私立聖陵学院・茶道部!





 さあっと頬を撫で、髪の毛の一つ一つの間にまで優しい風が通っていく…。

 そんな爽やかな初夏の夕方。

 僕はついさっき顧問の先生から受け取った、小さな白い紙箱を、傾けないように、そっと捧げ持ちながら、ゆっくりと坂道を上る。




 ここは私立聖陵学院の敷地内。

 都内とは思えないほど嘘みたいに広い敷地に、これまた都内とは思えないほど緑に囲まれて、中高6学年の学舎と生活の場がある。

 僕が今上っている坂道は、中等部の寮より更に奥。

 はっきり言って、そこに用事がある人間でなきゃ絶対行かないような…それこそ、6年間一度も…そんなところを僕は目指している。



「うわぉ」

 アブナイアブナイ…。

 足下の石ころを踏んづけて、僕は身体全体でよろめいた。

 慌てて、力の入らない利き手にも無理矢理力を入れて、箱を水平に保つ。

 だって、これは、「味」もだけれど、「姿」が命だからね。

 ひっくり返しちゃった日には、部長からどんなお仕置きがあるかわかんないもん。

 あ、別に殴られるとかじゃない。当分それをネタにからかわれる…ってだけなんだけど。

 それに、顧問の先生も絶対怒らない。



 今年の春、まだ入部して2〜3回目って頃、慣れない坂道に躓いてしまった僕は、大事な箱を放り出して、中身をくちゃくちゃにしてしまったことがある。 

 けれど、顧問の先生は、半泣きの僕の頭を優しく撫でて、『怪我はなかった? これはまた買い直せばいいけれど、綾徳院くんが怪我をしたら大変だからね』って、言ってくれたんだ。

 その時から僕は先生のことが大好きになった。

 あ、でも、一番好きなのはあの人で、次が部長で、その次…だけど。

 ごめんね、先生。




夏の定番『水まんじゅう』




 僕の名前は綾徳院桐哉(りょうとくいん・とうや)。高等部の1年生。

 で、このご大層な名前でだいたいわかるとおり、僕んちは、その昔は京都でお公家さんをやっていたという家だ。

 明治維新の時に華族になったらしいんだけど、なんてことはない、その他大勢、有象無象の中の弱小華族でしかも分家。
 華族制度が廃止になった後は当然の様に没落し、今や名前だけが大看板になってしまった、ごくごく普通のサラリーマン家庭だ。


 だいたい父さんには悪いんだけど、父さんの月給だけじゃ、とてもじゃないけどこの学校には入れない。

 僕はこの春、高校受験して入学した外部受験組…この学校でいうところの『正真正銘』だ。

 高校からの入学には推薦を受けて学費の減免…って手だてもあるんだけど、如何せん、1年前の僕ならともかく今の僕には特にこれと言った『芸』はないから、それも無理ってわけで、学費・寮費ともに全額支払いの身の上だ。

 じゃあ、どうして普通のサラリーマン家庭でその『全額支払い』が出来るのかというと…。

 腐っても『元華族』というのはありがたいもので、都内の1等地に1個だけ小さな土地があったために、そこにビルを建てて貸す…って事が出来たんだ。

 ホントにささやかなビルなんだけど、はずれとはいえ一応『銀座』にあるから、その賃貸料ってのはすごいもので…。

 とまあ、そう言うわけで僕はこうしてこの学校へ入学できたってわけなんだ。

 それはありがたいと素直に思うんだけど、実際この名前は辛い。

 だいたい自己紹介の時に一発で聞き取ってもらえることはまずないし、なんと言っても画数が多すぎ!

 50越えてるんだよ、信じられる?

 テストの時なんか、名前書いてるだけで出遅れちゃう。

 早いヤツなんて、僕がまだ名字を書いてる間にもう問題にはいってるもんね。まったく…。






 さて、目的地が見えてきた。

 だだっ広く、しかも山までその敷地内に持つ学校内でも、生徒が立ち入れる範囲としてはもっとも奥の高いところ。

 しかも、みんなが『隠れ家的』に使う、所謂『裏山』ってのとはちょっと方向が違うから、人影は皆無。

 そんな場所に檜皮葺きの『四畳半+二畳』っていう小さな小さな家が建っている。





「よ、ご苦労!」

 う、相変わらず早い。

「部長、今日も一番乗りですね〜」
「あっはは、一番乗りも何も、部員は部長の俺と副部長のお前、それと加賀谷の3人だけじゃん」


 豪快に笑いながら竹箒であたりを掃き清めているのは、我らが……と言っても、マジで3人きりの部なんだけど……部長、坂枝俊次(さかえだ・としつぐ)さん、高校2年だ。


 背が高くて…高校生にしてはちょっと恰幅のありすぎる身体は、それでも四畳半に入ると嘘みたいにしっくり決まる。

 きっと姿勢がいいからだろうな。


「で。今日は何かな〜?」

 掃く手を止めて、坂枝先輩は僕が捧げ持つ白い箱をじっと見つめた。

 身体もココロも大きくて、精神的にも頼りがいのある先輩が、まるで夏休み直前の小学生みたいに目を輝かせる瞬間だ。


「今日はね…」

 ほら!と、ばかりに白い箱を、そう、まるで玉手箱のご開帳の様に開けてみせると…。

「うわお〜」

 うふふ〜。坂枝先輩、目がハートになったv

「水無月じゃねぇか〜」




これが水無月



『水無月』っていうのは、白い外郎生地に小豆を乗せて蒸しあげ、三角形に切った和菓子だ。かなりポピュラーなものだから、街の和菓子屋さんでも季節になるとたいがい扱ってる。


「6月ですからね〜」
「夏越祓だな」
「さすが部長」


 夏越祓(なごしのはらえ)ってのは、1年のちょうど折り返しにあたる6月末に、この半年の罪や穢れを祓って、残り半年の無病息災を祈願するっていう神事だ。

 で、それと今僕たちが目を輝かせて見ているこの和菓子『水無月』がどういう関係なのかというと、まず旧暦の6月1日が「氷の節句」って言われてた事から説明しなくちゃなんない。

 あ、もちろんこれは、昔も昔…大昔の室町時代の話だけど。


 この日御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せて食べて暑気払いしたんだって。

「氷室」ってのは、冬の氷を夏まで保存しておく場所のことで、地下5mくらいまで穴を掘って、その涼しさを利用して作った『天然冷蔵庫』のようなものなんだ。

 実際、京都の北山には「氷室」という地名が現存してて、氷室の跡も残ってる。

 それで、当時は氷室の氷を食べると夏痩せしないって信じられていて、宮中のエライ人たちは、その天然冷蔵庫で保管された、そりゃあ貴重な『氷』を口にしていたってわけだ。

 さて、以上はエライ人たちの話。
 もちろん、パンピー(あ、わかってると思うけど、一般ピープルのこと)にとっては『夏の氷』なんて夢のまた夢って食べ物で、間違っても口にはいるようなものじゃなかった。

 そこで、登場したのが『水無月』。 

『水無月』が三角形なのは、氷室の氷片を模したものってことだ。

 つまり、口に入らないんなら、そんな感じのものを作っちまえ…っていう庶民の知恵だな。うん。

 ちなみに上に乗っかった小豆には、悪魔払いの意味があるらしい。


 奥が深いよね、和菓子って。

「奥が深いよな、和菓子って」


 坂枝先輩が、僕の頭の中のセリフをそのまま言った。
 なんだか嬉しくなった僕は、元気に返事をする。

「あっはっは、桐哉は可愛いなぁ」

 …って、頭ぐりぐりはやめて下さい〜。


「さ、湯を沸かして準備を始めるか」
「はい!」



2へ続く

次回の茶道部は…?
不安になった僕が顔を上げると、
微笑む加賀谷先輩とばっちり目が合ってしまった。

「残念。見惚れてくれたのかと期待しちゃったよ」

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