Op.3
幕間 「ララバイ」

【5】





 葵に、昇の捕獲と帰宅を伝えると、悟は助手席の昇に声をかけた。

「昇、何があったのか、話してはくれないのか」

 俯いたまま、応えない。

「…ふん、俺たちじゃアテにならないってか」

 煽るように守が言い放つと、昇はビクッと身体を揺らし、やがて消え入りそうな声で呟いた。


「…そんなんじゃ…なくて…」

 そんな様子を横目でチラリと確認し、直人は表情をさらに曇らせる。

 昇の気持ちはだいたい想像がつく。

『兄弟ではない』という事への遠慮だ。


「昇。自分の口からちゃんと説明した方がいいと思うぞ。ただし、私は納得していないがな」

 後部座席では、悟と守が息を詰めている。

 それでも昇はしばらく沈黙を守っていたが、やがて小さく息を吐き出して、顔を上げた。


「…僕、父さんの子じゃないんだって…」

「え?」
「なんのことだ?」

 回転が早いはずの2人の頭も、瞬時には理解できなかったようだ。

 それほどに、唐突で意外な話なのだ、これは。


「だから、僕は赤坂良昭の子供じゃないって事」

「だったら誰の子なんだよ」

 くだらない事言うな…と、守は手を伸ばして昇の頭を後ろから小突いた。


「そんなこと、知らないよ」

 バックミラー越しに、悟と直人の目があった。

 驚きを通り越しているような悟の瞳に、直人は頷いて見せる。

「私もついさっき聞いたところなんだ」

 声色に動揺が滲んだ。

 その様子に、守が低い声で言った。

「…そんなつまんねえこと吹き込んだの、あの金髪のエイリアンだろ」

 昇が、再び俯くことでそれを肯定する。

「はっ、ばかばかしいっ」

「昇、僕たちそんなことは一度も聞いたことはないし、あり得ないと思う」

「…でも、僕は生まれるはずがない色をしてるんだ!」

 昇の言葉に、悟と守が顔を見合わせる。

「それって、何が根拠なんだ?」

 悟の問いに、昇は見聞きしたことを、ポツポツと語った。

 だが、すべてを聞いても納得できないのは当たり前のことだった。

「昇…僕たちはそんなこと信じない。お前は、僕の弟だ」

「そ。でもって、俺と葵の兄貴だ」

 たった3ヶ月だけどな…と、笑ってみせる守にも、だがすでに余裕はなかった。



                   ☆ .。.:*・゜



「おかえりっ!」

 葵が玄関まで飛び出してきた。

 昇の腕を掴むと、そのままリビングへと引っ張っていく。

 香奈子はまだ帰宅していないらしく、佳代子は心配げにお茶の用意をすると、葵に『後はお願いします』と目配せをして、下がっていった。


「香奈子先生、あと30分もすれば帰って来られると思います」

 葵の言葉に、直人が頷く。

 とにかく、シャロンに接触できない以上、香奈子と話すのが最優先事項だろう。


「…なにがあったの? 昇」

 顔を覗き込んでくる葵に、昇は思わず視線を逸らし、その様子に驚いた葵の肩を、悟が抱き寄せた。

 そして、昇に代わり、悟が大方のことを説明すると、葵は驚きのあまり絶句して昇にしがみついてきた。

 そんな葵に、昇は驚いたが、引き離しはしなかった。
 ただ、しがみつかれるがままで。


「いいか、昇。劣性遺伝というのは、『現れ難い』という事であって、『あり得ない』ということではないんだ。だから、日本人と白人の間でも、昇のような色は出る可能性はあるんだ」

 直人が諭すようにゆっくりと話しかける。

 だが昇は即座に反論した。

「そんなこと、知ってるよ。でも、有色の側に、金髪や碧眼の因子がないと、その可能性もないんだから」

 その言葉に、直人・悟・守は押し黙ったのだが。

 昇にしがみついていた葵が、ぴょこっと顔を上げた。


「え、それじゃあ、全然OKじゃない。なんでみんな、そんなに深刻になってんの?」

 たった今まで、半泣きの形相でしがみついていたとは思えない脳天気な口調に、一同が呆気に取られる。


「葵…それはどういうこと?」

 悟が怪訝そうな顔を見せる。

「どういうことって…。まさか……もしかして、みんな知らないの?」

「何がだよ、葵」

 守の腰が浮いた。

 直人も、無言のまま葵を凝視し、昇もまた目を見開いたまま、葵の次の言葉を待っている。

 そこへ落ちてきたのは、彼らにとって、まさに『青天の霹靂』だった。


「僕たちの『曾お祖母さん』、イギリス人だって」

「は?」

 直人も初耳だったらしい。

「え?」

「何?」

 悟と守も絶句する。

「…うそ」

 ぽかんと口を開けたのは、昇だった。

「え〜! 何でみんな知らないの〜っ?!」

「って、何で葵だけ知ってるんだよっ」

 昇が葵を揺さぶった。

「何でって、ほら、去年の秋に…」


 葵の話はこうだった。

 つまり、昨秋、週刊誌に写真を撮られたあの晩のこと。

 良昭のマンションへ行った時、チェストの上に飾られた、たくさんの写真を見て、説明してもらったのだと。

 その中に、金髪の美しい人が振り袖姿で写っているセピア色の古い写真があって、誰かと聞いたら、『お前たちの曾お祖母さんだよ』と、教えてくれたと。


「お父さんのね、お母さんのお母さんだって言ってた」

 でも、まさかみんなが知らなかったとは思ってなかった…と葵は小首を傾げ、話を続ける。

「お父さん自身もね、小さいときに亡くなったお祖母さんだから、あんまり覚えてないって。でもお父さん言ってた。昇と僕の口元がよく似てるのは、曾お祖母さんの血かも知れないって。唇が薄くて小さめなところとか形とか、そっくりだって。そうそう、髪の色とか、くせ毛の柔らかそうな感じは特に昇によく似てるよねって話してたんだ」

 隔世遺伝っていうのかなあ…と、葵は昇の柔らかい髪を、いい子いい子…と撫でている。

「ってことは、父さん自身がクォーターだってわけか」

「ってことは、俺たちは8分の1だ。…や、まてよ、俺はその後半分アメリカ人混じってるし、昇はフランス人だし…って、ええいっ、ややこしいな。ともかく昇、お前、宝くじ買え」

「は? 何で」

「何でって、遺伝でこれだけの確率が引き当てられるんだ。絶対1等2億円GETだぜっ」

「え〜! ちょっと待てってばっ。まだ完全に…」

「昇っ!」

 香奈子がリビングに飛び込んできた。

「あなたっ、何やってたのっ。心配するじゃないのっ」

 血相を変えている香奈子など、滅多に拝めるものではなくて、葵も目を丸くしている。

「…ごめんなさい…」

「いったい何があったの?」

「…ええと…」

 どうしよう…と、助けを求めるような視線で見上げられ、直人が苦笑して香奈子に向き合った。

 問題はほぼ解決されたが、香奈子にはきちんと話して置かなくてはいけないし、シャロンのこともある。

「実は…」



                  ☆ .。.:*・゜



「何、それ」

 香奈子は呆気に取られた後、大声で笑いはじめた。

「それ、良昭にも聞かせてやりたいわね〜」

 あまりにバカバカしかったのだろう、香奈子の笑いはなかなか止まらなかったが、ふと真顔になって、昇に手を伸ばした。

「でも…」

 その手で強く、昇を抱きしめる。

「傷ついたわね、昇。…可哀相に…」

「…かあさん…」

「良昭のお祖母様がイギリス人だっていうのは確かに聞いたことがあるわ。でももう随分前に一度聞いたきりだから、すっかり忘れていたし、良昭自身があの通り、これっぽっちもクォーターに見えないしね」


 昇を抱きしめていた手を離し、今度は両手をしっかりと握る。

「それにね、あなたと良昭の親子関係については証拠があるのよ」

「証拠?」

「そう、極めて医学的な…ね。記録もちゃんと残っているわ。ただ、昇には愉快な話ではないと思うの…」

 それでもいい?…と尋ねると、昇は力強く頷いた。

「いい。構わないから、聞かせて」

 その言葉に、香奈子は微笑んだ。

「すべてはね、あなたがこんなに綺麗な髪と瞳を持って生まれてきたことにあるのよ」

 香奈子は昇の髪を撫で、18年前の出来事を語りはじめた。



                   ☆ .。.:*・゜



 生粋のフランス人であるシャロンの父は、東洋人に激しい偏見を持っていて、シャロンの妊娠について、相手がわかった途端烈火の如く怒った。

 ギューム家にアジアの血が混じるなど絶対に許さないと、断固として出産を認めなかったのだが、シャロンは演奏会場から姿を消す…という形で父の元から逃れ、医師をしている友人の元に身を寄せて昇を出産した。

 ところが、生まれてきた昇の姿を目にして、これはもしかしたら東洋の血は入っていないのでは…と感じたシャロンの父は、もしそうであるのなら、赤ん坊を引き取ることもやぶさかではないと、医学的な鑑定を命じたのだった。

 だがフランスの病院での鑑定結果は紛れもなく良昭との親子関係を示した。

 諦めきれなかったのか、アメリカでの再鑑定を求めたが結果は同じだった。

『彼がMr.Akasakaの実子であるという可能性は、99.999%です。疑いようがありません』

 医師が結果を示してそう告げたとき、昇を抱いていたのは香奈子だった。

 ギューム家の当主はそのまま物も言わず、一度も振り返ることなく立ち去り、シャロンは『いくら調べたところで、この子は本当に良昭の子だもの…。それは私が一番よく知っているわ』…と、呟き、昇の頬にキスをした。

 こうして、実家から孤立した状態で、たった一人で昇を守っていく自信のなかったシャロンは、昇の未来を香奈子に託したのだった。


「でもね、シャロンはあなたを手放すことを、躊躇いはしたの。でも、考えた末に私に言ったわ。この子はここにいても幸せになれない…って」

 誰もが黙って聞いていた。

 だが、流れる空気は先ほどまでと違い、暖かい。

 悟が静かに言った。

「これで昇が僕たちと血を分けた兄弟ってことは証明されたけれど、でもそんなこと、本当に大切なことじゃあない。血も人種も生い立ちも、何も関係ない。僕たちが兄弟であること、それはただ一つの真実だから」

 その言葉に、昇の目尻から涙がこぼれ落ちた。
 それを見て、葵がすかさず昇を抱きしめる。

「えへへ。昇ってやっぱり守ってあげたい…って感じ」

「葵〜、弟のクセに生意気だぞ〜」

 葵に言われてりゃ世話ないと、悟と守は肩を竦め、直人と香奈子は顔を見合わせて、ホッとしたように笑い合った。


 ふと、昇が真顔になった。

「葵…ごめん。演奏会前の大事な時に」

「何言ってんの。昇より大事な演奏会なんてないよ」

「お。『末っ子』のクセに頼もしいじゃん」

 守はどうしても『末っ子』を強調したいらしい。

「へへっ、僕は『おにいちゃん』に負けない強い末っ子を目指すんだ〜」

 葵もまた『おにいちゃん』を強調して、えっへんと胸を張る。

 そんな葵の様子に悟は、『心配しなくても、今でも最強の末っ子だって…』と、葵にわからないようにこっそりと笑った。



【6】へ続く

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