君の愛を奏でて

「僕と彼との愛しい関係」
【前編】

 


 春。
 僕の、聖陵学院での2年目が始まった。

 普段の学校生活には特に何にも不安はない。
 友達はたくさんいるし、葵ちゃんもいるし。

 ただ、管弦楽部的には、悟先輩たちが卒業してしまって、ちょっと不安…。

 管楽器には葵ちゃんたちがいるからいいとして、弦楽器はかなりの打撃。

 特に僕にとっては、昇先輩がいない…っていうのが、どうにもこうにも。

 音楽をやりたくてここへ来たのではなくて、ただ、葵ちゃんを追いかけたい一心でやってきた僕が、何を間違ったか昇先輩の隣に座ることになり、挙げ句、コンマス代理なんて、とんでもないことになりつつも、何とかやってこられたのは、もちろんみんなのおかげもある。

 けれど、一番僕の面倒を見て、なんとか形になるようにしてくれたのは、昇先輩なんだ。
 先輩がいなかったら、僕はもう、とっくに放り出していたと思う。

 あ…、あと、アニーと。

 アニーの、プロとしての的確な指摘やアドバイスは、何もかもが為になった。
 そして、精神的な支えでもあって…。 

 正直、恵まれてるって感じられるようになったのは随分後なんだけど、ほんと、昇先輩とアニーには、感謝してもしきれないと、ずっと思ってる。


 で、結局僕は、今年のオーディションの結果、コンマスになってしまった。

 今度は、昇先輩の代理じゃなくて、正真正銘の、聖陵学院管弦楽部のコンサートマスターになってしまったんだ。

 今年はそれこそ『正真正銘』の新入生たちに、弦楽器の上手い子がたくさん来たから、せめて僕は、トップサイド(コンマスの隣)だったらなあ…って思ったんだけど。

 ともかく、弦楽器の屋台骨だった昇先輩の学年が卒業してしまい、新3年生の弦楽器は元々数が少ない上に、『協調性は申し分ないけど、統率力はなし』って言う、穏やかで優しい先輩ばっかり。

 必然的に、今年の弦楽器のTOP奏者は全員2年生ばかりになってしまって、初のTOPミーティングの時は、それぞれ肩に担いだ責任の重さに、まるでお通夜の席みたいな沈みようだった。


 そうだ、麻生先輩が転校しちゃったのも痛かった。

 初めての、慣れない最前列で、僕と麻生先輩は励まし合いながらなんとかやってきた。

 だから、先輩がいなくなっちゃったのは、凄く悲しい出来事で…。

 先輩がいてくれたら、きっとセカンドヴァイオリンのTOPに座ってると思うから、精神的にはかなり助かるはずだったんだけど。


 …でも、『はず』って言ってても仕方ないから、ともかくなんとかがんばろうとしてる毎日。


 そして、寮ではアニーと同室になった。

 1年の時も、クラスが一緒だったから、ほとんどの時間を一緒に過ごしてたんだけど、寮の部屋は違ったから、消灯から起床までは別々。

 まあ、どうせ寝てる時間だから関係ないんだけど。 

 でも、本当に文字通り『四六時中』一緒にいるわけで、こうなるともう、『いるのが当たり前。いないと不安』…って感じになってしまったりして。

 でも、一緒の部屋で過ごすようになっても、アニーは今までとほとんど変わらない。

 時たま、おでこにキスされたりはするけれど、去年のクリスマス以来、唇にキスされたこともないし、もちろんそれ以上の何かがあるわけでもない。

 何かあっても困るけど。

 でも、今までよりもたくさん、『自分の話』をするようになったし、『お互いの話』を聞くようになった。

 だから、僕は今まで知らなかったアニーの色々を知ることになった。

 子供の頃から才能を認められ、その期待に応えてアニーは早くから大人の世界にいた。

 その程度は知っていたけれど、実際アニーがどんな体験をしてきたのかを聞けば聞くほど、僕が育ってきた、『普通の子供』の環境とは違うことを痛感して…。

 自分の知らない世界の話を聞くのは面白い。
『親友』だったら尚更だ。

 でも、僕はやっぱりあれ以来ちょっと変で、アニーのことを知れば知るほど、どこかが痛くて、苦しい。

 何かを消化し切れていないように、どこかに少しずつ、澱が堪っていくような感じがして…。

 そんな思いを抱いたまま、僕は毎日を送っていたんだけど。



                   ☆ .。.:*・゜



「司…、司?」

「…え?」

「どないしたん? 疲れてる?」

 名前を呼びながら、僕の肩をポンッと優しく叩いたのは、葵ちゃんだった。
 京言葉だから、振り返るまでもなく、わかったけど。

 パート練習前。生徒準備室で譜読みしてたはずなんだけど、いつの間にか、意識がどっかへ行ってたらしい。

「あ、ごめん、大丈夫。ちょっと考え事」

「大変だもんね、コンマス」

 僕が手にしている楽譜にちょっと目を落とし、葵ちゃんは心配そうに言う。

「うん、ほんと。大変」

 笑いながら僕は答えるんだけど、今ボンヤリしてたわけは、主に、アニーのことだから、ちょっと誤魔化し笑いも入ってたりして。


「もし大丈夫そうなら、中等部の管楽器の練習にちょっと顔出して欲しいんだけど」

「あ、うん、大丈夫だけど、管楽器?」

 コンマスだから、オケの全体を把握していないといけないのは当然なんだけど、普通、管楽器だけの練習にコンマスがつきあうことはあんまりない。しかも、中等部。

「うん。今、アニーが練習見てるんだけど、司が空いてるようなら、来て欲しいって。時間平気?」

「うん、まだ大丈夫。今日はちょっと余裕あるから」

 まだ弦楽器もパート練習の段階で、ファーストヴァイオリンも、トップサイドの同級生が面倒見てるから、僕は今のところは全体を何となく把握していればいいって状況なんだ。

 ただし、まんべんなく目を行き届かせなきゃいけないってところが大変なんだけど。



 で、『第2合奏室で練習してるから』…って、葵ちゃんに言われて中等部管楽器の練習に行ってみれば、合奏室前の廊下に、浅井先輩と、中等部管楽器リーダーの藤原がいた。

 なんだか楽譜を覗き込みながら難しそうな顔で話し合ってて、何か問題でも発生したかな…って思ったんだけど…。


 ふと、顔を上げた藤原の視線が浅井先輩と絡んだ瞬間。

 浅井先輩は見たこともないほど愛おしげな顔で微笑んで、藤原はと言えば、ぱあっと頬を染めて俯いたんだ。


 …って、何、これ。この、どことなく桃色な雰囲気は、いったい何っ?

 ああっ、浅井先輩っ、頬なんか撫でちゃってっ!


 目の前で起こった出来事が信じられなくて、プチパニックになりそうになった時、僕の肩をポンッと叩いたのは葵ちゃんだった。


「あ、葵ちゃんっ」

 焦った声で、『あれっ』って指さそうとしたら、葵ちゃんはその細い人差し指を自分の口に当てて、小さな声で『シー』…と言った。

 そして、口の形だけで『な・い・しょ』って。

 ええと…内緒、なんだ。

 内緒って事は、内緒にしなきゃならない何かがあるってことで、内緒にしなきゃならないほどの事って言えば、やっぱり…。

 うーん…ちょっと、なんか、信じられないんだけど。

 だって、浅井先輩と藤原なんだもん。

 …あ、でも、そういえば最近の浅井先輩、なんだか以前に増して男っぽいって言うか、かっこよさが増したって言うか、貫禄がついてきたって言うか、懐の深さが増したって言うか…。

 ともかく、僕の周囲にも浅井先輩の信奉者がさらに激増していて、悟先輩の卒業後、在校生の憧れを一身に受けてるって感じなんだ。

 それってもしかして…。

 って、色々と考えそうになったんだけど、そこへ、アニーが現れて、僕は中等部の練習についての意見を求められたものだから、『色々と考える』のは中断されてしまったんだ。



                   ☆ .。.:*・゜



 そしてその夜。

「えっ? それ、ほんとのほんとっ?」

 寮の部屋で僕は、アニーから真相を聞くことになった。
 あの二人はかなり前から惹かれ合って、思い合っていたんだって。


「うん。祐介と彰久は、両思いだよ。しかも現在、水面下ではラブラブ」

「…そうなんだ…」

「でも、あくまでも水面下でね」

 …そうか、そうだよな。

 浅井先輩は、葵ちゃんの卒業まで、偽装恋人を続けて葵ちゃんを悪の手から守るつもりみたいだし、そうなると、おおっぴらに別の恋人ってわけにはいかないわけだ。

 それにしても、浅井先輩と藤原って…。

「…やっぱり、想像つかない…」

 それらしい現場を見てしまった今でも、やっぱり想像を絶するものがある。
 だって、どうみても『飼い主とペット』って感じだもん。


「まあね、思いが通じ合ったのはつい最近のことだから、まだ本人たち自身もぎこちないんだろうね」

「え? 最近やっと?」

「そう。思い合ってはいても、通じ合ったのはごく最近」

 ああ、なるほど。だからみんなもに全然ばれてなくて、僕も知らなくて。
 知ってるのは葵ちゃんとアニーくらいってわけか。


「じゃあ、出来たてほやほやなんだ」

「そういうことだね」

「そっか…でも、なんだかそれって可愛いよね」

 浅井先輩相手に可愛いなんて、似合わない感じだけど、でもやっぱり可愛い…と思う。

 って、またしても色々とぐるぐる考え始めたら…。


「こら、司。他のラブラブカップルのことはいいから」

 アニーがベッドに腰掛けてる僕の隣へやってきて、肩を抱いた。

 そうか、アニーはわかってたんだ。浅井先輩をずっと見てきたから。
 先輩が、藤原を思ってるってことに、気づいてたんだ。

 …あ、だから…か。


「…もしかしてアニー。だから先輩のこと…」

 全部を言わなくてもアニーには伝わった。

「そうだよ。祐介の気持ちを知って、そして彰久の気持ちにも気づいたから、だから諦めようと思ったんだよ」

「アニー…」

 そう、だったんだ。単に、乗り換えた…ってわけじゃなかったんだ…。


「僕がここへ来た頃には、もう祐介の意識の中には彰久の姿があったんだ。もっとも本人が自覚するに至るには、ちょっと時間がかかったけれどね」

 そのことに気づいた時、アニーはどんな気持ちだったんだろう。

「しかも、葵くんと違って、彰久も祐介を思っていたからね。さすがに両思いには割り込めなかったよ」

 キャリアを中断してまで必死に追いかけてきたのに、浅井先輩の気持ちはずっと他の人を追っていて…。


「アニー」

「ん?」

「…辛かったね…」

 アニーもきっと、僕が葵ちゃんを諦めた時のように、とってもとっても、悲しかったに違いない。


「…司は、優しいね」

 アニーが僕の手を取った。

「でも、おかげで僕は一番大切な人を見つけたよ。これだけは絶対離せない、諦めないって人をね」

 取られた手がキュッと握られて、それから柔らかい唇が僕の手の甲にそっと触れた。

「祐介は相思相愛になったから、今度は僕の番だよ」

 …ええと…。

「司を不安にさせるようなことは絶対にしない。僕だけを見続けてもらえるようにがんばるから、だから、司…」

 がっしりとしたアニーの腕が僕の体に回された。

 そして、ぎゅっと抱きしめられて…。


「僕を、愛して」

「…アニー…」

「お願い、司。お願い…だから」

 これでもかって言うくらい居心地のいいアニーの腕の中で、僕はその言葉を、前のように、どこか遠いことのようにボンヤリとは聞いてなかった。

 アニーの思いを、今ははっきりと受け止めている。

 これが、いつまで続くのかはまだわからないけれど、でも、今は…、そう、ここにいる間だけは…、多分…、きっと…。

 今、この気持ちは、本物だから。


「つかさ…」

 抱きしめる腕を緩めて、アニーは僕の肩を掴み、しっかりと目を合わせる。

 答えを待つように。

 その熱い視線に吸い込まれるように、僕は、頷いた。

「司!」

 また強く抱きしめられて、今はこれで良いんだと、僕は僕の中で繰り返す。
 まだ残る、少しの不安と、嬉しさの中で。


 その夜。
 僕はアニーに抱きしめられたまま、アニーのベッドで眠った。

 ただ単に、抱きしめられたままで、それ以上のことは何も起こらなくて、僕は何となくそのことにホッとしてた。

 やっぱりまだ、『引き返せなくなること』が、少し怖くて。



後編へ

君の愛を奏でて 目次へ君の愛を奏でて2 目次へ
Novels TOP
HOME