〜サイトオープン3周年記念〜

君の愛を奏でて

『月の夜、君が招きし…』

中編





 ……なりあき……

 …なり…あ……



 ――誰? 呼んでいるのは、誰?



 ……あ…おい…

 …あおい…葵…








「葵っ!葵!」

 ……え?

 な、に? ここは、どこ?

「葵っ、大丈夫かっ?」

 僕を抱えて、顔色を変えているのは…悟。

 昇と守も、とても心配そうに覗き込んでいる…。

「え、と…」

 何が起こったのか、全然わからなくて、僕は3人の顔を交互に見る。

 悟の指が、そっと僕の目尻を拭った。濡れた感触。

 …もしかして、泣いてた…?

 昇が僕の額にかかる髪をそっと上げて汗を拭ってくれる。

 守は掌でそっと頬に触れて、『熱はないみたいだな』って呟いた。


「葵、気分は?」

 悟の問いかけに、僕は自分の気分を検証してみる。

 …うん、悪くはない。悪くはないけれど…、なんだかとっても…。

「怖い夢でも見たか?」

 守も優しく聞いてくれる。

「いきなりしがみついてくるから何事かと思えば、泣いてるし」

 クスッと笑って昇がおでこを合わせてくる。

「怖がってた僕が熟睡してるのにさ」

 ほっぺをつつかれて、僕も思わず小さく笑う。

「…ごめんね、心配かけて。なんだかちょっと…」
「ちょっと?」


 …なんだか…とっても…。

 考えても出てこない。この不思議な気分。

 でも。

「…哀しくなってしまって…」

 口をついて出たのはそんな言葉だった。

 けれど、そう言った途端、僕は悟に痛いほど抱きしめられて、身体を覆っていた『哀しみ』はフッと軽くなった。



 外はまだ、仄暗い。
 けれど夜明けは近そうで…。





「何かを感じたんだろうな。葵は悟と違って敏感だから」
「守、一言余計だ」

 ジロッと睨む悟にも、守はどこ吹く風。

「それにしても葵ってやっぱり霊感体質なのかなぁ」

 その手の話は怖いクセに、昇が言う。

「俺だってばっちりそうだぜ」

 肩を竦める守。

「でもさ、守はともかく、葵はさぁ…」

 僕? 僕がなに?

「なに? 昇」

 言葉を切って、僕をジッと見つめる昇に、先を促してみると…。

「だってさ。処女でなくなったら見えなくなるとか言うじゃん、そういうのって」

 はいぃぃ〜?

「しょ、しょ…」

 言うに事欠いて、なにを〜!

「でもさ、こういう場合の処女ってのは、俺としては身体のことじゃなくて、心根のコトだと思うけどな」

 ちょっと〜! 僕が顔から火を噴いてるってのに、話を掘り下げるんじゃないっ!

「なるほど〜。守もたまにはいいこというじゃん」

 感心してる場合か〜!

「ということで、俺と葵はココロが綺麗だってコトだ」

 だから〜!

「ちょっと待った」

「そう、聞き捨てならないな、それは」

「そうそう、それじゃまるで僕と悟のココロが汚れてるみたいじゃん」

 …悟も昇もツッコミどころが違うだろ〜っ!




 …こうして、紫雲院での最初の夜は、わけのわかんない展開で明けていった…。



                   



「こんなに間近で、人気沸騰中の桐生兄弟の演奏が聴けるなんて、ほんとにこの仕事をやっていてよかったです」

 音響・照明・進行などのスタッフリハーサルを含めたステージリハーサルのすべてを終え、あとは本番を待つばかりとなった僕たちに、とても可愛らしく優しい笑顔で声をかけてくれるのは、企画会社の海塚さん。

「ご期待に添えるように、本番も頑張ります!」

 そう答えた僕たちを、もう随分と慣れてきた、本番前の心地よい高揚感が覆い始める。

 昼間の暑さが漸く去り、山辺を緩やかに吹き抜ける風が、滞っていた湿気を運び去る。

 そして、開門と同時にざわざわと中へ入ってきたお客さんたちも、この庭が持つ圧倒的な存在感に、ふと、口をつぐんで押し黙る。





 本番…。

 聞こえてくるのは虫の声ばかりで、たくさん詰めかけている人たちの気配はほとんどない。

 嘘のような静寂。

 悟が最初のキーを叩いた。

 続いて昇と守、そして僕があとを追う。

 僕たち4人が…そして聞いてくれる人たちみんなが、一つに溶けていく…。







 やがて1時間ほどのプログラムは終了し、隆幻さんがほんの短い法話をされたあと、ぜひアンコールをと乞われて――当然うち合わせ済みなんだけど――悟が編曲をした『ムーンライトセレナーデ』を最後に聞いてもらうことになった。

 アンコールっていうのは、奏者も聴衆もプログラムの緊張から解放されて、手放しで楽しめるから僕は大好きなんだけど…。



 …あ、れ…?

 守の――チェロを弾く守の後ろに…誰か、いる。

 あっちにはお客さんは入れないはずなのに…。

 思わず凝視してしまった僕は、そのはずみでほんの僅かにリズムを崩し、慌てて演奏に意識を集中させた。



                    



「そう言えば、アンコールの途中でちょっと揺れたな、葵」

 関係者一同でささやかな打ち上げをしたあと、僕たちはまた、昨夜のように蚊帳の中に布団を並べている。

 そして、守の言葉に、僕はアンコールの途中で見た『誰か』の存在を思い出した。

 でも…。

「そうそう、葵がリズムを崩すなんて珍しいからびっくりした。ま、僕たち以外の誰にもわかんないだろうけど」

 …こんな事言ったら、昇が怖がるだろうし…。

「編曲で何かまずいところがあったか?」

 悟はやたらと真剣な声で聞いてくる。

「あ、ううん、全然そんなんじゃないよ。極めて個人的な事情だから」

「個人的な事情?」

 さらに怪訝そうな声で悟が言う。

「うん、ちょっと思い出したことに気を取られちゃっただけだから」

 そんなことでリズムを崩してるようじゃ、演奏家失格なんだけどね。

「思い出したこと?」 

 さらに突っ込んでくる悟を交わすため…そして、不必要に昇を怯えさせないために、僕は嘘をついた。

「もう忘れちゃったよ」


 けれどそう言った瞬間、僕ははっきりとその光景を思いだした。

 そうだ、守の背後にいたのは、まだ若い男の子。着物のようなものを着ていたと思う。そして、誰かを呼んで……いた。


『兄上…』


 それは、僕の中から聞こえてきた。

 兄上って…いったい…。


 ふと、視界がぐにゃりと歪んだ。





 …ああ…、兄上だ。

 こんなところに…。

 …やっと、見つけた…!



【後編】へ続く

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