ACT.4

〜真っ白な誕生日〜

前編





(忘れ物ないよね…)

 ここは聖陵学院中等部の寮。
 3年の秋園貴史はグルッと部屋を見渡してからカーテンを引いた。

(う〜。寒いかも…)

 12月24日。管弦楽部の定期演奏会終了をもって、聖陵学院は冬休みに入る。

 ほんの数時間前までは、帰省する生徒たちでごった返していた寮内も、今はひっそりと静まり返っている。

 制服の上から紺色のダッフルコートを羽織り、アイボリーのマフラーを一巻すると、貴史は大きめのリュックを背にして部屋を出た。

「あれ? 貴史、どうしたんだよ、えらく遅いじゃんか」

 背後から貴史にかけられたのは、よく知った声だ。 
 貴史は振り返って怪訝そうな顔を見せる。

「真一郎こそ、どうして?」

 帰省のピークが過ぎた寮内に人の気配はほとんどない。

 中3にしてこの身長…と思わせるほどの長身はさすがにバスケ部の主将というべきか、いかにもスポーツマンらしい精悍な顔つきの川添真一郎は、問われてイヤ〜な顔を見せた。

「顧問に呼ばれてたんだよ〜。12月の部活報告を2年のヤツに書かせたら、ろくでもないヤツ出しやがってさ」

「あ、それで書き直しさせられてたんだ」

 クスクス笑いながら貴史が言うと、真一郎はひょいと肩を竦めた。

「そ〜ゆ〜こと」
「部活報告なら僕が書くのに」

 それもマネージャーの仕事の一つなのだが、マネージャーも複数いるからいつもその仕事が回ってくるとは限らない。

「お前が書いたら一発で通るのはわかってるさ。けど、俺たちあと3ヶ月で卒業だぜ。今のうちに2年にやらせて慣れてもらわなきゃ困るだろうが」

 真一郎のこの言葉に、『さすがに主将はいろいろ考えてるんだなぁ』と単純に感心した貴史はニコッと笑って真一郎を見上げた。

 そして、その笑顔を見て今度は真一郎が怪訝な顔を見せる。

「それよか、お前だよ、貴史。こんな時間まで何やって…」

 そこまで言うと、真一郎は急に言葉を切った。

「おい、まさか気分悪くなったとか…」

 目を見開いて訊ねてくる真一郎に、貴史は慌てて首を振った。

「ち、違うよ。そうじゃなくって」
「そうじゃなくって?」

 もう一度瞳を覗き込まれて、貴史は思わずその視線を泳がせる。

「えっと…、待ち合わせ、してるんだ…」

「待ち合わせ?」

「うん。まともに寮を出たら、めちゃめちゃ混んだ電車に乗らなきゃいけないからって…、だから、その、時間を外して、ゆっくり帰ろうって…」

 言葉に詰まりながら、貴史が顔を伏せる。

「誰が?」
「え?」

 問われてもう一度貴史が顔をあげた。

「誰が言ったんだ? 誰と帰るんだ?」

 貴史は、真一郎が自分の身体のことを心配してくれているのはよくわかっている。わかっているのだが、誰と帰るんだと詰め寄られても、その名前はなかなか喉を通らなくて…。

 今度は頬を染めて俯いてしまった貴史に、真一郎は小さく『あ…』と漏らした。

「悪い、貴史。俺って鈍いよな〜。いや〜、そうか〜、一緒にラブラブ帰省か〜。くっそう〜羨ましいよな〜」

 自称『2人の愛のキューピッド』(実際にそうなのだが)の真一郎としては、2人の行く末が気になるところなのだが、この感じなら心配する事などなさそうだ。

 しかし…。

「でもさ、お前んち遠いじゃん。もしかして、この時間からってことは…」

 今夜は先輩んちにお泊まりかな〜…と小さく耳元で囁くと、貴史は今度こそ耳まで真っ赤になった。

 あまりに素直な反応を返され、真一郎まで次の句が告げなくなる。

「ええっと…引き留めて悪かった。先輩待ってるんじゃない?」

 そう言われて貴史はチラッと時計を見る。
 約束の時間まであとほんの少ししかない。

「わぁ…」

 思わず出た声に真一郎は笑みを漏らし、貴史の頭をパフパフと叩く。

「気をつけていけよ」
「うん」

 まだ少し赤い顔で微笑みを返した貴史は『じゃあ、また来年』と言い残し、クルッと踵を返した。

「あ、こら、走るんじゃないって!」

 背後からの真一郎の忠告に一度振り返って手を振ると、貴史は流行る気持ちを抑えきれない様子で玄関へ向かった。

 寮内もすでに暖房が切られていたが、外へ出るとさすがにさらに寒い。

 貴史は校舎側へと下っていく坂道を駆け下りる。

 途中で合流する、高校の寮から降りてくる道に涼太はいるはずだ。 

 涼太はこちらをジッと見上げて待っていた。

「あっ! ばかっ、貴史っ! 走るんじゃないっ!」

 駆け下りてくる貴史を、涼太は大声で制す。
 しかし、貴史はそのまま駆けてきて、ポンッと涼太の胸に飛び込んだ。

「お待たせっ」

 こんな大胆な行動も、回りに人影がないからこそできるのだが。

「貴史っ、走っちゃダメだといっただろう?!」

 飛び込んできてくれるのは嬉しいのだが、それよりも何よりも身体が心配でならない。

「大丈夫、これくらい」

 見上げた貴史の顔はほんのりと染まっている。

 それはついさっき、真一郎にからかわれたせいでもあるのだが、その事を知らない涼太は心配げな顔を見せる。

「何言ってるんだ。ほっぺ、赤くなってるじゃないか」
「あ、これは…」
「これは?」

 まさか、さっきまで冷やかされてました、とも言えず、貴史は涼太の腕をとって引っ張った。

「いいから…早く、いこ…」

 これから向かうのは、真一郎の想像通り、涼太の自宅。

 2人は夕暮れの電車に乗った。







「さ、どうぞ」
 そう言って鍵を開けたのは涼太だ。

「お邪魔します…」

 誰もいないとわかっているのだが、小さくそう言い、そろっと一歩、ドアの内側へと貴史は足を入れる。
 

 涼太の両親と妹は、管弦楽部のコンサートを聞き終わったあと、そのまま香港へ向けて出発した。

 これは中沢家の毎年の恒例行事で、昨年までは涼太も強制参加だったのだが、今年は友達と約束があると突っぱねた。

 だいたい、母親と妹の買い物のお供をさせられるだけの旅行など、いい加減うんざりなのだ。

 唯一の味方である涼太が行かないと知った父親は、出掛ける前からすでにぐったりしていて、その姿は少し気の毒ではあったのだが。





「うわぁ、すごい…」

 通された広いリビングにはグランドピアノが置いてあった。

 貴史は思わず駆け寄り、触りこそしないものの、嬉々としてピアノを眺めている。

「これ、お母さんのピアノ?」

 涼太の母は、演奏家としての一線は退いたものの、毎年数多くの音大受験生を抱えているピアノ教師だ。

「いや、レッスン室は別の部屋。ここは俺と妹が練習するのを家事をしながら聞いていられるようにって置いてあるんだ」

「すごい〜。ピアノが2台もあるんだ〜。じゃあ、これは涼ちゃんと妹さんのピアノ?」

「まあ、そういうことになるかな」

 涼太は担いだままになっている貴史のリュックを外してやる。

「ねぇ、弾いて」

 ついでにコートのボタンも外しているのだが、貴史の目はピアノに釘付けだ。 

「貴史はホントにピアノが好きだな」

「うん、僕、涼ちゃんが弾いてるのを聞くまではあんまりそう思わなかったんだけど…」

 帰ってすぐにつけた暖房が利き始めてきたのを確かめて、涼太は貴史のコートを脱がせてやる。

「ピアノ以外の音楽はどうだ? たとえば今日の管弦楽部のコンサートとか…」
「うん、すっごくおもしろかった」

 答えは間髪入れずに返ってくる。

「去年までは綺麗だな〜、とか思ってただけなんだけど、今年はちょっと違った」
「どんなとこが?」

 キラキラと瞳を輝かせる貴史が可愛くて、涼太が先を促す。

「えっとね、なんだか一つ一つの楽器の音がよく聞こえてきたみたい。例えば浅井先輩のフルートが何かのメロディーを吹いたら、次にどこかの楽器がそれに答えを返すように鳴ったりするんだ。 それと、奈月先輩! もう、すっごくかっこよかった〜。 一緒に吹いてた栗山先生ってすごく有名な人なんでしょ? なんだかもう、夢見てるみたいに素敵だった〜」


 そこまで一気に話した貴史の表情は、ほとんど恋する乙女の風情だ。

 だいたい、貴史がこんな風に興奮した様子で話をすることも珍しい。

 よほど楽しかったんだな、と思った涼太なのだが、貴史の話は終わらない。

「涼ちゃん、すごいね。浅井先輩と奈月先輩と同室なんだもん」

 確かに同室だが、それだけで「すごい」と言われても困る。

「まあな、楽器をやってるときのヤツらは確かにすごいと思うけど、普段は変なヤツらだぞ。 葵は消灯前からクークー寝て『富士山ってでかい』なんて寝言いうようなやつだし、祐介なんかクマのぬいぐるみ抱いて寝てるからな」

 これは、実は412号室のトップシークレットである。

 しかし、この際そんなことはどうでもいい。

 貴史が瞳を輝かせて葵と祐介のことを語るのが、何となく許せなかったのだ。

 だから、これくらいの復讐は許されるだろう。
 現に貴史は驚いた目をしている。

「…あのかっこいい浅井先輩が…、クマのぬいぐるみ…」

 その表情に涼太はいたく満足する。

 内心では『悪いな、祐介』と、一応謝ってはいるのだが、知らないところで勝手にネタにされている祐介はたまったものではない。

 しかし、貴史の立ち直りは早かった。

「そうだ! 悟先輩も光安先生もむちゃくちゃ素敵だった〜!」

 今日のコンサートの指揮は、悟と直人の2人がつとめた。

 指揮者というのは、指揮台に立つだけでも普段の2割増しにかっこよく見えるというのだが、もともと顔立ちの整ったスタイルのいい2人だ、指揮棒を振る姿にボーッとなる人間は跡を絶たない。

「光安…?」

 涼太の目がスッと細くなったのだが、貴史は気付かない。

「光安先生って、ホントに素敵な先生だよね〜。涼ちゃんも今、担任だからわかるでしょ?」

 ニコニコしながら同意を求められても、当然素直に頷くわけにはいかない。

 確かに教師としては一流だと認めるし、いい叔父でもある…が、『バスケ部』という弱みを握られているので、影で何かといいようにこき使われているのもまた事実だ。

「僕、光安先生、大好き〜!」

 ムカッ…である。

 ここで漸く貴史が涼太の様子に気がついた。

「…涼ちゃん? どうしたの?」
「何でもない」

 不機嫌なまま言葉を返してしまった涼太に、貴史は驚く。そして、グスッと鼻を鳴らした。

「ごめんなさい…。僕、一人ではしゃいで…」

 こうなると、次に慌てるのは涼太である。

「あ、貴史、何でもない、ホントに何でもないからっ」
「涼ちゃん…」
「ゴメン、悪かったっ」

 つまらない嫉妬心で貴史を困らせたことに、涼太は内心大きくため息をつき、その細い身体をギュッと抱きしめた。





 夕食の用意は訳もなくできた。
 母が2人分の食事を冷凍庫や冷蔵庫に用意してくれているからだ。

 学校では2人で食事をすることなど叶わない。
 だから2人はゆっくりと夕食をとり、他愛もない会話を楽しんだ。

 そして…。

「貴史、風呂入ってこいよ」
「え。僕、あとでいいよ」
「何いってるんだ。お客さんが先だろ?」
「でもっ」
「じゃあ、一緒に入るか?」
「…え?」

 一緒に入浴。

 そんなこと今までも何度もあった。

 去年まで同じ中等部の寮にいて、バスケ部の遠征や合宿でも何度でもあったこと。

 なのに、今、貴史は可笑しいほどに動揺してしまっている。

 そして、そんな貴史の様子を見て取り、涼太は表情を緩めた。

「冗談だって…」

 涼太のその言葉に、潤んだ瞳で見上げてくる貴史。

 ――そんな顔するなって…。

 いいたい言葉を飲み込んで、涼太は笑顔を作った。

「あがったら、俺がでてくるまで湯冷めしないように温かくして待ってろ。ピアノ弾いてやるから」

 そう言うと、貴史は緊張を解いて笑顔を綻ばせた。







 温かいリビング。

 涼太は、湯上がりで暖められ適度にしっとりとした指先で、冬の夜にふさわしい曲をゆったりと紡ぎだす。

「貴史…」
「何?」

 ゆったりとした曲だから、少しなら弾きながら話ができる。

「ソファーに横になってみろ」
「え? どうして…?」
「いいから、言うとおりに…。こういう曲はリラックスして聞く方がいいんだ」

 納得して貴史は、座っていたソファーにそっと足をあげ、横になる。

「目を閉じて…」

 言われたとおり、素直に目を閉じる。

「身体の力を抜いて…」

 柔らかいソファーに身を委ねるように力を抜くと、急速に意識が沈み始める。

 だが、涼太の紡ぐ音は止まることなく、貴史を夢の方へと誘い…。




「貴史…?」

 何度か呼んでみたが、返事はなく、聞こえてくるのは規則正しい僅かな息の音だけ。 

 その安らかな寝顔に、涼太は安堵の息をつく。

 わざと眠気を誘う曲を弾いた。

 そうしないと貴史は、疲れているにも関わらず、きっとなかなか眠ろうとしなかっただろう。

 貴史の状態に細心の注意を払う。

 それは涼太にとって当然のことであり、また、快く2泊3日の外泊を許してくれた貴史の母に、心配をかけないためにも絶対のことなのだ。


 涼太はそっと貴史を抱き上げた。

 1階奥の和室には布団が1組敷いてある。

 涼太の母が、泊まりに来るという息子の友人のために用意しておいてくれたものだが、涼太はその部屋へは入らなかった。

 階段を上がり、真っ直ぐ自分の部屋へ。
 滅多に使わない自分のベッド。

 しかし、母が昼間に干しておいてくれたのだろう。
 そこからはほんのりと太陽の匂いがしている。

 そっと貴史を横たえ、包み込むように抱きしめると、涼太もまた、ゆっくりと目を閉じた。



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