのかなあ…』って、不安げだったけど、その点を心配してるのは誰もいない。 むしろ違う意味で不安になってる人が約1名。 加賀谷先輩だ。 部活を引退して、これから受験に向けてまっしぐらという状態な上に、桐哉が生徒会となると、忙しくてすれ違いになるんじゃないかってこと。 気持ちはわかるけどね。 だって、今の僕がそんな感じだし。 悟たちは12月初旬に音大の推薦入試を控えている。 学科は文句なく推薦が受けられるから、小論文の提出だけなんだけど、肝心の実技試験が2日間に渡って行われるんだ。 まあ、いつも通りやれば全然問題ないんだけど、悟にはその後に定期演奏会でのソロが待っている。 どっちかというと、悟はそっちの方に力入れてるみたいなんだけどね。 というわけで、いつもに増して練習量は増えていて、僕はと言えば、管楽器奏者全員の面倒を見なくちゃいけない状態にあって、なかなか会える時間が取れないってところだ。 でも、それも仕方ないことだけど…。 そうそう。生徒会選挙の翌日には、僕たちの管弦楽部でも選挙があって、満票で祐介が新部長に選ばれた。 副部長は茅野くん。僕は管楽器リーダーに留任。 同級生たちもそれぞれに新しい役割について、新体制がスタートしたわけなんだけど、ちょうどその選挙の日に嬉しいことがあった。 熊本へ行った隆也から、手紙が来たんだ。 手紙には、月末から新しい高校に通うこと、空気が綺麗でよく眠れるってこと、取れたての野菜が美味しくて野菜嫌いが治りそう…なんて事が書いてあった。 それと、パソコンのメールアドレス。 僕は早速校内のパソコンルームに行って、隆也にメールを送った。 以来、僕のパソコンルーム通いは日課になっている。 でも、こうして近況をこまめに報告しあえるツールがあるって、本当に便利で幸せなことだなあって思った。 友達ができた…とか、消灯がないからつい夜更かししちゃう…とか。 そんな隆也の日常を知ることが、とてもとても嬉しくて。 そして、いつかそれを守に報告できる日が来たらいいな…って思ってる。 相変わらず飄々としてるように見せているんだけれど、でも、守は変わった。 思いやりがあって優しい…っていう、基本的なところはもちろん変わらないけれど、一段と大人になったって感じがするんだ。 なんて言うんだろ。 上手く言えないけれど、なんか更に懐が深くなったって言うのかな。 無理してなきゃいいんだけど…って思うんだけど、とりあえず入試までは体調を崩さないでがんばって欲しいなって思ってる。 そのあとは、暫くぼーっとしてもいいんじゃないかなあ…なんてことも。 ☆ .。.:*・゜ 選挙も全部終わり、中間試験も終わった。 受験一色になった高3を除いて、校内はおおむねのんびりと平和なムードが漂ってる。 もちろん管弦楽部は年末の定演に向けての準備に余念がないんだけど――その後には演奏旅行も待ってるし――それでもまだエンジン全開ってわけでもなくて、僕もたまには練習室に行かずに夕食後は部屋でまったりと買いためてた本を読もうかな、なんて…。 「あ! 葵〜」 ちょうど部屋へ入ろうとしていた僕を見つけて、パタパタとやってきたのは桐哉だった。 「あれ、桐哉。今日は早いね」 加賀谷先輩の懸念通り、桐哉は副会長就任以来、多忙な日々を送っている。 なにしろ生徒会は事情によっては『消灯点呼免除』もあるくらいだから、当然普段の帰寮も遅い。 冬休み前になるとちょっと楽になるらしいんだけど、今のところは引き継ぎがまだまだあって、大変そうだ。 なので、僕たちもここのところ、全然ゆっくりと話してなくて。 「うん、篤人がたまにはゆっくりしようかって」 ニコッと笑う桐哉はすごく可愛くて、結構周囲の注目を集めてる。 その可愛さから、去年も演劇コンクールでは活躍してたんだけど、普段の桐哉と言えば、自分から進んで前へ出るという質ではなくて、どちらかというと目立たないタイプなんだ。 でも、今回、演劇コンクールの主演と選挙で一挙に注目度アップ。 人気もそれに正比例してうなぎ登り。 さらにそれに正比例して胡乱な輩も激増して、加賀谷先輩の悩みのタネは尽きないってわけだ。 当の桐哉はその辺りのこと、全然わかってないけどね。 「ね、よかったらちょっと話していかない?」 久々に桐哉と話がしたくて部屋誘うと、『わ、ありがとー』と喜んでくれて、桐哉はいそいそと僕と祐介の308号室へ入ってきた。 「あれ? 祐介は?」 キョロキョロと見回して桐哉が言う。 「なんか呼び出しがあって、30分ほど前に本館に行ったよ」 「面会?」 「さ、どうだろ。何にも言ってなかったし」 ちょっと行ってくる…って言っただけだったから詳細は全然わかんないんだけど、本館だから、多分面会室へ行ったんだと思うんだけどな。 でも、面会にしても誰だろう? さやかさんやご両親だったら、祐介のことだから多分僕も連れていくだろうし…。 ちょっと気にはなったけど、今考えても仕方がないことだから、とりあえず、僕の椅子を桐哉に勧めて、僕は祐介の椅子に座った。 「桐哉、疲れてない? 大丈夫?」 担ぎ出しちゃった責任もあるからね、代表推薦人の僕としては。 「うん、全然平気。毎日大変だけど楽しいよ。篤人も気を遣ってくれてるし」 「古田くんも、無理矢理桐哉を引きずり込んじゃって、ちょっと罪悪感あるみたいだからね」 桐哉は小柄だけど体力はある。 何と言っても中学時代には全国2位の剣士だったんだ。 だから、そう言う点ではあんまり心配はないんだけど、慣れないことをするっていうストレスは、結構きついからね。 「え? そうなんだ」 「ほんのちょっとみたいだけど」 本当に不安要素があるなら最初から担ぎ出さない…ってところだろう、古田くんにしてみれば。 どっちかというと、加賀谷先輩に悪いことしたかな…って言う方が大きいみたいなんだけど、それはこの際黙っておくとして。 「あはは、篤人らしいや。でも、ほんといつもさりげなく優しいんだよね、篤人って。相手の負担になるような気の使い方はしないし」 ほんと、桐哉の言うとおり。 「そういえば、古田くんに聞いたんだけど、入試の時に仲良くなったんだって?」 尋ねた僕に、桐哉は『そうなんだ〜』と、ちょっと遠い目をして懐かしげに微笑む。 「ほら、僕ってあの頃はまだ、右手がちょっと不自由だっただろ? で、試験中に何回か鉛筆を落としちゃったんだ。中学の先生が、聖陵には右手のハンデのことは知らせておいてくれてたし、試験監督の先生がちゃんと拾って手渡してくれたんだけど、右隣にいた篤人はその度に気が散ったと思うんだ。だから試験の合間に『気を散らせちゃってごめんね』って謝ったんだけど、篤人ってば、『気にするな。俺は鉛筆の一つや二つで動じるような付け焼き刃の勉強はしていない』って、超真顔で言うんだよ。も、この人絶対合格だなって確信したよ」 案の定、外部入試では葵の次だったもんねえ…と言って笑う桐哉だって、確か外部入試の成績は5番だし…って、そう言えば…。 「ね、もしかして、その時の試験監督って…」 「うん、翼ちゃんだったんだ」 やっぱり。 「翼ちゃんね、試験が始まる前に、『何にも心配しなくていいからね。落ち着いて試験を受けなさい』って言ってくれて、ほんとに嬉しくてさあ。で、篤人はきっとその時に一目惚れしてたんじゃないかと思うんだ」 「あ、やっぱり知ってるんだ。古田くんと翼ちゃんのこと」 そうじゃないかとは思ってたんだけど。 「うん。篤人ってば一年のときから一生懸命翼ちゃんのこと、追っかけてたしね」 「そっか。そうなんだー」 さすが古田くん。 一年の時から計画的犯行で翼ちゃんを絡め取ったに違いない。 「なんだか上手くいったみたいだしね」 「うんうん。」 「翼ちゃんが倒れたときにはどうなるかと思ったけど」 「そうそう、僕もそれ聞いたとき、ほんとにびっくりした。心臓が口から飛び出しそうだったもん」 桐哉がそう言って可愛い仕草で胸を押さえた。 そうしてちょこんと首を傾げて…。 「それにしても」 うんうん、言いたいことわかる。 「ちょっと手早いよねえ」 「だよねえ。『もう、食った』とか言うから、思わず、『ケダモノ』って言っちゃったよ〜」 でも、銀縁眼鏡もお似合いな、絵に描いたような優等生が、実は恋愛に関してもかなりの策士振りを発揮して、でも最後には気持ちで押し切って、こんなに情熱に溢れてるってところを見せてもらってちょっと感動しちゃったり。 「そういえば」 何かを思いついたらしく、桐哉が真っ黒な瞳を大きく見開いた。 「え? なに?」 「うちの顧問…ええと、剣道部の方だけど」 「ああ、クマセンセ?」 剣道部の顧問は国語の政岡先生。 桐哉発の情報によると、剣道6段の猛者で、強面だけどとっても優しい、30をちょっと過ぎたところの花の独身。 ちなみに今年は昇の担任だったりして。 「うん、そのクマ先生が、ここのところちょっとご機嫌斜めでさあ」 「なんで? 剣道部でなんかあったの?」 「ううん、そうじゃなくて、原因は翼ちゃんだと思うんだ」 「翼ちゃんが?」 翼ちゃんがクマ先生のご機嫌斜めの原因とはこれ如何に。 「うん。実はね、クマ先生もここのOBなんだけど…」 …読めた。クマ先生って、もしかして。 と、思った僕の当て推量はばっちり正しかった。 桐哉の話によると、クマ先生と翼ちゃんは3歳違い。 クマ先生が高等部運動部会長をやってる時、翼ちゃんは中等部の運動部会長だったそうで、とても仲の良い先輩後輩だったんだそうだ。 で。 「今までも、『翼、つばさ』…って、そりゃもう構い倒してたんだけど、最近なんだか妙に邪魔が入るって…」 うーん。それはまた……。古田くんも容赦ないというかなんというか。 「まあ、結局のところ、翼ちゃんが遊んでくれない…っていう愚痴なんだけどね」 ペロッと舌を出して桐哉が小さく笑う。 でも、僕としてはちょっと心配でもあったりして。 だって、生徒同士っていうならまだしも、生徒と先生…って言うのはやっぱり何かと難しいと思うし。 昇と先生も、卒業までは絶対隠し通すつもりでいる。 昇は先生に迷惑をかけたくないと思っているし、先生は昇を守ろうとしているし。 卒業さえしてしまえばこっちのもの…だと思うから、あとちょっとの辛抱なんだけど、翼ちゃんと古田くんの場合はあと1年以上ある。 ここでばれるのは、やっぱりまずいだろう。 だからつい聞いてしまったわけなんだけど。 「ばれてないよね」 「多分ね」 桐哉はちょっと、真剣な顔つきになった。 「ばれるとヤバイよね」 「多分ね」 今度はちょっと深刻そうに眉を寄せて。 「大丈夫かなあ」 けれど、思わず呟いてしまった僕に桐哉はニコッと笑って見せた。 「篤人のことだから」 うーんと、そうじゃなくってさ。 「や、そっちじゃなくて翼ちゃん」 「…あ」 桐哉が思わず自分の口を手で塞いだ。 「クマ先生とか、気付かないといいんだけど」 翼ちゃん、嘘付けないタイプだからなあ。 「…だよね」 そう言って、桐哉が腕を組んで『うーん』と唸った。 でも、すぐにその腕を解いてまたニコッと笑う。 「でも、翼ちゃんも、篤人のこと、すごくすごく大事にしてるみたいだから、きっと大丈夫じゃないかなあ」 ちょっと楽観的にも聞こえるそれは、でも桐哉が古田くんや先生に寄せる信頼みたいなのを滲ませていて、妙な説得力を持って僕に落ちてきた。 「だよね。きっと大丈夫、だよね」 うん。きっと大丈夫。 光安先生が昇を守ろうとしているのと同じように、翼ちゃんも古田くんを守るつもりでいるんじゃないかな。 古田くんが聞いたら、『俺が翼を守るんだ』…な〜んて、憮然とした顔で言っちゃいそうだけど。 いずれにしても、二人がずっと幸せでいてくれたら、それに越したことはない。 それから僕らは、古田くんと翼ちゃんのことや、最近お互いのクラスや部活であった面白い話なんかを交換し合って、まったりしていたんだけれど。 控えめなノックの音で、僕と桐哉は話を止め、顔を見合わせた。 「は〜い。開いてま〜す」 僕が答えると、静かにドアを開けて顔を覗かせたのは、なんと加賀谷先輩だった。 「悪いな、桐哉を捜してるんだが…」 ビンゴ! お捜しの愛しい人はここにいますよ、先輩。 「先輩!」 桐哉が弾かれたように、それはそれは嬉しそうに立ち上がった。 「ここにいたのか。生徒会室に行っても誰もいないし、古田に聞けば今日は早じまいだって言われて」 漸く捜し当てた恋人の笑顔に、加賀谷先輩もまた、これ以上ないほど綻んで、端で見てても微笑ましいったらない。 「邪魔して悪いな」 加賀谷先輩は、駆け寄った桐哉の肩を、自然に抱き寄せると僕に向かってそう言った。 「いいえ、とんでもないです。こちらこそ、桐哉を引き留めちゃってすみません」 でも、こんなにゆっくりと話せたの久しぶりだったし、ほんと、楽しかった。 「いや、お互いに忙しいんだろう? せっかくだったのに…」 …って、連れていく気満々なのに、遠慮しなくていいですってば。 「先輩こそ、受験勉強のまっただ中で、『桐哉不足』は堪えるでしょ?」 そう言った僕の言葉に、桐哉は真っ赤に染め上がった。 「あ、葵ってば…」 けど、加賀谷先輩は真面目な顔で頷いた。 「ああ、そうなんだ。ちょっとでも桐哉の顔が見られないと、落ち着かなくってね」 って、先輩は僕の前では桐哉とのことを隠さなくていいから、これでもかっていうくらい、惚気てくれちゃったりするんだ。 現にほら、肩を抱いてたはずの手が、いつの間にか腰だったりして。 で、その時。 「あれ? ここでお揃いとは珍しい」 廊下からかかった声は、もちろん僕としては絶対に聞き間違えようのない親友のもの。 「あ、祐介。おかえり〜。留守にお邪魔しちゃってごめんね」 「いや、それは全然構わないけど…。こんな時間に珍しいな。生徒会は?」 「うん、今日は早じまいだったんだ」 「そうか。たまには休まないとな。始まったばかりでオーバーヒートしちゃまずいしな。…で、先輩は桐哉のお迎えですか?」 冷やかし混じりの祐介にも、先輩はこれっぽっちも動じることなく、『ああ、今夜はお持ち帰りだ』なんて、マジ顔で言っちゃったりしたものだから、桐哉は湯気を噴くし、僕たちは思わず視線を泳がせちゃうし。 ほんと、仲良いんだから〜。 そんなこんなで、桐哉は真っ赤になりながらも『じゃあ、またね』と手を振りつつ先輩に連れられて帰っていったんだけど、その姿を見送って、僕たちの部屋の扉を閉めて振り返った祐介には、それまで柔らかかった表情のかけらも残っていなかった。 そのあまりの変化に、僕は少なからず驚き、何かあったに違いない…と、祐介を凝視した。 そして、後ろ手に扉の鍵を掛けた祐介は、その反対の手で何かを差し出してきた。 何かと思って見てみれば…。 けばけばしく、人目を引くような文字や写真でセンセーショナルに飾られたそれは、僕の周囲ではあまりお目にかかることのない、写真週刊誌だった。 その表紙に踊る文字に、僕は目を見開いた。 『美少女モデルと世界的指揮者、深夜の密会』 けれど、『世界的指揮者』はともかく、『美少女モデル』と言う言葉にピンと来なかった僕は、その時はただ単に、もしかしたら赤坂先生のことだろうかと不安になっただけだった。 けれど、記事のページを開けた時、僕は固まった。 大人の男性に、親しげに肩を抱かれている子供。 それは、個人の特定もちょっと怪しい不鮮明な写真だったけれど、でも僕にはわかった。 写っているのが、自分だったから。 |
【3】へ続く |