Op.3
幕間「ストロベリー・スクランブル」
【1】
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ぼくの名前は藤原彰久。聖陵学院中学校の2年生。管弦楽部でフルートを吹いてる。 年末は大忙しだった。 24日に最大のイベント、定期演奏会があって、その3日後から演奏旅行。 29日の夕方に帰ってきて、家に着いたのはもう夜の9時を回っていた。 でも、凄く楽しかったんだ。定演も演奏旅行も。 初めての演奏旅行は修学旅行みたいで楽しかった。 3日間の日程だったので、着いた日はそのままホールでリハーサル。 翌日が本番で、帰る日にはぎりぎりまで遊んだ。 写真もたくさん撮ったんだ。下級生とも同級生とも…先輩たちとも。 そうそう。 着いた夜のレセプションで、部を代表して浅井先輩が日本語と英語と広東語で挨拶したんだけど、それがもうめちゃくちゃ格好良くて、今まで『悟先輩がいい』とか『やっぱり守先輩だよね』なんて言ってたぼくの同級生や中1の子までが『浅井先輩がいい〜!』とか言いだして、ぼくはちょっと穏やかじゃなかったりして。 『なんでそんなに簡単に乗り換えられちゃうの?』って、弦楽器の同級生に聞いたら、『だって、悟先輩たちはもうすぐ卒業しちゃうからね』…だって。 ぼくだったら、たとえ浅井先輩が卒業しても、きっと、ずっと……。 でも、どんなに好きになったところで、浅井先輩は奈月先輩のものなんだから。 でもでも、想うのは自由だよね。 先輩たちに迷惑さえかけなければいいよね。 この気持ちはぼくだけの大切な宝物なんだから。 ☆ .。.:*・゜ お母さんに、『初詣』だとか『初売り』だとか、いろんなところに引っ張り回された三が日がすんで、1月4日にその電話はかかってきた。 なんと、浅井先輩からで、ぼくはもう、お母さんから受話器を受け取る手が緊張してたりして。 『元気だったか? 風邪ひいてない?』 「は、はいっ。元気ですっ」 なんだか必要以上に張り切った声になっちゃって、ちょっと恥ずかしい。 だって浅井先輩も電話の向こうでちょっと笑ったみたいだし。 『演奏旅行の疲れもとれた?』 「全然、平気ですっ」 そんなことより…。 「先輩は、大丈夫ですか? ものすごく忙しそうだったし…」 『ああ、ありがとな。確かに目が回るほど忙しかったけど、充実してたし、それに何より、これくらいでヘタるような柔な身体じゃないよ』 優しい声でそう言う先輩に、ぼくはほんとに嬉しくなっちゃって。 『でさ、ちょっと聞きたいんだけど』 あ、本題だ。 「はい、なんでしょうか」 3学期にはこれといった行事はないんだけど、なんだろう。 『明日、暇?』 …へ? 「明日、ですか?」 『そう、明日って何か予定ある?』 明日…と言えば、ぼくの誕生日…っていうくらいで別に何にも予定はない。多分、朝になったらお母さんが『プレゼント買いに行きましょ』って言うくらいで。 「いえ、特に何にもないですけど」 なんだろう。何かのお手伝いかな? 『じゃあ、つき合ってくれないか?』 あ、やっぱりお手伝いだ。 「あ、はい、ぼくでよければ」 ぼくなんかで役に立つのかどうかわかんないけど。 でも、浅井先輩に声を掛けてもらえた…って言うだけで、とんでもなく嬉しい。 『じゃあ、明日の10時に……ええと、藤原の家から銀座って、どっちの方が出て来やすい?』 「JRの方が早いです」 『そっか、じゃあJRの有楽町にしようか。10時でも大丈夫?』 「はい、全然大丈夫です」 って、銀座でなにするんだろ? それから先輩は、てきぱきと待ち合わせの場所を決めて、『じゃあ、明日な』って電話を切った。 …そう言えば。 去年の誕生日も先輩と一緒だったっけ。 あの時は表参道で偶然に出会って、ぼくと先輩は、お母さんとお姉さんに置いてけぼりくらって、2人でお茶して楽器屋さんに行って…。 そこで、ぼくたち――『たち』なんて、ちょっとおこがましいけれど――の、思い出の曲になった『花のワルツ』の楽譜を買ってもらって…。 そっか、あれからもう一年も経つんだなあ。 なんか、あっと言う間だった。 …こんな調子であと一年も経っちゃうのかなあ。 そしたら、浅井先輩、卒業だ…。 大学はきっと、悟先輩たちと同じところ。 そうなったら、きっと、もう、滅多に会えなくなっちゃうんだろうな…。 寂しいかも…。 って、子機を握りしめたままどんよりしてたぼくに、お母さんが声を掛けてきた。 「どうしたの? あーちゃん」 「あ、ええとね、明日なんだけど、ちょっと出かけてきていい?」 「あら、誰と何処へ行くの? 明日はあなたの誕生日じゃないの。せっかくどこかへお買い物に行こうかと思ってたのに〜」 ってさ、お母さん。 お母さんの目的ってば、ぼくの誕生日2割、お母さんのお買い物8割…くらいの割合じゃない。 「ん…とね、浅井先輩のお手伝い」 「あら、浅井くんって、あのハンサムな部長さんね」 「そうそう」 「そう言えば、去年の誕生日に偶然会ったわねえ」 「そうそう」 「で、何処へ何しに行くの?」 「えっとね、待ち合わせは有楽町。なんだか銀座に用事があるみたいなんだけど、なんのお手伝いかは聞いてないんだ」 そう言ったぼくに、お母さんは『ふ〜ん』と呟いて、何やらジッとぼくを見た。 「二人きり?」 え? あ、そんなこと考えてなかった。 「どうかなあ。何かのお手伝いだと思うし、それだったら他の人にも声かかってると思うんだけど」 「…そう」 って、どうしちゃったんだろ、お母さんってば。 ぼくと買い物に行けないのがそんなに残念なのかなあ。 「あんまり遅くならないうちに帰ってくるのよ?」 「あ、うん、大丈夫」 浅井先輩は、そういうところ、いつも凄く気を遣ってくれる先輩だから。 「お父さんも7時には帰ってくるから、それからケーキ食べるんだから、ちゃんと帰ってらっしゃいよ?」 やだなあ、お母さんってば、ケーキ食べたいだけなんだ。もう〜。 「うん、わかってる」 「はああ〜。あーちゃんもそろそろ親離れなのかしら〜」 「何、それ」 大げさにため息をつくお母さんに、ぼくは思わず笑ってしまう。 「何のご用だか知らないけれど、あーちゃん、先輩の足手まといにならないようにしなきゃダメよ?」 「あ、うん、がんばる」 って、何をがんばったらいいのか、まだわかんないけど。 でも、ぼくはここのところ、かなり嬉しい。 それは、去年の秋の終わり頃から、浅井先輩のあの『不機嫌』がなくなったからだ。 理由は結局全然わからなかったんだけど、きっと先輩にも何か悩みとかがあったんじゃないかなあ…って勝手に推測してる。 でも、きっとそれも解決したに違いない。 だって、あの頃から先輩は、それまでと同じように優しくて、頼もしくて。 ぼくは一番大きな心配事がなくなって、本当にホッとしていたんだ。 けれど、そうなると、欲張りなぼくの心には、また新しい痛みが生まれてきた。 それは、浅井先輩と奈月先輩のこと。 先輩たちはいつも一緒にいる。 それは当たり前なんだけど。 だって、同じ部屋で同じクラスで同じ部活の同じパート。 その気がなくても一緒に居ざるを得ないけれど、でも先輩たちはいつも仲が良い。 浅井先輩は奈月先輩を頼りにしてるし、奈月先輩もそう。 まさに、2人で一つ…って感じ。 それはみんなも認めている。 『お似合いだよねー』とか、『あのカップルには誰も割り込めないよなあ』とか。 もちろんぼくだって認めている。 そして、浅井先輩も奈月先輩も大好き。 だから、先輩たちが仲良くて、幸せそうなのは、ぼくにとっても嬉しいことのはずなのに。 でも、ぼくのどこかがいつもチクチクと痛んでいる。 困ったなあ…。いくら痛くても、仕方のないことなのに…。 って、またしてもぼんやりしていたぼくの耳に、電話の着信音が届いた。 握りしめたままの子機を『通話』にして、慌てて耳にあてた。 「もしもしっ」 慌てた所為で、またしても妙に張り切った声になったぼくに、ちょっと笑ったような声で『先輩、こんにちは』と、声を掛けてきたのは初瀬くんだった。 「あ、初瀬くん?」 『はい。明けましておめでとうございます』 「うん、おめでとう〜」 『今年もよろしくお願いします』 「うん、よろしくね」 ほんと、よろしくお願いしなくちゃいけないのはぼくの方だ。 お兄さんの代わり…なんて偉そうなこと言っておきながら、実は面倒見てもらってるのはぼくのほうだったりするし…。 『今、いいですか?』 「うん、大丈夫だよ」 それから、演奏旅行の話とかをちょっとした後、初瀬くんは明日のぼくの予定を聞いてきた。 「あ、明日?」 『はい。もし昼間のご都合が悪くなければ、うちへご招待したいな…って思って。先輩、お誕生日でしょう?』 「え、どうして知ってるの?」 びっくりした。誕生日って、言った覚えなかったから。 『ええと、管楽器の先輩に聞きました』 なんだ、そうか。 『で、うちの母も張り切ってケーキを作るって言ってるんですが…』 わ…どうしよう…。お母さんまで…。 「あ、あの、あのね」 慌ててしまったぼくの口からは、上手い具合に説明できる、気の利いた言葉なんて出てこなくて。 『もしかして、先約あり…ですか?』 「ご、ごめんねっ」 先回りしてくれた初瀬くんに、ぼくはものすごく感謝して――って、いつもこんな感じなんだ。初瀬くんはいつもぼくの先にいて、ぼくが動きやすいようにしてくれる――正直に、明日は約束があって…と、どうにか言った。 でも、こんなんじゃダメだよね。 だって、ぼくは初瀬くんのお兄さんの代わりをしっかりつとめなきゃいけないのに。 『…じゃあ、明後日…はダメですか?』 「あ! 明後日は大丈夫!」 『じゃあ、明後日の時間をもらってもいいですか?』 「うん、ぼくの方こそ、そんな風に気を遣ってもらっちゃって…」 『いえ、母も僕も楽しみにしてるんです。勝手言ってすみませんが、よろしくお願いします』 あくまでも謙虚で優しい初瀬くんは、いつもこんな感じでぼくに気を遣ってくれて…。 「初瀬くん…」 『はい?』 「ほんと、ありがと…」 蚊の鳴くような声になってしまったぼくに、初瀬くんは『とんでもないです』って、ちょっと照れたように返してくれた。 |
【2】へ続く |