草太郎くんはさっさと振り向いたらしい。
 あどけない声で尋ねている。 

「僕たちね、葵のお兄ちゃんだよ」

「え? そうなの?!」

「そう、俺が守、こっちが昇、で、こっちが悟。 お前はなんてーの?」

「ぼく、草太郎!」

「かっこいい名前だね」

「うん! みんなそういう!」

「あはは、こいつ、おもしろいや」 

 …後ろで思いっきり盛り上がってるし…。


「で、葵はどうしてこっちを向かないわけ?」

 ぎくぅ…。

「何かやましいことでもあるのかな?」

 ぎくぎくっ…。  

「黙って抜け出して、こんな可愛い子とデートだもんな」

 ぎくぎくぎくっ…。

「えー、葵ちゃん、黙ってお家から出てきたの? ダメだよ、ちゃんと行ってきますって言わないと」

 おいおい、幼稚園児に説教されちゃったよ…。

 仕方なく僕は振り向く。

「…ごめん。でもちゃんと香奈子先生には言ってあったし」

 ついでに小さい声で草太郎くんにも弁解をする。お家の人には言ってあるよ…って。

「え? なに? 母さんも共犯なわけ?」

 共犯って…。でも確かに香奈子先生なら『わざと言わない』とかやりそうだな…。

「ともかく」
「さあ、葵」
「洗いざらいしゃべってもらおうか」

 …はい…。 






 結局、隠し事はばれる運命にあると言うわけで、僕と草太郎くんのデートの顛末は悟たちの知るところとなった。

 けれどそれはいい方向に転ぶきっかけとなったんだ。 

 草太郎くんのお願いに、悟も昇も守も『面白いんじゃないか』ってことになり、香奈子先生に相談することになった。

 そしたらなんと、先生は草太郎くんの幼稚園の園長を知ってるってことになり…。



                    ☆ .。.:*・゜



 あれよあれよという間に話は進んでしまい、僕らは春休みも残りわずかっていう日に、楽器を持ってその幼稚園を訪ねることになったんだ。

 春休み中だから園児も父兄もあんまり集まらないだろうと思っていたら、なんのことはない、旅行なんかでいない人を除いて、ほとんどの園児や父兄が集まったんだ。しかも何故か近所の人たちまで。

 さすがに世界に名の通った美人ピアニストのネームバリューは地元でも絶大で、本人は来ないって言うのに、『その息子たち』ってだけでこの騒ぎだ。

 まあ、見目も麗しいからなぁ…悟たちは。





 幼稚園の可愛らしい講堂で、ぎゅうぎゅう詰めのお客さんたちを前に始まった僕らのミニコンサートは、まず悟の伴奏で昇がベートーヴェン作曲の『スプリング・ソナタ』を演奏で幕を開けた。

 この曲はまともにやるとかなり長い曲なので、子供たちには辛いだろう…ってことから、昇が適当にカットして、上手い具合にダイジェスト版を作ったんだ。 

 曲想はタイトル通り、春の陽光を思わせる明るいもので、昇のキャラクターにもすっごくあってていい出来で、子供たち(特に女の子たち)は絵本に出てくるような金髪の王子さまが奏でるヴァイオリンに、目をハートにして聞き入ってる。



 そして次はやっぱり悟の伴奏で、守がサン=サーンス作曲の『白鳥』を弾いた。

 これはもうチェロ曲の中では定番中の定番。チェロと言えば『白鳥』って言うくらいお馴染みの曲だ。

 もちろん聖陵学院管弦楽部のチェリストなら誰でも弾ける曲なんだけど、僕はやっぱり守の『白鳥』がピカイチだと思う。

 守の『白鳥』って、綺麗なだけじゃなくて、どこか切なくてとても暖かいんだ。

 だから僕もうっとりと聞き入ってたんだけど、ハッと気がつけば、後ろの父兄席では、お母さんたちの目がハートになっていた…。



 3つ目のステージはいよいよ僕。

 僕ももちろん悟の伴奏で、曲は二人で編曲したアニメ音楽のメドレー。子供たちへのプレゼントだ。

 曲が変わるたびに、子供たちがリアクションしてくれるのが嬉しい。



 で、ここで本日のプログラムは終了。あとは「リクエストコンサート」だ。

 子供たちは、我先にと手を挙げて、幼稚園で習っている曲や、最近のアニメの曲をリクエストしてくる。

 僕はあんまりテレビを見ないから、最近の曲はほとんどお手上げだったんだけど、なぜか昇はよく知っていて、最新テレビアニメ系は昇の独壇場になった。

 守は童謡の「ぞうさん」を短調で弾いて『“哀しみのぞうさん”でした』って紹介してバカウケ。

 悟は園の若い先生方から『ぜひベートーヴェンの月光を』ってリクエストされて、披露。

 いきなりだったにもかかわらず完璧に暗譜していて、終わってから暫く、みんな声もでないほどだったんだ。やっぱり悟ってすごい。



 そして、僕ら演奏者も含めてさんざん楽しんだコンサートは、最後に「きらきら星」で締めることになった。

 言い出しっぺは本日の立て役者、草太郎くん。

 みんな鍵盤ハーモニカを持ってきていて、全員で合奏することになった。
 どうやら草太郎くんは最初からその企みを持っていて、根回しをしていたらしい。 


「あいつ、エージェントの素質ありじゃん」

 守が僕に、楽しそうに耳打ちをして、僕もそれに大きく頷いた。




                   ☆ .。.:*・゜



「ホントにありがとう、葵ちゃん」

 園のみんなと夏休みの再会を約束して、すべてが終わった講堂で、草太郎くんは僕の首にしがみついてそう言った。


「こら、草太郎。そんなことしたら悟に呪われるぞ」

 あのねぇ、守…子供になんてことを。

「えへへ、守ちゃんも、昇ちゃんも、悟ちゃんもホントにありがとう!」

 草太郎くんは照れたような笑い顔で名を呼びながら次々としがみつく。

 しかし、昇はともかく、守と悟の「ちゃんづけ」は………ぷぷっ。



「ねえ草太郎くん、ヴァイオリン習わない?」

 昇がモーションをかけた。

「おい、待て昇。こいつの手はチェロ向きだ」

 あのねぇ、草太郎くんはまだ5歳だってば。

「いや、草太郎は鍵盤ハーモニカが好きなんだから、習うならピアノだな」

 そう言って、悟が草太郎くんを抱き上げた。

 僕でさえ軽々と抱き上げてしまう悟にとっては、5歳にしては大柄な草太郎くんを抱き上げることなんて、ものの数ではなくて…。

「うん! 僕、ピアノやってみたい!」
「よしよし、草太郎はいい子だな」

 悟が、それは嬉しそうに草太郎くんをポンポン揺すると、草太郎くんは嬉しそうに笑い声をあげてはしゃぐ。

 その光景は、僕にとってはかなり意外で、奇妙な感じのものだった。

 僕たちは普段寮生活の中にあって、こんな小さな子たちと接する機会はない。

 だからなのだろうか。

 …ううん、きっとそうじゃない。

 悟って、小さい子供とか、苦手なんじゃないだろうかと勝手に思いこんでいたんだけれど…。

 もし、結婚したら、きっといいパパになるんだろうな…。


 そう思った瞬間、僕の胸はギュッと締まった。









 桐生家へ戻ってからも、僕は悟と…そして香奈子先生の顔を見ることも出来ずに、昇や守とばかり話をしてしまった。

 僕と悟のことを知っている香奈子先生。

 そして悟は唯一、香奈子先生の…桐生家の血を継いでいる人。

 今更ながら、そんな重大な事に気がつくなんて…。

 僕は、もしかして母さんと同じことをしてしまうんだろうか…。

 ううん、母さんは悪くない。赤坂先生を愛して、僕を産んで、奈月の血を残し……。


 …僕は…。
 もしかして僕は、二重の罪を犯そうとしている…?
 母さんが僕に残した血と、香奈子先生が悟に残した血。
 どちらも僕は、この手で絶とうとしている…。

 でも、僕たちが将来を誓うということは、そう言うこと…。

 どうしよう。
 奈月の血が絶えることは、僕の自業自得で僕一人の罪だとしても、悟は…。





 夕食後、僕は昼間の疲れを理由に早々に部屋へ引き上げた。

 考えがまとまらなくて、同じ所ばかりをグルグルと回っている。
 僕は、どうすればいい…?

 僕が頭を抱え込んでしまったとき、ノックと共に僕の名を呼ぶ声が、あった。

 悟だ…。 

『入るよ…』

 返事をしない…ううん、返事が出来ない僕をきっと不審に思ったんだろう。
 悟は静かにそう断って入ってきた。


「葵……」

 その声には何故だか、不審でも不満でもなく、ただただ、不安そうな色ばかりが乗せられていて…。

 静かに、遠慮がちに悟は僕に近寄ってきて、そして、ベッドに腰掛ける僕をギュッと抱きしめた。


「ごめん」 

 ……え?

「葵、ごめん。許して……」

 ……悟? 

 いったいどういう展開なのか、全く理解できずに固まってしまった僕を、悟はさらにきつく抱きしめる。

「僕は、葵から普通の幸せを奪った」

 苦しそうに吐き出される悟の言葉。
 なに? それ、どういう意味?

「さと…る」

 掠れた声で、漸くなまえを呼ぶと、悟は大きな手のひらで僕の頭を抱き、頬をぴったりと合わせてくる。

「昼間、子供たちと遊ぶ葵を見て思ったんだ。僕と出会わなければ、葵はきっと…」

 もしかして…。

「きっと普通の恋をして……」

 ああ…悟……。

「幸せな家庭を……」

 この不安は…この罪は僕だけのものじゃないんだ…。 

「悟は…」

 そっと身体を離して悟の目を見る。

 今日、帰ってきてからずっと避けていたその瞳。
 それが、不安に潤んでいて…。

「悟は今、幸せじゃない?」
「葵…」
「僕と恋をして、幸せじゃない?」

 僕は…僕は…。

「僕は、悟と恋をして、こんなにも幸せだよ」

 言い終わりに、そっと悟の唇に僕のそれを重ねる。
 受け止めてくれた腕は、とても力強くて…。 



「…本当に、後悔しない…?」

 ほとんど唇が触れたままで、悟が言う。

「…僕も、怖かったから」

 それでは答えになってないんだけれど、僕はそう言った。

「葵…?」
「僕も、怖かったんだ。悟から…香奈子先生から…大切なものを取り上げてしまったって…」

 そう告げると、悟の目が大きく開かれる。そして…。

「バカ」

 …ひど〜い。

「バカは悟でしょ」
「いいや、バカは葵だ」
「なんで」
「僕がこんなに葵のことを思ってるのに、そんなことで不安になるなんて」

 …ちょっと待った。

 なんでやねんっ!


「僕だってこんなに悟のこと思ってるのにっ」

 …悟が黙った。

「ぷっ」

 そして、吹き出した。

「バカだな、僕たち」
「うん、…そうだね」

 もう、踏み出してしまった僕らの道。

 もちろん選んだことに後悔はない。

 けれどこれからも不安に思うことはあるだろうし、傷つくこともあるだろう。
 そして、誰かを傷つけてしまうことも、きっと、ある。

 でも、もう引き返さない。
 





「なぁ、葵」
「なぁに?」

 悟の胸に抱かれ、夢うつつで僕は返事をする。

「僕らは子供を持たない人生を選ぶのだから…」
「……うん」 

 言葉が身体にしみ込んでくる。

「その代わり、少しでもチビたちに音楽の楽しさを伝えていこうな」
「うん…」


 うん、そうしよう、悟。

 僕たちは、今日の日のことをずっと忘れないで、大人に、なろう。


 

END

50万Hits感謝祭にてUPしたお話です。


さて、お待ちかね(?)桐生家の兄弟たちによる『お薦めCDコーナー』オープンですv

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