君の愛を奏でて 2
番外編

『ストロベリー・トライアングル』
in Summer Vacation

前編


 


 ぼくの名前は藤原彰久。
 聖陵学院中学校の2年生。
 管弦楽部でフルートを吹いている。

 でも、今は夏休み中。とは言っても、もう終わりに近いんだけど。

 8月下旬。
 中等部の管弦楽部はお休み。
 3年の先輩方が京都へ修学旅行中だから。

 そして、高等部の管弦楽部は軽井沢合宿中。

 すごく涼しくて、楽しいんだ…って奈月先輩言ってたっけ。

 いいなあ、ぼくも行きたい。

 でも、ぼくが軽井沢合宿に行ける高校生になった頃には、奈月先輩たちは卒業していて…。

 そう、浅井先輩と一緒に合宿…っていうのは、ぼくには叶わない夢なんだ…。





 それにしても暑いよー。

 ぼくは今日、お母さんに頼まれて買い物に来た。うちから歩いて15分ほどの商店街。

 ええと、頼まれたものは…。


「…先輩っ」

 ぼくの後ろの方で声がした。

 …んーと、これは、よく知ってる声。

 でも、こんなところで聞く声だったっけ?


「藤原先輩!」

 今度こそ、ぼくは名前を呼ばれて、慌てて振り返る。

 そこには…。

「初瀬くん!」

 制服の時よりもほんのちょっとだけ子供っぽく見える私服姿の、ぼくの大切な後輩がそこにいた。

 でもまさか、こんなところで会うなんて。
 初瀬くんのうちって、近かったんだっけ?


「先輩、一人ですか?」

 キョロキョロとあたりを確認して、初瀬くんはぼくを見下ろしてきた。

「うん、一人。お母さんに頼まれて、買い物に来たんだけど…」

「エライですね」

 …うー、それってちょっと、子供に向かっていう言葉じゃない?



 初瀬くんはぼくより頭一つ以上大きい。

 高2の奈月先輩と並んでも、初瀬くんの方が随分大きくて年上に見えるんだ。

 …まあ、奈月先輩と比べても仕方ないのかも。

 だって、奈月先輩ってば、私服で校外にでたら絶対中学生と間違われるんだ…って、浅井先輩が言ってたもん。



 そんな初瀬くんとばくが初めて会ったのは、入学式の日。

 長かったような短かったような聖陵での最初の1年が過ぎて、ぼくはついに後輩を持つ身となったんだけれど、その、ドキドキワクワクしていた気持ちは、新学年初日に崩れていった。

 だって…。


 管弦楽部のオリエンテーションを前に、迎えに行った1年の教室。

 ぼくと同じくらいか…もう少し小さいくらいの子が多い中で、一際大きくてがっしりしていて、しかもこれっぽっちも笑いそうにない感じの子が……よりにもよって、フルートパートの新入生・初瀬くんだったなんて…。

 唖然と見上げてしまったぼくもいけなかったんだけど、初瀬くんも何だかすごく複雑そうな顔をしてぼくのことを見下ろしていて、だから、ぼくはそれからしばらく初瀬くんの事が苦手だったんだ。

 でも、一緒に練習をしたり、話をしたり…いろんなことをしているうちに、ぼくにも初瀬くんの事がだんだんとわかるようになってきた。

 ちょっと無口だけど、話す声はとっても暖かくて、落ちついた優しいトーンで。

 そして、いつもぼくの事を気に掛けてくれて――まあ、ぼくが飛び抜けてチビだから、危なっかしく見えるのかも知れないけど――ぼくはいつの間にか、とっても居心地がいい思いをするようになった。

 初瀬くんは、毎日放課後、ぼくを迎えに来てくれるようになり、部活中もその後も、一緒にいる時間が多くなって、1学期が終わる頃にはぼくたちはすっかり仲良くなったんだ。


 でも、初瀬くんの帰省先って知らなかったから、こんなところで会うなんてほんとびっくりで。


「英彦…」

 声がして、初めてぼくは初瀬くんの後ろに女の人がいることに気がついた。

 もしかして…。 

「…あ、ああ…」

 なんだか言葉を濁してから、初瀬くんはぼくを見て言いにくそうに『…母…です』と言った。

 そしてお母さんの方に向き直ってぼくを紹介してくれた。

「フルートの藤原彰久先輩」

「あ、あの、はじめまして」

 目が合う。

 初瀬くんのお母さんは、どうしてか、ぼくをじっと――穴が開くほど――見つめて動かなくなった。

 ど、どうしよう。ぼく、何かしちゃった?

 ちょっと怖くなったぼくは、初瀬くんに目を向けた。

 すると初瀬くんは小さくため息をついて、『すみません』と言ったんだ。

 なに? どうして初瀬くんが謝るの?


「母さん」

 そう言って、初瀬くんがお母さんの手を引っ張ると、お母さんは急に――まるで目が覚めたみたいに――目をぱちぱちさせてからもう一度ぼくを見たんだ。


「ま、まあ…ごめんなさいね。英彦がお世話になってるのね、ありがとう」

 さっきの不思議な顔とは全然違う、何だかすごく嬉しそうな笑い方でぼくはホッとしたんだけれど…。

「彰久くん…だったわね。これからうちに遊びに来ない?」
「え?」
「母さん!」
「英彦、一人で暇そうにしてるのよ」
「母さんっ!」

 いきなり誘われてびっくりしたんだけど、そっか、初瀬くん、一人っ子なんだ。ぼくと一緒だ。

「母さん、いきなり何言い出すんだよっ」

 初瀬くんが慌てて止める。
 ぼくは、誘ってもらったこと自体は嬉しいんだけど…。

「ありがとうございます。でも今はお使いの途中なので」

 頼まれたもの、まだ何にも買ってないんだ。
 あんまり遅くなるとお母さん心配して探しに来ちゃうし。


「…まあ、ごめんなさいね。でも、ぜひ遊びに来て欲しいわ。ご招待してもいいかしら?」

「ありがとうございます。嬉しいです」

 そう言うと、お母さんはニコッと笑って『可愛いわ〜』とぼくの頭を撫でた。

 うー。そりゃあ、初瀬くんに比べたら可愛いかもしれないけどー。


「ええと、遅くなると母が心配するので」

「そうね。引き留めてごめんなさいね」

「いえ、とんでもないです」

 ぼくとお母さんが話してると、横から初瀬くんが結構強引に間に入ってきた。 

「先輩、電話してもいいですか?」

「うん、もちろん」

 ぼくもちょっと退屈だったんだ。一人っ子だしね。
 小学校の時の友達とはもうたくさん遊んだし。

 初瀬くんとなら、音楽の話とか学校の話とか、部活の話も、それからそれから…浅井先輩の話もできるし。


 ぼくたちはそこで別れ、そして、初瀬くんからはその夜に電話があった。

 電話でもたくさん話したんだけど、電話の向こうから初瀬くんのお母さんに『彰久くん! 遊びに来てね〜!』と声を掛けられ、ぼくは次の日には本当に初瀬くんちに行くことになったんだ。



                  



 びっくりなことに、ぼくのうちから初瀬くんちまでは自転車でたったの15分。

 まさかこんなに近いと思わなかった。
 聞いてみれば、小学校は隣同士だったんだ。

 教えてもらった道順はすごくわかりやすくて、迎えになんて来てもらうまでもなく、ぼくは順調に初瀬くんちに辿り着いた。


「いらっしゃい、彰久くん」

 迎えてくれたのはもちろん初瀬くんなんだけど、お母さんもしっかり隣にいたりなんかして。

「僕の部屋、行くから」

 初瀬くんがぼくの手を引っ張って階段を上がりながらそう言うと、お母さんは『リビングじゃダメなの』と後ろをついてくる。

 別にぼくはどっちでもいいんだけど。

「ダメ」

 けど、初瀬くんが容赦なく返しちゃって、でも、お母さんはそのままついてきて、結局一緒に部屋までやって来た。



 初めて入った初瀬くんの部屋は、初瀬くんの見かけ通り、なんだか大人っぽい部屋だった。

 ぼくの部屋には、ぬいぐるみとかクッションがいっぱいあるんだけど(ぼくの趣味じゃなくてお母さんの趣味だからね)、初瀬くんの部屋にはそんなの一つもなくて、壁にはなんと栗山先生の公演ポスターが張ってあって、本棚には楽譜、そしてたくさんのCDが並んでた。

 初瀬くんのお母さんは一度出ていったんだけど、今度は山盛りのいちご――ちょっと季節外れてるよね?――を持って戻ってきた。


「彰久くん、いちご好きなのよね?」
「あ、はい」

 うん、大好きだけど。

「英彦に聞いたの」

 嬉しそうにそう言ったお母さんは、そのまま初瀬くんの部屋に居着いてしまった。

 なんか珍しいよね。

 ぼくのお母さんも、ぼくの友達が来たら一緒にお茶飲んだりはするけれど、こんな風に側にべったりってことはないもん。

 優しいお母さんだから、別にいいけど。



 …でも、痺れを切らしたのは初瀬くんだった。

「母さん、もう、いいだろう?」

 静かにそう言ってお母さんを見る。

「…英彦…」

 そんな初瀬くんを見上げるお母さんは、何だかすごく切なげで。

「彰久くん」

 そして、ぼくに向き合う目も妙に真剣で。

「はい」

「今日だけじゃなくて、これからも遊びに来てくれる?」

「あ、はい、もちろんです」

 ぼくがそう言うと、お母さんはやっと表情を緩めて『約束よ』と、小指を差し出して来た。

 指切りって…何だか恥ずかしいけど。

 でも、ぼくもそっと小指を出すと、お母さんはそれは嬉しそうにぼくと指を絡めて、もう一度『約束ね』と言ったんだ。

 なんだろう? なんだか不思議な感じ。
 あ、もちろん嫌な感じじゃないんだけど。


 初瀬くんが視線だけでぼくに『すみません』と伝えてきた。

 だからぼくは『全然大丈夫だよ』って伝わるように笑って見せた。

 それに安心したように、初瀬くんはちょっと笑うと、お母さんを連れて出ていった。


後編へ続く

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