2002年新春お年玉企画
君の愛を奏でて
氷解〜その後
このSSは『埋み火〜氷解』『Sweet Home』とリンクしていますv
「なんで教えてくれへんかったん?」 冷凍庫から氷を出しながら僕が言うと…。 「いや、本当にこんなに早く来られるとは思ってなかったんや」 つい数ヶ月前まで僕の学籍簿の『保護者欄』にその名前が記されていた栗山先生が、食器棚からグラスを出しながら答えた。 「まさかニューイヤーコンサートが終わったその足で飛行機に乗られるとは思わへんかったからなぁ」 先生の声は、ちょっと驚いたような、でも、ちょっと嬉しそうな、そんな感じだった。 そう、ニューイヤーコンサートが終わったその足で飛行機に乗ったのは、赤坂先生。 今現在、『保護者欄』はその名前に変わっている。 今朝早く、僕の母さんのお墓参りに一人で出掛けた香奈子先生がなかなか帰ってこないのが心配で、迎えに行った僕が見たもの…。 それは、どこか清々しい表情で石段を下りてくる、香奈子先生と赤坂先生だったんだ。 それを目にしたときはホントにびっくりした。 まさか、赤坂先生が来ているとは思わなくて…。 でも、僕のその驚きはすぐに喜びに変わった。 きっと、母さんも喜んでいると思ったから。 石段下に僕の姿を見つけて、赤坂先生はすごく嬉しそうに笑った。 そして、急いで降りてきて、僕の前に立ち、『元気だったか? 風邪ひいてないか?』って聞いてくれたんだ。 僕が『元気です。先生は?』っていうと、ほんの少し目を伏せてから、先生はまたニコッと笑って『元気だよ、会いたかったよ、葵』って言ったんだ。 先生が目を伏せたわけが、僕が自然に『先生』って呼んだからだと気がついたのは、少し経ってからだった。 本当は『お父さん』…とか呼ばなくちゃいけないんだろうけど、まだそれは…。 周囲の人たちは、まだ僕の心の整理ができてないからだとか、そんな風に思っているようなんだけど、実際はそんなデリケートな問題じゃないんだ。 心の整理なんてとっくについてる。 悟との関係を知って、それを乗り越えたときに…。 …だから、僕はただ恥ずかしいだけなんだ…と思う。 だって、15年――もう少しで16年になるけど――の間、僕は誰かに向かって『お父さん』って呼びかけることが一度もなかったんだから。 たった一言、その言葉を投げかけるっていうのが、なかなかできなくて…。 |
「守っていつもそんなこと言って絡んでくるんだから〜」 「昇が隙を見せるからだろ?」 「どこが隙だよっ!」 昇の声につられるように居間の方から聞こえてきた笑い声が、僕の物思いを断った。 悟、昇、守、香奈子先生に光安先生、そして赤坂先生がそろった居間は、最初のうちはなんだかぎこちない空気が流れてたんだけど、それも時間と共にだんだんと解れていって、最初のうちは時々…だった笑い声がいつしか絶え間なくなっていて…。 一番賑やかな笑い声を上げているのは、今日、光安先生と一緒にやって来た昇。 その昇に、関西人もびっくりな鋭い突っ込みを入れているのが守。 そして笑い声こそ聞こえてこないけれど、悟もきっと笑顔で聞いているんだろう。 時折、問われたことに対する答えが穏やかな声で聞こえてくる。 悟と守は年末に、香奈子先生と一緒に京都へやって来た。 一応ホテルに部屋はとってあるんだけど、香奈子先生と守は寝に帰るだけ。 悟に至っては端からホテルに行く気などさらさらない…っていう状態で、ここ、栗山家に入り浸っている。 もっとも、主である栗山先生が31日から昨日までコンサートで飛び回っていたからちょうどよかったんだけど。 「手伝うわ」 香奈子先生が台所へやってきた。 午前中は僕の雅楽の練習に付き添ってくれて、午後はみんなと京都の町を巡り…というここ数日のスケジュールにもまったく疲れを見せない香奈子先生は、さすがに一線で活躍中の音楽家といった感じでパワーが溢れてる。 「すみません。じゃあ、これお願いします」 先生があっさりと台所を明け渡すと、香奈子先生は待ってましたとばかりに掛けてあったエプロンをつけた。 栗山先生がいない間も、先生が帰ってきてからも、香奈子先生はこの家の中でなんだか遠慮してるみたいだったんだけど、先生に『お願いします』っていわれて、急に表情が明るくなったような気がする。 多分、香奈子先生には、『この家』は栗山先生と僕の母さんの場所…っていう想いがあったんじゃないかな。 …僕は、見てしまったんだ。 元旦の朝早く、一人で台所の椅子に姿勢を正して座ってる香奈子先生を。 テーブルの上には湯気のあがったお湯飲みが二つあって、一つは香奈子先生の前に、もう一つは向かいの誰も座っていない席に置いてあった。 そこは、母さんが生きていたときに座っていた場所で…。 その時、僕には母さんの姿は見えなかったけれど、もしかしたら香奈子先生には見えていたのかも知れない。 そして、きっと、静かに話をしていたんだと思う。 |
「それにしてもずいぶん揃えたわね」 香奈子先生が呆れたように言う。 ま、そう言われても仕方ないか…。 だって、僕たちの目の前には、これでもかって言うくらいの…アルコールの数々が並んでいて…。 「香奈子先生はいける口だって伺ってますよ」 栗山先生がそう言うと、香奈子先生はパチンとウィンクをして悪戯っぽく言った。 「『ピアニストはビールでうがいする』ってご存じかしら?」 ええ〜? …まさか…って顔を、僕はしたんだろう。 香奈子先生は『ふふ』って笑って僕の頭を撫でた。 「葵はフルーティストだから、そんな風になっちゃダメよ」 ん〜、でもね…。 「でも、栗山先生は日本酒でうがいしそうです」 これはホントのこと。 先生はかなり強いんだ。母さんには負けてたけど。 「あ、こら葵、余計なこと言うんじゃない」 先生も笑いながら僕のおでこを小突く。 「あら。じゃあ、今夜は勝負ですわね、栗山センセ」 「香奈子先生にはかないませんよ、きっと」 先生は笑いながらそう言うと、僕の顔を見て『ニッ』っと不審な笑みを浮かべた。 僕はそれを見ない振りでやり過ごし、綺麗にお皿に盛られたいろいろなもの…湯葉、生麩、色とりどりのお漬け物等々…を居間に運んで行く。 「綺麗だな」 「うん、どれも美味しいよ」 悟が立ち上がって僕からお皿を受け取ってくれる。 そう言えば、僕は悟たちがお酒を飲んでるのを見たことがない…って、未成年なんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど…。 でも、悟って強そうだよね。 守も強そう。 昇はすぐピンク色になっちゃいそうだよね。色もすごく白いし。 光安先生は、ワインとかウィスキーとか似合いそうな感じ。いくら飲んでも乱れませんって気がするな。 あと…赤坂先生も強いんだろうなぁ。 だってドイツ在住だもん。ビールもワインも水代わりなんだろうな、きっと。 「どうした? 葵」 悟が、考えに耽っていた僕の顔を間近で覗き込む。 「あ、えっとね、みんなお酒強そうだなと思って」 僕が正直にそう言うと、悟の代わりに守が答えてくれた。 「そうでもないって。人並み…だよ」 「その『人並』の基準が並はずれてたりしない?」 僕がそう言うと、みんなが声をあげて笑った。 「葵もなかなかよくわかってるんじゃない?」 昇がそう言って茶化すと、『並はずれてるのはお前だけだ』って言う突っ込みが守からあった。 え…? もしかして、昇、強いのかな? 「ともかく、顧問がここにいるんだから、ハメはずすんじゃないぞ」 教師の声で光安先生が言うと、昇と守は『は〜い』って、まるで小学生のような返事をして先生を呆れさせる。 「葵にとっては担任だがな」 そう言われると、僕も黙ってなんかいられない。 「はぁ〜い」 両手を挙げてそう言うと、赤坂先生が嬉しそうに笑った。 そして、そんな僕に、悟が耳元でコソッと囁いた。 「大丈夫、僕が介抱してあげるよ」 「うん、お願いだよ、悟」 そう答えた僕に、今度は栗山先生が反対の耳元でコソッと呟いた…。 「葵、ほどほどにしておけよ」 「うんっ」 こうして、栗山家での正月宴会が始まったわけなんだけど…。 「良昭ってドイツで少しは鍛えられたかと思ったんだけど、全然変わってないのね〜」 香奈子先生が、呆れたような、でもちょっと懐かしんでるような声でそう言いながら、赤坂先生の肩に毛布を掛けた。 赤坂先生は…かなり…弱いみたいだ。 だって、まだビールをコップに3杯とワインを2杯飲んだだけ。 なのに、赤坂先生ってば寝ちゃったんだ。 「コンサート直後から長時間の飛行機で、お疲れだったんじゃないですか?」 助け船を出すように栗山先生が言うと、香奈子先生はコロコロっと笑った。 「良昭は学生の頃から弱かったの。打ち上げなんかでも、最初に潰されちゃう方だったわね」 言いながら、香奈子先生はまた、栗山先生のグラスにワインをなみなみと注いだ。 「親父がこんなに弱いとは意外だったよな」 守が頬杖をつきながら言うと、悟と昇も『うんうん』って同意する。 でも…そういう守も…なんだか怪しいんですけど…。 「ナーエ地方のワインは口当たりがいいからいくらでも入っちゃうわね。でも、あとが怖いけど」 そんな守をチラッと見て香奈子先生は、カラになっている僕のグラスにも、その『口当たりがよくてあとが怖い』というワインを一杯に満たしてくれる。 「葵はまだ大丈夫そうね?」 「あ、はい。もう少しくらいなら」 一応そう言っておくことにする。 「こっちも意外〜。葵ってめちゃくちゃ弱そうなのに」 そう言う昇も…全然大丈夫そうだ…。 で、ビールが20本ほどとワインのボトルが6本空いて、いよいよ日本酒…ってところで、守がダウンした。 嘘だぁ…。絶対強そうに見えたのに…。 「やっぱ、守が一番手だったな」 そう言った昇に僕は聞いてみた。 「そんなにピッチ早くなかったよね、守」 「うん。でもさ、守が僕らの中では一番弱いんだ」 「嘘〜」 「嘘みたいだろ?」 そう言う昇は相変わらず全然顔色が変わってない。 う〜ん、意外…。 「じゃあ、悟は?」 僕がそう聞くと、悟は顔色こそ変わっていないんだけど、ほ〜っとだるそうなため息をついて言った。 「僕は…これだけ飲んだあとから日本酒が入るとちょっとヤバイかな」 え…? ホントに…? 「何言ってんのさ、悟。日本人なら日本酒だって」 金髪碧眼の日本人が据わった目つきで一升瓶を抱えてそう言うと、なんだか妙に説得力があって…。 「こら、昇。潰れても介抱してやらないぞ」 光安先生がそう言うと、昇は『べ〜』って舌を出す。 「そんなこと言って、そっちが先に潰れたら承知しないからね」 まさかぁ、先生が先に潰れるなんて…。 ……って気がついてみると、日本酒2杯目くらいで悟が…寝ちゃったよ…。 まあ、普通はこれくらい飲むとそろそろキツイのかも知れないんだけど…。 僕の介抱してくれるんじゃなかったのかなぁ。 もう、悟ったら…。 「葵…お前かなりペース早いんじゃないか?」 ふと気がついたように光安先生が言った。 げ…。 見つからないようにこそこそ飲んでたはずなのに…。 「そ、そんなことないです。僕、ちびちび舐めてます」 隣から栗山先生が『嘘つけ』って顔でチラッと僕を見た。 「葵がいける口だとは思わなかったな〜」 ずっと一升瓶を抱えて離さない昇が、嬉しそうにそう言って、僕にまた注いでくれる。 「うん、僕も昇がこんなに飲めるとは思わなかった」 「恐ろしい兄弟だな」 ボソッと光安先生が呟く。 やがて一升瓶の1本目がカラになろうとしたとき…。 「うわ…」 昇が言った。 なんと、昇より先に、光安先生が…寝ちゃったんだ。 「やったね、勝った」 昇〜、何の勝負だよ〜。 「よしっ、勝ったから僕も寝るっ」 一瞬でも先生に勝ちたかったわけ? 昇は『おやすみっ』って言い残して、先生の隣に転がってしまった…。 僕はまた、せっせと毛布を掛けて…。 「さあ、これで栗山先生と私の一騎打ちね」 わが子たちが次々潰れて行くのを見届けた香奈子先生は…全然大丈夫そうだ。 栗山先生もまだ大丈夫そうだけど…。 この調子じゃ、香奈子先生の方が残りそうだな。 「さて、どうでしょう」 栗山先生が、グラスをゆらりと回してニコッと笑った。 「え?」 「最後に残るのは…」 栗山先生が僕を見た。 「葵ですよ」 結局、2本目の一升瓶が半分を過ぎた頃、栗山先生が沈没して、3分の2を過ぎたところでついに香奈子先生も夢の国へ行ってしまった。 ってことは……。 ……はぁぁ…、また僕が後片づけ? 損だよね、最後まで残るってのは。 つくづく酔えない体質の自分が悲しい…。 そうだ。みんな…、明日ちゃんと起きてよね。 明日の僕の奉納雅楽を聴きに、わざわざ京都まできたんでしょうが…。 だいたいの片づけを終えて、僕はほぉっとため息をついて、コソッと悟の横に潜り込んだ。 |
END
今さらですが、このお話はフィクションです(笑)
日本の法律では18歳未満はお酒を飲んではいけないことになっています。
よいこのみなさんは真似をしないようにしましょう。
え? 20歳未満でしたっけ?
いや〜、すみません(^^ゞ