君の愛を奏でて 2
『Happy Happy Strawberry』
【2】
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「祐介のこと、気になる?」 耳元に、優しいけれど何かを含んだような口調で告げられたその言葉に、僕の身体は勝手に震えた。 …もしかしてこれって…浅井先輩のことを好きなのか…って、聞かれてる…んだよね? まさか、よりによって、奈月先輩に…気付かれてしまったなんて…。 ショックのあまり返す言葉をなくして固まってしまった僕に、それでも奈月先輩は優しく微笑んで、さらに優しい声で、さらにさらに、ショックな一言を続けた。 「僕は、藤原くんの気持ちにはとっくに気付いていたよ」 「ええっ?」 「そうだなあ…中1の終わり頃にはもう、祐介の事、ジッと見つめてたし」 そ、それは僕自身が自覚をするよりもっと前のことじゃ…。 「…ご、ごめんなさいっ」 先輩の大切な人を、想ってしまうなんて…。 いたたまれなくて、身体を縮めてしまうしかない僕。 でも、奈月先輩の声は、なんだか思いもかけないくらい、拍子抜けな声だった。 「え? 謝ることなんてないよ?」 「で、でも…」 慌てて見上げると、先輩は綺麗に笑って、さらりと爆弾発言を落としたんだ。 「僕と祐介は、何でもないから」 ………。 咄嗟に何のことだかわからなかった。 何でもないって、どういう、意味? けれど、僕のそんな疑問に気付くはずもなく、先輩は僕の肩をさらに強く抱き寄せた。 「だからね、どのタイミングで後押ししようかって、僕も随分悩んだ」 あ、後押しって…。 「で、でも、奈月先輩は、浅井先輩と…」 二人は親友ではなくて、恋人同士だって言うのはみんなが知っていること。 それに、先輩たちだって一度も否定しなかったんだから。 「ああ、それね。ごめんごめん。本当に悪かったと思うんだけど、ちょっと僕にも色々事情があって、祐介に甘えてたんだ」 「甘えて…ですか?」 どういうこと…だろう。 「そう。僕と祐介は親友同士であって恋人同士ではないんだ」 「…ええええええええっ?!」 思わず大声を出してしまった僕に、周囲が何事かと振り返ったんだけれど、奈月先輩が『なんでもないよ、打ち合わせ中ね』と、微笑むと、みんな一斉に頬を染めて視線を外した。 そして。 「あはは、なんでそんなに驚くかなあ」 本当に可笑しそうに、でも周囲の注目を集めないように小さな声で笑った。 「だって、先輩っ」 でも、でも僕は、何もかもわかんない。 「うん。今は詳しくは言えないんだけど、まあ、僕の甘えって言うのは、祐介に『偽装恋人』でいてもらったってことかなあ」 「ぎ、偽装…?」 「そう」 「偽装、だったんですかっ?」 「うん」 …まさか、そんな…、そんなことって…。 あまりにショックな事実を聞かされて、僕は暫し呆然とするしかなかったんだけど、でも、心のどこか、隅っこの方で、なんだかホッとしている自分がいることにも気がついた。 でも…。 今さらそれを聞いたところで、もう仕方がない…。 だって、僕にはもう…初瀬くんがいる。 浅井先輩のことは、叶わない想いだと決め込んで、僕は初瀬くんの気持ちを受け入れたんだから…。 それに、浅井先輩と奈月先輩が『なんでもない』からって、浅井先輩と僕が『どうにかなる』なんて可能性、これっぽっちもないこと…だもん。 どっちにしたって、一緒ってことだ。 僕はほんの短い間にぐるぐるとたくさんのことを考えて、そして、ここから一歩も動けないだろうことに……気がついた。 ☆ .。.:*・゜ 僕に肩を抱かれたまま、藤原くんは視線を落とし、一点を見つめたきり、動かなくなった。 多分…まだ間に合うはず。 初瀬くんという存在は大きいけれど、藤原くんの気持ちはまだ、祐介にある。 でも、僕ができることは、多分ここまで。 祐介、これが僕からの、最後の援護射撃だからね。 吉と出るか、凶と出るかはわからないけど、それも祐介次第。 僕は、大切な親友の『明るい未来』を祈って、手のひらで包んだ小さな肩を、そっとさすった。 ☆ .。.:*・゜ 「奈月先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど」 そう言って、部活が終わったときに声を掛けてきたのは、同じ高等部フルートパートの2年生の紺野くんと1年生の谷川くん。 活発でムードメーカーの紺野くんと、いつも飄々としている谷川くんの二人は、余りお目にかかったことのないような深刻な表情を見せていて、相談内容に思い当たることがある僕は二人を練習室に促しながら切り出した。 「もしかして、藤原くんのこと?」 「あ、やっぱり気付いてられたんですね」 あの日、僕が『僕たちは何でもない』と告白して以来、藤原くんの口数が極端に減っているんだ。 しかも、ここのところさっぱりあの可愛らしい笑顔にもお目にかかっていない。 「そりゃあね」 原因についても大いに心当たりはあるけれど、それはこの際黙っておくことにして。 「今日も中等部の練習覗きに行って来たんスけど、かなり思い詰めたような顔してるんデスよ」 「それに、本人に具合でも悪いんじゃないかって聞いても、全然平気だって言い張るし…」 泣きそうな顔で訴える二人に、内心で『巻き込んでゴメン』と謝りつつ、僕も深刻そうな顔を作ってみせる。 「実は、祐介もかなり気にしてるんだ」 だからこそ、僕は気がついていつつ、放っておいたのだけど。 「ちょっと祐介と話し合ってみる。それからちゃんと、藤原くんとも話をするようにしてみるね」 「お願いします」 「うん、まかせて」 心配げな二人の肩をポンッと叩いて、僕はニッコリと笑って見せた。 ☆ .。.:*・゜ 今までに見たことがないほど、何かに深く落ち込んでいることに気はついていた。 だから、どのタイミングで声を掛けようかと計っていたのだが、何故かいつも横からするりと英彦に横取りされて、祐介はここ暫く、彰久に接触するチャンスを逃していた。 しかし、葵から『紺野くんと谷川くんも凄く心配してるよ』と言われ、これはやはりもたついている場合ではないと、葵に彰久の拉致を頼んだ。 何が何でも話を聞いて、何か心配事があるのなら力になってやりたい。 それはもちろん、部長としての責任だし、同じパートの先輩としての思いやりでもあるし、何より……。 「…浅井先輩…」 おそらく葵は、祐介が待っているとは言わずに連れてきたのだろう。 フルートパートのたまり場である練習室にやって来た彰久は、明らかに動揺した様子を見せた。 そして、連れてきた葵はと言えば、『ちょっとやり残した用があるから』と、さっさと現場からトンズラしてしまったのだ。 二人きりの室内に、重い沈黙がのし掛かかる。 最初に口を開いたのは、もちろん祐介だった。 「あのさ…」 「…は、はい」 部活で見かける時よりも、もっとその落ち込みは激しいような気がして、祐介の心が波立つ。 「ちょっと、こっち、おいで」 距離を取ろうとしているように見える彰久の腕を強引に取って、向かい合わせに座らせた。 そうでもしないと、いつまで経ってもその心に近づけない気がして。 「ここのところさ、元気ないけど、何か心配事でもあるのか?」 祐介としても、中等部の管楽器リーダーをつとめる彰久が、何かトラブルとか重荷を負って一人悩んでいるのではないだろうかと一応の当たりはつけていたのだが、事前リサーチではそういう事実はまったく掴めなかった。 少なくとも、部活の関係では彼の周囲はすこぶる良好なのだ。 「あ、別に部活のことでなくても何でもいいんだぞ? クラスで何かあったとか、寮で面倒なことがあるとか、そんなのでもいいから、とりあえず話してみないか?」 「………」 「僕じゃ頼りにならないかも知れないけどさ…」 「そんなことっ、ないですっ!」 突然顔を上げて言い切った彰久に、一瞬祐介は目を丸くする。 しかし、そんなことはないと言い切ってくれた言葉が嬉しくて、表情は自然と笑みに変わった。 「じゃあ、話してみないか?」 「…あ、あの…」 観念したのか、また顔を伏せてしまったものの、彰久の言葉がポツポツと繋がってきた。 中等部の管楽器リーダーとして、自分は力不足ではないのだろうかと、悩んでいる…と。 もちろん、嘘だ。 確かに管楽器リーダーは重責だが、周囲が助けてくれるのでがんばってこなしているし、充実もしている。 けれど、本当の悩みなど言えるはずもなく――まして本人の前で――さりとてこのまま強情に何も言わずにいることもできず、咄嗟に悩みをでっち上げてしまった。 本当は、一瞬だけ思ってしまったのだ。 『先輩が好きです』 そう言ってしまえたら…と。 「なあ、藤原」 「…はい」 「お前の気持ちはよくわかるよ。僕だって、部長なんて荷が重いってしょっちゅう思ってるし」 「先輩…」 「でもさ、重責を感じるのはみんな同じとしても、お前はちゃんと立派にこなしているんだから、悩むこと無いって」 言葉だけでなく、安心させようと思ってその小さな手をキュッと握ると、一瞬怯えたように手を引かれたが、構わずさらに握りしめた。 「それにさ、中等部と高等部でそれぞれの管楽器リーダーを同じパートから出すことになったら、大概他のパートから異議が出るんだけど、今回はなかったんだぞ。首席会議でもお前の中等部管楽器リーダー就任は満場一致だっだし、それだけみんなから信頼されてるっとことだから、何にも心配することない。今まで通り、堂々とやってればいいんだから」 「…先輩…」 でっち上げた悩みだったのに、真剣に言い募ってくれる祐介に、彰久の涙腺が緩んだ。 「大丈夫。いつでも僕が、ついてるから」 真っ直ぐに見つめられて、堪えきれなくなった涙が、ぽろりと一粒、頬を伝った。 その瞬間。 祐介の中で何かが弾けた。 今までにも、不意に突き上げるものはあった。 だが、そんな自分にいつも戸惑うばかりで、持て余した感情をどう処理すればいいのかわからないままに、放置してきたのだ。 けれど今日は違った。 何にも迷うことなく、戸惑うことなく、本能が行動を命じたかのように、その小さな身体を思い切り自分の腕の中に閉じこめた。 「……っ」 腕の中で、彰久が小さく息を飲んだのがわかったが、離すことなどできなかった。 温かくて柔らかくて、何もかもが溶けていきそうなほど、優しい気持ちにさせてくれるこの存在……。 そして祐介はやっと、はっきりと、気がついた。 自分がこの腕の中に閉じ込めたかったのは、この子だったのだと。 けれど。 「……ごめん」 呟いて、そっとその身体を離す。 この優しい心はすでに、他のヤツのものなのだ。 4つも年下の初瀬英彦。 しかし彼は、自分よりもずっと、己の気持ちに正直で、的確な判断を下す能力があったのだと、今思い知らされた。 何もかもがもう、遅い。 悔しいけれど、諦めるしか……。 「…先輩……」 困惑した瞳を揺らして、彰久が小さく、『ありがとうございました』と告げた。 そして、そのまま踵を返し、部屋を去る。 その小さな背中に、強烈な恋情が募った。 ……諦めたくない……! |
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