君の愛を奏でて 2
『Happy Happy Strawberry』
【1】
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「何うなってんの? 祐介ってば」 「ん〜?」 春、新学年。 中高一貫校の頂点である高校3年に進級した祐介と葵は、学内最大派閥(?)の管弦楽部を背負い、連日忙しく過ごしている。 そんな二人の唯一のんびりできる時間が消灯点呼前のこの時間なのだが、今夜の祐介はやたらとため息が多く、しかも時々意味不明のうめき声を上げたりしていて、『親友』の葵としては気になるのが当然というところだ。 だが、これと言って思い当たることはない。 部内に問題は起こっていないし、一年の滑り出しとしてはとても順調だと思える。 祐介にとって、学年初めの唯一にして最大の懸案であったであろうオーディションも、無事終わっているし…。 今年もまた、他のどのパートよりも熾烈を極めたフルートパートの『2番手争い』。 結果はまたしても祐介の勝利となり、管弦楽部長は面子を保って2番手をキープし、中学3年に進級した彰久は、やはり去年と同じく3番手につけた。 ただ、『熾烈を極めた』…と思っているのは、祐介本人と他パートのヤツらばかりで、もう一人の当事者であるはずの彰久は、これっぽっちも熾烈だったとは思っていない。 彼にとっては、『浅井先輩が次席』というのは、当然の結果に過ぎないのだから。 そして、3つ下の後輩から『当然』と思われている部長様自身は、『かろうじて』この地位を守ったのだと認識している。 ちなみに、その『席次』を発表したのは管弦楽部長である祐介本人で、顧問から席次を書いた印刷物を渡された時には、やっぱりまず真っ先にフルートパートを確認してしまったのだ。 自分の、『今年の位置』を。 だが、結果を知っても祐介には、自分のどこが彰久を上回ったのかわからなかった。 同点なら上級生が優先されるのはオーディションの不文律だから、もしかしたらそうだったのかも知れない。 けれど、葵はにっこり笑って言ったのだ。 『祐介と違って、藤原くんの演奏には、どうしても次席になりたいっていう情熱は感じられなかったからね』…と。 そして付け加えた。 『彼がコンビを組みたいと願ったのは僕じゃないんだよ』 ――けれど、僕が首席でいる限り、その願いは叶わないと、藤原くんは諦めているんだよ。 …と、葵は続けたかったのだが、もちろんそこまで教えてやる親切をする気はない。 少なくとも、今は。 そして、軽くウィンクをつけて告げられたその言葉に、祐介の頭を過ぎったのは中学2年の初瀬英彦の存在だ。 小さな彰久を、いつも守るように寄り添う英彦。 彰久は、きっと彼とコンビが組みたいのだと思った。 『そうだな。放っておいても来年か再来年には藤原と初瀬がトップコンビになるからな。藤原は焦る必要はないんだよな』 そう言った祐介に、葵は小さく肩を竦めた。 『祐介ってば、その辺りのこともうちょっと整理しておかないと、取り返しつかなくなるよ』 だが、半ば笑いながら告げられた言葉に、祐介は真顔で問い返す。 『取り返し?』 『そう。ま、とりあえず、自分の気持ちに真正面から向き合ってみることだね』 『自分の…気持ち?』 『そう、『その辺り』の『自分の気持ち』だよ』 言われたときには、なんのことだかさっぱりわからなかったのだが…。 「なあ、葵」 「なに?」 就寝前のホッとするはずのひとときに、やたらとため息だのうめき声だのを連発していた祐介は、やっと何かを話す気になったのか、ベッドに腰かけたまま、かなり真剣な表情を葵に向けてきた。 そして、とんでもない質問を投げかけてきたのだ。 「人を好きになるってどんな感じなんだろう」 「はい〜?」 なんてこったい、何を今さら…と、葵としては呆れるばかりだ。 「あのさ、僕のこと、好きだったんじゃないの?」 もう随分前のことのような気もするが、まだたったの2年ほど前のことだ。 「好きだったよ。あの時は、これ以上好きになれる子はいないと思ってた」 その言葉に、葵はピンと来た。 『これ以上好きになれる子はいない』 もしかしたら、その思いこみが邪魔をしていたのではないだろうかと。 これ以上好きになれる子はいないと思いこんでいるから、次の恋の訪れにも気付かない。 まさに、『なんてこったい』…だ。 「…ねえ、その時って、どんな風に好きだったわけ?」 「……どんな風ってなあ…」 「見た目? それとも中身」 「どっちも」 「あっそう」 それはアナタ、常套句ですよ。キミのすべてが好き〜…なんてね。 と、葵が思ったとき。 「でも、実際どんな風だったんろう…」 「あ〜?」 好きだった相手を前に、言いますか、それを。 「葵はさあ、どんな風に好きになったんだ? 悟先輩のこと」 呆れる葵に今度は逆突っ込みが入った。 もちろん、これくらいの突っ込みで怯む葵ではなくて…。 「僕の場合は、DNAが呼び合ったんだよ」 「はあ? DNA〜?」 「そう。身体の中の同じDNAがビビっと…ね」 つまりは、兄弟の血が呼んだということか。 「マジで?」 「嘘ウソ」 「あのなあ、葵〜」 ぐったりと脱力する祐介に、葵は『ごめんごめん』と、ちっとも悪いと思ってない口調で笑ってみせる。 「や、でも、どこをどんな風にって言われても、確かによくわからないかなあ」 好きなところを挙げろと言われたらいくらでも言えるし、だいたい、好きなものは好きなんだから、仕方がない。 そして、その答えに祐介は頷いた。 「な? わからないもんだろう? 実際人を好きになるって、いつ、どこをどんな風にって言われて、ここがこうです…なんて、決まった答えが出ることって少ないんじゃないと思うんだ。いつの間にか気になって、いつの間にか目が離せなくなって、いつの間にかその子のことばっかり考えるようになって、気がついたら好きになっていた…っていうこと、多いんじゃないかなあ」 「…なるほど。…で?」 葵が見つめる先の祐介は、何だか遠い目をしている。 「あとは、他のヤツと仲良くしていたら、こっちを見て欲しいって思ったり、誰かが触るとむかついたり…。そんな感じかな」 実際葵を好きになったときは、見た目の可愛らしさに一目惚れしたのが『入り口』ではあったが。 そして、自分の言葉に納得している祐介に、葵はチラリと呆れた視線を投げた。 「あのさ、祐介」 「ん?」 「そこまでわかっててさあ、なんで…」 「え? なんのことだ?」 「いい?」 ベッドから降りて、葵は祐介の前に立つ。 普段あまりない、『葵から見下ろされる』というシチュエーションに、祐介が知らず背筋を伸ばし、姿勢を正してその目をしっかり捉えると、葵もまた真剣な瞳を降ろしてきた。 「祐介には、いつの間にか気になった子がいるとする」 「…あ、うん」 「いつの間にか、その子から目が離せなくなってきた」 「……え…と…」 「いつの間にか、その子のことばっかり考えるようになっている」 「………それは…」 「その子が誰かと仲良くしていたら焦れる。触ったらムカツク」 ついに祐介は黙り込んだ。 「そこから先は自分で考えましょう。以上、おわり」 葵の言葉を受けて、床に視線を落としたまま考え込む祐介を残し、葵はさっさとベッドに戻ると、『点呼よろしくね〜』とベッドに潜り込んでしまった。 「その子のことばかり……」 呟いた先には、可愛らしい笑顔が思い浮かんだ。 ☆ .。.:*・゜ 翌日の放課後。 中等部Bグループの基礎練習につき合っていた葵が、メインメンバーの合奏開始時間に合わせてホールに戻ってみると、ステージ上でてきぱきと指示を出す管弦楽部長の後ろ姿をジッと見つめる小さな影があった。 もちろん、彰久だ。 『やっぱ浅井先輩ってかっこいいよな〜』と、何の衒いもなく口にする中学生たちとは少し距離を置いたところで、その黒目がち瞳は切なげに揺れていて…。 その、悲しいとも苦しいともつかないような様子に、葵は、そろそろ潮時かもしれないと感じた。 こういうことは、僅かのタイミングの遅れでおじゃんになったりしてしまうのだ。いとも簡単に。 そんな、『17歳の高校生にわかるわけ?』と思われそうな恋愛の機微にも、葵は生まれ育った環境のせいか、やたらと聡い。 自分のことになると、途端に見失ってしまうのはご愛敬だが。 「藤原くん」 驚かさないように、小さく先に声を掛けてから、優しく肩を叩いてみる。 「…あ、奈月先輩」 振り返ったその瞳から、すうっと悲しげな色が消えていく。 いや、隠しただけなのだろうけれど。 「どうしたの? 元気ないね」 「あ、ええと、そんなことないです。元気です」 ニコッと笑ってみせる様子は、何も知らなければ『可愛い』としか映らないのだが、葵は知ってしまっている。彼の、気持ちを。 けれど、無理に笑う彰久の言葉を、葵は敢えて否定はしない。 その代わり…。 「祐介もね、ああ見えて、ちょっと元気ないんだ」 「…え?」 慌てて戻す視線の先には、いつもと同じように見える、溌剌とした祐介の姿が見て取れる。 「あ、あの…」 「ん?」 「浅井先輩、何か心配事…でも?」 身体の具合が悪そうにはどうしても見えなくて、そうなれば後は精神的なもの――『ストレス』しか思い当たらない。 「ん〜、心配事…と言うほどには、まだ形になってないのかなあ」 「…奈月先輩…」 見上げてくるのは、ここのところちょっとだけ大人っぽくなった――実際は『オコサマ』をちょっと抜けただけ…くらいなのだが――と評判の、憂いを帯びた濡れた瞳。 ――ほんと、可愛いよなあ…。 この、彼の性格の素直さや柔らかさをこれ以上なく映している可愛らしさを前にしてもなお、未だに自覚に至らない親友に、呆れを通り越してむかついてきたような気がしないでもない。 けれど、そんな感情をこの可愛い後輩に見せるのも本意ではないから、葵は柔らかく笑ってみせる。 「ごめんね。こんな話されても、気になるばっかりだよね」 素直な彼には、こんな『思わせぶり』は負担になるばかりだとはわかっているけれど、ちょっとだけごめんね…と、心の中で謝って、葵はその小さな肩をそっと抱き寄せた。 「祐介のこと、気になる?」 その瞬間、腕の中の華奢な身体がビクッと震えた。 |
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