ACT.2
〜ずぶ濡れのゆびきり〜
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(陽が長くなったなぁ…) 梅雨の晴れ間、久しぶりにその顔を覗かせた太陽は、いつまでも空に留まっていたいようだ。 ここは私立聖陵学院の第1体育館。中等部と高等部のバスケットコートがある。 中等部3年、バスケ部マネージャーの秋園貴史は、知らず、その視線を高等部のコートへと泳がせる。 視線の先はいつも同じ人間。 高等部1年、レギュラー選手の中沢涼太だ。 今日も俊敏に走り回り、豪快にシュートを決めている。 涼太に対する恋心を自覚して、1年近く。 今日に至るまで、ずっと見つめているだけ。 もちろん、これからもそのつもりだ。 告白しようなどとは思わない。 自分が隣に並ぼうなどとも、これっぽっちも思わない。 受け入れてもらえるとか、もらえないとか、そんなこと以前の問題なのだ。 涼太は遠い人、憧れの先輩。 こうして見ていられるだけでいい…。 だから、いつまでもこうして見つめていたい…。 「…ふみ………たかふみってば!」 名前を叫ばれて、驚いてボールを落とす。 「わわっ…」 「貴史ぃ、何やってんだよ」 慌ててボールを拾い、振り向けば、見上げるほどの長身が腰に手を当てて呆れた風に見おろしている。 貴史の同級生、中等部の副主将、相良浩二。 中3のクセに、すでに185cmの大男だ。 「ごめん…」 俯く貴史に、浩二は声色を変えて囁いた。 「…調子悪い?」 その、明らかに周囲に配慮して聞いてくる態度に、貴史は慌てて首を振る。 「ううんっ、ごめん、何でもないんだ。ほんとにごめん、心配かけて…」 目一杯否定する貴史に、浩二は一瞬安堵の微笑みを見せ、それから副主将の顔に戻る。 「だったら、ボケッとしてんじゃないの。また、ボールに頭をヒットされても知らないぜ」 浩二は貴史の額を軽く小突くと、コートへと戻っていった。 『ボールに頭をヒット…』 そう聞いただけで、貴史は自分の体温が上がるのを感じてしまう。 過去2回、同じことがあり、どちらも自分を運んでくれたのは、涼太だったのだ。 「はぁぁ…」 小さくため息をついたとき、高等部の練習が終わった。 貴史は高等部のコートから慌てて視線をはずし、自分の仕事へと戻っていく…。 「お疲れ」 ポンッと肩を叩かれ、涼太はタオルを顔からはずす。 「お疲れさまでした」 高等部の2、3年生たちが次々と引き上げていく中、涼太たち1年生は練習の後片づけを始める。 それはレギュラーであろうとなかろうと変わりはない。 涼太は汗を拭いたタオルを首にかけると、そのまま中等部のコートに視線を移す。 視線の先はいつも同じ、3年生の秋園貴史。 レギュラーの涼太は、当然コートにいる時間が長いから、練習中に貴史の様子を見ることが出来ない。 だからこうして練習が終わると、すぐに貴史の姿を探してしまう。 毎日そうだ。 同級生たちと談笑しながらマネージャーの仕事をこなしていく貴史の様子に、涼太は安堵する。 しかし、安堵しても、その視線がはずれることはない。 いつからこうなったのか。 昨年、中等部の主将になったとき、顧問から聞かされた貴史の病気は確かにショックだった。 それ以来、顔色や動作にも気をつけるようになった。 けれど、その前から自分は貴史を見ていたのではないかと思う。 貴史が入学してきたときは、まだ自分の方が小さかった。 数センチ背の高い貴史から『先輩、先輩』と懐かれるのが嬉しくて、いろいろ面倒を見て、お節介も焼いてきた。 そのうち、自分の方が大きくなり始め、今度は下から見上げるように微笑みかけられるようになり、またそれが嬉しくて、ふざけ合ったり相談に乗ったりしてきた。 それが、いつからこんなに胸が苦しくなり出したのか…。 そして去年の初夏、自分が弾くピアノの、その音の世界に身を委ねている貴史を見たとき、この可愛い後輩の魂が、自分に近いことを自覚した。 もう、想うことは止められなかった。 「涼太、帰ろうぜ」 かけられた声に、『ああ』と返して、涼太は体育館をあとにした。 「な、お前どう思う?」 「どうって…」 部活もすんで、人気のなくなった中等部バスケ部の部室に2人の人影。 「貴史だってば」 「わかってるよそんなこと。俺だって気にはなってる」 ヒソヒソ話すのは、副主将の浩二と、主将の川添真一郎。 「ずっと高等部のコートを見てるんだもんな」 浩二が腕組みすると、真一郎が椅子の上で大きく伸びをする。 「3年になってからだって、気づいてたか? 浩二」 「ああ、確かに。3年になる前は、ちゃんと中等部のコートをみてたからな、あいつ」 真一郎にも浩二にも、貴史は大切な親友で、その身体のことも心配だが、それ以上にここ数ヶ月の貴史の様子に不安を感じていた。 真一郎が立ち上がる。 「なぁ…。中沢先輩のことだけどさ。先輩、練習すんだらじっとこっち見てるの知ってるか?」 「え…? ホントに? 気がつかなかったけど」 浩二が目を丸くした。 「どうも、貴史…の方を見てるよう…な気がするんだ…」 真一郎は慎重に言葉を選ぶ。 「マ、ジ…?」 「もしかすると、貴史も中沢先輩をみてるんじゃないかな」 今度の言葉は少し確信があったのか、語気が強くなる。 「それって、両想いってこと?」 「いや、まだどっちも片思いと見た」 その言葉に、浩二は唇を尖らせた。 「なら、話は早いじゃんか。悩むことなんかない」 「バカだな、お前。たとえこれが真実でも、貴史が『ハイそうですか』って認めるもんか」 真一郎は再び椅子に身体を投げ出した。 「貴史は…あいつはただでさえストイックな性格してるのに、その上病気の身だ。たとえ、両想いとわかっても、素直に受け入れるとは思えないな」 「んじゃ、どうすんだよ」 さらに、口を尖らす浩二に、真一郎はチラッと視線を投げ、声色を変えて気障に言い放つ。 「中沢先輩の…愛の力しかないだろう?」 「へ?」 尖らせていた口を間抜けに開ける浩二。 真一郎は不敵に笑う。 「きっかけ…作ってやろうじゃん」 2日後。 貴史は部室のロッカーに入れられた、一通の手紙を発見した。 『話したいことがある。午後6時、裏山の楠木の下に来て欲しい。R.N』 (R.N……。りょうた…なかざわ…?) 貴史は、穴があくほど文面を見つめていたが、やがて深くため息をつくと、手紙をたたんでブレザーのポケットにしまい込んだ。 (いったい誰がこんなことを…) いくら考えても、このイニシャルは涼太以外になかった。 けれど、涼太がこんな形で自分を呼び出すとはとうてい考えられなかった。 それでも、涼太であればとどこかで願っているのだが…。 裏山の楠木。 学校が建つ以前からこの場所にある巨木である。 部活を終えた貴史は、午後6時にやって来た。 まだ空に残っているはずの太陽は、分厚い梅雨の雲に覆われて姿を見せていない。 貴史は空を見上げてその表情を、空と同様に曇らせる。 (傘…持ってくれば良かった…) そう思う端から、水の粒が頬に落ちた。 一粒落ちれば、すぐにまた一つ、また一つ…。 (どうしよう…降って来ちゃった) 帰ろうかと、一瞬思う。 しかし、もし、もしも呼び出したのが本当に涼太なら…。 そう思うと、貴史はこの場を離れられなかった。 やがて、雨足は強くなり始め…。 「涼太、飯行こうぜー」 412号室で陽司が涼太に声をかける。 「うん、行く行く」 「中沢―」 食堂の前、涼太に声をかけたのは、クラスメイトだ。 「なにー?」 「悪いっ、昼休みに手紙預かってたんだけど、渡すの忘れてた」 クラスメイトはすまなそうに、封筒を差し出した。 購買で売られている、校章入りの封筒だ。 「え? 誰から?」 「見覚えのないヤツだった。中学生だったけど…。バスケ部の子じゃないかな?」 バスケ部と聞いて、涼太は不審そうな顔を見せる。 用があるなら、直接話に来るはずだから…。 「ともかくごめんな」 「いや、いいよ。こっちこそ、ありがとな」 涼太は封筒を受け取ると、立ったままで封を切った。 『お話ししたいことがあります。午後6時、裏山の楠木の下まで来て下さい。 T.A』 (T.A…。たかふみ…あきぞの…?) 「おいっ、陽司。今何時だ」 陽司の返事を待たずに、涼太は陽司の腕を掴み、時計を見る。 針はすでに40分を指している。 涼太は走り出した。 「涼太っ! どうしたんだよっ」 後ろから追いかける陽司の声は、もう耳に入らない。 涼太は裏山を目指して寮をでた。 部活が終わった頃には降っていなかった雨が、かなり降っている。 校内用の傘を掴み、駆け出す。 手紙の差出人が貴史であるという確証はない。 貴史が手紙で呼び出しをかけるとも思いがたい。 しかし、もし呼んだのが貴史なら…。 そう思うと、涼太の足は速くなる。 (…やっぱり、いたずらだったんだ…) 貴史は濡れた自分自身を暖めるようにギュッと抱きしめた。 (僕…誰かの恨みを買うようなことしたかなぁ…?) 身体は冷え切っているのに、頭はボーッとしている。 帰ろうと思い、立ち上がろうとする。 しかし…。 (…何…? 身体…動かない…) 確かに思う存分水分を吸い込んだ衣服は重くはなっているが、そればかりではない。 動悸が激しくなる。 焦って手や足を動かそうとするが、どこも自分の思うとおりにはなってくれない。 (どう…しよう…) このままではいけないという思いが、身体の中で渦巻くが、焦れば焦るほど身体が縮んでいくような気がする。 (たすけ…て、中沢せんぱ…い…) ふいに暗くなる視界と意識。 「貴史っ」 雨音に混じって、大好きな人の声が聞こえたような気が…する…。 「貴史っ、しっかりしろっ、貴史!」 楠木の巨木の下、うずくまるように濡れそぼっている貴史を見つけたとき、涼太は背筋が凍った。 駆け寄ってもう一度声をかけるが返事がない。 抱き寄せたその身体は、芯まで冷え切っているようだ。 とりあえず温めないといけないが、自分もすでに濡れてしまっている。 寮まで抱きかかえて走っても、この雨の中、最低でも5分はかかる。 保健室はまださらに遠い。 一番近いのは…山のすぐ下にある第1体育館…。 涼太は貴史を抱き上げると、体育館へ走った。 体育館のシャワールームは午後8時頃までは温水がでる。 涼太は貴史を抱えたまま、シャワーのコックを捻った。 どうせ2人ともずぶぬれだ。 服も脱がずに、脱がせずに、そのまま暖かい湯を浴びる。 どれくらい経っただろうか。 それほどの時間ではないのだろうが、貴史がうっすらと目を開けるまで、それはとてつもなく長く感じられた。 「せんぱい…?」 ぼんやりと目を開けた貴史が、涼太の姿を捉えたようだ。 「貴史…大丈夫か?」 その言葉に、貴史は幸せそうに微笑んだ。 「ちょっとまってろ。ロッカーから着替え取ってくるから」 暖かい湯をそのままにして行く。 すぐにとって返すと、貴史はシャワールームの床にうずくまり、壁にもたれまま、目を閉じていた。 「貴史っ」 「…ん…」 貴史の身体が、抱き寄せられるままに、涼太に預けられる。 まるで、その『意志』すら捧げだしたかのように…。 降り注ぐ暖かい雨の中で、涼太はその身体を抱きしめた。 「たかふみ…」 涼太の声が微かに震える。 ずっとずっと見つめてきたものが、今、腕の中にある。 ずっとずっと見つめて行こうと思っていた大切なものが…。 再びぼんやりと目を開けた貴史の、その瞳にぶつかったとき、涼太の中で何かが、弾けた。 「好きだよ、貴史」 呟いて、そっと唇を触れ合わせる。 体温が戻ってきたのか、貴史の唇はほんのりと温もりを取り戻しつつあった。 少し離して、もう一度触れてみる。 柔らかい感触に、目眩がしそうだった。 涼太の頬に、何かが触れた。 「貴史…」 自分の頬にそっと触れられたその指先を、ギュッと握りしめる。 「せんぱい…ど…して…?」 瞳が潤んで見えるのは、降り注ぐシャワーのせいか。 「俺…ずっとお前のこと見てた。いつも見てた」 貴史は不思議そうな表情をしている。 「好きだから…見てた…」 涼太の告白を、貴史は夢の様に受け止めていた。 好きだから見ていた…のは、自分の方なのに。 「貴史は…俺のこと、嫌いか…?」 自信なげに、額を合わせてくる涼太。 「でも、僕は…」 微かに声を発したその唇が震えている。 貴史の次の言葉を待つ涼太には、この時間の流れがもどかしい。 「僕、なんか…好きになって…も」 「貴史、俺は…俺のことが嫌いかって聞いたんだ」 いいながら、頬をあわせる。 早く、この不安な気持ちにけりをつけたい。 重なった頭が微かに振れた。 「嫌いなはず…ない…。ずっと、見ていたのに…」 「じゃあ、好きか?」 抱く腕に力を込めて、聞く。 「…………」 返事はなかった。 その代わりに、柔らかい唇が涼太の首筋に当てられた。 やがて肩を震わせる貴史。 「貴史…」 体中を包み込んで、涼太が幸せそうに呟く。 耳元で名を呼ばれて、貴史がまた、小さく震える。 「どして…僕なんかを…」 「なんで、貴史じゃいけないんだ?」 貴史の不安など、涼太にとっては物の数ではない。 「俺は貴史の傍にいたい。貴史は?」 少し身体を離して、涼太は貴史の瞳を正面から捉える。 「貴史は…?」 「僕も…傍にいたい…」 でも…。 そう続けようとした貴史の言葉を、涼太は唇で塞いでしまう。 「一緒にいよう。ずっと…」 涼太はその小指を、貴史の細い小指に絡めた。 バスケをしなくなった貴史の指は、白く、そして柔らかくなっていた。 折れそうなその指に、涼太は思いを込める。 「約束だからな…」 絡めた小指に、暖かい雫が絶えず降り注ぎ、やがて、すべての指が絡まりあう。 「着替えなきゃ…貴史…」 涼太は、震える貴史のシャツのボタンに手をかけた。 「もう…寒くないな…?」 ☆ .。.:*・゜ 「しかし、貴史にしては大胆だよな」 とりあえず予備のユニフォームに着替え、部室にいる2人。 涼太は貴史の髪をタオルで念入りに拭きながら言う。 「え?」 タオルの間から、貴史がくりっとした瞳を覗かせた。 「俺、手紙みてビックリしたよ」 その瞳を捉えた涼太が、嬉しそうに額を合わせてきた。 「手紙って…じゃ、僕がもらった手紙は…」 (はめられたな…) 涼太は貴史の身体をそっと抱き寄せた。 「ま、誰の仕業か知らないけど、今回はお咎めナシってことにしてやるしかないか」 嬉しげに言う涼太の顔を、貴史は眩しそうに見つめていた。 お互いが、心の中で悪戯小僧に感謝していたことは…ナイショだ。 そして、その悪戯小僧たちは、二人の着替えを持って、慌てて寮から駈けてくるところだった。 |
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