Op.3
幕間 「ララバイ」

【4】





 これで何度目のコールだろうか。

 最後には留守番サービスに繋がるのだから、電源を切っているわけではない。

 携帯を持ったばかりだと、着信音にも気付き難いということはあるだろうが、あらかじめ『2時間ほど』と伝えてあったし、連絡を取り合って合流する約束だったのだ。

 ならば、頃合いの時間になれば、電話に注意を向けるのが普通だろう。

 またしても留守番サービスに繋がってしまった通話を切って、直人はほんの少し考えると、違う番号へとかけ直す。

 今度の相手はすぐに出た。

「ああ、悟か」

 電話の向こうでは、悟が心配げな声で応対した。

 直人の声色に、昇に何かあったのかと考えたのかもしれない。

 そう、何かあったのだ。多分。

 直人の不安が急速に膨らむ。


「昇から何か連絡はないか?」

 あって欲しい。
 そう願ったのだが、悟の答えはその希望を砕くものだった。

「昇と連絡が取れないんだ」

 途中で昇が車を降りたいきさつなどを話し、学校での用を終えて迎えに行こうと何度も電話をしているのだが繋がらないと説明しているうちに、さらに嫌な予感が膨らんでいく。


『先生、昇はどのあたりで降りたんですか?』

 いつもは冷静な悟の声にも焦りの色が混じる。

 そして、だいたいの位置を確認すると、確かめたいことがあると言って一旦通話を切ったが、5分もしないうちにかかってきた。

 だが、電話の主は葵だった。


『先生っ、昇、シャロンさんに会いに行ったようです』

「なんだって?」

『シャロンさんの泊まってるホテルがそのあたりなので、悟が電話で確認しました。そしたら、確かに来たって』

「それでっ」

 まさか監禁でもされているのではないだろうなと、直人の心臓が早鐘を打った。


『でも、すぐに帰ったって言うんです』

 そんな不自然なことがあるわけがないと、直人は唇を噛んだ。

 会いに行った理由も謎だが、そのまま消えてしまうのもまたあり得ない話で…。


『悟と守がホテルへ向かいました。僕は、もしかしたら昇が戻ってくるかもしれないので、ここで待っています』

 本当は自分も飛んでいきたいのだろう。

 そんな様子がありありと声に現れているが、恐らくは悟が下したであろう、『葵は置いていく』という判断に従ったのだろう。


「わかった。頼む。それで、香奈子先生は…」

『先生、緊急の教授会が入って、大学に行っちゃったんです。会議中らしくて携帯の電源切れてて…。とりあえず、すぐに連絡下さいって、メールはしたんですけど…」

「…そうか、じゃあ連絡があったら、こっちへも知らせてくれ」

 そうして、葵の了解の返事を聞き、通話を切った。 

 その直後。


 ――昇……!


 直人の携帯が振動し、液晶画面には昇の名が現れた。

「昇っ?!」



                  ☆ .。.:*・゜



 いつの間にか、ぼんやりと座っていたのは駅のホームのベンチだった。

 ここから電車に乗れば、聖陵学院の最寄り駅――つまり、直人のマンションへ行けるのだが、はっきりとそう認識してやって来たわけでもない。

 すでにいくつも電車を見送って、どこを見るともない視線を漂わせて、ただぼんやりと考える。


 ――父さん、このこと知ってるのかな…。


 もしかして、父親もだまされているのだろうか。
 それとも、わかっていて認知したのだろうか。

 そして、母も…。

 母・香奈子とは最初から血の繋がりが無いことがわかっているが、それでも母は、実子の扱いで育ててくれた。

 だから、母のことを養母だと思ったことは一度もない。
 いつも実母だと思って――いや、思うほどの隙間もなく――接してきた。

 けれど、それは自分が、悟と同じく赤坂良昭の子であるからだ。


 ――母さんも、やっぱり知らないんだろうな…。


 では、自分は何処へ行けばいいのか。
 父とも母とも、兄弟たちとも血の繋がりのない自分は、いったい何処へ…。

 誰とも繋がっていない自分を愛してくれる人は何処にいると……。


『昇。大学に入学したら、籍を入れよう』


 ――……直人…。


 不意に、卒業式の夜、直人に言われたことを思いだした。


『日本の法律では親子にならざるを得ないけれど、でもこれは『結婚』なんだからな。浮気なんて絶対許さないから覚悟しろよ?』


 そう言って、笑いながら抱きしめてくれた、暖かい腕。

 それは、自分を守り、慈しみ、愛してくれる暖かさで…。


 ――そうだ、直人…!


 すっかり忘れていた。直人の家へ行くはずだったのだ。

 慌てて携帯を取り出してみれば、直人からのいくつもの着信履歴が並んでいた。


 ――大変っ。きっと心配してる…っ。


 焦る余り震えてくる指でどうにかメモリのNo.1を押す。

 コールする音は、たった1度しか鳴らなかった。

『昇っ?!』

 聞いたこともないほど、焦った声。

 いや、聞いたことはあるかもしれない。
 高1の春、変態体育教師に襲われかけた時、駆けつけてきた直人はこんな声をしていた。

 今になってみれば、あの時の直人の怒りがよくわかる。

 そう言えば、件の体育教師は翌日には懲戒解雇になっていたのだが、そのスピード処分の黒幕が直人だったと知ったのは、卒業間近のことだった。


『何処にいるんだっ、返事しろ!』

 口調は乱暴だが、何だか嬉しい。

「…直人…」

『昇…』

 やっと返事をした昇に、直人が安堵の息をついた。

『昇、今どこにいるんだ?』

「…ええとね…」

 自分でもいったいどこに来たのか定かで無くて、あたりを見回すと、駅名が目に入った。

「あのね、駅のホームなんだけど…」

 駅名を告げると、直人はそこから動くなと言った。
 すぐに行くから待っているようにと。



 どこから駆けつけてきたのか、直人は本当に、すぐに現れた。
 階段を駆け上がってきて、真っ直ぐにこちらへ走ってくる。

 その時。

「きみ、ずっとここにいるけど、どうしたの?」

「暇なら俺たちと遊ばない?」

 見上げれば、どこをどう好意的に評価したところで遊び人にしか見えない数人が昇を囲んでいた。

 普段の昇なら『ばっかじゃないの?』と一喝し、『自分の顔、鏡で見てから誘ってよね』などと煽りまくるところだが、この時はすでに思考が疲弊していたため、ただ、ぼんやりと見上げてしまうばかりで、その瞳の揺れがかなり危うい色を放っていることに、もちろん本人は気がついていない。

 ゴクッと喉を鳴らした1人が、昇の腕を掴んだ。

 が、その手が取り上げられて、捻られる。

「離してもらおうか」

「…な、なんだよっ、あんたっ」

「昇、行くぞ」

「ちょっと、おいっ、この子は俺たちが…」

「私はこの子の保護者だ。文句があるなら警察へ行こうか」

 眼力だけで人が吹き飛ばせるとしたら、こういう感じなのだろうか。

 言葉も出せずに後ずさる男たちを残し、直人は昇の手を引いて、駅を出た。

 とりあえず身柄を確保できたことに安堵して、とにかく悟たちに知らせてやらなければと、携帯を取り出した直人の手を、昇が止めた。

「昇? どうした、みんな心配してるんだぞ?」

「だめ、連絡しないで」

 様子がおかしいのはわかっていたが、これはかなり不可解な状態で、直人も困惑を隠せない。


「僕、のど乾いた」

 ポツッと呟いたのを捉えて、直人はとりあえず、話を聞くのが先かと、駅に隣接するホテルのティーラウンジへと昇を連れていった。



                   ☆ .。.:*・゜



「えっと、苺のショートと洋梨のチーズケーキと抹茶のムース」

 確か『のどが渇いた』と言ったはずなのに、昇はワゴンでやってきたケーキを次々と注文する。

「太っても知らないぞ」

 半ば呆れてそう言うと、昇はプイッと視線を逸らして『いいの、ストレス溜まってるから』と言う。

「昇…」

 いったい何があったんだ…と聞こうとしたのだが、それは昇に遮られた。

「直人は僕のどこが好きなの?」

 今さらなんだ…と言いたいところだが、ここは素直に応えてやるべきだということは、大人ならわかることだろう。

「そりゃ決まってるじゃないか。跳ねっ返りなところだろ、我が儘なところだろ、甘えん坊なところだろ…」

「それって誉めてないじゃん」

 プクッと膨れる昇に、そんな表情も『好きなところ』の一つなのだと言ったら、きっと昇はもっと膨れるだろうが。

「今は誉めて欲しくない気分のように見えたからな」

 そう言って笑う直人に昇は目を瞠り、そのまま縋るように問うてきた。

「…じゃあ、この髪の色と目の色は?」

 ――昇……。

 それは、直感だった。やはりシャロンとの間に何かがあったのだ。

 だが、いきなり問いつめても無理かもしれない。
 そう思い、直人は無理に笑顔を作った。

「そんなに気になるなら、一度黒髪に染めてみるか? 目だって今はカラーコンタクトって便利なものがあるからな。髪も瞳も黒になったら、多分かなり葵に似ると思うぞ、お前は」


 ――そうだ、葵に似てるんだ、僕は。


 それは、良昭の血の繋がりしか考えられない結果ではあるのだけれど。


「面白そうだな。一度やってみるか? で、聖陵の制服を着て葵と入れ替わるんだ。誰が一番に気がつくか。見物だぞ」

 笑う直人に、昇もやっと笑顔を見せる。

「でも、フルート吹いたらすぐばれるじゃん」

「ああ、なるほどな」

 可笑しそうに笑う直人に、ふと、甘えたい気分になった。

「ね、直人は僕が太っても好きでいてくれる?」

「そりゃ、外見がどうなろうと中身が昇だからな。だがな、今はちょっと痩せ過ぎているから、適正体重になるのはかまわないが、それ以上はだめだ。 太ると病気のリスクが上がるからな。特にお前は半分白人なんだから、もしかしたら、東洋人より太りやすいかもしれないだろう? だから気をつけるに越したことはない」


 ――半分白人…。


「…違うよ」

「昇?」

「半分白人じゃなくて、多分、全部白人だと思う」

「なんだって?」

 どう言うことだと問い返す。

 そして、返ってきたのは、あまりにも意外な言葉だった。


「…僕、父さんの子じゃないんだって」

 直人が目を瞠る。

「…ちょっと待て。誰だ。誰がそんなことを…」

 この流れでは、シャロン以外に犯人は見あたらないだろうが、直人も驚きのあまり、思考が停滞しかかっている。

 昇もまた、誰が…とは言わずに俯いてしまった。

 しかし、聞いたことがない、そんな話は。
 もし本当にそうならば、香奈子は自分には打ち明けてくれているはずだ。


「昇、ちゃんと、教えてくれ」

 とにかくきちんと聞いてみないことには対処のしようがない。

 口が重くなった昇から聞き出すのは骨が折れたが、それでも大筋で話を掴んだ直人は立ち上がった。


「行くぞ、昇」

「…直人?」

「彼女に会って、直接聞く」

 2人がいたホテルから、シャロンが滞在しているホテルまでは、車で10分ほどだった。

 地下のパーキングに車を入れ、ロビーに上がってみれば、正面玄関から悟と守が小走りにやってくるところだった。

「「昇!」」

 2人同時に声を上げ、駆けてくる。

「よかった…昇、心配したんだぞ」

「どこで何やってたんだよ、まったく…」

 ところが。

 昇は2人の姿をみるなり、直人の後ろに隠れてしまったのだ。

「…昇?」

 驚きの視線が直人に向けられ、『どういうことですか』と問うている。

「今事情を話すが、ちょっと待ってくれ」

 2人の疑問の視線をとりあえずやり過ごし、直人は昇の手を引いたまま、フロントへ向かった。

 もちろんシャロンに取り次いでもらうためだったのだが、ホテル側の返答は思いもよらないものだった。


『シャロン・ギューム様は、先ほどチェックアウトされましたが』


 月末までの滞在予定だったのだが、予定が変わったと言って、急に引き払ったと言うのだ。


 ――なんて事だ…。


 怒りがこみ上げてきたが、ここで暴れても仕方がない。

 直人は再び昇の手を引っ張りながら、ロビーで不安げに待つ悟と守の元へ戻った。

「桐生家へ帰るぞ」

「先生、いったい何が」

 直人と悟のやりとりに、昇がギュッと俯いた。

 そんな昇に、守が手を伸ばした。

「お前…いったいどうしたんだよ」

 だが昇は、またしてもそれを避けるようにして、直人の後ろへ隠れてしまったのだ。

「…先生…」

 守の不審そうな顔に、直人は深刻な表情で頷いた。



【5】へ続く

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