Op.3
終幕 「薔薇の騎士」

【1】





 3月の末に演奏会を無事終えて、僕は残り少ない春休みを、悟と一緒に楽しんでいる。

 10日の、悟の19歳の誕生日当日には、僕はもう学校が始まっててお祝いできないから、先にプレゼント買いに行ったり、テニスに行ったり、映画を見に行ったり。


 あのあと、お父さんはすぐにドイツへ戻っていった。

 結局日本で一度も食事を摂らないままのとんぼ返りで、守は『あれはさぞかしマイルが貯まってるだろうなあ』って笑ってたけど、僕としては身体が心配だ。

 お父さんは『そんなに柔じゃないよ』って笑うんだけど、香奈子先生に『そろそろ若くないんだから』って言われてちょっと憮然としてたっけ。

 40ちょっとでそう言われちゃ、可哀相な気もするけど。


 そうそう。シャロンさんも翌日には日本を発った。

 やっぱり、かなり強引に今回の演奏会を入れたらしく、その上相当スケジュールをやりくりして日本に滞在していたみたいで、『これ以上のんびりしてたら仕事がなくなっちゃうわ』っておどけてた。

『また来てもいいかしら…?』って昇に聞いたら、『来たけりゃ来れば?』って言ってもらった…って喜んでたっけ。

 確かに、昇と守のお母さんは香奈子先生だけれど、せっかく『産んでくれた人』が健在なんだから、こうして少しずつでも距離が縮まればいいな…って僕は思っている。

『親孝行、したい時には親は無し』って言葉、僕は身に滲みているから。

 でも、幸い僕にはまだお父さんがいて、そして香奈子先生がいて、今は遠く離れているけど栗山先生がいて…。

 その他にも、たくさんの人に育ててもらった僕だから、その一つ一つの『縁』を大切にして、いつか恩返しができるように、毎日を頑張ろうと思ってる。

 今度母さんに会ったときに、『葵、ようがんばったなあ』って誉めてもらえるように。





「ただいま〜」

 あ、香奈子先生と守だ。

 2人は買い物に行ってたんだけど、先生ってば、『男の子って、大きくなったら荷物持ちに使えて便利ね』なんて言うんだ。

 守は『もちろんただ働きする気はないぞ』って強気なんだけど。

 でも僕知ってるんだ。
 守がおねだりするお駄賃って、『○○のケーキ』とか『☆★のプリン』とかそんなのだもん。
 しかも、僕にも買ってきてくれるし。


「おかえりなさい〜」

 迎えに出ると、山盛り荷物を持たされた守がいた。

「葵、お前、俺に感謝しろよ?」

「え? 何かあったの?」

 荷物の一部を引き取りながら尋ねると…。

「母さんってばさ、真っ白のレースのフリフリワンピース見て、『これ、葵に似合いそうね』って、危うく買うとこだったんだぜ?」

 …げ。

 よし、今年度の目標に『脱・美少女』を追加しよう。
 ついでに聖陵祭の女装も断固お断りだっ。

 …って、かなり情けない目標だよなあ…。


「俺が止めなきゃ、マジで買いそうだったからなあ」

「うー、ありがと、守ー」

「や、でもな。俺もちょっといいなとは思ったんだけどさ」

「はい〜?」

「まあな、母さんの気持ちもわかるんだ。『なんでみんな男の子なの〜。1人くらい女の子がいてもよかったのに〜』ってのが口癖だからな。末っ子ちゃんに期待してんじゃねえの?」

「なんの期待だよっ。それに、なんで僕がそんな情けない役割しなきゃいけないのっ」

「なんでって、俺言ったじゃん。『末っ子って情けない立場、葵に譲った』ってさ」

「ひど〜い!」

 なーんてじゃれていたんだけど…。

 ふと、思いついた。


「ねえ、昇って、もうすぐお嫁に行くんだよねえ」

「ああ、そうなりそうだな」

 昇の今後の生活がどうなるかはまだわからないけれど、いずれにしても、先生の籍に入る日は近いはず。

「昇がお嫁に行くときに、香奈子先生の願いが少しでも叶うといいね」

 先生と昇は、きっと書類だけ提出して終わりにするつもりに違いない。

 あ、2人で何か記念になることをするかどうかは知らないけど。


「なんだ。二人して顔つき合わせて何の相談だ?」

 悟が2階から降りてきた。

 悟は休み中でもきちんと毎日練習してる。

 もちろん僕もしてるけど、悟と同じ時間やっちゃったら、唇腫れちゃうから、そんなに長い時間は吹かないんだ。

 あ、ピアノの練習も朝晩ちゃんとやってるけど、これも悟と同じくらいやっちゃったら手を痛めるからダメ…って香奈子先生に言われてる。


「ね、悟、守。ちょっと相談があるんだけど」

 僕は、昇に関するちょっとした思いつきを2人に話すことにした。

「ね、香奈子先生が、そのフリフリのワンピースを見たとこって、ハンカチ売ってた?」

「え? ハンカチ?」

「そう、フリフリのレースのハンカチ。できればちょっと大きいのがあったらいいんだけど」

「え〜…注意してみてなかったからなあ…。でも多分あると思うぞ。レースの雑貨もいっぱいあったと思うから。でも、なんでまたハンカチなんかがいるんだ?」

「えっとね…」



                   ☆ .。.:*・゜



 悟たちの入学式を翌日に控えた午後。

 2日から旅行に行ってた昇と先生が桐生家に帰ってきた。

 先生は、この春休みはすっかりこの家の人になっていて、藤原くんのコンクールと僕の演奏会、そして昇との旅行…に行っていた以外はずっとここにいた。

 一応まだ昇とは別の部屋で、僕の部屋の向かいにある客間が先生の部屋になってるんだけど、毎晩昇が潜り込んでたの、知ってるんだ。

 もちろん、僕の部屋にも悟が潜り込んでるから、お互いさま…なんだけど。

 ほんと言うと、先生がここに住んでくれたらなあ…って思うんだ。
 そうすれば、昇もずっとここにいられるし。

 でも、ここから聖陵は遠くて、とてもじゃないけど通勤なんて無理。

 しかも先生には管弦楽部の顧問…っていう責任ある仕事もあって、多分これからも、学校がある期間中は今まで通り、校内在住…って感じなんだろうと思う。

 だったら、せめて休暇中は…なんて思ってるんだけど。

 そうそう。
 昇はこの春休みから、佳代子さんにお料理を習ってる。

 もちろん、先生につくってあげるためなんだけど、佳代子さんは『和・洋・中・甘』なんでもござれの人だから、昇の腕もあがりそう。

 あと、アイロンの掛け方とかも教えてもらってるみたい。
 掃除と洗濯は、6年間の寮生活のおかげでばっちりなんだけどね。


「葵、お茶が入ったから、悟と守を呼んできて」

「はーい!」

 先生と昇が色々おみやげを買ってきてくれていて、これからそれを広げながらお茶が始まるところ。

 みんなが集まるの、4日ぶり。嬉しいな。



                    ☆ .。.:*・゜



 おみやげで盛り上がり、おみやげ話でまた盛り上がり、大笑いしたあとで、光安先生が香奈子先生に話があると言いだした。


「明日、入学式の後、入籍したいと思います」

 …ついに来た。
 昇が、お嫁に行っちゃうんだ…。

 香奈子先生も、覚悟していたとは言え、とうとう来たか…って感じで、ちょっと寂しそうに笑って答える。

「わかりました。昇のこと、どうぞよろしくお願いいたします」

「ありがとうございます。必ず、幸せにします」

 う〜。センセ、かっこいい〜。
 昇も真っ赤になって、嬉しそう。

 でも、やっぱり寂しいかも。

 昇、先生のうちに行っちゃうのかなあ…。


「ところで、今後の昇の生活は、どう考えてらっしゃるの?」

 香奈子先生が、優しいけれど、毅然とした口調で尋ねた。

 先生は、入籍は認めるけれど、連れていくのはもう少し先にして欲しいと思ってる。

 もちろん僕も…なんだけど。


「そのことですが、昇ともゆっくり相談したのですが、やはり、新しい環境に慣れない間はここから通うのがいいと思います。私は、学期中はほとんど校内にいますので、不慣れな環境の中で昇を1人、マンションに残しておくのは可哀相ですし、心配です。 いずれ、昇が自分の生活のペースを掴んで、余裕ができてきたら少しずつ…と考えています」

 香奈子先生が頷いた。

「その代わり、休みの時にはこちらへお邪魔するか、昇を連れていきたいと思っています。それで、よろしいでしょうか」

 …昇は、もしかしたらこの選択は寂しいのかもしれない。

 だって、聖陵から先生のマンションまでは歩いて15分。
 でも、こことの距離は、車でも、すごく空いてる時間帯で45分、普通は1時間ちょっと――渋滞したら2時間近く――もかかる。

 でも、いくら近いとは言え、昇を1人残しておきたくない…っていう先生の気持ちもよくわかる。心配だと、仕事も手につかないもんね。


「私たちにとっては願ってもいないことです。直人くん、ありがとう」

 香奈子先生が微笑んだ。

 僕も、嬉しい。
 だって、帰ったら昇がいるんだもん。

 や、ちょっと待てよ。昇が先生のマンションにいるとしたら、普段の僕との距離も15分だ。今年一年は。

 ってことは、僕的にはその方が…えーっと、えーっと…。

 って、ぐるぐる考えたんだけど、悟と守もホッとしたみたいだったから、ま、いいかと思うことにした。


「で、直人くんにお願いなんだけど」

 香奈子先生がうふふ…と笑う。

「明日、入学式後に籍を入れたら、また2人でここへ戻ってきてね」

「あ、はい、それはもちろん」

 うん。先生は、どのみち昇を送ってくるだろうと思うんだけど。

「入学と入籍のお祝いをしましょ。佳代子さんも、張り切って準備してくれてるから」

 わーい、パーティだ〜。
 佳代子さんに、バケツプリン作ってってお願いしよう〜。


「ありがとう、ございます」

 先生が、少し言葉を詰まらせた。

「こんな風に祝福していただけるなんて、私も昇も幸せです」

 だね、センセ。

 でも、ずっとずっと思い合って、でも我慢しなきゃいけなかった時間も結構長くて、やっと一緒になれるんだもんね。

 ほんと、よかった。

 …って、僕も思わず涙ぐみそうになった時。


「明日はね、良昭も来るの。だからちゃんと、『お嬢さんを下さい』っての、やってね」

 リビングを席巻していた感動の嵐が吹き飛んだ。

 お父さん…来るんだ。
 えっと、そりゃあ入学式だから…だろうけど。

 ちらっと先生を見ると、目が泳いでる。


「センセ、ぶっ飛ばされるかも…って覚悟してる顔だな」

 僕の耳元にそう囁いて、守がクスッと笑った。

「仕方ないさ、避けては通れないからな」

 悟が小さく言う。

「お。悟は余裕だねー。栗山センセにカムアウトしちまってるから、ぶっ飛ばされる相手、もういないもんなー」

 あ、そうか。
 栗山先生がいいって言ったから、もういいんだ。香奈子先生も…だし。ついでに言うなら、お父さんも…だし。

「ま、日頃の行いってやつだ」

 しれっとそう言って、悟は僕の肩を抱き寄せた。

 僕は、その暖かくてしっかりとした肩に頭を乗せちゃったりして…。


「わかりました。前もって赤坂先生にもご挨拶すべきでしたのに、遅くなって申しわけありません」

 先生が神妙に頭を下げた。

 でも、香奈子先生はコロコロと笑ったんだ。

「あら、良昭に了解を取る必要はないのよ。彼は親権者じゃないもの」

 え、じゃあなんで?

 と、そこにいた全員が香奈子先生を見つめる。

「私の夢だったのよ〜。素敵な男性が我が子に恋をして、『お嬢さんを下さい』って父親の前で頭を下げるの、一度でいいから見たかったの〜」

 …やられた。そう言うことか。

 昇が頭を抱えてる。
 先生は一気に脱力してるし。

「男の子ばっかりだから、諦めてたのよね。それがこんな形で叶うなんて〜」

 香奈子先生は、もはや『夢見る乙女』状態だったりして。

「守はどこかのお宅で『お嬢さんを下さい』って言って、お父さんにぶっ飛ばされるのね」

 息子がぶっ飛ばされるってのに、香奈子先生、嬉しそうなんだけど…。


「え。俺やだよ。ぶっ飛ばされるの」

 そりゃそうだ。

「あ、そうだ。悟も良昭に『お嬢さんを下さい』ってやらなきゃ駄目よ」

「え。どうして僕がお父さんに」

「だって、葵の親権者は一応良昭だもの〜」

 あ、そうか。そうだった。でも、『一応』って…。

「父さん、葵のこと溺愛だからさ、『お前にはやらんっ』とか言い出したりしてな」

「きゃ〜。ありそうね、それっ」

「母さんっ、守っ」

 …ダメだ、こりゃ。



【2】へ続く

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