〜サイトオープン3周年記念〜

君の愛を奏でて

『月の夜、君が招きし…』

前編


 

 秋晴れ…と言うにはまだまだ夏空のような、9月の暑い午後。

 僕たち兄弟は、久しぶりに揃って京都の土を踏んだ。

 程良く空調の効いた新幹線の車内からホームへ出ると、盆地独特のまとわりつくような湿気と熱気が押し寄せてくる。

 東京へ出て4年目。

 すっかり関東の気候に慣れてしまった僕に、このむせ返るような空気は少し辛くて、そして…懐かしい。


「うーん、ほんと久々だな」

 守が新幹線のホームで大きく伸びをする。

「葵が高1で、僕たちが高2のお正月だったから……」

 昇が指を折っている。

「え〜っ、もしかして2年以上経ってるわけ〜?」

 ええっと。僕も指を折ってみる。

「ほんとだ。2年と半年以上だね」

「僕と葵は今年の春にも来てるから、そんなに開いた気は全然しないけどな」

 悟はそう言って、さりげなく僕の荷物も持ってくれようとする。

「あ、大丈夫だよ」
「いいから」


 悟はいつも言うんだ。

『僕はピアニストだから、楽器を持って歩かなくてすむからね』って。

 そう言って、片手にフルートケースを抱えている僕の荷物を、いつも持ってくれる。

 ピアニストだからこそ、大切な指のために余計な荷物なんて持たせたくないのにね。

 でも、悟は『ピアノ弾きも筋力がないと務まらないからね』って、綺麗に鍛えられた腕で、いとも簡単に僕の荷物を持ってくれちゃう。

 …ま、僕一人を平然と抱き上げられるだけの筋力があるわけだから、2泊3日の荷物くらい何ともないのかも知れないけど。


 反対に、大変なのは守…かな。

 チェロって言うのは本体はそう重くないんだけど、ケースに入ると途端に重くなる。最近では超軽量のケースもあるんだけど、それでもかなりの重さになる。

 だから、チェリストの移動はいつも大変なんだ。

 でも、守は平然と右肩に重いチェロケースのベルトを引っかけ、左手にボストンバックを持っている。しかも、演奏会用の服を収める衣装バックまで持って。

 …ほんと、いつ見ても大変。

 昇はヴァイオリンだから、まだマシだけどね。




 そんなわけで、楽器連れで大荷物の僕たちは、迎えに来ているはずの…。

「葵〜!」

 いたいた。

「久しぶり〜!」

 僕の大好きな幼なじみ、由紀。

 すっきり結い上げた日本髪に、紺地に白の浴衣が涼やかだ。もっとも、この姿ももうすぐ見納めなんだけど。



「元気だった?」
「うん、もちろん。由紀も元気そうだね」

 春休み以来だ。…とは言っても、由紀はとても忙しくしていたので、ほとんど話はできなかった。だから、こうしてゆっくり近況を交換しあった訳でもなくて。


「なんや、大学生になったていうても、全然変わらへんなぁ。高1の頃と一緒やんか、葵」

 そう言ってコロコロと笑う由紀に、僕の兄たちが吹き出した。

「ひっど〜い」

「悟さん、昇さん、守さん。ようこそ、京都へ。お忙しいところ、無理をお願いしてすんまへんどした」

 むくれる僕を軽く無視して、由紀と悟たちは挨拶を交わし、話を始めた。

 悟はともかく、昇と守は本当に久しぶりだから、いきなり話が盛り上がってしまう。

「あのさっ、ここホームだから、早く行こうってばっ」

 楽器持ちの僕たちと、舞妓のオフ姿って言う取り合わせは、なんだか妙にホームの視線を集めてて。さりげなくカメラを構えてる人までいるし…。

 さっきと変わらず僕がむくれた顔で言うと、4人はまたしても盛大に笑って、やっと移動を開始した。






「ホテルを取っておくな…て言うてたんやけどな、実は…」

 迎えに来てくれていたのは8人乗りの観光タクシー。

 ま、チェロは人間一人分の嵩があるわけだから、僕らは結局総勢6人になるわけで、この大きさの車はかえって快適かも。


「紫雲院の住職さんが、ぜひうちに止まって欲しいて、準備してくれてはるんやわ」

 その快適なタクシーの中で由紀が僕らにそう言った。

「え? お寺に泊まるのっ?」

 そう言ってちょっと青くなったのは昇。

 こう見えても(?)、昇は結構怖い話に弱い。

 怪談話とか、みんなで話してる最中はノリノリなんだけど、一人になったら怖くて寝られないってタイプ。

 …そんな昇ににっこりと笑って、由紀は続けた。


「お寺て言うても、紫雲院はちょっと特殊なお寺で、もとから檀家さんがないんどす」

「へ〜、そんな寺、あるんだ」

 感心したようにいうのは守。

 その言葉にニコニコと頷いて、由紀はまた、安心させるように昇に言った。


「檀家さんがないということは、お墓がないということどす」

「お墓がない?」

「そうどす。そやから安心して泊まってもろて、よろしいんどす。心配しはらへんかって、火の玉やとか、白い着物を着た足のないお姉さんとかは、うろうろしてまへんし」

 由紀はコロコロと笑うんだけど、昇は僕の腕にしがみついてる。

「まあ、見てもろたら納得どす。それはそれは静かで美しいお寺やさかいに」


 そして、怯えている昇の気を紛らわせるように、由紀は最近お座敷であった面白い話を聞かせてくれて、車は20分ほどでその『紫雲院』へ着いた。



            



「これは…」

 最初に口を開いたのは悟。

「想像以上だ」

 あとを継いだのは守。

 昇もさっきの怯えはどこへやら、ほうっとため息をもらした。

「なんか…すっごい…」



 閉ざされている門の脇にある小さなくぐりを抜けて、僕らは紫雲院の中へ足を踏み入れた。

 そして、そこで見たものは、何ともいいようのない、穏やかで優しい光景だった。

 京都に立ち並ぶ大寺院に比べるべくもない、小さな庭。

 手入れの行き届いた木々も、どことなく小振りに収まっていて、なのに『そこにある』という存在感を確かに示している。

 そして、その光景をなにより引き立たせているのが、ここの空気…。


「…なんか、涼やかだな」

 僕が感じたのと同じ事を口にしたのは守。

「そうだね。なんだかひんやりして…」


 …ふと、誰かが泣いているような気がした…。


「確かに、空気の色が違うような気がするな…」

 そう言った悟に、昇も無言で頷いた。

 とても、静かな空間。

 僕らは言葉をなくして、立ちすくんでいた。


 …と。



「ようこそ、紫雲院へ。遠いところをおいでいただきましてありがとうございます」

 建物を背にして庭に向かっていた僕らに、声がかかった。

 清冽でいて、穏やかな声。

 振り向くと、そこにはまだ若い、しかもかなりハンサムな有髪のお坊さんがいた。

 墨染めの衣がふわっと風に揺れる。


「初めまして。住職の笠永隆幻と申します」

 そういって、お坊さん――隆幻さん――は縁側に手をつき、深々と頭を下げた。

 その姿ですら、凛々しい感じ。


「初めまして、桐生悟と申します。このたびはお世話になります。よろしくお願いいたします」

 長男らしく、悟が先頭切って挨拶をする。

 昇も守も、そして僕もそれに倣うと、隆幻さんはとても柔らかい微笑みを浮かべて『どうぞお上がり下さい』と、中へと招き入れてくれた。



            



「このたびは、無理なお願いをお聞き入れいただきまして本当にありがとうございます。クラシック界で今注目の若手演奏家のみなさんが由紀さんの縁の方々とお聞きして、ぜひ今回の企画にと我が儘を申しました」


 本堂…にしてはちょっと造りの違う建物。
 ご本尊らしき――でもとても小振りで質素な――仏様がお祀りされている前で、僕たちは凝った細工のきれいな和菓子と抹茶でもてなされている。


 もちろん昇と守は目を輝かせて和菓子を楽しんでいて、悟は相変わらず長男らしさ満開で落ち着いた受け答えをしている。

「いいえ、こちらこそ、まだ学生で勉強中の身です。どこまでお役に立てるかわかりませんが、精一杯頑張らせていただきます」

 その言葉に隆幻さんはとても嬉しそうに頷いてくれて…。



 そう、僕たちが秋の――とは言っても今年は今だに夏空で、残暑がとてもとても厳しいけれど――京都を訪れたのは、実は仕事のためだったりするんだ。


 もともと、ここ『紫雲院』は非公開寺院だったんだけれど、その公開に尽力したという当時の旅行会社の社員さんが、仕事を通じて由紀ととても仲良しで、プライベートでここへ連れてきてもらって以来、由紀と隆幻さんもとても親しくなったということなんだ。

 そして、現在は公開しているものの、普段は完全予約制で一般公開はしていない紫雲院が、年に二回だけ一般公開する日のうちの一つ、『中秋の名月』の企画に僕たちが呼ばれたというわけなんだ。


 内容は、クラシックを中心に、ちょっとアレンジものも織り交ぜたリラックスコンサート。

『月』にちなんだ曲をチョイスして、夕暮れから一時間ほどのステージなんだけれど、やらせてもらうことになったってわけだ。



 お茶をいただきながら雑談も色々交えながら話しているうちに、由紀の仲良しさんで、今回の企画の片棒を担いでいるという元旅行会社の社員さん――海塚千里さんという、嘘みたいに可愛らしい人でびっくりしたけど――が登場して、僕らはコンサートのうち合わせを綿密に行い、明日午後のリハーサルまでの自由時間を手に入れた。



 日が傾くと、さすがに昼間の暑さはなくなり、東山の麓を抜ける風が気持ちいい。

 紫雲院から僕の育った祇園界隈までは十分に歩ける距離なので、僕らは夕涼みを兼ねて夕食をとりに行き、そして夜、紫雲院に戻ると、本堂横の客間には風情のある麻の蚊帳が吊られていて、その中に四人分の布団が並べて敷いてあった。

 開け放した縁側からは、ぬるくも冷たくもない、本当に心地よい風が、虫の声も部屋の中へ運んでくれて、京都――しかも祇園――で育った僕でさえ感じ入ってしまうほど、風情は満点。

 おまけに庭の灯籠には蝋燭の明かりまでほんのりと揺らいでいて…。


 だから、洋式の生活しかしたことのない悟と昇と守はもう、『これぞ日本!』とばかりに大感激。

 蚊帳の中に入るのも一騒動で、蚊を中に入れないように素早く入らないとダメだよっていってるのに、はしゃいでるうちに一匹の侵入を許しちゃって、それを退治するのにまた一騒動。

 やっと落ち着いて布団に入った頃は、もう時計は真夜中を指していて…。


 一番縁側に近いところに悟。その隣に僕。
 そして、外側は怖いって言い張る昇が僕の隣で、部屋の一番奥が守。

 つまり、僕と昇が、悟と守に挟まれて寝てる…ってこと。



「なんか合宿みたいだね」

 僕がそう言うと、守が
「シチュエーションに感動しちまってすっかり忘れてたけど、そういえば、4人で一緒に寝るなんて初めてじゃないか?」って言い出した。

「…そうだよ! だって、聖陵に入ってからは寮生活だったし、うちに帰ったらそれぞれ部屋があるし、みんなで旅行っていえば葉山の別荘くらいで、あそこはベットルームしかないし…」

 昇の言葉に悟も頷く。

「そうだな。チビの頃には一緒に寝ていたけれど、葵も一緒に4人で…と言うのは確かにないな」

 うん。こんな夜は本当に初めてで…。


「これから、みんなそれぞれにどんどん忙しくなっていくだろうけど、たまにはこうして4人でどこかへ行くのもいいな…」

 悟がいうと、昇も守も……もちろん僕も、大賛成して、やがて交わす言葉が間遠くなり、僕たちは心地よい眠りに落ちていった……。






『兄…上…』




【中編】へ続く

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