君の愛を奏でて
「僕と彼との愛しい関係」
【後編】
![]() |
「司、もしかして今、幸せ?」 突然珠生にそう聞かれたのは、部活が終わって、みんなざわざわと寮へ帰ろうとし始めている時だった。 「えっ? な、なんでっ?」 確かに今、僕はアニーとの関係について、以前のように悶々とした気持ちは引きずって無くて、アニーの気持ちを素直に受け入れようと思っている。 ともかく、卒業までは。 そこから先は多分、わからない。 アニーも多分、今はそこまで考えてないような気がする。 でも、今のアニーの気持ちを、僕は信じた。 だから、今は大丈夫。今だけは…。 そう決めたのは、僕も多分…ううん、きっと、アニーのことが好きだから。 いつも、アニーの一番でありたいと思うくらい、好きだから。 遠い未来は考えないことにして、今このときに、アニーの一番でありたいと、そう思うようになったから。 「だって、アニーが凄く浮かれてるから」 「…そっかな…」 はっきり言われてしまうとなんだか恥ずかしい。 確かにあの夜以来、アニーは以前に増して、僕に甘くて優しい。 あ、でも音楽のことには容赦がない。 もちろん、キツイ言葉なんてこれっぽっちも使わないけれど、妥協はしてくれない。 でもそのことは、僕をホッとさせる。 まだ大丈夫。アニーは僕のことを、まだ伸びると思っていてくれる…って。 そう思ってくれている間は、きっと今のままでいられるって。 あと2年、がんばれるって。 寮への坂道をゆっくり登る僕の隣で、珠生が嬉しそうに続けた。 「去年の夏、軽井沢でね」 「あ、うん」 夏の軽井沢合宿の話らしい。 「僕、アニーから聞いたんだよ。『司のことが、たまらなく可愛い』って。あの時にはもう、アニーは浅井先輩じゃなくて、司のことばかり気にしてた。司にもう、夢中だった」 「え…」 珠生の言葉は意外だった。 僕はその頃、そんなことこれっぽっちも気づいてなくて、まだまだ自分一人のことで手一杯だったから。 「…そんなに、前から…」 てっきり、去年のあの、クリスマスの頃からだと思っていた。 「うん。それからずっと、アニーは司のことだけ、見てた。で、僕にいつも言うんだ。『今日も司は可愛かった』とか、『ちょっと疲れてるみたいで心配だ』とか、『練習に行き詰まってるみたいだから、しっかりフォローしてあげないと』とか…ね」 …どうしよう。なんだか恥ずかしくて顔が上げられない…。 「大丈夫だよ、司。アニーなら、信じても大丈夫」 「珠生…」 真剣な表情で僕を見つめる珠生のその瞳の力強さに、僕の気持ちはまた一歩、前へ出たような気がした。 アニーなら、大丈夫。信じても、大丈夫。 僕も、アニーが大好きだから。 ☆ .。.:*・゜ 「ただいま」 中等部のオーボエ奏者に個人レッスンをしていたアニーが、僕より1時間遅れて部屋に帰ってきた。 「お帰り」 化学の課題をやっつけいた僕が机から顔を上げると、おでこにアニーの優しいキスが落ちてくる。 その、あまりに優しい温もりに、僕は思わず、何を考えることもなく、体が動くままに、アニーの頬に唇をつけていた。 「…司?!」 初めて僕が起こした行動に、僕自身もびっくりしたけれど、アニーの驚き様はそれ以上で。 「…え、と。あ、あの、ごめん」 思わず謝ってしまった僕に、アニーは目を丸くしたまま、ぶんぶんと首を横に振って、『もう一回!』って叫んだ。 「ね、司、お願い、今のもう一回!」 「えっと、今の…って」 今のって、どれ?…なんて誤魔化そうと思ったんだけど、もちろんアニーは誤魔化されてくれなくて、『お願いだから、ここに、もう一回っ』って、自分の頬を指さすアニーの目は、恐ろしいほど真剣で、なんだか怖いくらい。 「や、やだよ、恥ずかしいもん」 急に恥ずかしくなって僕は目を伏せたんだけど、アニーは全然容赦なくて、僕の顔を大きな手で挟んで強引に上を向かせると、『お願いだから』と、また繰り返す。 その真剣な目の奥に、なんだか切なそうなものがちらっと見えたような気がして、僕の胸がキュッと縮まった。 「…あ、あの…じゃあ、目、瞑って…」 この目を見ながらなんて、とんでもない。僕の心臓が喉から飛び出しちゃうじゃないか。 僕の言葉に、アニーは頷いて、目を閉じてくれた。 熱いアニーの手のひらが、僕の顔から離れて、そっと体に回る。 僕は少し伸びをして、アニーの頬に、キスをした。 その瞬間。 「えっ? うわっ」 僕は抱き上げられて、そのままベッドに運ばれてしまい、大きなアニーの下敷きになってしまった。 「ア…」 そして名前を呼ぶ前に、僕の口は塞がれてしまった。熱いアニーのキスで。 「んーっ」 今まで一度もこんなキスしたことなくて――アニーのキスはいつも、触れるだけの優しいキスだったから――息も出来なくて、おまけにアニーの舌まで入ってきて、口の中を好き勝手に暴れ回られて、経験値ゼロに等しい僕のメーターは針が振り切れそうになった。 …も、ダメ、目が回る……。 きつく抱きしめられてるのと、隙間もなく口を塞がれてることで、僕は酸欠状態になって、視界がブラックアウト寸前に…。 「…司っ?」 アニーの声が、なんだか遠い…。 「司! 息してっ、司!」 喉を持ち上げるように抱えられて、僕の喉がヒュッと音をたてた。 続けて、風のようなものが一気に体に流れ込んできて。 「ゲホッ」 勢いよく噎せてしまった僕の背中を、アニーがさすってくれる。 「司、ごめん。大丈夫?」 不安そうなアニーの声に、僕はうっすらと目を開けて、どうにか笑ってみせる。 「ごめんね。あんまり嬉しくて…つい…」 暴走しちゃった…と、照れくさそうに言うアニーが、今まで以上になんだか眩しい。 それが嬉しくてそっとアニーの体に手を回すと、同じようにそっと、アニーが抱き返してくれる。 そして。 「Ich liebe dich」 僕の息がようやく元に戻った時、耳元で、優しく囁かれた。 「…それ、確か去年の秋、音楽の課題になったベートーヴェンの曲、だよね」 「そうだよ。でも、その前に僕は、司にそう言ったよ」 「…あ」 僕はもう、そのドイツ語の意味を知っている。授業で習ったから。 それは、英語で言うと、『I love you』。 「あのとき、僕はもう、司に告白してたんだよ」 「アニー…」 ふわりと、掬い上げるように抱きしめられて、そしてまたアニーは、僕の耳をくすぐるように囁く。 「僕は司のすべてが欲しい。心も、身体も」 その言葉の意味も、僕はもう、わかっている。 きっと大丈夫。今はただ、卒業までのことだけを考えていればいいんだ。 「いい? 司」 体中を包み込むアニーの暖かさに、僕はそっと、頷いた。 その瞬間、アニーは、まだこれ以上優しい顔ができるのかっていうくらい、蕩けそうに優しい顔で微笑んだ。 「ごめんね、司。今度は優しくするから…」 そっと触れてきたキスは、今までみたいに優しくて、何度も啄んで、そして、だんだんと深くなっていった。 |
END |
え?後編短いって?
いやいや、よろしければおまけへどうぞ(*^m^*)