Op.3
第2幕「Allegro,con fuoco」

【1】





 僕が管弦楽部のミーティングで話したことは、僕たち兄弟の思惑通り、すぐに全校生徒の知れるところとなり――もちろん口止めなんてしていない。管弦楽部のみんなから、外へ伝わるようにしてもらったんだ――興味津々だった生徒たちの間でも、あまりに予想外の結末にかえって毒気を抜かれちゃったようで、あの騒ぎは何だったんだ…というくらい、呆気なく終息を迎えた。


『奈月って、やっぱただものじゃなかったんだなあ』…なんて、笑っちゃう感想を言ってくれたのは主にクラスメイトたち。

 気にはなるけど、でも聞いちゃ悪いような気がするし…みたいな遠慮をずっとしてくれていた彼らは、真相を知って妙に感心してくれたんだけど、ともかくこれで概ねオーライで、気がつけば悟たちの音大推薦入試はもう目の前。

 ほんと、大事な時の前にちゃんとカタがついてよかったと、僕は胸を撫で下ろしていた。

 そうそう。

 僕はその後、桐哉にもちゃんと色々を話し、見守っていてくれた事への感謝を告げた。 

『篤人がね、気にはなるだろうけど、大丈夫だから、今は黙って見守ってやってくれって言うから、篤人は真相を知ってるんだって思ったんだ。で、篤人が大丈夫って言うんだから大丈夫なんだろうって』

 桐哉はそう言って、ニコッと笑った。

 そして、『葵、たくさん大変な事があったんだね。僕の時はたくさん力になってくれたのに、僕は、何にもできなくて…ほんと、ごめん』…なんて謝られちゃって、僕の方が慌てたりして。

 僕の方こそ、ちゃんと本当の事を言えないままになっていたから、桐哉には申し訳なかったんだけど、ここに至って更に言えないことができてしまった。

 それは。
 僕と悟のこと。

 兄弟だと言う以外の関係を、僕はこれでますます――桐哉だけでなく――みんなには言えなくなったというわけだ。

 まあ、そもそも同性で…ってこと自体、今、この学校にいる間はいいとして、外の世界へ出てしまえばそれは滅多に受け入れてもらえることではないのだから、これはもう、ずっと黙っておくしかないのかなあ。

 特に、桐哉や…それから陽司や涼太には、いずれ知って欲しいなという思いがあっただけに――だいたいみんなして、校内で恋人作っちゃってるし――更に様子見…という状態になって、ちょっと哀しかったりもする。

 でも、これで『練習室1』にも大っぴらに出入りできるから、やっぱりいいこともたくさんあるに違いない…と、思ったところでまたしても気がついた事が一つ。

 悟たちがこの学校にいるのは、あと3ヶ月ちょっと、なんだ…。

 卒業したら、もちろん悟たちは実家へ帰る。
 あ、昇だけはわかんないけど。

 せめて二十歳まで…というか、大学2年が終わるくらいまでは家にいて欲しい…と、香奈子先生は思ってるようで、光安先生も昇も、そのあたりはちょっと悩んでるみたい。

 大学のある時期だけ実家から通って、長期休暇の時は先生のところへ…っていう案もあるみたいなんだけど、何しろほら、先生も昇も我慢してた期間が長いものだから、ちょっと辛抱効かなくなってる節もあったりして。

 僕としては、昇と同じ家で生活してみたいなあ…って思いもあって、香奈子先生案――せめて大学2年間――に、ちょっと賛成なんだ。

 それなら、僕が卒業してから丸一年あるわけだから、少しは兄弟らしいことできるかなあ…なんて。

 兄弟だとわかってから一年ちょっと経って、その間、冬休み・春休み・夏休み…と、それなりの期間を桐生家で過ごした僕だけれど、でもその中でも京都へ帰った期間だとか、ウィーンへ栗山先生に会いに行った期間だとかもあって、僕としてはまだ、ちゃんと『桐生家で生活した』という感じにまではなっていない。

 生活の場は、あくまでもここ、寮で…って感じかな。

 でも卒業して、桐生家から大学へ通うようになったらきっと変わると思うんだ。

 そうすれば、僕たちはもっと兄弟らしくなれるかなあ…なんて。

 …で、ひょいと練習室1を覗いてみれば、そこには真剣な表情でピアノに向かう悟の姿。

 やっぱりとんでもなく格好良くて、やっぱりとんでもなくドキドキしてしまう僕に、守は『お前もいい加減“惚れた欲目”だよなあ』なんて笑うんだけど。

 昇も『葵の前ではいいカッコしてるけどさ、悟って、ああ見えてもかなり意地っ張りで頑固で面倒くさいヤツだよ? 葵も大変なのに惚れちゃったよね』…だって。

 それを目の前で言われた悟は、『昇が脳天気で単純過ぎるんだ』って反論してたけど。

 でも、僕はそんな3人のやりとりすら嬉しくて楽しくて、もうちょっとこのままでいたかったなあ…なんて思うわけ。

 高校が4年間あったらなあ…なんて。

 ポロッとそれを零してしまった僕に、悟は『じゃあ、留年しようか? そうしたらこれからずっと同級生だ』なんて、真顔で言ってくれちゃったりしたけど。

 ったく、どこの世界に学年ナンバー1を留年させる学校があるって言うんだろ。

 なのに守ってば『2月の卒業試験をオール白紙で出したら確実だぜ?』なんて横からチャチャいれて、『悟が留年なんて言ったら、父さんも母さんも腰抜かすだろうなあ』って、昇がまた喜んだりして、挙げ句に『でも母さんだったら悟の留年の動機なんて一発で見抜きそうだよな』なんて守がまた混ぜっ返して…。

 …って、いつまでも覗いていたら、また悟の練習の邪魔になってしまうので、僕は練習室1の前をこっそりと通り過ぎて、フルートパートのたまり場である練習室へ向かうんだけど、今、練習室は1から7までは受験をする3年生の個人的貸し切りになっている。

 今年音大受験をする3年生は全部で7人。

 悟たち3人と、あと2人の先輩が同じ私立音大――お父さんと香奈子先生の母校で、香奈子先生は現在ピアノ科の主任教授だ――志望で、残り2人のうち1人は国立(つまり芸大)志望。もう1人は海外へ…って話だ。

 で、悟以外は全員弦楽器奏者。管楽器ゼロって年も珍しいらしい。
 来年はもしかしたら弦楽器ゼロかも…とか言われてるみたいだけど。

 で、年によってばらつきはあるけれど、だいたい学年で5人から10人くらいが音大へ行くそうで、毎年一番人気は、悟たちが受ける大学なんだ…って、祐介が言ってた。

 例年、実力的にも学力的にも、国公立を十分狙えるっていう生徒が半分はいるらしいんだけど、でもやっぱりほとんどがこの私立を目指すらしい。

 何でだろう…って思ったら、どうやら聖陵っていうリベラルな雰囲気の中で6年ないし3年をどっぷりと過ごすと――しかも管弦楽部員はみんな寮生だからさらにどっぷり――そのまま大学にもそれを求めてしまう傾向があるらしく、その結果がこの選択に繋がっているらしい。

 というのは、光安先生の分析。

 先生は、『あそこは欧米型の教育方針で、確かにかなり自由な校風だが、だからといって国公立に自由がないというわけではないんだがなあ』って笑ってたけど。

 まあ、レベル的にも『ソリストコース』は芸大に肩を並べられるくらいだし、それに卒業後の進路に関しても選択肢はかなり多いし、赤坂先生曰くの『あそこは上下関係の嫌なしがらみが少ないからな』…ってとこあたりが人気の秘密らしい。

 そんなわけで、私立を推薦受験する5人の3年生は、目前に迫った入試に向けて最終調整に余念がないってところだ。

 光安先生は『いつも通りにやれば全員合格は疑いもない』って、これっぽっちも心配してないみたいだけれど、ただ、時期が12月だけに体調管理が気になるところみたいだ。

 風邪なんかひいたら大変だもんね。

 まあ、管楽器みたいに『風邪ひき、即、死活問題』ってことにはならないかもしれないけれど、風邪をひいたら耳をやられてしまうこともあるし、何より集中力が下がる。

 そうなると楽器の種類に関わらず深刻な事になってしまうから、こうなると、やっぱり体調管理は最重要課題かもしれない。

 そう言う点では12月の入試ってのはキツイなあって、みんなで言ってるんだけど、でも推薦だからしかたないみたい。

 年が明けたら一般入試が始まるもんね。

 ともかく、入試まであとちょっと。トラブルなく乗り切って欲しいなと祈るばかりだ。



                    ☆ .。.:*・゜



 ――さてと、こんなものか。

 消灯直前の123号室で、荷物をざっと確認して、悟はホッと息をつく。

 明日の午前中には学校を出て実家に帰り、翌日からの二日間の入試に備える予定だ。

 正直いって、何の不安もない。

 いつも通りにできれば合格は間違いないだろうし、いつも通りにいかないかも知れない…という不安もこれっぽっちもない。

 それよりも、不安と言えば、葵を置いて3日も学校を離れる事の方がよほど胸に重くのし掛かっていると言う状態で、昇や守に聞かれたら、呆れられること必至だろう。

 もちろん、葵には祐介がいつも側についているし、部活・クラスを問わず、葵は友人にも恵まれているから実質的な不安ではない。

 そう、ただ自分が寂しいだけ…なのだ。

 それに、自分がいない間に何も起こらないという確証はない。

 先月いきなり降って湧いた『父親との密会写真事件』のような、予測不可能なことが起こらないとも限らない。

 あの時の葵の心情を思うと、今でもため息がでる。


『お前たちの親父さんってさあ、美少年趣味まであるのかよ〜。ホント、無節操だよなあ』


 悟に向けてクラスメイトから投げかけられた、揶揄の声。

 今さらそんなことを言われたところで何も感じないし、言いたきゃ勝手に囀ってればいいと思うが、あれと同じような質の悪いからかいを葵が受けているのかと思ったら堪らなくて、思わず唇を噛みしめて耐えた。

 痛いほど噛みしめていないと、今すぐにでも葵をさらって学校を飛び出してしまいそうな衝動に駆られてしまったのだ。


 葵を脅かす、すべてのものから守りたい。

 そして、ずっと、いつも、側にいたい。少しも離れていたくない。

 もちろん今でも同じ校内にいるからといって四六時中一緒にいられるわけでもなく、それどころか会えない時間の方が多いのだが、でも、『きっと今の時間はあそこにいるだろうな』とか『練習が一段落したら、裏山に散歩に行こう…って誘ってみようかな』とか、その気になって手を伸ばせばなんとかなる距離には違いない。

 けれど、自分が学校を出てしまったら、もうどうしようもない。


 ――はぁ…。


 普段のカリスマ振りを知っている生徒たちから見れば信じられないようなため息を、悟はまただるそうに吐き、こんなことではいったい来年度からの一年間はどうなってしまうのだろうと、また悩ましげに息を垂れ流す。

 いっそのこと、本気で留年したいくらいなのだ。

 留年すれば、葵と同じ学年になって、そうすればきっと同室にもなれて、そうしたら毎晩好き放題……ではなくて、ずっと側で見守っていられる。

 もちろん、好き放題も魅力的ではあるが。


 ともかく、明々後日は入試が終わり次第すぐに、実家へも寄らずに学校へ戻ってこようと決めている。

 明日は金曜日で、葵は授業があるから『行ってきます』が言えない。

 夕方、部活は終わった後に少し会えたから、その時にいくらかは話せたが、全然足りない。

 それは葵も感じていたようなのだが、ともかく、笑顔で『がんばってね』と言ってくれたから、とりあえずそれで我慢するしかないだろう。



「用意、できたか?」

 もう一度、性懲りもなく陰鬱なため息を漏らしそうになった時、ルームメイトの大貴が帰ってきた。

 大貴も年が明けたらセンター試験が待っていて、その後すぐに滑り止めの私立の入試もある。

 本命は国立前期日程なので、3月まで気の抜けない日が続くことになり、消灯直前まで自習室に籠もる毎日だ。
 もちろん消灯後は机の灯りでまた勉強を続けるのだが。


「ああ、準備は万端だ」

「いよいよだな」

 ポンッと肩を叩いて言う大貴に、悟は頷いてみせる。

「ま、お前のことだから全然問題ないとは思うけど、がんばれよ」

「ん、がんばるよ。ありがとな」

 いつもと変わらない、落ち着いた様子で応える悟に大貴は安心したように頷き、そして、ふいに表情を変えた。


「ところでさ」

 妙に真面目な顔。

「何?」

「この前のことだけどさ」

「この前?」

「ほら、奈月の一件」

「ああ、それが?」


 大貴には、聖陵祭の直後に話していた。

 卒業までにはちゃんと話しておこうとは思っていたが、ひょんな事から葵が桐生家にいることがわかってしまったから、いい機会かと思い、話していたのだ。

 ただし、大貴には何も隠さずきちんと話した。
 葵の母のことも。すべて。

『他言無用』と言ったら、必ず守ってくれる友だから。


「奈月ってもう落ち着いたか?」

「ああ、おかげさまで、すっかり」

「そっか、よかったな」

「大貴にも心配かけたな」

 あれこれと、いちいち口を挟んでは来ないが、大貴がずっと悟や周囲を気遣っていてくれていたことは本当にありがたかった。

 真路と一緒に、就任したばかりの新生徒会長とも――彼が父親の恩師の孫だったというのは葵に聞いて驚いたことだが――密に連絡を取り合って、裏でそれとなく不穏な芽を摘んでいてくれたようだ…というのも後から知った事ではあったが、それも本当に嬉しかった。

 葵が管弦楽部のミーティングで言ったのと同じく、自分もまた、素晴らしい仲間に恵まれたと、幸せだった。


「や、それはいいんだけどさ…」

 大貴がちょっと遠い目をして首を傾げた。

「あれって、騒ぎになる前に喋っちまった方がよかったのかもなあ」

「大貴?」

 うーんと唸って腕組みをして、大貴はまた悟の視線を掴まえる。

「こう言っちゃなんだけどさ、今さらじゃん? お前たちの親父さんの事ってさ。一人や二人、弟が増えたってどうってことない気がするし、それに、お前が一番気にしてた、奈月の生い立ちのことだって上手いこと誤魔化せたしさ」

 確かに大貴のいうとおり、綿密に、上手く立ち回っていれば、週刊誌などで騒ぎになる前に手を打っておけたのかもしれない。

 だが…。

 問題がそれだけではなかったことを、大貴は知らないのだ。

 何もかもを、できる限り触らず、叶うことならずっと、そっとしておきたいと願ったのは、自分と葵が抱えているもう一つの秘密のためなのだと。

 葵の周囲でもこの事を知っている人間はごく僅かのはずだ。
 浅井祐介、麻生隆也…あとは、悟にはわからない。

 悟の周囲では、森澤東吾と佐伯隼人が知っている。

 そもそも東吾には、『つき合っている』という情報の方が先に伝わっていたし、一年前の段階ですでに守が事実を伝えている。

 隼人もまたしかり…で、『兄弟だ』という事実が後からついてきた。

 だが、東吾も隼人も、何事もなく受けとめてくれた。

 あの後隼人に『驚かないのか?』と尋ねたら、『俺がそんなつまらないモラリストに見えてるとしたら、お前、6年間俺の何を見てきたんだ?』と、笑われてしまったのだ。

『どんなことよりも、Loveが優先だろ?』…なんて、気障に片目を瞑って肩を叩いてきた友人に、思わず言葉を詰まらせたら、『お。すっげえ! 俺、桐生悟を感動のあまり絶句させたぜ! いやー、最高の卒業記念じゃん〜。気分いい〜』と、大はしゃぎされて、それすらも嬉しかった。


 だが、大貴はどうだろう。

 悟は僅かに表情を曇らせる。
 だが、大貴はそれを違う意味に取ったようだった。


「や、ごめん。ほんと、今さらの話なんだけどさ、悟にしては珍しく、判断迷ったんじゃねえかなあ…と思ったわけだ。でも、ま、仕方ねえよな。事が事だしさ」

 その言葉に、悟は静かに『そうだな…』と同意した。

 確かに、判断を迷った。いつにないことだった。

 だが、葵が絡むこととなると、大概こんな風に狼狽え、悩み、迷う。

 自分がしっかりしないと…と思う反面、他のどんなことよりも『怖い』というのも事実だ。

 けれど、一つだけ自信のあることがあるとすれば。

 葵への想い。ただそれだけ。

 それだけをしっかりこの胸に抱いていたら、何が起こってもきっとなんとかなる…と、思えるようになってきた。

 だから…。


「大貴、ずっと気にしてただろう?」

「え? 何が?」

「僕に、誰か恋人ができたんじゃないかって」

 ニッと笑ってみせると、案の定、大貴は目を丸くした。

「…わ、わかってたのかっ?」

 ひっくり返った声が、何となく大貴らしくて笑えてしまう。

「そりゃあわかるさ。大貴は嘘がつけない質だからな」

「悪かったな…」

「何言ってるんだ。そんな大貴だから、こうやってずっと一緒にいられるんじゃないか」

 拗ねる大貴の背中をポンッと叩いてみれば、大貴もまた満更でもなさげに見返してくる。

 こういうやりとりすら、優しくて暖かいのだ、大貴は。

 だから、もっと早く、打ち明けていればよかったのかも知れない。
 何もかも。


「恋人、いるよ」

「…悟…」

「誰よりも大切な子が」

 幸せそうに微笑んだ悟に、大貴は一瞬見惚れ、そして…。

「僕の恋人は、葵…なんだ」

「…さと…る」

 絶句した。

 もちろんこの反応は覚悟していたものだから、悟は淡々と続ける。


「入学してきた葵に一目惚れして、運良く僕の想いは叶った。けれど…」

 立ちつくす大貴をそっと座らせた。

「その時、僕らはまだ何も知らなかった。片親とは言え、血が繋がっているなんてこと、これっぽっちも知らなかったんだ」

 悟もまた、大貴に向き合って静かに腰を下ろす。

「これが、僕が言い出せずに迷った理由だ。僕たちは、そうと知る前に恋人同士になってしまったから、兄弟だってわかった時には、本当に狼狽えた。それこそ、この世の終わりのような気すら、した。けれど…」

 あの時は、葵の意識が戻らないままで、胸が潰れそうな日々だったけれど、今はもう、何もかもが暖かい気持ちに満ちている。


「僕たちの想いは、変わらなかった」

 だから、幸せなのだと。

「さとる…」

 大貴が潤んだ声で悟を呼んだ。
 見ればなんと、その瞳から大粒の涙を零しているではないか。

「だ、大貴っ?」

 中1の頃にうち解けた仲になって、6年近く。
 大貴の涙を見たのは初めてだ。


 葵の生い立ちを打ち明けたときも、目を潤ませてはいたが、こんなにボロボロと涙を零しはしなかった。


「よかったな…悟」

 グスグスと鼻も鳴らしながら、大貴は大きな拳で涙を拭った。

「…ほんと、よかった…2人が、ずっと思い合ったままで…」

「大貴……」


 大貴の穏やかな質からして、手痛い拒絶…というのはあまり予想はしていなかったが、狼狽や困惑はもちろん、最悪、今までの『親友』という関係を保てなくなる可能性はあるかもしれないと覚悟はしていた。

 なのに…。


「だってさ、俺、嬉しかったんだぜ? 悟がよく笑うようになって、おまけに時々ふくれたり拗ねたりもしたじゃんか。だから、もし恋人ができたのなら、きっといい恋愛してるに違いないって思ってたんだ。それに…」

 もう一度、グスッと鼻を鳴らして涙をグッと拭った大貴は、嬉しそうに笑った。

「相手が奈月だったらいいのにな…ってずっと思ってた。だって、お似合いじゃんか、お前たちってば」

「大貴……」

 悟も、泣いてしまいそうだった。

「ありがとう…」

「ずっと、絶対離すなよ、奈月のこと」

 ガシッと手を握って、また泣いてくれた親友に、悟も声を潤ませる。

「ああ、絶対離さない。大貴も、真路のこと、絶対離すなよ?」

 言った瞬間、真っ赤に湯で上がった大貴の顔を、悟は一生忘れないだろうと感じた。

 そして、この友情は最期まで色褪せないと、確信した。



【2】へ続く

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