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君の愛を奏でて
『月の夜、君が招きし…』
中編
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……なりあき…… …なり…あ…… ――誰? 呼んでいるのは、誰? ……あ…おい… …あおい…葵… 「葵っ!葵!」 ……え? な、に? ここは、どこ? 「葵っ、大丈夫かっ?」 僕を抱えて、顔色を変えているのは…悟。 昇と守も、とても心配そうに覗き込んでいる…。 「え、と…」 何が起こったのか、全然わからなくて、僕は3人の顔を交互に見る。 悟の指が、そっと僕の目尻を拭った。濡れた感触。 …もしかして、泣いてた…? 昇が僕の額にかかる髪をそっと上げて汗を拭ってくれる。 守は掌でそっと頬に触れて、『熱はないみたいだな』って呟いた。 「葵、気分は?」 悟の問いかけに、僕は自分の気分を検証してみる。 …うん、悪くはない。悪くはないけれど…、なんだかとっても…。 「怖い夢でも見たか?」 守も優しく聞いてくれる。 「いきなりしがみついてくるから何事かと思えば、泣いてるし」 クスッと笑って昇がおでこを合わせてくる。 「怖がってた僕が熟睡してるのにさ」 ほっぺをつつかれて、僕も思わず小さく笑う。 「…ごめんね、心配かけて。なんだかちょっと…」 「ちょっと?」 …なんだか…とっても…。 考えても出てこない。この不思議な気分。 でも。 「…哀しくなってしまって…」 口をついて出たのはそんな言葉だった。 けれど、そう言った途端、僕は悟に痛いほど抱きしめられて、身体を覆っていた『哀しみ』はフッと軽くなった。 外はまだ、仄暗い。 けれど夜明けは近そうで…。 「何かを感じたんだろうな。葵は悟と違って敏感だから」 「守、一言余計だ」 ジロッと睨む悟にも、守はどこ吹く風。 「それにしても葵ってやっぱり霊感体質なのかなぁ」 その手の話は怖いクセに、昇が言う。 「俺だってばっちりそうだぜ」 肩を竦める守。 「でもさ、守はともかく、葵はさぁ…」 僕? 僕がなに? 「なに? 昇」 言葉を切って、僕をジッと見つめる昇に、先を促してみると…。 「だってさ。処女でなくなったら見えなくなるとか言うじゃん、そういうのって」 はいぃぃ〜? 「しょ、しょ…」 言うに事欠いて、なにを〜! 「でもさ、こういう場合の処女ってのは、俺としては身体のことじゃなくて、心根のコトだと思うけどな」 ちょっと〜! 僕が顔から火を噴いてるってのに、話を掘り下げるんじゃないっ! 「なるほど〜。守もたまにはいいこというじゃん」 感心してる場合か〜! 「ということで、俺と葵はココロが綺麗だってコトだ」 だから〜! 「ちょっと待った」 「そう、聞き捨てならないな、それは」 「そうそう、それじゃまるで僕と悟のココロが汚れてるみたいじゃん」 …悟も昇もツッコミどころが違うだろ〜っ! …こうして、紫雲院での最初の夜は、わけのわかんない展開で明けていった…。 ![]() 「こんなに間近で、人気沸騰中の桐生兄弟の演奏が聴けるなんて、ほんとにこの仕事をやっていてよかったです」 音響・照明・進行などのスタッフリハーサルを含めたステージリハーサルのすべてを終え、あとは本番を待つばかりとなった僕たちに、とても可愛らしく優しい笑顔で声をかけてくれるのは、企画会社の海塚さん。 「ご期待に添えるように、本番も頑張ります!」 そう答えた僕たちを、もう随分と慣れてきた、本番前の心地よい高揚感が覆い始める。 昼間の暑さが漸く去り、山辺を緩やかに吹き抜ける風が、滞っていた湿気を運び去る。 そして、開門と同時にざわざわと中へ入ってきたお客さんたちも、この庭が持つ圧倒的な存在感に、ふと、口をつぐんで押し黙る。 本番…。 聞こえてくるのは虫の声ばかりで、たくさん詰めかけている人たちの気配はほとんどない。 嘘のような静寂。 悟が最初のキーを叩いた。 続いて昇と守、そして僕があとを追う。 僕たち4人が…そして聞いてくれる人たちみんなが、一つに溶けていく…。 やがて1時間ほどのプログラムは終了し、隆幻さんがほんの短い法話をされたあと、ぜひアンコールをと乞われて――当然うち合わせ済みなんだけど――悟が編曲をした『ムーンライトセレナーデ』を最後に聞いてもらうことになった。 アンコールっていうのは、奏者も聴衆もプログラムの緊張から解放されて、手放しで楽しめるから僕は大好きなんだけど…。 …あ、れ…? 守の――チェロを弾く守の後ろに…誰か、いる。 あっちにはお客さんは入れないはずなのに…。 思わず凝視してしまった僕は、そのはずみでほんの僅かにリズムを崩し、慌てて演奏に意識を集中させた。 ![]() 「そう言えば、アンコールの途中でちょっと揺れたな、葵」 関係者一同でささやかな打ち上げをしたあと、僕たちはまた、昨夜のように蚊帳の中に布団を並べている。 そして、守の言葉に、僕はアンコールの途中で見た『誰か』の存在を思い出した。 でも…。 「そうそう、葵がリズムを崩すなんて珍しいからびっくりした。ま、僕たち以外の誰にもわかんないだろうけど」 …こんな事言ったら、昇が怖がるだろうし…。 「編曲で何かまずいところがあったか?」 悟はやたらと真剣な声で聞いてくる。 「あ、ううん、全然そんなんじゃないよ。極めて個人的な事情だから」 「個人的な事情?」 さらに怪訝そうな声で悟が言う。 「うん、ちょっと思い出したことに気を取られちゃっただけだから」 そんなことでリズムを崩してるようじゃ、演奏家失格なんだけどね。 「思い出したこと?」 さらに突っ込んでくる悟を交わすため…そして、不必要に昇を怯えさせないために、僕は嘘をついた。 「もう忘れちゃったよ」 けれどそう言った瞬間、僕ははっきりとその光景を思いだした。 そうだ、守の背後にいたのは、まだ若い男の子。着物のようなものを着ていたと思う。そして、誰かを呼んで……いた。 『兄上…』 それは、僕の中から聞こえてきた。 兄上って…いったい…。 ふと、視界がぐにゃりと歪んだ。 …ああ…、兄上だ。 こんなところに…。 …やっと、見つけた…! |
【後編】へ続く |