Op.3
第1幕「微笑みの眼差しさえあれば」
【6】
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「本当に…いいのか? 葵」 昇と守とは正反対の不安に満ちた声。 けれど、表情は険しくなくて、むしろ、僕を労るような視線が向けられている。 「悟は、反対?」 「いや、そうじゃない。僕だって、葵と兄弟だってこと、みんなに知って欲しいと思っている。でも…」 悟はキュッと唇を噛みしめて、僕の手をギュッと握る。 昇も守も、そんな悟の次の言葉をジッと待っていて…。 「心配、なんだ」 苦しげに吐かれる言葉。 「葵が、傷つくんじゃないか…って」 「…さとる…」 少しの沈黙のあと、守が『そうか…』って呟いた。 「スキャンダラスに書こうと思えば好き勝手できるネタだよな」 その言葉に、昇が『あ…』と、声を上げる。 「もしかして、葵のお母さんと、父さんの、こと?」 悟が頷いた。 そうか。 悟は僕とお父さんの関係が明らかになると、僕の生い立ちが、好奇の目に晒されるんじゃないだろうかと心配してくれたんだ。 「ヘタをすれば、『美少女モデルと大物指揮者』以上のネタにされる…」 悟の視線は僕を捉えたまま。 そしてそれはとても揺れていて…。 確かに、『大物指揮者と舞妓の間にできた私生児』なんて、今まで以上に美味しいネタにはなるだろう。 でも。 「大丈夫。僕は平気だよ。本当のことは、僕とお父さんだけが知っていればいいことだから」 誰に何を言われてもいい。 母さんだって、誰に何を言われようが、黙って守り通したんだ。 自分の想いを。そして、お父さんのことを。 「葵、俺たちのこと忘れてもらっちゃ困るぜ?」 「守…」 「僕たちだって、いるんだからね」 「昇…」 「そうだな。僕たちがちゃんと、本当のことをわかっていればいいこと…だな」 やっと、悟が笑った。 その笑顔に僕もホッとして、笑顔を返したんだけど。 「なんか、やっと本物の兄弟になれた気がする」 まだ目尻に涙を残していた昇のその言葉に、僕の涙腺が突然壊れた。 「あおいっ?」 「どうしたっ?」 「大丈夫かっ?」 慌てふためく悟と昇と守の声に、僕はこれ以上ないほどの幸せを感じて、ずっと抱きしめられていた。 ☆ .。.:*・゜ 「葵、大丈夫か?」 「うん、平気。がんばるよ」 祐介が肩を抱いてくれている。 一応、悟から見えないところで。 あの後、すべてを報告して御礼を言った僕に、祐介は『よかったな』…と、喜んでくれた。 そして翌月曜日の放課後。 僕は、光安先生にお願いして、部活前の全員ミーティングの席で個人的に時間をもらうことになった。 ずっと僕を庇い続けてくれていた管弦楽部の仲間たちにはちゃんと本当のことを話しておこうと思ったんだ。僕の口から。 ホールの客席に全員集合したみんなは、客席の前方――先生の隣にやってきた僕を見て、『なんだろう』と少しざわめきながらも、『もしかしてあのことかな?』と、予想をしている感じだった。 先生が『静かに』…と、声を掛け、僕の肩をポンと叩いてニコッと笑ってくれる。 その笑顔に、僕は頷きで応えて、みんなに向き直った。 「この前発売になった写真誌のことで、みなさんにご心配おかけしてすみませんでした。そして、庇ってくれて、ありがとうございました」 そう言うと、同級生の席から、「何言ってんだよ。友達だから当然だろう」と声が掛かり、僕は嬉しくて思わず涙ぐみそうになった。 でも、ここで泣いてちゃいけないんだ。 「本当に僕はいい仲間に恵まれて幸せです」 そこで僕は一つ深呼吸をする。そう、ここからが本番だ。 「実は、あの件についてお話したいことがあって、この大切なミーティングの中で、少しだけ時間をもらいました」 僕が『謝罪と御礼』を言うだけではなかったのだと、一瞬みんながざわめき、そして一気に空気がピンと張りつめる。 祐介は腕を組んだままジッと目を閉じていて、アニーが、不安そうに僕を見つめる司の肩を抱いているのも見えた。 「僕があの夜、一人で赤坂先生と会っていたのは事実です。食事に行って、それから先生のマンションにも行きました。それは…」 そこまで言った時、前方の端に座っていた悟が突然立ち上がった。 昇も守もそれに続き、何事かと驚く周囲を余所に、真っ直ぐに僕へと向かってくる。 もちろん僕も予想外のことに驚いて、言葉を途切れさせたままにしてしまい…。 悟が僕の隣に立った。昇も、守も。 そして、僕の肩を抱き、優しく微笑んで『続けて』と促した悟に、僕は頷く。 そうなんだ。これは、『僕たちの問題』なんだ。 「みんな、黙っていてごめんなさい。赤坂先生は、僕のお父さんなんです」 言い切ると、奇妙な間が空いた。で、ややあって…。 「今の、何?」 誰かが呟いた言葉をきっかけに、あたりは騒然となった。 「どういうこと?」とか「なんかよくわからなかったんだけど」とか、みんなして狼狽えるのがわかる。 …どうしよう。 思わず悟を見上げると、悟は力強く頷いて、客席に向き直った。 「葵は、僕たちの弟だ」 凛と響く悟の声に、ざわめきが止まる。 「あらら、固まっちゃったよ」 わざと暢気な声を出した昇が、おどけた仕草で肩を竦めた。 「ま、そういうことだ。俺たちは四人兄弟だから、そこんとこヨロシクな、みんな」 守が僕の頭をくしゃっとかき混ぜて、ニッと笑う。 そして、静寂を破ったのは佐伯先輩だった。 「しつもーん!」 「なんだ?」 わざと茶化したような明るい声で手を挙げた先輩に、悟が応える。 「それって、葵が入学してきた時から知ってたのか? 兄貴たちは」 その質問に僕たちは顔を見合わせた。 避けては通れない、事。でも…。 「話して大丈夫か? 葵」 「うん。大丈夫」 僕の肩を抱いたまま、悟はまたみんなに向き直り、今日までの経緯を簡単に話し始めた。 つまり。 昇や守と同じように、僕の母さんとお父さんが結婚していなかったこと。 僕がずっと、父親を知らずに育ったこと。 お父さんも、僕の誕生を知らずにいたこと。 この学校へ僕がやってきて、お父さんと再会して、すべてがわかったこと。 等々。 みんなは静かに黙ったまま聞いていたけれど、僕は僕で、違う意味で静かに聞いていた。 だって、悟ってばすごいんだから。 一言も嘘はないのに、言いたくないことはすべて上手く伏せたままに僕の十六年間をこうまで簡潔にまとめられるって、いったいどういう構成力なんだろう。 こういう物の組み立て方ができる人って、絶対指揮者なんか向いてると思うんだ。 だから、今さらながらに、悟が指揮科に進まないことがもったいないなあ…なんて思ったり。 と。ぐるぐる考えているうちに、僕はみんなに取り囲まれていた。 「俺、今まで生きてきて、今日が一番驚いたかも」 羽野くんの言葉に、僕はちょっと照れて笑うしかない。 「しかし、凄いよなー。奈月が悟先輩たちの弟だったなんてなあ〜」 茅野くんの妙な感心っぷりが可笑しい。 結局、上級生・同級生・下級生問わず、ほぼ一致したみんなの見解が、『なんだかわかるような気がする』っていう、わかったようなわからないようなもの。 みんな言うんだ。『妙に納得できる』って。 『よく見たら、顔のパーツの一つ一つが昇先輩と似てるよな』なんてことも言われたっけ。 特に去年CMに出たことを誰かが思い出すと、『そう言えば、金髪の女神様の方は昇に瓜二つだったもんな』と佐伯先輩が『納得納得』なんて頷いたり。 藤原くんなんて、『かっこいいです…』なんて、意味不明のこと言いながら、うっとりと見上げてくれるし。 でも、みんな意外と、不思議なほどあっさりと、受け入れてくれた。 これはきっと、今までに悟たちが築いてきた仲間たちとの信頼関係にもあるんだろうと、僕は納得して、そして、改めて素晴らしい仲間に恵まれたことに感謝をした。 ☆ .。.:*・゜ 翌日、祐介がまた呼び出されて面会室へ行き、例の写真誌の次回発行予定の号がやってきた。 今回もさやかさんが運んできてくれたらしいのだけど、まだ仕事中とかで大急ぎだったらしく、僕の顔が見られないことを嘆いていた…って祐介に聞いて、今度、御礼がてら遊びに行こうかな…なんて思っちゃったり。 で、何故か戻ってきた祐介の手元には、同じ週刊誌の同じ発売日のものなのに、表紙の違うものが2つ、あった。 一つには、覚悟していた『隠し子発覚! 祇園の名花との許されざる恋』という文字が踊っているのに、もう一つにはそんなことはかけらも書いてない。 「これ、どういうこと?」 「まあ見てみろって」 言われてページをめくってみれば、そこには悟が昨日、仲間たちに話してくれた事実の他に、案の定『モデルのアン』が実は男子高校生だったことや、その実体である僕の生い立ちが書き連ねられていた。 学校名は、固有名詞の直言だけは避けていたものの、場所だとか、どういう学校だとかで、ちょっと知識のある人間なら、すぐにどこだかわかってしまうように書かれている。 そして、当時祇園一の売れっ妓だった舞妓と将来を嘱望された若き指揮者の許されない恋であったことも、興味を煽るような飾った文面ですっぱ抜かれていて、覚悟をしていたとは言え、僕の気持ちは少し塞いだ。 けれど。 「実はな、それじゃなくて、こっちが明日発売になる分なんだ」 渡されたそれを見れば、そんな記事はどこにも載っていない。 僕の記事が載っていたページには、妙に当たり障りのない、ペットの話題なんかが連なっていて。 「どう…して?」 声が震えた。まさか…。 「総出で潰したんだってさ」 あっけらかんと祐介が言った。 「総出…って?」 「総出ったら、総出だよ。葵の身内だろ、学校関係者だろ…」 身内って言えば、香奈子先生とか…だよね。それはわかるような気がする。この前電話で話した時、不穏な声で『腕が鳴るわ〜』なんて、意味深なこと言ってたし。 でも…。 「もしかして、祐介のお父さんやさやかさんも?」 「いや、姉貴にはまだそこまでのコネクションはない。せいぜい発売日前日にもぎ取ってくるのが関の山だな」 って、それだけできるだけでも十分オソロシイと思うんだけど…。 「今回は、親父が院長と一緒に理事会先導して一暴れしたらしいな」 「どうして…そんな、僕なんかのために…」 「どうしてってさ、学校やOBには歴とした理由があるだろ?」 「理由?」 「そう。この記事じゃどう読んだところで学校名はバレバレだ。だから学校としては、未成年の一般人である生徒をネタにしたスキャンダラスな記事を公にすることなんて許さない…ってわけだ。わかりやすいだろ?」 そりゃわかりやすいけれど…。 「院長と理事長なんて、もうちょっとで担当記者や編集長のクビまで飛ばすところだったらしいんだけど、さすがにそこまではしなくてもいいだろうって、親父が止めたらしい。うちの親父ってば、何処へ行っても穏健派だしなあ」 うん、祐介のお父さんが優しい人なのは、ものすごくよく知ってるんだけど…。 まだ納得しきれない僕に、祐介はパチンと一つ、ウィンクを投げて寄越した。 「後輩を守るのは、OBとして当然のこと…なんだとさ」 「…祐介…」 「それに赤坂先生だって、院長や理事長、それにうちの親父からみれば可愛い後輩だしな」 ま、言われてみれば確かにそうだ…。 「しかし、結束固すぎて、ある意味コワイ学校だよなあ」 呆れた声で言う祐介だけど、表情はもちろん満更でもなくて。 「ね、今度、祐介の家に遊びに行っていい?」 「もちろん。みんな喜ぶぞ」 院長先生にも御礼言わなくちゃ。 それと、理事長さん――隆也のお祖父さんの一件で交代があって、当時理事だった人が今は理事長になってるんだ――にも。 確か、あの時も隆也のこと、助けてくれたんだ…。 マスコミに余計な詮索をされないように。 僕が直接会うことは叶わないかも知れないけれど、院長先生に、お願いしておこうっと。 「祐介」 「ん?」 「ありがと」 「そうだなあ、今回のことは高くつくぞ」 「ええっ?!」 「さてと、何してもらおうかな〜」 「ゆうすけ〜」 とまあ、そんなこんなで、僕たちが四人兄弟だということは、これで明々白々の周知の事実となったわけだけど、そうなると当然、これまでも水面下で囁かれていたらしい『悟先輩と奈月は実はデキている』という噂はすっかりなりを潜め、ますます僕と祐介の恋人同士説が主流となり、祐介――それと藤原くん――に申し訳ないなあ…と思いつつも、なんだかホッとしている僕だった。 |
END |
んっ?
↓
おまけネタ
『OBたちの昼下がり。』
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あの騒ぎからすぐの、ある日曜日。 部活が午前中だけだったから、午後から僕は祐介の家にお邪魔した。 もちろん目的は、祐介のお父さんやさやかさんに御礼を言うため。 そして、お母さんも随分心配して下さっていたようなので、お母さんにも。 で、そこで僕は祐介のお父さんに、『理事長さんにも御礼を言いたいんですが、直接はお目にかかれないと思うので…』言ったんだ。 そしたら、お父さんはなぜだかちょっと視線を泳がせて、『あ、ああ、あいつは超多忙でなあ、1ヶ月のうちの半分も日本にいないんだよ。だから会うのはちょっと無理だろうから、ちゃんと伝えておくよ』って言ってくれたんだ。 前の日に、院長先生にも同じ事を頼んだんだけど、やっぱり院長先生も同じようなことを言ってたから、本当に忙しい人なんだなあ…。 やっぱり世界的企業の会長さんって大変なんだ。なのに、僕のことで時間を取ってもらって、本当に申し訳ないというか…。 祥太郎@院長センセ&駿介@祐介パパin院長室 祥「お疲れだったな。駿介」 駿「お前こそ。まあ、何事もなく納められてよかったな」 祥「まったくだ」 駿「ああ、そう言えば葵くんが『理事長さんにも御礼が言いたい』って言ってたぞ」 祥「ああ、私にも言ってきた」 駿「…おい、まさかそれ、春之に…」 祥「まさか。言ってないって、そんなこと」 駿「…だよなあ。まあ葵くんには『理事長は多忙で』と言ってあるし、彼もそれで納得してくれてるからな」 祥「この話は2人だけの秘密だな」 駿「当然だな。これが春之になんか知れて見ろ。地球の裏側にいても飛んでくるぞ。そもそもあいつが理事会入りしてもいいなんて言い出したのは、去年、管弦楽部の夏のコンサートで葵くんを見てからだからな」 祥「…うう…毎年一刀両断で断るクセに、今年はやけにあっさりOKしたなと思ったら、そんな裏があるんだからな…。やっぱりあいつを理事会に入れたのはヤバかったんだろうか…」 駿「いやあ、あれでもうちょっと節操があったら、これ以上なく役に立つヤツなんだがなあ」 祥「だよなあ。360度、どの方面にも顔が利くヤツなんてそうそういないしなあ」 春「誰が節操ナシだって?」 新理事長、前田春之乱入! 駿&祥「うわあああっ!」 春「何を驚いてる」 祥「ななな、なんでいきなりっ」 春「いきなりって。お前、理事長は院長室フリーパスだって言ったじゃないか」 祥「そりゃあ、言ったけど〜」 駿「けどお前、今週はNYじゃなかったのか?」 春「ああ、予定が変わったんだ。NYは来月になった。明日からマレーシアだ」 駿「相変わらずだなあ…。恐るべき気力・体力・時の運…」 春「何か言ったか?」 駿「や、何も」 祥「春之。今回のことは本当にお疲れさまだったな」 春「いいや、雑作もないことさ。それよりな、祥太郎、駿介…」 駿「なんだ?」 春「赤坂良昭を理事会に入れようと思うんだが」 祥「ああ、それな。随分前から招聘はしてるんだがいい返事はさっぱりだ」 駿「なにせ国外在住だったからなあ」 春「しかし、今回のことが良いきっかけになりそうじゃないか? 息子可愛さに日本に戻ってくるくらいだからな」 祥&駿「なるほど」 春「それにしても、さっき奈月くんがどうとかこうとか…」 祥&駿「ええっ?!」 春「理事長は多忙だとか言う声も聞こえたような気が…」 駿「してないしてないっ」 春「何か隠してないか?」 祥「とんでもないっ」 春「じゃあ、管弦楽部の練習を覗いて可愛い奈月くんのご機嫌伺いでもしてこようかな」 祥&駿「わあああっ、ダメだっ」 春「何で止める?」 祥「何でってっ、生徒を悪の手から守るのは院長の役目だっ」 春「誰が悪の手だって?」 駿「…自覚がないところがコワイ……」 |
以上、これと言ったオチのない、
オジサマたちの昼下がりでした。
ちゃんちゃん♪